digressionⅡ
彼女が初めて人を殺したのは5歳の時だった。
それは、飽くまで過失などでは無く、彼女の意思によるもので、なおかつ、彼女の手による犯行だった。
だが、彼女にはその行為が犯罪である事の理解が及ばなかった。
罪という概念に欠如していたと言えたかも知れない。
それは、幼い故の未熟さからだったのか。
彼女が4歳の時、弟が出来た。
名前は裕也と名付けられた。
裕也を彼女は嫌いだった。
両親は、極々僅かな弟の示す意思に対して最善をもって理解しようと努めた。
彼女がどんなに望んだとしても、理解してもらえる事はほんの僅かだったのに。
キチンと言葉で要求する自分の意思よりも、要求の術を持たない弟を理解しようとした。
それは、とても妬ましいことだった。
彼女にとって、両親のその行為は、弟に対する愛情では無くて、忖度と感じられたのだ。
彼女は、両親からの理解を伴わないのならば、愛情が欲しいとは思わなくなっていた。
夕飯に好物のハンバーグが出ても、寝る前の絵本の読み聞かせも、それは両親が自らの行為に満足しているだけで、彼女を理解するのとは違う――。
自分も、忖度して欲しいと思っていた。
いや、理解する努力を見せて欲しいと思った。
何事に対しても、弟が優先された。
そのうちに、或る妄想が彼女の中に芽生えた。
両親を喃語で操るようなその姿は、まるで弟が両親と彼しか理解しない言葉を使って、思いのままに両親を操っているのではないか?
計り知れない疎外感に恐怖すらした。
一年ほどが経ち、彼女は5歳になっていた。
ある日。
母親が近くのコンビニへ買い物に出て、家が彼女と弟の2人になった際の事だった。
ベットで眠っていたと思っていた弟が、いつの間にか目を覚ましたらしく、ぐずるような声を上げていたのだが、そのうちに機嫌を直したようで、独りで笑い出していた。
その時、信じられないことが起こった。
「まあま――まあま」
それは声だった。
聞いたことの無い声。
……。
……まさか――、弟の声?
「まあま、まあま」
『ママ』と聞こえた。
間違いない。ママと言った。
隣の部屋で絵本に落書きをしていた彼女は、急いで弟が眠っていたベッドへと向かった。
ベッドの中を覗き込むと、弟は、彼女に気づいたようにニコニコと笑顔を返す。
彼女を認識している。
そのことを確認して、彼女は改めて恐怖した。