明神亜々子に花束を
1人――1人――また1人。
人の潰れる大きな音とともに、再び始まる人の雨。
「こんなにたくさんのみんなが死んでくれたおかげで――」
気配が走った。
いや、気配が湧いてきた、背筋を凍らすおぞましい気配。
こころなしか、部室の中が仄暗くなったような気がする。
声がした。
イ・ロム・オ・ノ・チィ・ア・フ・コブ――
何処かで聞いた、唸るような声。
そんな中で三沢さんが人の雨をバックに立ち尽くしている。
三沢さんの姿が、部室の暗さに溶けて影になった。
「ほら――こんなに沢山のお手伝いさんが手に入った。入りましたよ」
イ・ロム・オ・ノ・チィ・ア・フ・コブ
声が増えていく。
三沢さんの足下から、いくつもの小さな影が湧いて出た。
溢れる。
足下に溢れ、光の無い眼孔だけの目が、たくさんこちらを見ている。
数十におよぶ、禍神の群れ。
イ・ロム・オ・ノ・チィ・ア・フ・コブ
禍神達は、尚も沸き立ちながら、口々に不気味な言葉を呪文のように呟いている。
その恐るべきありさまに、私はその場から動けなかった。
いや、立っていることも困難になろうとしていた。
「黒川さん――」
そう言って、三沢さんが小首を傾げると、その口元が三日月を作った。
「折角お友達になれたのに。なれたんですが――アナタにヒトノモリを倒されるわけにはいかない。駄目です。どんなやり方なのかも解らないので、なるだけヒトノモリからは遠ざけておきたい。そうします。だから――」
三沢さんが、真っ直ぐに黒川さんを指さした。
「ここで死んで下さい」
それが、合図だったと言うように、三沢さんの足下にいた禍神達が一斉に蠢きだした。
「そうだね――」
黒川さんは慌てる様子も無くそう答えると、何も無い空間にドアをノックする様な形で手を上げた。
「三沢はいい後輩、友達――『だった』よ」
禍神達が跳ねるようにして迫ってくる!
「ノック、ノック、ノック――」
黒川さんが3回、ドアをノックする身振りをしながらそう言った。
「ノック」
そして、少し間を開けてもう一回。
「はーな子さん――」
えっ?花子?さん?
突然、廊下の奥から小さな足音が駆けてくる音がしてきた。
入り口に立ち尽くす私と黒川さんの間を、赤いスカートを履いた小さな女の子が駆け抜けて行き、そのまま禍神の渦に飛び込むと、その勢いで数体の禍神を蹴り飛ばす!
なに?何が起こっているの?起こったの?
『はあぁい』
大勢の子供達の騒がしいまでの返事が返ってくる。
そして、壁の中から、床から――。
ぼこぼこと紅いスカートの女の子達が湧いてきた。
……花子さん?
花子さん達は、禍神に馬乗りになったり、蹴り回したり、大勢で袋だたきにしたりと、もの凄いことになっていた。
「逃げるぞ、明神!」
え?逃げる?
納得いかない。
どう見てもこっちが優勢だ。
「黒川さん、三沢さんを捕まえて、ヒトノモリを止めてもらいましょう!」
「だめだ!」
黒川さんが声を荒げる。
「優勢な内に退路を確保するんだ、絶たれたらアウトだ」
そうか、完全に勝負が付くまで現場にいて、花子さん達が優勢な内はいいけど、負けてしまったら――。
……って、花子さん!
花子さんって言ってたよね?じゃあ、花子さん?
いや、だから、その――どいうこと?
「黒川さん、あれ、本物の花子さんなんですか?学校の怪談の花子さん?」
走って息を切らしながら私は黒川さんに尋ねた。
「そうだよ。従者にしておくと何かと便利だから集めておいた」
なんか、黒川さんがしれっと凄いこと言ってる。
「なんで、あんなにいっぱい居るんですか!」
「花子さんの怪談がある学校は1校だけじゃ無いだろ?そこに噂があれば、怪異は存在するんだよ」
そういえばそうだ。
結構何処の学校にも花子さんの怪談はある。
言われてみれば、花子さんが独りである事の方がおかしい。
「花子さんは、人懐っこいから手懐けとくと何かと役に立つんだ」
黒川さんはそう言ってふふふと笑った。
『ふふふ』じゃないです!
