第40話 籠の鳥
トト・ラピスティアは今、浮かれていた。
(ルーク様との婚約! ドレスはルーク様と決める約束をしたし、ガイア様も交えてお茶をしながら婚約式の打ち合わせも楽しみ!)
好きな人との婚約だ。妥協はしたくない。
トトのあまりの張り切りように父や母には「結婚式の時になったらどうなることやら」と呆れられたほどだ。
(色もお揃いのものにして、髪飾りは自作したいわ! ゆくゆくは、シャルロット姉様のように誰もが羨むような素敵なヴェールを……)
そう考えた時、ふと国王と謁見した時のことを思い出す。
トトの目に見えたデザインは不思議な力が宿る。トトが作ったものだけでなく、なんの力を持たない者まで不思議な力が宿ってしまうのだ。
もしかしたら、婚約式のために作ったものも取り上げられてしまうのではないだろうか。そんな不安が脳裏に過った。
(いえ、気にし過ぎだわ。私のデザインの全部が全部に力が宿っているわけではないもの)
姉にいくつも髪飾りを渡しているが、特別何かがあったわけではない。元々ルークの面布には魔法がかかっていたと聞く。もしかしたら、それをデザインとして書き上げてしまったのだろう。
(いやでも……シャルロット姉様のヴェールには魅了の効果があったって言ってたから……)
作りたい気持ちと作ってはいけないような気持ちがせめぎ合い、トトは頭を抱えた。
そこで妙案が浮かぶ。
(そうよ! 私が魔眼で見たデザインでなければいいんだわ!)
どうやらこの魔眼は魔法だけでなく、人の縁や軌跡をデザインとして映し出してしまう。そのデザインが不思議な力を宿らせてしまうのなら、イメージではなく自分で考えたものにしてしまえばいい。そうすれば、不思議な力も宿らないだろう。
(そういえば……)
森林公園の市で見つけた鳥籠のストラップの存在を思い出す。
あれを手に入れた時、中で転がる卵のような石が可愛く、卵から鳥が孵化して羽ばたいていくイメージが浮かんだのだ。
(あの鳥籠のストラップ、どこに置いたかしら。まだデザインにしていなかったのよね)
あれにも何か力が宿るのだろうか。デザインだけでも描いてみようか。
探してみると、そのストラップはルークの手紙を一緒に引き出しにしまわれていた。
トトはストラップを取り出すと、鳥籠の中で転がる石を見つめる。
「可愛い……」
本物の卵ではないと分かっているが、中で転がる石がなんだか愛らしく見えた。
そのうち、石の転がり方に違和感を覚え始めた。
「あれ?」
鳥籠を揺らしていないのにも関わらず、小さく石が左右に揺れる。それはまるで卵の中から雛が突いているような動きだ。
そのうちひびが入ったかと思うと、割れた石から真っ白な鳥が現れ、鳥籠をすり抜けて羽ばたいていく。
呆然と窓の外へ飛んで行った鳥を見つめていたトトははっと我に返った。
「な、何……今の? いつものデザインのイメージとは違うような……あれ?」
手元に残った鳥籠を見ると、中に入っていたはずの石はなぜかなくなっていた。
◇
結局、鳥籠に入っていた石が見つからなかった。中で転がる石が可愛かったのにとトトは肩を落とし、翌日を迎えたのだった。
今日はガイアと買い物とお茶をすることになっている。トトはリリーベル家へ向かうと、ガイアがばっちりおめかしして現れる。
「お待たせ~!!」
どこか愛らしさのある衣装を身に纏い、ブーツは高いヒール付き。髪は編み込み、耳の高い位置でまとめられ、ルークが刺繍を入れていたリボンが揺れていた。
(ルーク様、ちゃんと渡せたんですね)
リボンの端に付けられた青いガラスが揺れる度に煌いていて、とても綺麗だ。ガイアが付けると気品と華やかさがある。
「アタシ、ずっとトト嬢とお話する機会が欲しくて、昨日は楽しみで仕方なかったの!」
「私もです! 今日はよろしくお願いしますね」
トトもガイアと話をしてみたいと思っていたのだ。人形の洋服のことや、婚約式のこと、話したいことはたくさんある。
(そういえば……ルーク様は?)
