第51話 言霊の力
ルークはとても困っていた。そして、安堵もしていた。
(良かった~~~~~~~っ! トゥールの魔女さんの薬が効いてるみたいだ)
トゥールの魔女から指南を受けた後、彼女の魔法で彼らの足取りを追うことができた。
騎士と魔女に対抗できるのは、魔女の支援を受けたルークだけ。他の仲間は廃村の外で待機している。
魔女はトゥールで管理された存在の為、情報統制が敷かれている。そのため、世間の常識に疎く、魔法や薬に関すること以外、何もできない。
ルークにとっての難関は魔女ではなく、騎士だとトゥールの魔女は言った。
彼らは魔装と呼ばれる装備で身体能力を上げ、魔女の魔法を破壊することができる。しかし、急激な肉体の強化により魔装を解除すれば反動がくる。その隙をつけば、ルークも勝てる見込みがあるだろうと魔女は話した。
ルークはクラウドの友人に選ばれてから、ずっと体術訓練に付き合わされた。時には剣も握らされたし、弓も射た。
それはクラウドの趣味に付き合わされただけでなく、王族の身に危険が迫った時、自らを犠牲にしてでもクラウドを守るためである。
クラウドにコテンパンにされ続けたおかげで、自分より体格のいい相手との戦いには慣れている。一対一であれば、相手がクラウドを超える巨漢でも勝てる自信があった。
問題は騎士の腕前だったが、剣を抜かれる前に殴ってしまった方が早い。魔装も使われたがどうにか勝てた。
後は魔女をどうにかするだけ。
「おい! 一体どうなっている! なぜ普通の人間であるお前が、魔法を消せたのだ!」
(なんでって言われてもな……)
ルークはポリポリと頬を掻いていると、その態度が気に食わなかったのか、魔女が再び呪文を詠唱し始めた。彼の背後に鋭利な氷の槍が浮かぶ。
「死ね!」
魔女の手の動きに合わせて、氷の槍がルークへと向かって来た。
魔法の対策はさっきの火球で実践済みだ。ルークは落ち着いてこう口にする。
「私は何ものにもとらわれない」
眼前にまで迫った氷の槍は爆散し、ダイヤモンドダストのように空中に舞う。
二度も魔法がかき消され、魔女は言葉を失い、そして近づくルークを指さした。
「な、な、な、なっ! なんだお前、その顔!」
ルークは分からないが、魔女はルークに掛けられた魔女の言霊が見えているのだろう。
震える手でルークを指さしながら、ひどく怯えた様子で後退する。
「お、お前! 一体、何をしたんだ⁉ その顔の魔法……いや、呪いを抱えてなぜ生きている、顔ナシ伯!」
魔女の言葉にルークは苦笑したくなった。
宮廷を発つ前、トゥールの魔女はルークにある仕掛けを施した。
それは、トゥールの王女、クレアに飲ませられた言霊を増幅させる魔法薬である。
ルークはトゥールの魔女との会話を思い出した。
『おそらくですが、リリーベル伯は縁を繋ぎやすい……いわば魔法がかかりやすい体質かもしれません』
『縁?』
『魔女は言霊を使い、引き寄せたい事象を起こします。しかし、その引き起こしたい事象が人間だった場合は、その人を繋ぐ縁がなければいけません。そのため、我々魔女は縁を目で捉えることはもちろん、手繰り寄せ、結び付ける力も必要になります。そうした力を持つのは何も魔女だけではありません。ガイア様の雫も似たようなもので、悪い物を寄せ付けないように縁を切るだけでなく、相手の恐怖となる対象や排除させる対象と結びつけているんです。おそらくですがルーク様の場合は、良い物も悪い物を見境なく自分に結びつけてしまっているんだと思います。そうした体質の人は、魔法がかかりやすく、また魔女の言霊の力を増幅させる傾向にあります』
『え? じゃあ、この顔は?』
『クレア王女の言霊の強さとは別に、ルーク様が無意識に増幅させたおかげでひどくなっているんです。放っておくと酷くなっていく一方かと……』
言われてみれば、トトと出会ったばかりの頃は不審者に間違えられたり、女性に嫌悪されたりすることが増えていた。
どうやら、気づかない所で自分の首を絞めていたらしい。
『じゃ、じゃあ、これが再発したのも自分のせいですか? 無意識にまた自分で縁を繋いでしまったと?』
『可能性はありますね。話を戻しますが、そうした体質の人間って、魔女にとって羨ましい体質なんですよ。なぜなら言霊が乗せやすいですから。なので魔女と対立する際に、最強の武器をお渡しします。ガイア様』
クレアに言われてガイアがポケットから取り出したのは、懐紙に包まれた薬だった。
『これは、以前クレア様に渡した薬を改良したものです。これを飲むと言霊の力を増幅させることができます。しかし、リリーベル伯は魔女ではありませんし、無差別に縁を結ぶので魔法を使うことは難しいでしょう』
『じゃあ、これを使ってどうするんですか?』
『人に不信感を抱かせ、縁を切らせるクレア様の言霊を利用し、魔女の魔法を無効化させます。魔女は縁を結ぶことで相手に魔法をぶつけられます。リリーベル伯は魔女によって自身に付けられた縁に言霊を乗せればいいんです。ただ、注意があります。それは貴方の不用意な言葉が大きな事故を呼ぶ可能性です』
トゥールの魔女の言葉にルークはごくりと生唾を飲み込んだ。
