第8話 呼び出し
ラピスティア侯爵家でのお茶会から翌日、いつものように宮廷へ出仕したが、今日はすこしだけ違った。
「珍しいね。ガイアも呼ばれるなんて」
馬車にはガイアも同乗しており、いつもよりも化粧は薄めで、衣装もシックな色合いを選び、長い銀髪はシンプルな髪留めで一つに括られている。
普段は男装麗人のような姿だが、宮廷から呼び出しがかかり、それにふさわしい装いになっていた。
「本当よね、こっちはまだ社交界デビューもしてないっていうのに……」
本当であれば、今年に予定をしていたが、ルークのせいでそんな余裕もなくなってしまい、来年に延期になった。きっと彼が社交界に参加すれば、瞬く間に注目の的になるだろう。
「なんで呼ばれたのか心当たりがあるんでしょ?」
「まーね」
ガイアはうんざりした顔で窓枠に肘をついて外を眺めていた。
(昨日の件を踏まえると、魔女対策もあるんだろうな……)
聞く限り、ガイアの力は魔女に対しても発揮される。
昨日、グレンとシルベスターと一緒に席を外していたガイアは二人と何を話していたか教えてくれなかったが、今日のことや魔女についてではないかと予想している。でなければ、ガイアの不機嫌さは説明つかない。
(昔、魔除け代わりに曰く付きの回廊や離宮を歩き回されてたもんな……雫持ちも大変だ)
馬車が止まり、御者が宮廷についたことを知らせる。
「さっさと用事を済ませて帰りましょ?」
ガイアに続いてルークも馬車を降り、職場へ足を運ぶとアーロイの他にクラウドが宰相執務室にいた。アーロイの父親であるマイルズ侯爵は席を外しているようだった。
「やっと来たか」
ソファの背もたれに寄りかかっていたクラウドは侍従と護衛を外へ追い出し、戸がちゃんと閉まったのを確認してから口を開く。
「昔、ガイアのビスクドールが、なぜかオレの部屋に置いてあったことがあったな? 何度返却してもオレの部屋に戻ってくるそれを、最後にオレはどうした?」
「あ~、マリオネッタのことですか。我が家の暖炉に放り投げましたよね?」
マリオネッタは俗にいう悪霊憑きのビスクドールでお祓い目的でガイアに預けられたのだ。
飛んだり跳ねたり泣いたり笑ったりする挙動のおかしい人形だったが、おとぎ話のように動く人形をガイアはいたく気に入った。きちんと手入れをし、着替えも作り、片時も離さなかった。もはや寝食ともに生活していたと言っても過言ではない。
しかし、ガイアは生きた魔除けのような存在。共に過ごせばじりじりと命を削られてしまう。おまけにガイアを脅かそうとしても返ってくる悲鳴は、歓喜に満ちたものである。
何か特殊な条件があるようでマリオネッタは屋敷の外へ逃亡ができなかったらしく、せめて傷ついたプライドを癒そうとしたのか、最初はルークを追いかけ回していた。しかし、徐々にルークも慣れてきてしまい、最後にはまったく驚かなくなってしまった。
プライドも命も削られ満身創痍だった人形の下に現れた救世主が、クラウドである。彼はビビりでリアクションもいい。失われつつあったプライドを取り戻すがごとく、人形は彼を付け回した。ガイアの雫の力によってそれ以上の悪さはできなかったが、クラウドは何度返却しても戻ってくる人形にひどく気味悪がった。
『どうなっているんだ、この人形! ルーク、嫌がらせか⁉』
『マリオネッタは殿下のことが大好きなんですよ』
返却しに来たクラウドにルークが人形について説明をした瞬間、彼は容赦なく暖炉へ放り投げた。暖炉の中から聞こえる断末魔にビビり散らかして悲鳴も上げられなかった彼は、必死の形相で薪を何個も投げ入れていたのをルークは覚えている。
ルークもクラウドもガイアがあの人形を大事にしていたことを知っていた為、勝手に処分したことは内緒にし、紛失したことにしていたのである。
大切にしていた人形の真実にガイアはクラウドの両肩を掴んだ。
「殿下だったのね! アタシの可愛い可愛いマリオネッタをかどわかした犯人は!」
「コラ! 人聞きの悪い言い方をするな!」
まったく、とぶさくさ呟きながらその場にいた皆にソファに座るよう促す。
全員座ったところでアーロイが話を切り出した。
