2-8 ◇ サプライズ
例年よりも暑く直射日光で目が焼けそうになるなか、ラグーナのみんなで海辺に向かった。
水着にサングラス姿の星司はハリウッドスターのようにかっこよく、同性ながら変な気を起こしてしまったらどうしようとおそろしいことを一瞬でも考えてしまった自分がこわい。
貸切状態だったので真ん中を陣取り星司と海までダッシュして飛び込んだ。どっちが高い波に堪えられるか競い合ったり、互いの水着を脱がそうとくだらない遊びをして楽しんでいたが、なかなか合流しない女子たちを呼びにパラソルまで戻る。
入念に日焼け止めをつけていた二人。準備を終えたのか、Tシャツを脱いだえなかに目を奪われた。白い水着からはみ出そうになる胸部は言葉にできないほどの破壊力。
「ちょっと、ハルも星司くんも洟の下伸ばしすぎ」
こればかりはえなかに罪があると思うぞ。
一方オールインワンのフリルスカートの水着を着ている飾音はなかなか上着を脱ごうとしない。
去年より太ったからと言って体型を気にしているようだが、毎年変わらないくらい十分細い。
それを言ったところでまた怒られそうだから何も言わない選択をした。
しばらくすると、綾子が芽乃ちゃんとルカを連れて合流してきた。
お揃いの帽子をかぶる芽乃ちゃんとルカは仲良く手をつなぎなら砂浜を歩いている。
そんななか誰よりも注目を浴びていたのが綾子だった。
もうおばさんだからと言いながらも相変わらずのスタイルで、フリルタイプの黒のビスチェ姿がさらに色気を増していた。
この場にカズさんがいたら鼻血ものだっただろう。
それを見た飾音とえなかがどうしたらそのボディーラインをキープできるのか質問攻めしていた。
その後、芽乃ちゃんやルカと一緒に砂で城を作ったりスイカ割りをして遊んでいると、飾音の様子がおかしいことに気がつく。
少し目が虚ろだ。
日陰に移し互いのおでこをつけて体温をたしかめる。
「熱あんじゃん」
「大丈夫。ちょっとぼーっとするだけだから」
「先に帰って休めよ」
「でも、今日楽しみにしてたから」
「みんな心配してるし、また今度行けばいいだろ」
ハの字になった眉からは悔しさが滲み出ているのを感じた。
ルカやえなかが来てからはじめて行く海を誰よりも楽しみにしていた飾音にとって今日は大切なイベントだったらしい。
にしてもこの顔色で無理をさせるわけにはいかない。
「いいから休めって」
「でも……」
あいかわらず頑固なやつだと思いつつ、どう見ても体調が悪そうなので半ば強引におぶろうとすると、ルカがそっと近づいてきた。
さっきまで黄色一色だった瞳は青と黄色が交互に点滅している状態。
ルカが飾音のおでこに軽く触れると、みるみるうちに飾音の表情が明るくなった。
しばらくすると、さきほどまで具合が悪そうだったのが嘘のように体調が戻った。
「飾音、もう大丈夫なのか?」
「うん、なんか良くなったみたい」
その場にいた全員が状況を飲み込めずにいる。
「ルカちゃん、いま何したの?」
不思議そうに訊く芽乃ちゃんに対してにっこりと笑うルカ。
その瞳はいつものオッドアイに戻っていた。
ただの偶然だと思うが、その日の夜のすき焼きでは卵の黄身が二つだった。
**
8月19日は綾子の誕生日。
年中無休で働く綾子のためにみんなでお祝いすることになった。
もちろん本人には内緒だ。
誕プレは以前話し合ったときに何を買うか決まっていたがいつ買いに行くかまでは決まっていなかった。
えなかは昨日から地元に戻っている。
転校に伴う書類関係などの手続きで一度学校と実家に寄る必要があったらしい。
今後の撮影について各所で企業との打ち合わせもあるため、そのまま夏休みが明けるまではこっちには戻れるか微妙なようだ。
ただ今日の綾子の誕生日だから顔だけでも出すと言っていた。
星司もどうしても外せないゲームのイベントが都内であるようで、それが終わり次第合流予定だが、いつも長引いて戻りが遅くなるのは目に見えている。
飾音と二人、フェリーから街に着き原宿に向かう。
夏休みということもあって駅前はいつも以上に人がいた。
同い年くらいの制服を着た女の子たちやメジャーリーグのキャップを被った外国人、ベビーカーを連れた若い夫婦もいた。
奥湊では味わえない人や騒音の多さに酔いそうになる。
車やバイクの騒々しいエンジン音。クラクションを鳴らすタクシー。
しかめっ面しながら早歩きするサラリーマン。
同じ国なのに時の流れがまったく違うように思える。
心配性な飾音は先に買い物を済ませたいと言っていたが、腹が減っていた俺は先にごはんにしようと提案し少し揉めた。
綾子へのプレゼントは事前に話し合っていたため目的の場所で先に買い物を済ませる。
腹が減って力が入らないので昼ごはんを食べることにした。
街で行く場所は決まってファミレスかファストフード。
普段、奥湊では食べられないから俺たちからすると一種のアミューズメントだし、大人たちが行くおしゃれな店はどこも高くて行けない。
ファストフードでハンバーガーセットを頼んだが、飾音はダイエットしているからといって通常のサラダとドリンクのみだった。
その割にはいつもラグーナで甘いものばっか食べている気がするし、この前の海では誰よりも焼肉食べていた気がするが。
そもそもその細さでダイエットするってモデルでも目指しているのか?