『魔女は言霊を乗せる時、魔女のみが使う言語を利用します。それは我々にとってとても馴染みがあり言霊を乗せやすいだけでなく、自分の不用意な言葉で悪い事象を引き寄せないためです。しかし、ルーク様にとって今の言語がもっとも馴染みがあり言霊を乗せることができる。そのため、この薬を飲んだ後は、魔女と対峙しない限り、言葉を発してはいけません』
『…………じゃあ、魔女に対してなんと言えば、魔女を無力化できるんですか?』
そう聞くと、彼女はクレアの言霊からある言葉をルークに授けてくれた。
ルークはトトを誘拐した魔女の男に無言で近づいて行くと、彼は怯えながら叫んだ。
「来るな! 来るな化け物!」
再び詠唱し、火球を投げつけようとするがルークは先ほどのように言霊を紡ぐ。
「私は何ものにもとらわれない」
火球が男の目の前で霧散し、とうとう尻もちをついてルークを見上げていた。
無言で見下ろされ、魔女はさぞかし自分が不気味に映っていることだろう。
ルークは騎士から奪って来た短剣を取り出し、魔女に向かって振り下ろした。
「ぎゃああああああああああっ!」
短剣は魔女の眼前で寸止めされたが、彼は大きな断末魔を上げて倒れる。ぎょろりとした目は白目を剥き、大きく開いた口からは泡が噴き出ていた。
(…………おどかしただけで失神しちゃった)
ルークは出発前に聞いた魔女からのアドバイスを思い出す。
『いいですか、リリーベル伯。トゥールの魔女は基本的に引き込もりで魔法以外は何もできません。そして、みんな自己肯定感がゴミクズなので暴力と権力にめちゃ弱いです‼ 特に魔法の強さで粋がっている魔女はこの傾向が強いです‼ やっちゃってください!』
ルークは自分がクラウドによくしごかれていたので、あまり暴力を振るいたくない。
しかし、彼らはトトを誘拐し、怖がらせた可能性もある。少しは怖い目に遭ってもらおう。
そう思ってルークは騎士から奪って来た短剣を取り出したが、まさかおどかしただけでこうなるとは思ってなかった。
失神する魔女を縛り上げ、全てが終わったことを合図する空砲を鳴らした。これでフラウの仲間が廃村に入ってきてくれるだろう。
ルークは騎士から拝借した鍵で馬車のドアを開ける。
「…………っ」
現れたルークを見て、トトが大きく目を見開いている。
その目は銀色の燐光を放っており、彼女が自分にかかった言霊が可視化出来ているのだろう。
『この薬の効力は約半日です。そして言霊の力を高めると言うことは、クレア王女の言霊も増幅させることになります。あの言霊を使い過ぎれば、言霊の効果が薄かったラピスティア侯爵令嬢もどうなるか分かりません。使用回数には気を付けてください』
(もしかして、彼女にも言霊の効果が及んでいるのかな?)
あの騎士の男も、魔女も自分の顔を見て酷く狼狽していた。彼女が自分の名前を呼んでくれないのは、そのせいかもしれない。
(あとは村の外に控えているティルスやマクベス達に頼んだ方がいいかもしれないな…)
「ルーク様!」
中から出てきたトトがルークを抱きしめ、怯えた目でルークの顔を見上げていた。
「どうしたんですか、そのお顔。なんでそんなことになっているんですか⁉」
トトの目には自分がどう映っているのだろうか。魔女の言霊が見えないルークには何も分からない。しかし、彼女の目から涙がこぼれるのを見て、ルークは慌ててしまった。
「どうしてそんなことになっているんですか? 本当に、本当にルーク様のお顔が見えなくなってしまっているじゃないですか!」
(ああ、そんなにひどいんだ?)
言霊は数回しか使っていないはずだったが、それだけ強力だったのだろう。顔が見えないと言うことは、包帯のように顔がぐるぐる巻きにされているのだろうか。
「ルーク様! なんで何も言ってくれないんですか! もしかして、このレースのせいですか!」
彼女は見えない何かを引きはがすような仕草をする。顔の近くには何もないはずなのに、布を引きちぎるような音が響いた。心なしか視界が明瞭になった気がすると、トトが安心したように笑った。
彼女のその顔にルークは思わずトトを引き寄せた。
「ルーク様……⁉」
「………………った」
「え?」
「…………無事で本当に良かった」
まだ薬の効果は残っているのに、ルークはそう絞り出すように言葉を発した。
彼女が姿を消したと聞いて、トゥールの仕業だと予想は付いていた。捕虜となっている魔女の話を聞く限りでは、トトがどんな扱いを受けているか分からない。
知らない土地に連れて行かれそうになり、泣いていないだろうか。乱暴されていないだろうか。ずっとそんな不安がルークの中で膨れ上がっていた。
『怖かったですね』
『怪我はありませんか?』
『もう大丈夫ですよ』
『助けに行くのに遅くなってすみません』
そんな言葉を掛けようとして、ルークは口を噤む。
彼女に語り掛けたい言葉があるのに、薬のせいでこれ以上声をかけてあげられないのがもどかしい。
「ルーク様」
トトのか細い腕が、ルークの背に回されたのが分かった。
「助けに来てくださってありがとうございます」
そう言ってルークに身体を預け、ルークは静かに頷いた。




