ここはゲームの世界ではありません、現実です
わたくしが前世を思い出したのは八歳のときだ。
国内でも一二を争う権力を持つ公爵家の一人娘で、生まれたときから第一王子との婚約が決まっている、この国で最も恵まれている令嬢であるわたくし。それが前世でプレイした『トワイライト・エンチャンテッド』という乙女ゲームの悪役令嬢であると気付いたときの衝撃は凄まじかった。第一王子ルートはもちろんのこと他のキャラのルートでもヒロインの邪魔をし、軽いものなら第二王子への婚約の挿げ替えから重いものなら処刑まで様々なバッドエンドが用意された悪役令嬢への転生だ。順風満帆な人生にとてつもない暗雲が立ち込めてしまった。
だからと言って幼いわたくしのできることなどほとんどなかった。第一王子との婚約は既に結ばれている。他の攻略対象との交流もある。ゲームの舞台となる王立学園への入学を拒否することも貴族令嬢としては難しい。このままではゲーム通りに断罪されてしまうかもしれない。
それでも、わたくしは諦めようとは思わなかった。王太子妃、ひいては将来の王妃に相応しい教養を身に付けるために努力し、婚約者の第一王子との仲を深め、ゲームの攻略対象である側近たちとも交流を重ね、もしもヒロインが現れたとしても大丈夫なように自身の立場を万全にした。
だって、前世のわたくしがこの世界が舞台になったゲームを楽しんでいたとしても、今のわたくしにとってはこの世界は現実。それならば、正しく努力し人生を生き抜くべきなのだ。
大きな問題を起こさず、第一王子とも攻略対象たちとも良好な関係を築き、そして迎えた学園の入学式。
緊張はしているけれど、ヒロインが普通の少女であるのなら別に良いと思っている。攻略対象と懇ろな関係になったとしてもわたくしが口出しすることではないし、万が一第一王子に近づいたとしても、わたくしよりも王妃に向いているのならばその地位を譲るのも貴族令嬢として仕方のないことだ。
けれど、もしもヒロインがわたくしと同じような転生者であり、あまつさえこの世界をゲームだと舐めたまま好き放題に過ごすのならば見過ごすわけにはいかない。ましてや逆ハールートなど、ゲームなら許されるかもしれないが現実だったらあらゆる問題を引き起こすような選択をしたのなら我が身を犠牲にしてでも止めなくてはいけない。そう、わたくしはこの世界をゲームだなんて勘違いしていないのだ。ゲームでは語られなかった貴族や平民、全ての無辜の民のために国を正しい方向に導く覚悟をしている。
学園の校門で困ったようにあたりを見渡すピンクブロンドの少女。入学式で講堂までの道が分からず困っているところを第一王子に助けられるのが、彼との最初の接触だ。これが偶然なのか、はたまた故意なのか。これから彼女を見定めなくてはいけない。
それから三年。あっという間に卒業の日を迎えた。
卒業パーティーは学生として羽目を外せる最後のチャンスとして皆が着飾り楽しんでいる。そんな中、会場の真ん中で第一王子が声をあげた。
「祝いの場であるが少し皆の時間をもらいたい、いいだろうか」
さほど大きな声ではなかった。しかし、よく通る威厳のあるその声に会場にいた全員が口を閉ざし彼に注目する。側近を引き連れた第一王子は会場中の視線を集めてもなお堂々とした立ち姿で微笑んだ。
「ありがとう。それでは、モモ・トワイライト男爵令嬢、こちらに出て来てくれ」
「お呼びでしょうか、殿下」
ピンクブロンドの令嬢が第一王子のいる中央へと躍り出る。真っ白なドレスの良く似合う可愛らしい令嬢だ。まるで、ウエディングドレスのよう。この場で永遠の愛を誓えば、至極美しいスチルになることだろう。
ヒロインは期待と不安、半々と言った表情を第一王子と側近たちに向けている。彼女は逆ハー狙いの転生者だった。かなり効率的に攻略対象全てに接触していたのだ。誰か一人を狙ってその人物に真摯に向き合うのであれば見逃しても良かった。しかし、国を乱そうと言うなら容赦はできない。彼女にその気がなくとも、その行動は許されざるものだ。
だから、わたくしは彼女の行動を先回りして邪魔をした。そうすれば思うように好感度が上がらなくて焦ったのだろう。ヒロインはわたくしにいじめられただなんて、ありもしない冤罪をふっかけてきた。
「今日この場で断罪を行いたいと思う。モモ・トワイライト男爵令嬢、君は我が婚約者スカーレット・ミッドナイト公爵令嬢にいじめられたと言っていたね」
「はい。男爵家の庶子であることを貶されたり、私物を捨てられたり、階段から突き落とされそうになったりしました。いくら身分の差があるにしろ、ここまで明確に危害を加えられるのは納得がいきません」
「と、言っているのだが、スカーレット。それは本当かい?」
「いいえ、事実無根ですわ殿下」
