なぜか少佐がやってきた
「くそっ! このおれを本気で殺すつもりだっただろう?」
静けさに慣れてしまっている。ながらくきいていなかった人の声は、たとえささやき声でも耳に痛いくらいだった。
愛用のナイフは、彼の首の皮一枚を傷つけるはずだった。
しかし、皮一枚を傷つけるどころか、彼のほうが一枚上手だった。
彼は、ナイフの刃を親指と人差し指でつまみ、わたしの攻撃を食い止めたのだ。
「本気なら、うなじに突き刺していましたよ」
うしろへ飛び退りつつ、虚勢を張ってしまった。
たとえ彼のうなじを襲ったとしても、結果は同じだった。
それがわかっていながら、ついつい強がってしまう。
それもまた、現役の頃となんらかわってはいない。
「あいかわらず、おまえは可愛くないな」
「あなたも、あいかわらず口が悪いですね、少佐?」
距離を置いたまま、向き合った。
ずいぶんと久しぶりである。
前に会ったのは、夫が死んだと聞かされたときだった。
それ以来である。
とはいえ、少佐がこの辺りをうろついているのは知っていた。
しかし、彼に会いたくなかった。
だから、少佐の気配を察したら姿を隠していた。
あの頃は、夫のことをよく知る少佐と平静な気持ちで会えるわけがなかった。というよりか、そんな気に到底なれなかった。
会う自信がなかったのだ。
(侵入者の気配は察しても、それが少佐とまではわからなかった。ということは、わたしの感覚が鈍ったということよね。あるいは、少佐が腕を上げたか、ね)
苦笑せざるをえない。
「ずっとおれを避けていたな? なぜだ?」
少佐は、わたしの心の中を見透かした。
そのものズバリ尋ねてきた。
(なにもかもさすがね)
他人の心をのぞきこむ術は、わたしたちにとってはなくてはならないスキルのひとつ。
だが、わたしは不必要なときまで他人の心の中を読んだり盗み見たりするようなことはいっさいしない。
それは、夫も同様である。
(少佐は、いまもわたしの心の中をのぞき見しているのでしょうね)
推測や予想ではない。
少佐は、デリカシーがない。だからこそ、他人の心の中にズカズカと土足で入り込んでしまう。
彼の場合は、読むというわけではない。
まさしくのぞき見、あるいは盗み見しているのだ。