1.娘と婿と孫に囲まれ、割と幸せな人生でした
プロットはざっくりで、割と見切り発車
「てとてさん」みたいに短期連載ものになると思います
思えば、独特な人生だった。
二十代で警察官となり、その後幼馴染が死に、彼女の産んだ子供を自分の子として引き取ったり。最初は大きく反対されたが、意外と何とかなったりもした。
お陰で出世コースからは完全に外れて交番勤務になったり、親が入院中などは近所のママ友さん達に手を貸してもらったり。
娘になった彼女の年齢が上がるにつれて、たまーに警察学校でサポートに入ったり、地元の小、中学校の防犯関係の行事に出席したり。
そして、そんな娘に婿が来たり。
家族三人が四人になる頃、地域貢献で私が表彰されたり、義息子もそれなりに偉くなったり、家族が増えたり。なんやかんや、それなりに賑やかには暮らしてきた(義息子と字を当ててはいるが、別に思うところがある訳ではなく形式上のレトリックだ)。
私自身、既に年齢は還暦を過ぎ、定年してか早数年。孫もそれなりにこまっしゃくれて、口が回るようになってきた年代だ。
義息子の収入が安定しているため、私自身再就職する必要もない。自分の父親のように、しゃかりにきになって働いて死に目にも合わせられないくらい忙しいということもなくしてやれれば、と自分なりには思っている。
そういう事情から、私はボランティアをしたりしていた。
小学校の休日のイベントを企画したり。
あるいは、朝子供達の通学路に立って、横断歩道の誘導をしたり。
元々防犯、防災関係で顔を出していたこともあり、近隣の小学校では意外と顔が知られて居たりもした。以前ちょっと見て上げた子供が、警察学校に通っていたのは驚かされたりもした。
しかしともあれ、老後の生活としてはそれなりに充実してると思っている。
今日もまた娘と孫に見送られ、途中まで義息子と一緒にバス停の手前まで行き、別れた。
ここまではいつも通りだった。
問題はここから。
さて、これまで私の警察官生活で何度か車の標識無視などにも当ってきたことはあったが(ノルマが指定されていたのには心底引いたが)、そんなものを無視する勢いで、制限速度三十キロの道を爆走する乗用車が一台。クラクションが鳴りっぱなしで、運転手の姿がハンドルの上に倒れている。
明らかに六、七十は出ているだろうその速度に、横断歩道を渡っている黄色帽子の子供達は成す術もない。私や教師たちは、すぐさま走って路上の子供達を避難させたのだが、ここで思わぬ老いを感じさせられた。
なんと、このタイミングで足を挫いたのだ。
警察官になってから日々鍛え、この年齢になってからも市営体育館のトレーニングルームに通い詰めている私でも、まさかの事態だ。
そしてあっという間に車は私の眼前に迫り、メーカーロゴのWが見えたまでが、私が直前まで覚えていた光景だった。
では、今の光景はどうなっているのか。
「森上 碧よ。第二の人生、欲しくないかぞい?」
そんなことを、阿修羅のような腕を持つ女性が、光に満ちた空間で言ってくるのだから、やはり私の人生は独特だった。