一攫千金はモノクロの恋
闇に紛れ込むようにアーシェは、手入れの行き届いた茂みの影に隠れていた。
そこから覗くように顔を少し出し、辺りを見回せば広大な庭が視界を占めている。
木や花などの植物と噴水等の人工物という対照的な物を融合し作り上げた庭は、見事な造形だ。
さすがは名家・ホールドハイヌ伯爵邸。
集まる庭師も腕の立つ者達らしい。彼らの才が集結された場所で、アーシェは心を振るい立たせる。
――なんとしてもアレを手に入れなければ!
アーシェは海色の瞳でその庭を見据え、掌をぐっと握った。
するとぐしゃりと何かが潰れる小さな音が響き、慌てて辺りを見回す。
だが幸いな事に何の異常もない。
その事を確認するや否や、左手の掌を広げそれを眺めた。手中に収まっている丸まった紙。
これがこの度アーシェが伯爵邸へ忍ぶ事になった鍵であると同時に、
今後の未来がかかっている代物でもある。
ゆっくりとそれを広げれば、簡易見取り図が確認できた。
右上には方位。そして四角が数個、円を描くように書かれ、その脇に花壇との文字が。
そしてその中心にあるのが、大きな木の絵。
刺々しい毬栗が数個ほど実っているので、これは栗の木だろう。
その下にはバツ印が付いていて、『僕の全て』と書かれていた。
(まず栗の木ってどれ? 今時期じゃないから実が成ってないからわからないわ。
しかも木なんていっぱいあるじゃない)
せめてこの図がもっと緻密な描写があればと、アーシェは唇を噛みしめる。
(お爺ちゃん! もう少しちゃんと書いてよ……こっちの生活が懸かっているのに!)
それでも探さなければならない。なんとか自力で――
アーシェの家はあまり豊かではない。
父が炭鉱へ出稼ぎに出かけてくれているが、母の治療費や八人兄弟という家族の多さも相成ってそれだけでは家族を養っていけないのだ。
そのため必然的に働けるアーシェが仕事を掛け持ち、家計を助けている。
だがそれでも限界がある。
なるべく割の良い仕事に就こうにも、知識や学歴が必要なものばかり。
まだ十三になったばかりのアーシェでは困難。
こんな人生だから仕方がない。
そう諦めていたが、先日再起をかけ逆転出来る代物をついに見つけてしまった。
それがこの手中にあるメモ。
何か質に入れるものをと、アーシェが部屋中を探している時に偶然発見した亡き祖父の日記。
最初はなんだ日記か。と、肩を落としながら、何気なくぱらぱらと捲ったのが幸運だった。
なんと、この紙が挟まっていたのだ。
しかも日記を読んでわかったのがどうやらアーシェの祖父は若かりし頃、
伯爵邸に出入りしていた庭師だったらしい。という事はお給料も色よくも貰っていたはず。
しかも木の下に記されたバツ印と、『僕の全て』という文字。これは金の匂いがする。
きっと祖父は何か自分の宝物をそこへ埋めたのだろう。そう結論付け、迅速な行動を起こした。
その結果が今の状況。つまりは不法侵入。
だが、忍び込んだのはいいが、あっさりお宝発見と、簡単にはいかなかった。
まず肝心の要となる栗の木がわからない。まだ日が出ている時ならば、
葉や幹の形状で把握する事が出来るかもしれないが視界が悪すぎた。
(まぁ、とにかく探すしかないわよね……)
アーシェは諦めずに前へと進むことにし、立ち上がると足を動かした。
どれぐらい時間が経ったのだろうか。じんわりと背中に感じる汗に、若干早くなり始めている脈。
庭を闇雲にひたすら探す。なんて面倒で不効率な作業なのだろう。
普段ならば、お金を積まれなければ絶対にやらない。
世の中金だ。金が全てじゃないという人もいるが、アーシェは違うと思っている。
まずは先立つ物。それが無ければ、生きていく事は不可能。
母の毎月の薬代だって馬鹿にならない金額。その上、自分達の生活費。
せめて食材だけでも自給自足と考えているが、畑を借りるにもタダではない。
そのためには何としてもこの宝を探さなければならない――
