ベンに会ってすべてをぶつけたい。でも勇気がない
『ベンに会おう』
『ベンに会って、すべてをぶつけよう』
そう決意はするけれど、すぐに弱気になってしまう。いつも前向きで物事を自分の都合のいいように解釈するわたしが、うしろ向きで否定的な解釈に翻ってしまう。
はやい話が、勇気が足りずに気が挫けてしまうわけである。
もしも、ベンがベンでなかったら?
他人の空似なだけで、ほんもののカイルだったら?
もっとありそうな可能性は、ベンに記憶が戻っていなかったとしたら?
体は覚えている。長年培われたスキルは、遺伝子レベルで全身に刻み込まれている。
記憶が戻っていなくても、体は勝手に動いてしまう。
あの夜、わたしを救ってくれた彼も、記憶が戻ったのではなく、体が勝手に動いたのかもしれない。
冷静に考えれば、その可能性の方が記憶を取り戻したという可能性よりはるかに高い。
いずれにせよ、結果を知ることが怖かった。
ぬかよろこびだけさせられ、結局は絶望を味わうことになる。失望に襲われることになる。
そんな思いは、もう二度としたくない。
というわけで、カイルにも会わなかったわけである。
彼に礼を言うのは、みんなといっしょにいるときでいい。
そう決めた。
そうして、その結果を肯定するように、あるいは満足していると思わせるため、よりいっそう鍛錬に励んだのである。
三日間の休養明けの四日目、この日は街に買い物に行くことにした。
先日の死闘でわたしにかわって死を迎えたシャツとズボンを購入するためである。
どちらも、もとから「長い間お疲れ様」状態だった。
購入価格のもとをとったどころか、機能性や着心地のよさから酷使しすぎてしまった。
じつはシャツもズボンも生地がテカテカになっているところ、それからこすれて薄くなっているところ、さらには破れたりほつれたりしているところがあった。破れやほつれに関しては、裁縫に関してはこの大陸一、いや、この世界一不向きなわたしが自分で繕ったりごまかしたりした。というか、裁縫道具を持っていたというところが、まず褒め称えたかったところだ。とにかく、そんなレベルのわたしが、どうにかしてだましだまし着用していたのである。
ちょうどいい機会だったのだ。
死んだはずの夫ベンのお気に入りのブランドのシャツとズボン、というか彼と同じシャツとズボンは、こうしてその役目を終えた。
って、美談にしても仕方がない。とにかく、普段着のシャツとズボンを街に買いに行くことにしたのだ。




