表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/172

アレを回避す

 屋敷には、ブラックストン公爵家の馬車で送ってもらった。


 至れり尽くせりである。


 ブラックストン公爵家とわたしたちの仮の住まいは、そう遠くはない。上流階級が住む地域なので、ゴタゴタしていない。つまり、何度か曲がる程度で単純な経路だった。


 この世界で生きていくには、記憶力のよさが必須である。しかも、一度覚えるとその記憶を維持しなければならない。


 忘れていいのは、自分に都合の悪いことだけである。


 それはともかく、わざわざ送ってもらわなくてもいいけれど、この辺りで歩いて移動する人はいないだろう。健康の為、歩いたり走ったりすることはあっても、それは自分の家の庭で充分こと足りる。


 というわけで、遠慮なく送ってもらった。


 今夜の送り迎えだけではない。明日のお茶会の送迎もしてくれるらしい。


 古めかしい屋敷とはいえ無償で貸してくれるということも含め、デリクには借りばかり作っている。


(あまりいい感じじゃないわね。デリクは、わたしたちになにを求めているのかしら? あるいは、わたしたちからなにを得ようとしているのかしら?)


 なにかしらの下心があって然るべき、である。


 そうでないと、これだけの親切心の説明がつかない。


(イヤね。すっかりひねくれてしまっているわ)


 他人の好意をそんなふうに受け止めてしまうのもまた、職業病のようなものなのかもしれない。


 ブラックストン公爵邸の長い長い馬車道を走り抜け、立派な門をくぐって公道に出たタイミングで、真向かいに座る大佐と視線を合わせた。


 馬車内には、月光が満ち溢れている。人口の灯りとは違い、自然の光にはやわらかさがある。


 現役時代は夜間に多く活動していたわたしにとって、夜はかえって安心感がある。心がやすまっていた。


 が、それもひとりぼっちになってからは、「寂しさ」や「もの悲しさ」に襲われるようになった。


 夫の死をきいてからは、よりいっそうそれらに襲われることが多くなった。


 自分では認めたくないけれど、最後の方には夜の訪れが怖かった。夫さえ側にいてくれれば、彼がわたしといっしょにすごしていてくれれば、そんなものに襲われることはなかった。夜の訪れに怯えることもなかった。


 彼さえ生きて戻ってきてくれれば、夜の訪れを楽しみにしたはずだ。


 夜になれば、夫と寝台上でエクササイズができる。そこでは、レディになれる。心身ともに彼に愛され、彼を愛することができる。


 大佐の蒼い瞳を見ながら、ついついそんなことを思い出してしまった。


 思い出してから「いまは女々しいことを考えている場合ではない」と、自分を叱咤した。


「あなた、帰宅してから話し合う必要がありますね」


 大佐にそう切り出した。


「いろいろなことを、です。なんなら、寝台の上で夜通し話し合いましょう。いまのわたしたちには、話し合いこそベストだと……」

「今夜は、疲れている」


 大佐は、最後まで言わせてくれなかった。


「わたしだけではない。おまえも疲れきっている。明日のお茶会のこともある。だから、今夜はそれぞれの寝台でゆっくり休むことにしよう」

「しかし……」


 不満だった。


 わたしには、大佐にいろいろ問いたいことがある。責めたいことがある。


 大佐は、それを察知したのだ。だから、彼は回避行動をとった。


「明日に備えよう。いいな?」

「あなたがそうおっしゃるのなら、仕方がありませんね」


 物わかりのいい妻である。


 あてつけがましくやわらかい笑みを浮かべつつ答えてから、ふと思い出した。


(ワオ! 大佐が予告していた、『夜のエクササイズ』を回避できたじゃない)


 そう。今夜こそ、大佐と寝台でエクササイズをする予定だった。


 期せずして回避できたことに気がついたのである。


(ラッキー)


 わたしのさらなる笑顔に、大佐は眉をひそめた。


 ちょうどそのとき、馬車はわが家に到着した。

 

(この手は使えるかも。しばらくは、これでやりすごせないかしら?)


 月光の中、浮かびあがる古くてヤバそうなわが屋敷を見つつ、本気で考えていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