第10話 灰の翼の記憶 ―ミズキとハルの出会い―
静寂に包まれたカフェ《空の庭》。
「臨時休業」の札がかかり、そこにミズキの姿はなかった。
「なあ、ミズキはまさか一人で……」
颯の声に不安がにじむ。他の三人も同じ気持ちだった。
やがて足音が近づき、透が現れる。
「おじさん……ミズキは?」
「ミズキなら朝から裏山だ。自分を鍛えに行くってよ」
4人は胸をなで下ろす。どうやら一人で魔界に行ったわけではなさそうだ。
透は静かに言葉を継いだ。
「お前ら、アスモデウス──ハルに会ったんだな」
キラが目を閉じ、ゆっくりと頷く。
「おじさん、教えて。ミズキとハルさんには、何があったの?」
透は少しだけ間を置き、穏やかに語り出した。
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ミズキがまだ〈戦天使〉になりたての頃。
天界の特攻部隊に配属され、初日の顔合わせで出会ったのがハルだった。
「お前がミズキか。灰色の翼──なるほどな。
上は“すぐに音を上げるだろう”って魂胆なんだろう。うちは…地獄のように厳しいぞ?」
冷たい言葉に、ミズキは静かに答えた。
「望むところだ。母を殺した悪魔を滅ぼすためなら、どんな地獄にも行く」
怯むどころか、まっすぐな眼差し。
ハルは小さく息を吐いた。
「……あの人が見込んだだけあるな。分かった。俺が仕込んでやる」
こうして二人の訓練が始まった。
「動きの勘はいい。だが、自分の構えが疎かだ」
ハルの指摘と同時に、ミズキは足元をすくわれて倒れる。
「お前は自己流で戦ってきた分、反応は鋭い。だが基礎がない。
基礎を疎かにすれば、無駄な動きが増えて体力を浪費する」
「……確かに」
ミズキは悔しさを噛み締めながらも納得した。
師もなく、隠れながら生きてきた年月。反射神経は磨かれても、構えは未熟だった。
「だからまずは座学と筋トレだ」
「は? 手っ取り早く強くなりたいんだぞ!」
「甘いな。できないならそれでいい」
「…誰が諦めるか。ちゃっちゃと終わらせて、お前を超えてやる!」
ハルは思わず笑う。
「見込みがあるな……楽しみだ」
その声はミズキには聞こえなかった。
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ある日、鍛錬の帰り道。
茂みの向こうで、女天使が男天使二人に絡まれているのが見えた。
「いいじゃん、遊びに行こうよ」
「いやです。これから勉強があるので」
──天界にも、こんな連中がいるのか。
ミズキは迷わず間に入った。
「あんた、嫌なら今のうちに逃げな」
女天使は半泣きで頭を下げ、走り去る。
「邪魔しやがって」
「待て!こいつも綺麗な顔してるぜ。代わりに俺らを満足させてくれよ」
次の瞬間、ミズキは押し倒され身動きを封じられる。
反撃の構えを取ろうとした、その時──
「合意のない異性交遊は、天使らしくないなあ」
背後から、ハルの低い声が響いた。
彼は男たちの手を掴み上げ、冷たく言い放つ。
「報告されたくなければ、黙って消えろ」
男たちは青ざめ、逃げ去った。
ハルは膝をついてミズキに手を差し伸べる。
「大丈夫か?」
「べ、別に。これから倒そうとしてたんだけど……あれ? 足が……」
恐怖が遅れて全身を襲う。
立ち上がろうとするが、力が入らない。
「……私が、こんなに弱いなんて……」
ミズキは唇を噛んだ。
ハルはそっと距離を取り、隣に腰を下ろす。
「よく守ったな。恐怖を感じるのは誰でも同じだ。気にするな」
その優しい声に、ミズキの胸がふっと温かくなった。
(私を認めてくれる……人に安心できるのって、久しぶりだな……)
──それが、ミズキにとって“信頼”という感情を思い出した瞬間だった。
しかし、平穏に見えた日々の下で、運命の歯車は音もなくずれ始めていた。
(続く)