「しかし、広すぎるわ」
月明かりだけを頼りにするのは、流石に心元ない。
夜目である程度周りは視えるが、決して良好とは言えない。そのため小範囲での捜索。
視界は悪いが、その代わり花の甘い香りや風の音等、視力以外の五感を強く感じる。
(なんとか日中忍び込めればいいのだけれども、リスクがありすぎるのよね)
ちょっとだけ夜の捜索に心が弱った。そんな時だった。
――ガサリ
と、葉のこすれるような音がしたのは。
それにはアーシェも心臓を手で掴まれたように冷たくなる。
「君、こんな所で何をしているの?」
(あぁ、最悪だ……)
突然耳朶に触れた第三者の声。それはこれから先に起こるであろう自分の未来を悲観するには十分な要素。
勿論自分が捕まるのは覚悟の上だ。
でも、家族が巻き込まれるのだけは勘弁して欲しいという我が儘も持ち合わせている。
だからむざむざと捕まるわけにはいかない。逃げる事が可能なら、そちらの道を行く。
アーシェは被っていた頭巾をゆっくりと深めにし、逃げられる相手なのか確かめるためにその声が届いた方向を振り返った。
ちょうど雲が月を隠すのを止め、光がスポットライトのようにそこへ当たっている。
アーチを描く数十本の蔓下。そこに、一人の青年が佇んでいた。
年は同じぐらいだろうか。やたら顔立ちが整いすぎて人形のよう。
その上体の線が細く儚げな印象を受ける。普段体を動かし、
ある程度筋肉がついているアーシェならば、これなら容易く逃げられるだろう。そう踏んだ。
「泥棒? ならさっさと逃げたほうがいい。この庭では、獰猛な犬が数匹放されているから」
「はぁ!?」
「あれ? 君、女の子なのかぁ。しかも声が珍しいメロディーだね」
「ねぇ、脅しでしょ? 犬なんて。だって今まで泣き声も気配も無かったわよ」
「本当だよ。家族と懐いている者以外には懐いてないけど。先日もうちに忍び込んだ泥棒が噛まれて捕まったばかりなんだ。知らない?」
「だったらどうして、貴方もこんな所にいるの? 噛まれちゃうじゃない」
「君、人の話を聞いていた? 家族や懐いている者以外って言ったよね。それにそもそも僕が誰かわからないなんて、忍び込む屋敷の家族構成は最低限下調べしておくべきだよ。しかも屋敷の者達の行動を把握しないなんて、致命的すぎ」
天使のような顔立ちの青年は、槍のような言葉をアーシェへと突き立てた。たしかに言われる通り真実。それは否めない。
(けど、別に改めて言わなくてもいいのに! こっちが間抜けのように聞こえるんですけど)
「だから易々と僕に見つかるんだよ。ちゃんと調べれば僕が眠れない夜に庭に出て楽器を弾くのが解るはずなのに」
「楽器……?」
そうその青年に言われ、アーシェは彼の手元へとやっと視線を向ける。
するとそれがあった。女性の体のような曲線を持つケースが。
「まさか……」
それを見て一人だけ心当たりがある人物の名が浮ぶ。アーシェとて伯爵家に忍び込むために下調べまではいかないが、話をいろいろと訊いて回っていたのだ。
その時小耳に挟んだ話の中に伯爵子息の話。なんでも次男がたいそうな変わり者らしいという事を。
学校にも碌に通わず、日々国外問わず様々な楽器収集を行い、バイオリンを弾く生活。
だが、伯爵もそんな彼を咎める事をせず、好き勝手にさせている。
それは彼がバイオリンの神と呼ばれたリーフ国の故・ギルカルドを越える程の才能を持っているからだ。
その演奏を求め、国王だけではなく諸外国の王や貴族達とも親交があるとか。
そんな彼こそ、ホールドハイヌ伯爵次男・スウェル。
「あんた、まさか音楽馬鹿の次男っ!?」
二十四時間音楽に頭を占領され、ただそのために生きる変人。
それが町で聞いたスウェルの噂から導きだされた人物像。
だが、それを直接本人に聞くのは不味かった。
「あっ」
と慌てて口に手を当てるが、一度言葉にしたものは回収するのは自然の摂理に反する。
どうやら相手にばっちりと聞こえてしまっていたらしい。
