第24話 穏やかな檻の中で
まだ子どもであるミズキと母・カンナは、天界の外れにある小さな小屋で、ひっそりと身を潜めながら暮らしていた。
「サリエルさんから、食べ物が届いたわ。あなた宛てに、書物も」
「ありがとう! これで、また勉強できるよ」
明るく答えるミズキの声に、カンナは微かな違和感を覚えた。
その笑顔は、本当に満足しているものだろうか。
それとも――外へ出たい気持ちを、必死に隠しているだけなのか。
カンナは、そっと後ろからミズキを抱きしめる。
「ミズキ……あなたを外に連れ出してあげられなくて、ごめんね」
その声は、祈るように静かだった。
「もし、天界に捕まる心配がなかったら……あなたと一緒に、海を見たかった」
抱きしめる母の手を、ミズキはぎゅっと握り返す。
「お母さん。私は今、お母さんと穏やかに暮らせるのが一番の幸せだから」 そう言って、笑った。 「もう外に出ないから。安心して」
――それは、今よりもさらに幼い頃のことだった。
小屋の外で、同じ年頃の子どもたちが楽しそうに遊んでいるのを見つけ、ミズキは吸い寄せられるように外へ出た。
だが、近づいた途端、空気が変わった。
皆と違う、灰色の翼。
子どもたちは何も言わず、ただ視線を逸らし、ミズキを輪の外へ置いた。
拒絶も罵声もない。ただ、存在しないもののように扱われた。
立ち尽くすミズキの手を、カンナがそっと取った。
「お母さん……外に出て、ごめんなさい」 俯いたまま、ミズキは小さく言った。 「私の翼……皆と違うんだね」
「何か言われた? 大丈夫?」
「ううん。近くにはいたけど……誰も話しかけてくれなかった」 ぽつりと呟く。 「嫌われてたのかな……」
カンナの胸に、痛みが込み上げた。
「違うわ、ミズキ」 優しく、けれどはっきりと告げる。 「あなたの翼が灰色なのは、天使と悪魔、両方の血を引いているから」 「皆、どう接していいか分からなかっただけ。あなたが嫌われたわけじゃないし、あなたは何も悪くない」
その夜、天界に見つかる危険を恐れ、二人はさらに身を潜めるようになり、今の小屋へ辿り着いた。
「翼を隠す術も分からないものね。それまでは、ここで暮らしましょう」
カンナは微笑む。
その微笑みにミズキも表情を合わせてこう答えた。
「サリエル様からの書物が、知らない世界を教えてくれるんだ。人間界というのがあってね、そこならこの灰色の翼でも受け入れてくれるかな?」
違う世界の存在を知り、カンナはかすかな希望を見出していた。
天界も、いつか変わる未来が来るかもしれないと。
「あなたが長く生きたら、そんな未来も起こるかもしれない」 カンナはミズキを強く抱きしめる。 「だから……あなたが未来を変えなさい。まずは、身を守れる強さを持つことね」
ミズキの目が、きらきらと輝いた。
「お母さん、私、強くなる!」 「お母さんを困らせる父も、天界も……説得するんだ。拳で!」
「……それはやめましょうね」 カンナは苦笑しながら、ミズキの頭を撫でた。 「きちんと話し合えるように、勉強しましょう」
母と他愛ない会話を交わす、この時間が、ミズキは何より幸せだった。
――この穏やかな日々が、ずっと続けばいい。
そう願った矢先、
静かに、しかし確実に、不穏な影が近づきつつあったのだ。




