第19話 回帰の狭間 -颯、優しさという名の逃げ-
颯の前に立っていたのは、ミズキだった。
いや、正確には“ミズキの姿をした幻影”だ。
「ここでミズキが出るのか……。
自分が出るより、今はきついけど」
自嘲気味に言うと、ミズキは肩をすくめて笑った。
「颯、あんたは本気じゃないから一緒にいて楽だわ」
その一言で、胸の奥がざらりとした。
それは、今まで何人もの女性に言われてきた言葉だった。
――違う。
――それは……。
「よくできてるだろ?」
背後から声がした。
振り返ると、そこに立っていたのは自分自身――シャドウ颯だった。
「今のお前のままでいいんじゃないか?
本気に向かわなければ、相手も自分も無駄に傷つかない」
颯は歯を食いしばる。
「違う……俺は本気でミズキが好きだ。初恋なんだ」
言葉にした瞬間、胸が痛んだ。
「だから……ハルと幸せになるのが、ミズキの幸せなら
それでいいって――」
シャドウ颯が、静かに笑った。
「お前がキスしようとしたのも、
それは“早くミズキを諦めるため”だろ?」
言葉が、刃のように刺さる。
「お前は逃げたんだ」
(……そうか)
颯は膝に力が入らなくなるのを感じた。
(俺は相手を思ってたつもりだった。
でも、また自分を引き算してただけか……)
脳裏に浮かぶのは、茶道から身を引いた日のこと。
のめり込めばのめり込むほど、静真の立場が揺らぎ、母が傷ついていった。
――だから、諦めた。
――傷つける前に、逃げた。
(染みついてたんだ。
本気を出したら、人を不幸にしてしまうって)
「だから俺は……妾の子らしく、本気で好きな相手も作らなかった」
声が震える。
「“颯は愛人の子だから”
将来の相手にとって負い目になる。
そうやって特定を作らないのが俺らしいって……思われてたから」
ふと、記憶がよみがえる。
――迎えに来た静真の姿。
「俺は、お前に嫌われたと思って遠ざけられたのかと思った」
その言葉に、胸が締めつけられる。
「……俺の逃げも、結局人を迷わせてたのか」
シャドウ颯が、ぽつりと呟く。
「お前は優しいよ。
相手のために引いたって言うのは、間違ってない」
だが、声が揺れた。
「……俺自身が、いらない存在だって言われてるみたいで、傷つくんだ」
気づけば、涙が頬を伝っていた。
(そうか……)
引くことで、誰かを守ったつもりで。
一番傷つけていたのは、自分自身だった。
「茶道、やりたかった」
「ミズキも……助けたかった」
シャドウは、まるで幼い子どものような顔で立っていた。
颯は、迷わずその身体を抱きしめた。
「……そうだよな。
俺の声が聞けるのは、俺だけなのに」
腕に力を込める。
「ずっと無視してて、ごめんな」
静かに息を吸って、言った。
「俺はもう逃げない。
ぶつかってみよう!
ダメなら……その時考えればいいさ」
シャドウ颯は、驚いたように目を瞬かせてから、微笑んだ。
「……ようやく、僕の声を聞いてくれたね。ありがとう」
その身体が、柔らかな光に変わる。
光は颯の胸へと溶け込み、確かな温度を残した。
「自分の気持ちからも、相手からも逃げない」
颯は、前を向く。
「それで開ける道も……あるよな」
静かな決意を胸に、颯は次の一歩を踏み出した。