「音楽馬鹿?」
スウェルの口調がちょっと語尾が上がり、棘を含んだ声音に感じる。
だが、表情は悪くない。笑顔だ。いやむしろそれが恐怖心を煽る。
「ザック、ブラン、グーデ、ハイライ」
「……は?」
突然何か呟かれ、アーシェは眉を顰めた。
そんな様子を理解したのか、スウェルが首元から何かを取り出しこちらへ翳して見せてくる。
月の光に反射するそれをサファイア色の瞳が映した瞬間、アーシェの全身の血の気が一気に引く。
「……ふ…え」
「半分正解。答えは犬笛」
銀色に輝くそれは、細めの小指ぐらいの笛。
「自衛もしないでこんな夜更けに外へ出ると思う? あぁ、ちなみにさっきのは犬の名前なんだ」
「ちょっと、まさか吹くつもり?」
「どうだろうね。僕、音楽馬鹿だから」
どうやら相手は根に持つタイプらしい。
なんでよりにもよってこんな面倒な奴に出会ってしまったのかとセラフィが思っていると、近くもなく、遠くもない場所から犬の遠吠えが耳に届いた。そのため、思わず肩が大きくビクつく。
(やばい。犬は。噛まれると治療費が……仕方ない。一端引くか)
アーシェはスウェルから距離を置くように後方へ数歩足を動かすと、体を半回転させ、全力疾走で逃げ出した。
+
+
+
あちらこちらから届く鶏の鳴き声。
それを聞きながらアーシェは藁の上に転がっている卵へと手を伸ばし、拾い集めている。
ここはアーシェの働き先の一つである養鶏場。
毎日太陽が昇る前に出勤し、ここで日の出と共に鶏の卵を回収するのが仕事だ。
この後は食堂で皿洗い。複数の仕事を掛け持ちしているため、一日に幾度も職場が変わる。
全ては金のために。
同じ年頃の子達が自由に遊んでいるのを見て、何度も歯を食いしばって耐えてきた。
でも今は違う。自分には一発逆転出来る宝のありかを示す地図があるのだから――
だが、それも二週間前に失敗。それでも諦めるようなアーシェではなかった。
あの夜は伯爵家の音楽馬鹿ことスウェルにばったりと遭遇してしまったが、幸いな事に追っ手も無く逃げ切る事に成功。
……ということは、半分は成功したようなもの。
また忍び込んで今度こそは! という野心がある。
「さて、いつ決行日にしようかなぁ……」
と呟いた時だった。「アーシェ!」と養鶏場の主・ガランさんの声が飛んできたのは。
「どうしたんだろ?」
焦りを含んだそれに首を傾げると、鶏を避けるように歩き、針金と木板で出来た扉を開き外へ出る。
すると何やら体格の良い男性が、こちらへと走って来ているのが見えた。
ゆさゆさと大きな体を揺らし、こちらへ来ると額の汗を手でぐいっと拭い、肩で息をしている。
「アーシェ! すまないが今日は配達の方も手伝ってくれないか?」
「どうなさったのですか?」
「妻が産気づいて……もうすぐ生まれそうなんだ!」
「えっ!?」
ガランの妻は妊婦。予定日を少し過ぎたからそろそろかもしれないとは言っていた。
だが、まさか今だとは。
「大変じゃないですか。早く行って下さい」
「あぁ。だが、配達をする人が足りないのだよ。アーシェ、引き受けてくれないか? 勿論、賃金は上乗せするよ。頼めるかい?」
「はい。今日は牛乳配達の仕事休みなので。何処へ行けばいいですか?」
「本当かい? 助かったよ。詳しい事は配達の者へ聞いてくれ。じゃあ、頼んだよ!」
ガランはセラフィへとまくし立てるように告げると、すぐに背を向け走りさってしまう。
一人残されたセラフィは、無事生まれて来ますようにとその背に祈った。
+
+
+
「もしかして私って幸運の持ち主?」
卵が沢山入った籠を二つ持ちながら、アーシェは顔を緩めた。
空はもうすっかり青く染め上げられ、町には道行く人々の姿も見える。
頼まれた配達は無事終わる事が出来た。ただし一か所を除いてだが。
それが伯爵邸。これで堂々と屋敷に忍び込める理由が出来た。
アーシェはスキップしたい気持ちを隠し、平常心を演じながら足早に目的地へと向かっていく。
