あらたな任務
わたしのことを監視している連中は、わたしが彼らの存在に気がついていることを知っている。
それでも、監視を続けているのだ。
(ほんと、ご苦労なことよね)
わたしたちの仕事は、因果なものである。
フリースペースへと向かいつつ、書架をまわってカモフラージュ用の書物を数冊ピックアップした。それらを胸元に抱え、ゆったりとした足取りで目的地へと向かう。
大佐は、すでにそこにいた。
読書用テーブルの上に数冊の書物を積み上げ、その内の一冊を開けてそれに目を落としている。
フリースペースには、他に数組とおひとり様が数名いる。カップルは、小声で会話をしていたり仲良く本を読んでいる。おひとり様もまた、そのほとんどが本を読んでいたり、ボーッと宙を見上げたりしている。いずれも距離を置いている為、小声でればこちらの会話はきこえない。故意にきこうとしないかぎり、あるいは唇の形を読まないかぎり、会話の内容をきかれる心配はない。とはいえ、大佐は、唇の形を読むのも難しい位置のテーブルを選んでいるのだけれど。
もっとも、それはあくまでもここにいる人たちが素人だったら、の話である。
それはともかく、テーブルをはさんで大佐の向かい側に座り、胸元の書物はテーブルに置いた。
大佐は、あいかわらず渋カッコいい。
知的な美貌は、三年以上を経たいまでも衰えを知らないようである。
今日は、わざと髭を剃っていないようである。
もしかすると、何らかの理由で髭を剃る暇がなかったのかもしれない。
こちらから一番近くのテーブルでは、若い男女のカップルが笑顔で話をしている。
わたしよりもいくらか年少らしいその男女は、ごく自然を装っている。が、わたしにしてみれば不自然きわまりない。
というか、その若い男女だけではない。このフリースペースにいるすべてのカップルとおひとり様は、不自然でわざとらしい。
「ミルクティーか?」
大佐は、周囲に向いているわたしの注意を自分へ向けた。
彼は、どうやら「ひさしぶりだな」だとか「元気だったか」などという挨拶はするつもりはまったくないらしい。
もちろん、わたしもするつもりはない。
ついでにいうと、わたしの退役届を握りつぶしたことについて、責めたり恨み文句を叩きつけるつもりもない。
どうせムダだから、時間がもったいないだけである。
「任務の内容は?」
というわけで、彼の問いには答えずにそう尋ね返した。
『潜入してもらう』
大佐は、口の形だけで告げた。
「無論、マクレイ国にな。あいつが成し遂げることが出来なかった任務を引き継いでもらう。いいな?」
大佐は、そういうと立ち上がった。
その任務に関する資料は、彼が目を落としていた書物の中に仕込まれている。
わたしは、死んだ夫のかわりに敵国に潜入することになるらしい。
『いいな?』
問われはしたが、実際のところは問いではなかった。確認でもなかった。
わたしに拒否するという選択肢はない。それどころか、どうするか迷うことさえ許されない。やらねばならないのだ。いわばこの任務は、強制なのだ。
というわけで、大佐のいまの『いいな?』は必要なかった
いずれにせよ、夫の任務だからその意思を継ごうというつもりはない。夫の敵を討つとか、夫にかわってリベンジをしてやる、というつもりもない。
というよりか、どうも胡散臭い。
すべてが気にかかる。
その証拠に、うなじの辺りがゾクゾクざわざわしている。
これは、男性にはない感覚かもしれない。
そう。「レディの勘」、というものである。
大佐との打ち合わせは、たった一瞬で終わった。
というか、一方的に命じられただけだった。