ストップボタンを押さないと永遠に手が出るポテトを食べる俺をじーっと見ている。
「ポテト食うか?」
「いい」
羨ましそうにじろじろ見ていたから言ったのに。
その顔、絶対に食べたいんじゃん。
「遠慮すんなよ」
「ダイエットしてるって言ってんじゃん」
「我慢しても良いことねぇぞ」
「女の子はいろいろとあんの」
食事を我慢しているせいかすごく不機嫌だ。
飾音のバイオリズムは荒波のように激しく、とくにここ最近はそれが顕著に現れている。
まぁ俺と二人でいるときはいつもこんな感じだからあんま気にしないが。
店を出て街をぶらぶらする。
この街はいつ来ても人が多いし、店が入れ替え立ち変えだから飽きない。
何よりおしゃれでかわいい人が多い。
芸能人みたいな人やマスク美人が多く歩いていて、タイトワンピースやミニスカートから見えるすらっとした白く細い足に思わず目を奪われる。
「ハル、きもい」
急になんだよ。
「じろじろ見すぎ」
「俺、男だぞ」
「理由になってないし」
相変わらず不機嫌そうだ。
やっぱりポテトあげた方が良かったか?
「ハルは足がきれいな子が好きなの?」
「飾音も足きれいじゃん」
「……バカ」
髪を片耳にかけ少し俯きながらそう言う。
なぜそんなに顔が赤いんだ?
事実を述べただけなんだが。
この前の海で見た親友のサングラス姿にもろに影響を受け、俺も欲しいと思っていたところだったのでショッピングセンターに向かう。
「これなんかどうだ?」
レンズが細めのサングラスを試着してみる。
「なんかヤンキーっぽくて嫌だ」
「じゃあこれは?」
今度は丸いサングラスをする。
「似合ってなさすぎて逆にかわいいんだけど」
くすくす笑いながらもどこか楽しそう。
個人的にはそこまで似合っていない認識はなかったんだけれど、こうも笑われると自信がなくなってしまいそうになる。
色々試し、結局無難なやつを買った。
来年海に行くときはこれをしていこう。
「そういえばカズさんって今日来るんだっけ?」
「私誘ってないよ」
この前えなかと挨拶に行ったとき考えとくよと言っていたが、あれはほぼ行かないパターンの常套文句だということを知っているからそれから誘っていない。
建前上とはいえ毎年飾音が誘っているが、あまりにも断るため今年は誘っていないという。
恋心関係なく知り合いの誕生日を祝うっていうのは素敵なことだと俺は思う。
「あの人背中押しても動かないからな」
「ほんと、根性ないって言うか男らしくない」
「綾子のこと本気じゃないんじゃね?」
「綾子さんみたいな完璧な人がカズさんと一緒になったら絶対不幸になるし」
同性の俺でもタバコ、ギャンブル、サボり癖のある奥手男に惚れる要素は感じないが、顔は整っている方だと思うし、若い頃はこのダメっぷりがいいと好きになってくれた子も何人かいたようだ。
ただ、相手は奥湊のマドンナである御巫 綾子だ。
仮に綾子が受け入れたとしても娘の芽乃ちゃんをはじめとした女子たちからバッシングを受ける可能性は高い。
「好き避けってやつか?」
「ハルにしてはよく知ってるね」
言葉の意味は知っているが正直俺にはわからない感情だ。
好きなのに避けてしまうとはどうして起こるのだろう。
ともかく今日は綾子の誕生日。
余計な感情を捨ててシンプルに祝いに来てほしいからとりあえずメッセージだけ送っておいた。
そろそろフェリーに向かっておきたい時間。
駅に向かっていると、急に雲行きが怪しくなった。
悠々と泳いでいた雲の流れが少し早くなってきた気がする。
ツバメが数羽飛んでいたがやけに低空飛行だ。
「ねぇ、雨降るかも」
「腹減りすぎておかしくなったか?」
「はぁ?蹴るわよ」
こんなに天気が良くて気持ちいいのに雨が降るなんて考えられない。
それに今日は晴れ予報だぞ?