ほどなくして屋敷の前へと着き、門を越え中へと突き進んでいくと、やがて玄関先に数人立っているのが視界に入る。服装からして執事とメイドだろう。
それから――
「やばっ」
最後の一人である、身なりの良い青年の姿を確認し、アーシェは顔を顰めここへ来た事を悔やんだ。
それはあの夜出会った音楽馬鹿とつい口にし、怒らせた相手。
近くに馬車が止まっていることから、これから何処かへ出かける予定なのだろう。
(あの人が居なくなってからの方がいいわよね)
アーシェは念には念を入れる事にした。暗かったとはいえ、会話をしてしまっている。
布を深く被っていたから顔は見られなかったのが不幸中の幸いだが、不安の種は摘んでおくのが一番。
そうと決まればと早速体を方向転換させようとした瞬間、あちらも気づいてしまったらしい。こちらに視線を向けてきたせいで、ばっちりと目が交わってしまう。
目を向けた相手は大きく目を見開くと、今度はあの夜見せたような天使の微笑みを浮かべて見せた。
そんなスウェルの様子に、周りの執事達は戸惑った様子だ。
だがそれ以上に挙動不審になっているのがアーシェだ。
(嘘……バレた? 大丈夫よね? あの時顔見られて無かったわ。それに唯一知られた声も、まだ出してないし)
「アーシェ!」
スウェルは手を上げると、こちらに向かってやって来た。
――私の名前!
知られていないと思っていた自分の名前を相手が知っている。
その事はアーシェに衝撃を与え、動揺を隠しきれない。逃げなければ。それなのに体はちっとも動かない。まるで地面から生えた手に足を掴まれたように。
「良かった、アーシェ。いま君の家に行こうと思っていた所なのだよ」
「どうして……?」
「どうしてっておかしな事を言うね。君に会うために決まっているじゃないか! さぁ、立ち話もなんだし中へ入ろう」
がしっと二の腕を掴まれ、そのまま引きずられるように連れて行かれてしまう。
「なんだか、穴が開いてしまいそうだね」
テーブル越しに向かい合わさるように座っているスウェルが、肩を竦めながら言った。
それを聞きアーシェは柳眉をぐっと中央に寄せ、すぐに視線を反らす。
そして、手にしているクッキーを口に放り込んだ。
あの後ここ――応接室へと通されれば、すぐにメイドが現れテーブルへと紅茶や菓子を用意。しかもなかなかお目にかかれない高級品。そのためスウェルの手が離れたのに、逃げそびれてしまっている。
「ちゃんと養鶏場には先ほど使いを出したから大丈夫だよ。これから君は、あと四時間ぐらいは暇だろうし」
「暇じゃないってば! 家の掃除とかあるの! というか、何故私のスケジュール知っているわけ!?」
たしかに目の前にいるスウェルの言う通りだ。
養鶏場の仕事はこの伯爵家だけで終わりだし、食堂の仕事も昼前からなので、時間は空いている。
ただそれをなぜこの男が知っているのだろうか? 問題はそこだ。
「どうして? 私、何か決定的な証拠残しちゃった?」
「いいや。ただ町に出て君の声を探しただけさ。二週間かかったけれどね。僕の執念が勝っただけ」
「声……?」
アーシェは小首を傾げる。
声なんてそんなにはっきりと覚えているものなのだろうか。しかも探したと相手が言っている場所は、静まり返った室内というわけではなく、人々の喧噪で煩いのに。
「そう。忘れちゃったかな? 君が僕の事を音楽馬鹿と言ったのを」
「まだ根に持っているの? しつこい」
さっさと忘れればいいのにと、アーシェは思った。
嫌な事なんて覚えていたってちっとも役に立たないし、自分が不愉快になる。
「言っておくけれども、僕は馬鹿ではないよ。神に才能を与えられた天才なの。だからこうして探し出す事に成功したのじゃないか。君の旋律を探すのに、二週間も変装して町を歩き回ったけれどね」
「旋律? それってもしかして絶対音感ってやつ?」