勘弁して下さい――。
身も心も持ちません。
分解しそうです。
もう、驚きたくないです。
やがて、エントランスが見えてきた。
学校から出たとしても、安全であるとは言い難い。
でも、どうやら三沢さんは黒川さんにヒトノモリを会わせることを怖がっていて、ヒトノモリの力を使わずに亡き者にするつもりらしい。
ならば、今、危険なのは禍神だ。
足止めが効いている内に、少しでも奴らと離れなくては――。
扉の前に立ち、開けようと力を入れて押す。
開かない。
鍵がかかっているのとは違う手応え。
壁のようにがっちりとして、びくともしない。
「どけ!明神!」
後ろから黒川さんの声がした。
振り返る間もなく、消火器がドアに向かって飛んでいく。
消化器はドアのガラス部分に直撃したが、ガラスは音を立てることすら無く、消化器をはじき返した。
「結界だと?」
「けけけけけけ結界?」
何、今度は何、結界――何?
黒川さんは、質問には答えてくれず、私を靴箱の影に引きずり込むと身を屈めさせ、向かい合った。
「ちょっとヤバイかも知れない」
はい、それはなんとなく解ります。
「いいか、今から言う事を良く聞け」
私は黒川さんの言葉に何度も頷き応える。
「ヒトノモリの倒し方だ」
思わず息を飲む。
黒川さんは続ける。
「とにかく、まずはヒトノモリに会うんだ。ヒトノモリは呪いが怪異の本体じゃ無くて、儀式の部分が本体だって話は前にしたよな?覚えているか?」
え?ぇ、え、えぇぇぇ?
「覚えていないなら、今覚えろ!」
覚えます!覚えました今、覚えました!
私は黒川さんの瞳を見つめる。
「奴は、どんなときでも儀式を行わなくてはならない、だから、それを――」
そこまで言って、黒川さんの瞳が曇る。
視線を泳がし、後ろを見る仕草をする黒川さんの口元から、真っ赤な蛇の舌の様に細い血の糸が垂れ落ちた。
その場に崩れ落ちる黒川さん。
その後ろには、30㎝はあろうかという長い爪に、血糊を滴らせた禍神の姿があった。
刺された!
黒川さんが!
禍神の長い爪が指の中に縮んでいく。
そんな事も出来るなんて、聞いてない!
禍神は、そのまま後ろに下がると、廊下を部室の方に跳ねて行った。
「……逃げろ」
苦しそうな息の中、黒川さんの弱々しい声がした。
そんな、黒川さんを置いていけない。
「ヒトノモリはオマエが止めるんだ!」
ビックリするほどの大きな声で、黒川さんが叫んだ。
その声に、脊髄反射で私は走り出していた。
とにかく、廊下を部室と反対側に走った。
職員室を過ぎ、それでも止まらず走って行くと、右手に階段が見えてきた。
逃げ場を失った私は、階段を2階へと上がった。
一階から外に逃げられない以上、校舎の中をあちこち逃げ回って、別の脱出口を見つけるしか無いと思ったのだ。
だが、遅かった。
2階側の階段踊り場から、数匹の禍神が下へ降りてくる姿があった。
後ろ手に下がり廊下に降りると、右から左からわらわらと禍神が現れ出て、回りを囲まれてしまった。
「何処行くの?明神」
職員室側の廊下を、群れる禍神の後ろを着いてくるように三沢さんがゆっくり歩いてくるのが見えた。
「三沢さん――」
複雑な気持ちで三沢さんを見る。
こわい。
憎い。
疎ましい。
だけど――、だけど。
どうしても三沢さんが愛おしい。
「三沢さん、どうしてこんな事するんですか?」
ホントにそう思った。
「楽しかったのに」
ホントに。
「好きだったのに――」
気持ちが溢れ、涙がこぼれた。
私はその場に両膝をついて崩れていた。
「……私も好きだよ――明神」
三沢さんはそう言って禍神の群れを割って前に出る。
「黒川さんも、明神も、私は大好き。もちろんそうです。だけど黒川さんは危険だからしょうが無かったんだ。解ってくれるよねぇ?」
黒川さん。綺麗で強い黒川さん。
『「ヒトノモリは、オマエが止めるんだ!」』
黒川さんの言葉が蘇る。
「……明神。一緒にやらない?」
『やる』?やるって何を?
「なんでも出来るよ。嫌なことなんか何にも無くなるんだ。だって、誰も私達に逆らえないからね」
三沢さんがそう言って冷たい笑顔を作った。
「ヒトノモリを使えばね」
ヒトノモリ。
『ヒトノモリは――』
黒川さんは、なんて言ってたっけ?
『オマエが』
誰が?私が?
『止めるんだ!』
……黒川さんでも出来なかったのに?
どうやって?
