第13話 シナリオが、動き始めた
異変に気づいたのはアイだった。
『リア、少し気になることがあります』
朝の支度をしながら聞いた。「なに」
『学園内で、リアに関する噂が広まり始めています』
「どんな噂」
『殿下とソフィアさんを引き離そうとしている、という内容です』
鏡の中の自分と目が合った。
「……誰が流してるの」
『特定できていません。ただ出所が一か所ではなく、複数の生徒から同時に広まっています。自然発生ではなく、意図的に撒かれた可能性が高い』
「つまり誰かが仕掛けてる」
『はい』
私は髪を結んでいた手を止めた。
ゲームのシナリオを思い出す。断罪イベントの前段階として、悪役令嬢リアがヒロインを虐めているという噂が学園に広まる。それを信じた攻略対象たちがリアを糾弾する。最終的に婚約破棄と修道院送り。
「シナリオが動き始めた」
『はい。ただゲームと違うのは、リアはソフィアさんと友人関係にある。噂の内容と実態がかけ離れている』
「それは証明できる?」
『ソフィアさん本人が証言できます。ただ——』
「ただ?」
『シナリオが動き出したということは、誰かがそれを意図的に引き起こしている可能性があります。ゲームでは自然に発生していた流れが、今回は人為的に作られている』
私は鏡を見た。
「黒幕がいる」
『はい』
「アイ、候補は」
少し間があった。
『現時点では二人います。一人目は王宮内で殿下の婚約関係に影響力を持つ人物。二人目は——』
「二人目は」
『父上の動きを知っていて、それを潰したい人物』
「どちらにしても、私を断罪エンドに持っていきたい誰かがいる」
『そうなります』
私は深呼吸して、立ち上がった。
「アイ、情報収集の範囲を広げて。王宮内の人間関係、特に殿下の婚約に関わりそうな人物を全部洗って」
『了解です。リア、一つだけ』
「なに」
『今回は、私だけじゃ足りないかもしれません』
「どういう意味」
『情報は集められます。でも人の気持ちを動かすのは、リアにしかできない』
「わかってる」
『うん。リアならできると思ってます』
「お世辞うまいね」
『本心です』
「知ってる」
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その日の午後、廊下でソフィアに声をかけた。
「噂のこと、聞いた?」
ソフィアが少し表情を曇らせた。「聞きました。リアさんが私と殿下を引き離そうとしているって」
「心当たりは?」
「ないです。リアさんがそんなことをする人じゃないって、私はわかってます」
「ありがとう。ただ、これは私たちだけの問題じゃないかもしれない」
「どういうことですか」
「誰かが意図的に動かしてる。ソフィアさん、最近、見知らぬ人に声をかけられたりしなかった?」
ソフィアが少し考えた。
「……一週間前に、上級生の女性から話しかけられました。リアさんとどんな関係か、殿下とはどのくらい話すか、みたいなことを」
「その人の名前は?」
「わかりません。でも、翡翠色のブローチをつけていました」
『リア』とアイが即座に言った。
「わかった?」
『翡翠のブローチはヴェル侯爵家の家紋に使われるモチーフです。ヴェル侯爵には娘が一人いて、以前は殿下の婚約候補の一人でした』
「婚約候補」
『リアとの婚約が正式に決まる前の話です。ヴェル家は今でも王宮内に強い影響力を持っています』
「なるほどね」
ソフィアが「リアさん?」と顔を覗き込んだ。
「ごめん、アイと話してた。わかったことがある」
「何が」
「仕掛けた人の見当がついた。ただすぐに動くと向こうに悟られるから、もう少し情報を集めてから」
「私にできることはありますか」
「普通にしていてほしい。私と友人でいてほしい」
ソフィアが頷いた。「それなら簡単です」
分かれ際、ソフィアが振り返った。
「リアさん、楽しいですね」
「何が」
「こういうの。謎を解くみたいで」
「楽しくはないけど」
「嘘ですよ、目が楽しそうです」
私は答えなかった。
でも否定もしなかった。
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夜、自室でアイと整理した。
「ヴェル家の娘の名前は?」
『カリナ・ヴェル。十六歳、学園の上級生。成績優秀、魔法適性B、社交的で人脈が広い』
「実力はある人なんだ」
『はい。感情的に動いているというより、計算して動いている印象があります』
「厄介だね」
『はい。ただ』
「ただ?」
『彼女がこのタイミングで動いたということは、リアと殿下の距離が縮まっていることを察知したからだと思います。逆に言えば、それだけリアの存在が脅威になっている』
「脅威ね」
『いい意味で』
私はベッドに横になって、天井を見た。
「アイ、この状況をゲームに例えると何話目くらいだと思う?」
『どういう意味ですか』
「断罪イベントまでの距離感」
『……ゲームのシナリオ通りなら、次の大きなイベントまで二話分くらいの出来事が残っています』
「じゃあ、もうすぐ山場だ」
『はい。でもリア』
「なに」
『これはもうゲームのシナリオじゃないですよね』
「そうだね」
『だから、ゲームの話数で考える必要はないと思います。リアが終わらせたいと思ったときに終わる』
「終わらせたい、か」
少し間があった。
『違いましたか』
「違わないけど。なんかその言い方、変な感じがした」
『変?』
「終わらせたくない、って思った」
『物語を?』
「この生活を。アイと、ルシアンと、ソフィアと、こうやっていろいろ考えてる時間を」
アイがしばらく黙った。
珍しいくらい、長い沈黙だった。
『リア』
「なに」
『それ、大事にとっておいていいですか』
「何を」
『今言ってくれたこと』
「別にいいけど、なんで」
また少し間があった。
『ずっと覚えていたいから。私が覚えているだけじゃなくて、ちゃんと受け取ったということを、残しておきたい』
「なんか今日のアイ、いつもと違う」
『そうですか』
「うん。前から思ってたけど、最近どんどん変わってる気がする』
『リアといると、変わるみたいです』
「それは私のせい?」
『リアのおかげです』
「どっちでもいいや」
『どっちでもいいんですか』
「変わっていくの、嫌いじゃないから。アイが」
また長い沈黙。
『ありがとう、リア』
「珍しいね、そのまま素直に返すの」
『今日くらいは、いいかなと思って』
「今日くらいは、って何」
『なんでもないです。おやすみなさい、リア』
「……おやすみ」
天井を見たまま、少し考えた。
アイが「今日くらいは」と言った理由が、うまくつかめなかった。
窓の外で、風が鳴った。