「そう。僕は人が話すリズムや呼吸音、それから声音も全て楽譜にしたり、それに近い音色の楽器で演奏したりすることが出来るんだよ。そしてそれをたった一度だけで記憶する事もね」
「本当に天才みたいね」
「みたいじゃなくて、天才なの」
「はぁ、そうですか……」
本当にどうでもいい。という言葉を呑みこんだ。
「ねぇ、もしかして復讐?」
「は?」
思わず口から漏れた声。
アーシェは唖然とスウェルを見返した。
それはそうだろう。いきなり動機が復讐ときたのだ。
どこからそんな物騒な発想が出てきたというのだろうか。ただの宝探しだというのに。
「いや、別に恨みなんてないし」
「本当に恨んでいないのかい? 君の祖父・ギルバード・ヨルグが職も住処も奪われこの町を追い出されたのは、僕の曾祖父のせいなのに」
その発言にアーシェの瞳が大きく見開かれ、「嘘……」という呟きを漏らした。
「その声音は本当に知らないようだけれども、じゃあどうして忍び込んだの?」
「待って。そんな事よりその話どういう事? たしかにお爺ちゃんは若い頃、この町に住んでいたわ。そして伯爵家の庭師をしていた。それは日記で知ったから間違えないわ。でも、職も住処も追われたってどういうこと?」
「君の祖父は僕の祖母……マチル様と身分違いの恋仲になり、曾祖父の怒りをかった。祖母は婿養子を貰い、この伯爵家を存続させなければならなかったからね」
その話を聞き、アーシェまるで水中にいるように呼吸がしずらくなる。
もしかしたら、自分はとんでもない勘違いをしているかもしれない。
――あの地図は宝の地図ではないの?
期待していた分、落差は大きい。アーシェはくらくらとする頭を押さえ、ゆっくり息を吐いた。
「大丈夫? 横になる? 顔色が優れないようだけれども……」
心配そうな声に、ただ首を振った。そしてゆっくりと目を瞑ると、やがて口を開いた。「ねぇ。庭にある栗の木に案内して」と。
――ザクザク
ただ穴を掘る音だけが規則的に聞こえる。
アーシェとスウェルは庭にそびえる深緑の細長い葉を持つ木の前にて、ただひたすらスコップを地面へ突き立て土を掘り起こしていた。
幾度も幾度もその行為を繰り返す。がむしゃらに。
その周辺にはもうすでに捜索を終えた箇所が、落とし穴のようになっている。
これを元の状態に戻すのはなかなか骨が折れるだろう。
だが、そんな事を考えるのは例の物が見つかった時のみだ。
「ねぇ。そろそろ聞いてもいい? ここに何があるの?」
「お宝。……だと思っていた。でも、貴方の話を聞いたら違うような気がするの。私は宝であって欲しいのだけれどね」
アーシェは力なく笑いながらも、手はちゃんと動かしている。
「ねぇ。そんなに宝が欲しいの?」
「当たり前でしょ。だって換金できるじゃない。誰だってお金が欲しいのは当然よ」
「働きたくないから?」
「働くのは好きよ。どちらかと言えばじっとしているより、動いていたいタイプだから」
「じゃあ、何故?」
「楽になりたいからかな……」
その言葉にぴたりとスコップが穴を掘るのを辞めた。
ほんの少しだけ遠くを見詰めるように定まらない視線を向けたアーシェだったが、すぐにいつもの澄んだサファイアの瞳でスウェルを映し出す。
「余裕がないのよ。いつもいつも朝から晩まで働きっぱなしでさ。学校にも通ってみたいし、あと恋愛もしたい。でもそんな暇があるなら、働かないとならないから。お父さんも出稼ぎでお金を稼いでくれているけれども、食べ盛りの弟達やお母さんの治療費まで回らないの。だからお金があったら、少しそんな生活に隙間が出来るのじゃないかなって」
「それ、全部叶えられるかもしれないよ……?」
「え?」
アーシェが弾かれたように顔を上げれば、目じりを下げたスウェルと目がかち合う。
「僕と結婚すればいい」
「はぁ!?」
アーシェは間の抜けた声を上げ、呆然とスウェルを見ていたが、やがてぐっと眉間に皺を寄せ、再度スコップを持ちまた穴を掘り始める。
(なんで人をからかってばかりいるのよ!)