わたくしが中央へ向かうまでの道を自然と皆が空けてくれる。注目を浴びながら悠々と第一王子の前まで歩み寄った。わたくしに好戦的な視線を向けてくるヒロインに公爵令嬢として完璧な笑みを返してあげる。
「わたくしは学園内を一人で過ごすことはありません。我が公爵家を寄り家にしている令嬢たちはもちろんのこと、殿下の婚約者として王家の影に監視されております。次期王妃として相応しくない行動を取っていれば王家に伝わっていることでしょう。しかし、殿下はそのような話をお耳に挟んだことはないかと存じます」
「ああ、そうだな、そのような話は聞いたことがない。スカーレットがトワイライト男爵令嬢に貴族令嬢として適さない言動を注意したとの報告を受けたことはあるが、不必要な叱責を与えたと聞いたことはない」
「待って、何それ。王家の影? 知らないんだけど、そんなのがいるなんていつ言ってた!?」
第一王子の言葉を遮るように、ヒロインが声を上げる。遥かに身分が高い存在を遮るように発された言葉、しかも言葉遣いも酷いものだ。あまりの不快感に顔が歪みそうになって、口元を扇子で隠す。
現代日本の感覚であれば多感な十代の少女に四六時中監視が付くなんてとんでもないことだと思うだろう。しかし、この世界では普通のことだ。国を率いる王の伴侶となる存在が危険に晒されては困るし、相応しくない者であってはならない。だから24時間365日監視するし、わたくしもそれに文句をつけようなどとは思わない。その考えに及ばないなんて、本当にこの世界を幻想だと思っているのだろうと軽蔑する。
「私の婚約者、次期王太子妃であるスカーレットを事実無根で侮辱した罪は重い。不敬というだけでなく、この婚約が破棄されることで利を得ようとした可能性もあると私は考える。故に貴様には聞かなければいけないことがたくさんあるのだ。簡単に許されると思うなよ」
第一王子の言葉と共に近衛兵がヒロインを捕らえる。自分より遥かに大柄な男性数人に押さえ込まれ、身動きがとれなくなったヒロインは『こんなはずじゃなかったのに』と呟いた。
「ここはゲームの世界ではありませんから」
「え……?」
「貴女はここが乙女ゲームの世界だと思っていたかもしれませんが、ここは正真正銘わたくしたちが暮らす世界です。ですから、好き勝手に過ごしていいわけではないのですよ」
「ゲーム、の世界。貴女は、乙女ゲームを、『トワイライト・エンチャンテッド』を知っているんですか?」
「どうでしょうね。ただ……貴女が逆ハーエンドのような、わたくしたちの世界をめちゃくちゃにしてしまうような結末を望むのならば、わたくしは許しませんよ」
公爵令嬢として、次期王妃として、余裕たっぷりに優雅な微笑みを浮かべればヒロインは目を見開いて断末魔のような悲鳴を上げた。その声を無視するように、卒業パーティーのために呼ばれていた楽団が演奏を始める。華々しい門出には似つかわしくないじっとりと重苦しいメロディー。まるで、ゲームのバッドエンドを彩るような曲だ。
無気力に近衛兵に引きずられていたヒロインは急に大きな声で笑った。明らかに彼女はおかしいのに、彼女の両脇にいる近衛兵も、彼女の捕縛を指示した第一王子も、彼の側近たちも、誰一人その異常さに顔色を変えない。
「うっそ、悪役令嬢が第四の壁を認識してたの!?」
「第四の、壁?」
「そっか、そっかそっか、だから毎回邪魔してきたんだ。あー、なるほどね、道理で好感度が上手く上げられないわけだよ」
「お待ちになって、貴女、何を言っているの?」
わたくしがヒロインを引きずっていく近衛兵を止めようとしても、誰もわたくしの声に耳を傾けない。
第一王子がわたくしの肩を引き寄せる感覚がする。きっと皆に仲睦まじい姿をアピールするためだ。しかし、どうしてかわたくしの視界は黒く染まっていった。
「そんなのアリかよ~、うわぁ、マジか!」
VRゴーグルを外して大声で虚空に向かって文句を言う。いや、自身の拙さに対する憤りは多少あるが、それ以上にゲームのシナリオが想像を上回っていたことが愉快だった。
私がやっていた『トワイライト・エンチャンテッド』は今話題の乙女ゲームである。
男爵家の庶子であるヒロインが貴族たちの通う学園に入学し、見目麗しい攻略対象たちと交流を深めていくというよくある設定のゲームだ。それが話題になっているのにはいくつかの理由がある。
一つ目にフルVRであること。ヒロイン視点になって物語を辿り、本当にイケメンに迫られているような臨場感を味わうことができる。
二つ目に乙女ゲームとは思えないサスペンス要素があること。高位貴族の攻略対象に近づくことで社会的な立場の弱いヒロインが拉致監禁されたり命を狙われたりすることはもちろんのこと、攻略対象と仲良くなるために他の貴族を踏み台にしたり攻略対象を欺いてみたり果ては邪魔者を亡き者にしたり権謀術数をめぐらせる必要もある。凡そ恋愛とは言えないレベルの駆け引きに、普段乙女ゲームをやらない層にまで流行っている。