誰一人傘なんて持っていないし。
「ツバメが飛んでるの」
飾音曰く、ツバメが低く飛ぶときは雨が降る前兆らしい。
餌となる虫が低気圧や雨の影響を受け羽が重くなって高く飛べないためツバメも低く飛ぶそうだ。
しばらくすると、あんなに晴れていた空は嘘のようで、白い雲が太陽を覆い曇天となったと思ったら一瞬にして街が濡れた。
大雨の中、多くの人たちが駆け足で建物の中に入っていく。
俺たちも雨が止むまで屋根の下で待つことにした。
悪天候に拍車をかけるように横殴りの強風が襲ってきた。
さらに雨が強くなり、グレーに染まった空が閃光を放つと、激しい音と同時に地面に光が落ちた。
雷が苦手な飾音が俺の胸に顔を埋め、その手は小刻みに震えていた。
普段気が強いくせしてこういうときだけ急に乙女になる。
ドキッとさせないでくれ。
畳みかけるように強風によって信号機や樹木が揺れ、外に出ていた看板がこちらに飛んできて飾音にぶつかりそうになったのでぐっと抱き寄せた。
「大丈夫か?」
「う、うん。ありがとう。ハルこそ大丈夫?」
背中に当たったが衝撃は少なくかすり傷程度だった。
その後も何度か雷鳴が起きるたび俺に抱きつき顔を埋める彼女は震えていた。
昔から雷とか地震とかが苦手だが、こんなにも苦手だったっけ?
しばらく震えていたので彼女の背中をぐっと抱き寄せながら雨が止むのを待った。
強風の影響で電車がいつ動くかわからない状態だ。
急がないと船が行ってしまうが身動きが取れない。
この悪天候だとフェリーも遅延していることは間違いないとはいえ、それでも何時に出発するかわからない状況に焦りが募る。
なんとしても島に戻らないと綾子の誕生日を祝えないから。
タクシーを捕まえる選択肢がよぎったがそんな金はないし、電車が動くのを待つか最悪フェリー乗り場まで歩いていくしかない。
飾音と相談していると、徐々に風が弱まってきた。
このタイミングを逃すまいと、急いで駅に向かい、立ち往生していた多くの人でごった返す電車に乗った。
吊り革をつかめないほどに車内に充満する湿気や香水の匂いに頭がくらくらする。
ラッピングされた誕プレが崩れないよう胸に抱える彼女と逸れないよう抱き寄せ、なんとか駅を降りてフェリーから奥湊に戻った。
今日届くように依頼していたケーキ。綾子にバレないようこっそりと冷蔵庫の奥にしまう。
夜ごはんを食べた後、綾子がトイレに行っている隙にこっそりケーキを取り出しハッピーバースデーを歌う。
「綾子さん、お誕生日おめでとう」
俺たち三年生は今年で最後ということもあって、それぞれ手紙を認めることになった。
星司、えなか、俺、飾音の順で読んでいくが、飾音に関しては読む前からぐわんぐわん泣いていて、後半何を言っているのかわからないくらい啜り泣いていた。
綾子とは小さいころから知っていてお世話になっていたから想いも一入なのはわかるが、いまからこんなに泣いていたら卒業するときの感情が心配でならない。