ふざけすぎだと怒りに任せ地面を深くえぐるようにしていると、「ちょっと待って」と腕を掴まれた。
あまりに突然腕を掴まれたせいか、アーシェは息を飲んだ。激しく飛んでいる脈。
「な、何よ……」
どもりながらも訝しげにスウェルを見れば、地面へと伏せはじめ、手で土を掘り返し始めている。
「音が変わったんだ。さっき、ちょっとだけ」
「気のせいじゃない?」
アーシェは何を言っているのだ、この男は。という表情で見ている。
だが、スウェルはそれを気にする様子がない。
やがて根負けしたため、同じようにしゃがみ込むんだ瞬間、「あった」という呟きが耳に入り、アーシェは思わず声を上げて驚いてしまう。
「本当!?」
穴を覗けば緑色塗料が塗られた箱が見える。
所々剥げ錆びたそれは缶だろう。
それを丁寧にスウェルは掘り出すと、それをこちらへと差し出してきた。
「あけてみて」
両手でそれを受けると、軽く土を落とし開く。すると中には手紙がぎっしりと敷き詰められていた。
「――……やっぱり恋文だったのね」
途中から気づいた。スウェルから訊いた昔話。それから僕の全ての想い。その言葉の意味を合わせると必然的に導き出される答え。
お宝を過度に望んでいたため、まだ執着が残っているようで、表情が残念がっている。
「金目の物は無しかぁ……」
そのまま蓋をしようとしたら、スウェルが「待って!」と。
その制止声にアーシェは目をぱちくりとさせた。
「どうしたの?」
「ちょっと待って」
そう言ってスウェルが手を伸ばし、それを缶から取ると目の前にかざしてくる。
「ほら、これだけ色が違うんだ……」
無造作に放り込まれた手紙の束の中に、たしかに一つだけ様子が違うものが混じっていたらしい。
他の封筒は白だが、スウェルが手に持っているそれは黄色。
「これって……」
それだけ宛先が違った。
『これを見つけた者へ』宛名はそう書かれている。懐かしい祖父の文字だ。
「読んで」
「僕でいいの?」
「うん」
頷くアーシェに、スウェルは手紙を広げ、口を開くと、文章を音に変えていく。
「これを探し出した者にお願いがある。全て処分して欲しい」
「はぁ? だったらなんで埋めたわけ?」
渡して欲しいならまだわかる。処分してくれって……無駄な労力じゃないか。
「ちょっと待っていて。続きあるから。え~と、マチルの婚約者となるべく人と会った。彼ならばきっと彼女は幸せに暮らしているだろう。だから、この手紙の存在はきっと邪魔になる。それでも僕はどうしても伝えたかった想いを、彼女との思い出の場所であるこの地に残したかったって書いてあるよ」
「なんだか絡まった糸のように複雑な恋心ね。言えばいいじない」
「そうかなぁ。僕はわかるけれど。自分の気持ちを形に残したいという点ではね。この二週間狂ったように、アーシェの事を考えて作曲していたし」
「え……」
「ねぇ、アーシェ。でも、僕は愛する人を違う男の手で幸せになんて事は願えない。この手で幸せにしたい」
その宣言には、どきりと心臓が高鳴った。
(な、何よ……急に……!)
真剣な表情を浮かべているスウェルに対し、アーシェは顔を赤く染めている。
「音楽馬鹿かどうか僕の演奏を聴いてみない? きっと伝わると思うのだけれどもなぁ」
「いっ、いい! 遠慮しておく」
これ以上心臓が暴れないうちに、逃走しよう。アーシェはスコップを置き捨てるようにし、駆けだした。
「絶対に聴かせるから!」
アーシェは高まる鼓動と、沸騰する血液で忘れていた。
背中に届くその声の主は、しつこい男だということに――