「やっぱりさ、仲間が居た方が楽しいじゃ無い。そうだよそれがいいよ」
三沢さん、少し黙って――。
今、私、とても大切な事を考えてる。
「そのうち又、部員も集めよう?そんで、フィールドワーク行ってキャンプしたり、怪談集めたりして。もう、邪魔する人はいないし、邪魔できる人もいなくなる」
黒川さんはヒトノモリに会えと言っていた。
会ってどうする?
話も通じないかも知れないヒトノモリに――。
……話が通じない?
「あっ」
思わず声が出た。
ひょっとしたら――。
「どうした。なんですか?明神」
不審げに三沢さんが声を掛けてくる。
迷っている暇は無い。
私が、この呪いの連鎖を止めなくてはならない。
ヒトノモリを、三沢さんを止めなくては。
「素敵です――三沢さん」
私は、そう言いながらゆっくりと立ち上がった。
「本当にそんなことが出来るなら、とても素敵なことだと思います!」
まだ少し、涙声なのが恥ずかしい。
「でも――それって本当ですか?」
私が言うと、三沢さんの顔色が変わった。
「それ、どういう意味?何を疑っているのですか?」
よし!三沢さんが乗ってきた。
「ヒトノモリですよ――。本当に三沢さんがヒトノモリ使いなんですか?操れるんですか?」
「そうだよ。何も疑わしくないでしょう?」
後、一息だ。
「そんな気になっているだけとか?実は三沢さんの方が操られてるとか?」
沈黙。
怒っている?
なら、好都合だ。
怒りは心の小さな死だと誰かが言ってた。
どんなに明晰な人も判断を鈍らせる。
普段の三沢さんには勝てないかも知れないが、今なら――。
「大体、三沢さんはヒトノモリを見たことがあるんですか?会ったことがありますか?見たことも会ったことも無いものを操るとか――、ムリゲー過ぎませんか?」
「あるよ。ヒトノモリを呼び出すことだって出来る」
神様。
私に力を――。
「それじゃあ、私にもヒトノモリに会わせて下さいよ。これから一緒にやっていくならそうで無きゃ不公平ですよね。そうでしょう?」
理屈なんか二の次だ。
ここで煙に巻かなきゃ次のチャンスは無い。
私の言葉に三沢さんが再び沈黙する。
何か企んでいる事に感づいたのか、それとも慎重になっているだけか――。
やがて、三沢さんが沈黙を破った。
「解った。いいよ――」
そう言って静かに目を閉じた。
「明神じゃ何もやれないよね。出来ないもの」
三沢さんの鳩尾あたりの空間に穴が開いたように光が零れだした。
「おいで、ヒトノモリ――」
光はそのまま円形に広がったかと思うと、空間に開いた光のホールになった。
そのホールに子供くらいの人影が出現する。
5、6歳くらいの裸の子供の形をしたそれは、白い蝋細工の様で、内側から弱々しく発光しているように見えた。
これが――ヒトノモリ。
「ボクハ、ヒトノモリ」
名乗った!
「名乗ったわね、ヒトノモリ!」
私は、裏サイトにおけるヒトノモリのルールの再現をしようとしていた。
ヒトノモリは裏サイトでレスを返す。
その際は、自分がヒトノモリである事を書き込んでいた。
ヒトノモリは今、自分がヒトノモリであると名乗った。
つまり、これはヒトノモリが裏サイトに出現した再現。
ヒトノモリは、出現すればそのスレ主の話題に対して質問しなくてはならない。
「イラナイ」
そう言って私はヒトノモリを指さした。
「ヒトノモリは要らない!」
三沢さんの顔色が、青ざめていくのが見えた。
黒川さんは言っていた。
儀式こそがヒトノモリの本体だと。
ならば――、言葉が通じなかろうが、都合の悪い話題だろうが、絶対にこの儀式は続けなければならないはず。
「さあ、尋ねなさい!ヒトノモリ!それが、アナタの実在理由でしょ!」
ヒトノモリは地面から数㎝浮き上がり、ふらふらと漂うようにしながら言った。
「ヒトノモリハイラナイノ?」
儀式は成立した!
「だめぇーーーーー!」
悲鳴にも近い三沢さんの叫び声が響き渡る。
「だめー!必要!必要よぉ!要らなくなんか無い!!」
三沢さんがヒトノモリを後ろから抱きしめる。
「必要なのぉー!私にはアナタが必要なの!」
すがりつくように抱きしめる三沢さん。
ヒトノモリが言った。
「ナラ・ナゼ・ステタノ――」
三沢さんの表情が恐怖のそれに変わって行く。
それと同時に、ヒトノモリの輝きが増していくのが解った。
「イラナイ――」
私がそう呟くと、何もかもがその光に飲み込まれ、私は真っ白な世界に溶けていった。




