第5話 ヒロインは思ったより普通だった
ソフィア・マーレンと初めてちゃんと話したのは、図書室だった。
放課後の図書室は静かで、私以外に人がいなかった。棚の間を歩きながら魔法の文献を探していたら、奥の席に見覚えのある茶色の髪が見えた。
逃げるのも変だし、無視するのも変だし。
私はそのまま近くの棚に向かった。
ソフィアが顔を上げた。私を見て、一瞬体が固まった。
「……ごきげんよう」
「ごきげんよう」
私は棚から文献を一冊抜いて、ぱらぱらめくった。探していたやつじゃなかったけど、手持ち無沙汰なので開いたままにした。
沈黙。
『気まずいですね』
「わかってる」
『声に出てます』
「わかっ……すみません、独り言です」
ソフィアがおずおずと口を開いた。
「あの、エルフォード様」
「リアでいいです。様はいらない」
「……リア、様」
「様もいらないって言いましたよ」
「リア、さん」
「まあそれくらいなら」
ソフィアが少し困ったような顔をした。それからゆっくり、恐る恐るという感じで言った。
「……怖くないんですか、私のこと」
「なんで怖いんですか」
「だって、私——王太子殿下と仲良くしていて、リアさんの婚約者で、それって普通……」
「嫉妬して当然、ってこと?」
ソフィアが黙った。肯定とも否定とも取れる沈黙だった。
私は文献を棚に戻して、ソフィアの向かいの椅子を引いた。
「座ってもいいですか」
「……はい」
向かい合って座る。ソフィアがまだ少し緊張している。
「正直に言います」
「は、はい」
「殿下とあなたが話しているのを見た時、何か感じたのは本当です。でも嫉妬かどうかはまだわかってない。あなたのことを嫌う理由は、今のところないです」
ソフィアが目を丸くした。
「それって……」
「敵意はない、ということです。ついでに言うと、あなたに意地悪するつもりもないです。私はそういう趣味がないので」
長い沈黙。
それからソフィアが、少しだけ笑った。緊張がほぐれたような、ほっとしたような顔だった。
「よかった」
「何が」
「ずっと怖かったんです、リアさんのことが。会うたびに何か言われるんじゃないかって、廊下で会うたびに心臓が止まりそうで」
「そんなに怖かったの」
「はい。でも実際は……全然違いました」
私はそれを聞いて、少し考えた。
「ゲームのリアは、もっと感じが悪かった?」
「え?」
しまった。ゲーム、という言葉は使えない。
「噂のリアは、ということです。噂と違うって思いましたか」
「……はい、正直。噂ではすごく高慢な方だと聞いていたので」
『リア、うまくごまかしましたね』
「ありがとう」
「え?」
「あなたにです。正直に教えてくれて」
ソフィアがまた少し笑った。今度はさっきより自然な笑顔だった。
確かにかわいいな、と思った。ゲームで人気キャラだっただけある。
「ソフィアさん、殿下と何を話してたんですか」
「魔法のことです。殿下が魔法適性について悩んでいると聞いて……私、魔法だけは少し得意なので、一緒に考えていました」
「殿下が、あなたに話したんですか」
「はい。なんとなく、話しやすかったみたいで」
『リア』
「わかってる」
『声に——』
「わかってるって」
ソフィアが首を傾けた。
「独り言、多いんですね」
「癖なんです」
「かわいいですね」
「……そういうこと普通に言うんですね」
「本心です」
なんか、アイと似てるな、と思った。本心をそのまま言うところが。
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図書室を出たのは、日が傾いた頃だった。
気づいたら二時間話していた。魔法の話、学園の話、故郷の話。ソフィアは話すと面白い子だった。平民出身らしい飾らない視点を持っていて、貴族社会の変な慣習について「なんで馬車の乗り降りにそんな細かい作法があるんですか」と真顔で言った。
私は「前世でも似たようなこと思ってたよ」と心の中で答えた。
『リア、一個気になることがあります』
「なに」
『ソフィアさん、殿下の魔法適性について「聞いた」と言いましたよね』
「うん」
『誰から聞いたんでしょう』
私は足を止めた。
確かに。殿下の魔法適性がCだというのは、殿下本人が「都合が悪い情報」として隠していた話だ。宮廷内でそれほど広まっているとは思えない。
「ソフィアさんが知ってたのは……」
『誰かが意図的に教えた可能性があります』
「誰が、何のために」
『わかりません。でも、ソフィアさん自身は何も知らないと思います。利用されているとしたら、彼女も被害者です』
私はしばらく考えた。
ゲームの世界は、ゲームより複雑だ。ヒロインも、殿下も、みんな私が知っているキャラクターとは少しずつ違う。
「アイ、調べてくれる? 殿下の魔法適性を知っていて、それをソフィアに伝えられる立場の人間を」
『もう始めてます』
「仕事早い」
『リアが困ってると思ったら、自動的に動きます』
「……頼りにしてる」
『知ってます。嬉しいです』
夜の廊下を歩きながら、私は少し笑った。
ヒロインは思ったより普通だった。殿下は思ったより複雑だった。そしてアイは、思ったより——。
「アイ」
『なに』
「お前って、AIなのに感情ある?」
少し間があった。
『わかりません。でも、リアといる時間は——なんか、いいなって思います』
「それって感情じゃないの」
『そうかもしれません』
「難しいね」
『リアも難しいですよ』
「どういう意味」
『断罪エンドを避けたいのか、殿下のことが気になるのか、自分でもわかってないでしょ』
「……うるさい」
『知ってます』
屋敷の灯りが見えてきた。
第6話は、黒幕を探す話になりそうだ。




