死んだはずの夫と絵本
「おかしいでしょう?」
エレノアは、わたしが驚いているのに気がついたらしい。
「この子、絵本を見たりお話を聞いたりする方がよろこぶの。玩具も、カードゲームとか簡単なパズルとか、そういうものでしか遊ばなくて」
「エレノア、おかしくなんてないわ。だけど、まだこんなに小さいのにすごいわね」
ニックを見おろした。
ニックは、たった二歳にしてすでに「レディたらし」である。彼は、鉄血のわたしの心さえ完全に奪ってしまっている。
いまも彼から手をつないできた。だから、ずっと手をつないでいる。
「ニック、お勧めの絵本を見せてくれる?」
自分では、子ども向けするであろう微笑み浮かべているつもりである。が、どうも口許がひきつっている気がしてならない。
(ニックは怖がっていないかしら?)
子どもというものは、大人よりずっと機微に敏い。本質を見抜くことが容易である。とくにこの子は、他の子よりそれに長けているだろう。
わたしの笑顔が作り物であることに気がついているかもしれない。
「はい、レディ」
そんなわたしの杞憂をよそに、ニックは天使のごとく笑った。それから、つないでいるわたしの手をひっぱって本棚へと導いた。
本棚は、ニック向けに三段しかない。そのかわり幅がある。彼は、迷わず二段目の棚に手を伸ばした。きちんと整理された本の数々の中で、彼のお気に入りばかりが一番取りやすい二段目に並べられているのだろう。
ニックは、青色の背表紙の絵本をつかんだ。
その絵本は、他の絵本よりずいぶんとくたびれているように見える。もう何十回、何百回と見ているらしい。手垢で汚れている。とはいえ、気を遣い、大切にしてはいるようだ。このくらいの男の子なら、絵本を破いたり投げたりぶつけたりして、原形をとどめないほどバラバラにしてしまうだろう。
それなのに、その絵本は手垢がついている以外不具合は見られない。
大切に見ているのだ。
小さな手で差し出された絵本を見おろし、それを見つめた。
わたしは、この絵本を知っている。
なぜなら、わたしもこの絵本が好きだから。厳密には、絵本はこれしか知らない。だから、知っている唯一の絵本だから好きなのだ。
幼少期、わたしは絵本に縁がなかった気がする。よく覚えてはいないけれど、とにかく絵本を見た記憶がない。もしかすると、身の回りになかったからかもしれない。しかし、興味がなくて見向きもしなかったという可能性の方がおおきい。
ほんとうに興味があり、どうしても見たいけれどなにかしらの事情で絵本のない環境だったら、図書館に行けばいくらでも見ることができる。
それをしなかったということは、やはり興味がなかったのだろう。
絵本のことだけではない。大人になってさえ本が好きではなかった。もっとも、いまは読書が好きになっているけれど。とにかく、以前は本を読むことが好きではなかった。
現役の頃は、じっと本を読んでいるより体を動かす方がよかった。
だからこそ、口の悪い少佐に「脳筋バカレディ」だとか「体力バカ」だとか言われ続けていた。
そんなわたしに読書の面白さを教えてくれたのが、死んだはずの夫ベンである。
彼が本を読むことが大好きだったので、わたしも本に興味を持ち、読み始めたのだ。
そして、単純バカでもあるわたしは、すぐにその面白さにはまってしまった。