「今回、ラピスティア家より報告があった、ルークにかかった言霊と、雫持ちの人間は魔女の力に耐性がある可能性についてです。ラピスティア家から上がった報告を見るに、ちょっと状況は深刻と言っていいでしょう」
アーロイの言葉にルークは身を固くすると、アーロイは苦笑を浮かべた。
「昨日、妻の母、ラピスティア侯爵夫人と会ったのですが、嫌悪感とまではいかなくてもルークへの不信感を抱いているようでした。正直、驚きしかありません。あの態度の変え方は異様です」
「そんなにひどかったんですか? アタシもグレン様やシルベスター様からお聞きしましたけど」
「ああ。我が家に着くなり、トト嬢を強く引き留めて大変だったんだ。おまけに『なぜうちの娘にあの顔ナシ伯を紹介したんだ』と、私と私の母親に訴え始めた」
思わずぎょっとして隣に座るガイアに目をやると、彼もそんなことになっていたとは思いもしてなかった様子だった。
「妻にも間に入ってもらったが、さらにおかしなことが起きた。母がラピスティア侯爵夫人に感化されて社交界での噂を信じ始めた」
「え……?」
「私も耳を疑ったよ。あんなに可愛がっていたルークを『顔ナシ伯』と呼んだんだ。ラピスティア侯爵夫人が帰った後、母親を必死に説得して、我に返ったようにルークの人柄を思い出していたよ」
アーロイは疲れたようにため息を零し、手紙をテーブルの上に置く。力強い筆跡をした手紙の主はグレンだった。
「ラピスティア侯爵夫人を迎えに来たシルベスター様から受け取った報告書だ。これを見て納得したさ。考えてみれば、母はこの間の夜会にルークを招待するのを控えた方がいいと言っていた。私はてっきりルークの顔を思って言ったのばかり思っていたが」
アーロイの母、マイルズ侯爵夫人には幼い頃から世話になっていた。アーロイはクラウドと違う方向性で生意気盛りだったせいもあって、母親はアーロイの弟のようにルークを可愛がってくれた。
アーロイはクラウドに視線を送ると、彼は何かを察して頷き、ゆっくりと口を開いた。
「ルーク、お前がその顔になってもう半年以上になる。面布があればどうにかなると思っていたが、どうやらオレ達は楽観視し過ぎていたらしい」
クラウドのため息がやけに大きく聞こえ、ルークは自分の顔が強張っているのを感じた。
「噂が落ち着くどころか悪化している以上、これから先どうなるか分からない。アーロイ」
クラウドの呼び声に、アーロイは一瞬口元を歪めた後、二枚の紙をルークの前に差し出した。
その書かれた内容にルークは目を剥いた。
「ルーク、お前に無期限の休暇を与える」
言葉も出なかった。頭の中で「なぜ?」「どうして?」という言葉だけがぐるぐると回る。
どんと室内に響いた鈍い音に、ルークは我に返った。
「──どういうこと⁉ 殿下もアーロイ様も、アニキを切るって言うの⁉」
テーブルに手を叩きつけたガイアが、目の前の二人を睨みつけ、怒りを露わにする。
「そういうつもりではない」
「じゃあ、どういうつもりよ!」
「現在、宮廷ではオレの王太子の地位を取り下げようとする動きが出ている」
「⁉」
クラウドは大袈裟に肩を竦めて見せると、自嘲するように言った。
「母上はトゥールの出身だ。魔女の力を持ち込み、この宮廷になんらかの影響を与えている可能性がある。その息子であるオレ、そしてその傍についていたアーロイも疑われている。クレアとも親しかったしな。魔女に関わりがありそうなところを排し、まるっと入れ替えるようだ。ルークは被害者ではあるが、言霊の影響を周囲に広げている可能性だってある。それ故の休暇だ」
決して妥当な判断とは言えない。どちらかと言えば、不当な扱いだ。これで王家から遠ざけられたらリリーベル家の存続にだって関わってくる。そんな気持ちが顔に出ていたのだろう。クラウドは言葉を続けた。
「とはいえ、使い勝手のいい駒がいなくなるのは、困るからな。ガイア、お前はルークの代わりに出仕しろ」
「何よ、その言い方……っ!」
「ガイア」
ルークは弟の肩を叩くと、ガイアは悔しそうに顔を歪めてぐっと堪えた。ルークは一呼吸おいて、まっすぐに彼らを見据える。
「殿下。アーロイ様。弟は出仕をしたことがありません。ガイアに何をさせたいのか、具体的な提示をお願いいたします。私と同様に殿下やアーロイ様の傍についても事態は変わりません」
──何か考えがあるのでしょう?
