勝った! からの敗北?
残念ながら、父には鍛冶屋としての技術は受け継がれなかった。しかし、いっしょに逃亡した縁者は才能があった。その縁者は、このベイリアル王国で鍛冶屋を始めた。だけど、祖先がもともといた遠い東の大陸の国のように、このベイリアル王国には特殊な鋼はない。けれど、粗悪な鋼でも技術はある。しかも、その縁者の腕は最高だった。
わたしの得物は、その縁者の最高傑作だった。
というわけで、つねにわたしの身近にあるその得物を抜き放ち、侵入者めがけて天蓋の上から舞い降りた。
侵入者は、気がつくのが一瞬以下の間だけ遅れた。当然、身構える暇はない。それでも、体は反応した。一歩退いたのはさすがだった。
侵入者が一歩退いた為、彼を押し倒すような恰好になった。結果、彼は床に背中を力いっぱいぶちあてる形でひっくり返った。
背中を強打しながらでも、うめき声をあげなかったのもさすがだった。息さえ漏らさなかったのは、称讃に値するだろう。
侵入者の胸に馬乗りになったときには、得物をその首筋にあてていた。
侵入者、つまり少佐の首筋に、細身のナイフの刃をピタリとあてたのだ。
今回は、わたしが勝った。
一瞬の間だけ、優越感に浸れた。
が、その一瞬の後には、見事なまでの敗北が待っていた。敗北し、絶望感を味あわされることになった。
気がつけば、正体不明のシミのある天井を見上げていた。
月は、雲に隠れたらしい。宿屋の部屋内は、月光に代わって薄暗闇に支配されている。
しかし、問題はない。薄暗闇でも、という意味では。
わたしたちは、夜目がきく。暗闇でも行動できるのだ。
わたしたちは、視覚に頼らずに感覚で動くことができる。
それはともかく、見事なまでに逆転していた。
あの体勢からなにをどうやったのか、さっぱりわからない。すくなくとも、わたしにはできなかったに違いない。
いま、わたしの胸の上に少佐がいる。馬乗りされている。両手首は、彼の左手に握られ、完全に動きを封じられている。右手から弾け飛んだらしい細身のナイフが床に突き刺さっているのが、右目の端に映った。
薄暗闇の中、少佐の勝ち誇った顔がある。
その野性的な美貌には、いやらしいまでの笑みが浮かんでいる。
その笑みを見た瞬間、背筋に冷たいものが走った。
それは、本来のわたしたちが直面するであろう危機に遭遇したからではない。違う意味での危機を悟ったのだ。
そう。諜報や工作を生業とする者の危機ではなく、レディとしての危機を。
そのときには、下半身がスース―するのを感じていた。
いつもはズボンを着用している下半身。が、いまは公爵家の四男の妻。当然、ドレスを着用している。とはいえ、古風でがっつり体を覆うタイプのものだけれど。
とにかく、そのドレスの裾をめくられているのだ。
(こんなことなら、乗馬服にしておけばよかった)
軍の広報部に属していたレディ兵士という設定だったら、乗馬服という活動的な服装でも不自然ではなかった。
少佐に心をのぞかれていてもいい。とにかく後悔した。自分の選択を呪った。
そのときには、下半身をまさぐられていた。同時に、少佐のいやらしいまでの笑みが近づいてきた。
『おまえもご無沙汰だろう? もしかして、自分で自分を慰めていたのか? ほら、もう濡れているぞ。おまえもこれを望んでいるんだろう? そうだよな? 喘いでもいいぞ。おれもその方がますますそそられる。おれの方が、あいつよりおまえを満足させられると断言できる』
クソッたれの少佐の唇が、そう告げた。声をださずにそう告げてきたことが、よりいっそういやらしさを増した。
そして、わたしの中で恐怖が増大した。
心も体も恐怖でいっぱいになった。




