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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

水槽の中から

※この物語は全てフィクションです。実在の人物・団体・事件等とは一切関係ありません。

※複製禁止・転載禁止・改変禁止。

※Do not repost, Do not reproduce, Reposting is prohibited.

 青年はアルバイト先のペットショップでいつものように店番をしていた。ここは寂れたシャッター通りの商店街の一角にあり、何故アルバイトを募集したのかも解らないぐらい人が来ない。低賃金であったが、熱帯魚の水槽の掃除や、爬虫類の餌やりと、やる事も最低限で気ままに読書をしても店長から御目こぼしがあるので文句のつけようはなかった。

 今日も夕方に店長と交代して作業をしてレジの椅子に座って読書をする。いつもの事だ。店長は無口な中年男性でペットショップの関係者と言うよりは肥っていて常に息を切らして甘い炭酸飲料を飲んでいる不健康な男だ。

 交代時に珍しく店長から声をかけられた。

「今日は店閉めるぐらいに客が来るから、シャッター半分開けといてくれ。後は俺がやる」

「はぁ」

 閉店業務をして表のシャッターを半開きにして帰ろうとすると白いトラックが止まった。腕に刺青が入った筋骨隆々の男二人と、荷物を慎重に扱え、と横柄な態度で指示するスーツの男。店長が運転席から降りて来た。

「おう、まだ居たか」

「ええ、何ですかこれ」

 荷台には遮光の幕がかけられた巨大な水槽らしきものと中で揺れる水音がする。彼は疑問に思った。

「店長、何処に置くんですか」

「黙ってろ小僧」

 急に後ろからスーツの男が脅すように彼に低い声で言った。店長が急に腰を低くしてスーツの男に頭を下げながら、シャッターを開けて店の中に入れた。彼がこっそり覗くと札束がスーツの男から店長に渡されていたのを見た。

 水槽らしきものは店のバックヤードへと運ばれた。彼は狭いスペースによく入るものだと感じていた。


   ◇   ◇   ◇


 翌日、青年がアルバイトに向かうと「裏へは入るなよ、あの水槽は俺が見るから」と店長に釘を刺された。彼は呆れていたが、胡散臭くなったここを辞めて次のアルバイト先を探すのも頃合いかと思っていた。

 店長が出て行き、動物や魚の世話をしようとすると妙に彼らが落ち着かない。熱帯魚は水槽の隅に固まり、爬虫類も住処の蔭に隠れて出てこようとしない。

 ふと、バックヤードが気になった。そこへの鍵はある。扉を開けると激しい水音がした。そして、電気は点けず、懐中電灯だけで進んでいった。灯りを誰かに見られたらまずいと感じたからだ。

 見慣れたそこはそれまでより散らかっており、大きな幕が乱雑に放ってあった。水音の方向に灯りを向ける。二つの並んだ光が反射した。

 そこには張った水の中に女性が居た。女性だ、女だ、女――どうして。

 彼は一瞬訳も解らず足が竦んで震えが来たが光が女の下半身から反射するとそれが明らかになった。

「人魚……」

 魚の身体に反射した光に呆然とする。女は人魚だった。俄には信じられない事実を受け入れるのには時間がかかった。女――人魚は彼を認識すると腕を上に上げようとする。水槽には上から蓋がしてありご丁寧に鍵までつけてあった。

 彼が水槽に近付くと人魚は警戒したように睨んだがすぐにやわらかい表情を見せて水の中で俯いた。青い肌、豊かな乳房、長い黒い髪がゆらゆらと揺れる。下半身には青い鱗の魚の身体と尾鰭。口には鉄製の口枷があった。その眼は人間のものではない爬虫類のような黄色い瞳孔であったが悲しみに満ちていた。


   ◇   ◇   ◇


 彼はアルバイトを辞めると店長に言うと餞別として大金を渡された。最後の夜に早くに来て店長の居ない隙を狙って見慣れぬ鍵を抜いた。これは賭けであった。念の為に鉄を切れるボルトカッターも隠して用意した。

 ――助けなくては、異形のものであっても違法な取引じゃないか。あの子にも自由に生きる権利はある。

 シャッターの鍵は後日返しに来ますと言って店長と交代する。気配が消えるのを確認してバックヤードで向かう。人魚と眼が合った。

「静かに、今助けるから」

 蓋の鍵を開ける、賭けに勝った。ゆっくりと蓋を退けたが人魚は怯えたように水槽の底でこちらを見ている。

「大丈夫だよ、おいで」

 手を差し伸べると人魚は水面に上がりおずおずと彼の手を取った。それは冷たいものだった。ゆっくりと後ろを向かせて持って来たボルトカッターで口枷の後ろを切る。どぼん、と水底に金属が落ちる音がした。

 人魚が振返る。にこりと笑う。それを見て彼も笑ったが――。

「えっ」

 人魚の口が大きく開き並んだ鋭い牙が見えた。それは人の肉など簡単に裂いて喰らうような――いや、実際に人魚は彼に飛び掛かった。言葉が出るよりも首に噛み付いたそれは音を奪い、水槽が傾ぎ倒れ、流れる水音と黒い狂暴な魚が外へ出た。


   ◇   ◇   ◇


 店のシャッターが開いている。

 朝になって店長が店に戻るとバックヤードから続く血溜まりの跡に天を仰いだ。案の定、アルバイトの青年は首と食い散らかされた肉片だけになっていた。店長はこれまでの仕事がおじゃんになり夜逃げの算段を始めていた。

 道に続く血と水が混ざったもの、その先は大きな川だ。翌日のニュースのトップを飾るのは惨殺死体かそれとも――。

「どうした、ジョン。何か居るのか、うわあっ!?」

 飼い犬の散歩をしていた男性が橋の上で腰を抜かす。犬は吠え続ける。

 川の中には人魚が居る。人魚は水面に顔出して振返り、彼らを見たがすぐに泳いでいった。その眼は笑っている。自由だ、自由だ、自由だ。人を喰らう人魚を縛るものはもうない。静かに川に潜る。笑いながら泳ぐ。その先は海だ。

 ぱしゃん、と尾鰭が水面を叩いた。それっきり、何も聞こえなくなった。

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