暗にそう訊ねるルークに二人が薄く笑みを浮かべる。
「ルークの仕事は処理を終えた書類を関係部署へ送り届け、また受け取り、宰相執務室へ戻ること。それはすなわち、王家の目と耳になることだ」
「目と耳? そういうのは影の役目では?」
「もちろん、影もいる。しかし、姿を見えるのと見えないのでは、大きな違いが出る。不穏なことを考えている者がいれば、抑止力にも繋がる。それに影というのは時には牙を剥くものだ。今のオレのような状態では動き回ることができないし、何か情報を掴みたい時は陽動としても使える。この顔になるまでルークは便利な駒だったんだけどな。王家に傾倒し過ぎず、かといってアーロイのように邪見せず、面倒ごとを押し付けられる可哀そうな使い走り役。いわば道化だ。おまけにこの性格だから皆が油断するしな」
リリーベル家は代々王家の目と耳として宰相補佐についていた。ルークは決して目立たない存在ではなかったが、王家と宰相に振り回される可哀そうな補佐という役柄はこなせていた。
「アニキ、そんな大役を担ってたの……?」
信じられないという目を向けるガイア。面布越しに苦笑を浮かべたルークの代わりにクラウドが答える。
「そう思うだろ? ただ、コイツは生粋の善人でいまいち道化になりきれてないが、周囲に警戒されないのがいいところだ」
「それで、アニキの代わりをアタシが担えばいいわけですか?」
ガイアの言葉にクラウドとアーロイが首を横に振った。
「お前みたいな色物がルークの代わりになれるわけがないだろ?」
「自分への理解が足りてないな、ガイア」
「話の流れ的にそうなるでしょ⁉」
「ガ、ガイアどうどう」
ルークがガイアを宥めて落ち着かせた後、クラウドは言った。
「お前に目と耳は無理だが、やってもらうことはいつもと変わらん。お前には動く魔除けになってもらう」
「ま、魔除け⁉」
「アーロイ」
クラウドに促されたアーロイは、宮廷見取り図を出した。本来なら絶対に見せられない代物にガイアは目を瞠る。
そして、クラウドとアーロイは一言。
「「覚えろ」」
「は?」
ぽかんとするガイアに二人は矢継ぎ早に言った。
「今、記憶しろ」
「メモは取らないこと」
「国王の執務室からこの部屋までの最短ルートはこれだ」
「この道順だと効率よく全体を回れる」
「ムリムリムリムリ!」
ガイアが全力で首を横に振り、縋るような目をルークに向けた。
「アニキ! もしかして、こんな無茶ぶりを今まで受けてたわけ⁉」
「まあ、慣れかな? 渡されたメモはすぐ記憶して処分が多いし」
ルークだってこれがとんでもない無茶ぶりだと分かっているし、長年訓練されてできたものである。単純な話、三人は忘れていいものと悪いものを頭の中で分けて、記憶の仕方を変えているだけ。
本人確認用の思い出話も三人で共有し、絆を確かめる方法の一つだ。
「お前の雫は『悪しきものを遠ざける力』だ。ラピスティア家によれば、お前の雫は言霊にも有効な可能性がある。少しでも宮廷を歩き回って言霊の威力を弱めてこい」
「ガイア、手芸が趣味だっただろ? 執務は手伝わなくていいから、魔除けグッズとかお守りを作って欲しい。費用はいくらでも出す」
「いや、二人とも……無茶ぶりがすぎるっていうか……」
狼狽えるガイアに、二人はこう言った。
「「ルークの為だ。やれ」」
ブラコンのガイアにはもっとも効力のある言葉。ぐっと言いたいことを抑えてガイアは宮廷の見取り図を頭の中に叩き込み始めた。
「それで私はどうしたらいいですか?」
いくら休暇を与えたとしても、遊ばせておくわけではないだろうとルークは思っていたが、クラウドとアーロイは視線を交わした後、小さく頷いた。
「「お前は無期限の休暇だ」」
「事実上、クビじゃないですかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ⁉」