そういう私も普段は乙女ゲームはやらない。しかし、話題にのっかり手を出してみれば、邪魔なライバルを蹴散らし攻略対象とのハッピーエンドを目指すのは、戦略シミュレーションのようで非常に面白かった。
のめり込み、全てのキャラクターのルートを攻略し終えた私が次に目指したのは逆ハーエンドである。しかし、そこで立ちはだかったのは悪役令嬢スカーレット・ミッドナイト公爵令嬢である。攻略対象の第一王子の婚約者であり、どのルートでも多少こっちに嫌味を言ってくる以外は影の薄い存在である。しかし、逆ハーエンドを目指し、全てのキャラクターの好感度を効率的に上げようとしたら徹底的に邪魔をしてきて上手くいかなかったのだ。
一体どうして、と思いながら、邪魔者を排除するつもりで彼女に冤罪をふっかけたら、エンディングの卒業パーティーで私の方が断罪されていた。それだけなら好感度を上げ損なったのかと思うが、なんとスカーレットがここは乙女ゲームの世界だと口にするのだ。
なるほど、彼女はここがゲームの世界だと認識している存在だ。ならば、私が逆ハーエンドを目指して行動していたときに片っ端から邪魔していたことにも納得である。
「じゃあ、逆ハーエンドを達成するにはスカーレットをどうにかしなきゃいけないのかぁ。どうしようかな、籠絡して彼女を仲間にすべきか、それともさっさと抹殺するべきか」
きっとどっちを選んでも違う結末が待っている。『トワイライト・エンチャンテッド』はマルチエンディングも特徴の一つなのだ。どちらのルートもしっかりとこの目で確かめてみたい。
「じゃあまずは、スカーレットを抹殺するルートから試してみますか」
私はVRゴーグルをかけ直し、ゲームを再開した。
わたくしが前世を思い出したのは八歳のときだ。
国内でも一二を争う権力を持つ公爵家の一人娘で、生まれたときから第一王子との婚約が決まっている、この国で最も恵まれている令嬢であるわたくし。それが前世でプレイした『トワイライト・エンチャンテッド』という乙女ゲームの悪役令嬢であると気付いたときの衝撃は凄まじかった。第一王子ルートはもちろんのこと他のキャラのルートでもヒロインの邪魔をし、軽いものなら第二王子への婚約の挿げ替えから重いものなら処刑まで様々なバッドエンドが用意された悪役令嬢への転生だ。順風満帆な人生にとてつもない暗雲が立ち込めてしまった。
だからと言って幼いわたくしのできることなどほとんどなかった。第一王子との婚約は既に結ばれている。他の攻略対象との交流もある。ゲームの舞台となる王立学園への入学を拒否することも貴族令嬢としては難しい。このままではゲーム通りに断罪されてしまうかもしれない。
それでも、わたくしは諦めようとは思わなかった。王太子妃、ひいては将来の王妃に相応しい教養を身に付けるために努力し、婚約者の第一王子との仲を深め、ゲームの攻略対象である側近たちとも交流を重ね、もしもヒロインが現れたとしても大丈夫なように自身の立場を万全にした。
だって、前世のわたくしがこの世界が舞台になったゲームを楽しんでいたとしても、今のわたくしにとってはこの世界は現実。それならば、正しく努力し人生を生き抜くべきなのだ。
大きな問題を起こさず、第一王子とも攻略対象たちとも良好な関係を築き、そして迎えた学園の入学式。
緊張はしているけれど、ヒロインが普通の少女であるのなら別に良いと思っている。攻略対象と懇ろな関係になったとしてもわたくしが口出しすることではないし、万が一第一王子に近づいたとしても、わたくしよりも王妃に向いているのならばその地位を譲るのも貴族令嬢として仕方のないことだ。
けれど、もしもヒロインがわたくしと同じような転生者であり、あまつさえこの世界をゲームだと舐めたまま好き放題に過ごすのならば見過ごすわけにはいかない。ましてや逆ハールートなど、ゲームなら許されるかもしれないが現実だったらあらゆる問題を引き起こすような選択をしたのなら我が身を犠牲にしてでも止めなくてはいけない。そう、わたくしはこの世界をゲームだなんて勘違いしていないのだ。ゲームでは語られなかった貴族や平民、全ての無辜の民のために国を正しい方向に導く覚悟をしている。
そこまで考えて、違和感に首を傾げる。
わたくし、前にも同じように独白したことがあるような……?
しかし、ピンクブロンドの少女が視界に入ってきたことでその思考がぶった切られる。そうだ、そんな些細な違和感よりもヒロインがどんな存在なのか見定めなければいけない。
校門でキョロキョロと周囲を窺う様子に第一王子狙いかな、と思う。しかし、わたくしと目が合った瞬間満面の笑みを浮かべた。
その笑顔に背筋が凍る。
これから一体、わたくしに何が起こるのだろう。