彼の姿を探してしまう。彼は普段は屋敷にいると聞いているので、てっきり会えるものかと思っていた。
「今日はね、アニキは宮廷にいるのよ」
「えっ」
心を読まれたかと思って驚いていると、ガイアは笑う。
「アニキを探しているように見えたんだけど、違った?」
「あ、はい……いつも通り、いらっしゃると思って」
「残念よね。アーロイ様に呼ばれちゃったのよ」
「アーロイ義兄様に?」
一体なんの理由だろうか。ガイアの様子を見るに、彼も兄が呼ばれた理由が分かっていないらしい。
「まあ、なんで呼ばれたかは後でアニキに聞くとして、アタシ達はお出かけを楽しみましょ!」
ばちんとウインクをしてトトに手を差し出す。
トトはガイアの手を取り、馬車に乗り込むのだった。
向かった先は街の雑貨屋や手芸店だ。今回はメアリーの店ではなく、色んな店舗を巡る予定である。
普段はメアリーの店にしか行かないので、並んでいる商品も違ってとても新鮮だ。
「トト嬢、レースとか編むの得意なんでしょう? いつも編んだヤツは何に使っているの?」
「髪飾りですね。ほとんどが姉に贈るつもりで編んだものばかりです」
「あ~、アーロイ様の奥さまの! 仲がいいのね」
「はい。姉はとても頼りになる人で、大好きです」
一族のはぐれ者と呼ばれ、あまり交流を持たなくなったトトを心配して、仲のいい友達のお茶会に誘ってくれたり、買い物に連れ出してくれたりした。手芸店のメアリーも姉に教えてもらったのだ。
「そういえば、シャルロット様はトト嬢の婚姻について、何か言われていなかったの?」
「何かとは?」
「未来の結婚相手の話とか」
「あ~、よく聞かれますね」
お茶会では恋愛話が話題に上がる。そこで参加する令嬢達は未来の結婚相手のことをシャルロットに聞いていた。トトも幼い頃に興味本位で聞いたことがあったが、笑って誤魔化されてしまった覚えがある。
「シャルロット姉様はそう言ったことを話しません。だから、私の結婚相手の話もしていなかったですね」
「あら、そうなの?」
「はい。でも、逆に聞かなくて良かったかもしれません。ルーク様以外の男性が運命の人でしたと言われても信じられませんし」
「うふふ。うちのアニキを好きになってもらえて嬉しいわ」
和やかな会話が続き、何件か店舗を巡った後、二人はカフェに入った。
店内の席とテラス席の他に富裕層向けに個室もあるらしい。テラス席に向かうと、庭先のお花がとても綺麗な席だった。
メニューを開くと、書かれている食事はトトが見慣れないものばかりだ。
ガイアから聞くと、バゲットに野菜や薄いハンバーグのようなものを挟んだものや、細切りのポテトを油で揚げたものらしい。富裕層も来店するカフェだが、メニューそのものは大衆向けだと言う。
「ルーク様と出掛けた時も驚きましたが、ガイア様もこう言った場所でよく外食するのですか?」
「たまにね。メアリーとか、アーロイ様達とかお友達から教えてもらったり、一緒にご飯食べに行ったりするのよ。貴族の視点からしたら、ちょっとお行儀が悪いかもしれないけど、美味しいものは美味しいし」
「アーロイ義兄様も、こう言ったお店で食事を?」
「そうよ~? 意外に思うかもしれないけど、結婚する前は積極的に遊び歩いてるわよ、あの人」
アーロイに抱いていたイメージが、貴族らしい完璧な紳士のイメージがあったが、ルーク達と知り合ってから、徐々にそのイメージが変わり始めてきた。
頭が固かったり、情熱的な一面があったり、笑顔が時々怖かったり、人は分からないものだ。
「ほ、本当に意外です」
「トト嬢の前では格好つけたかったのかもね。大好きな奥さんの妹だし」
「ちなみに、このお店は誰から教えてもらったのですか?」
実は姉夫婦のお忍びのデートスポットだったりしてとトトは思っていたら、ガイアは「あ~」と笑って言った。
「ここは宮廷のお友達からね」
「他の貴族の方?」
「いえ、庭師とランドリーメイドのお友達ね。月一のご褒美によく行くんですって。この時期はテラス席が素敵って。気に入ってくれた?」
「はい!」
どうやら、ガイアは交友関係が広いようだ。メアリーもそうだが、宮廷の下働きの者達とも仲が良いらしい。
ガイアのオススメでポテトのフライと、ハンバーガーを頼むことにした。
「そういえば、ガイア様にお話ししたいことがあったんです」
「あら? 何かしら?」
トトはポケットからブードゥー人形を取り出した。以前、ルークを通じでもらったルーク似の人形は、手帳と共に池に落ちたせいで糸がほつれ、衣装が汚れてしまったのだ。
「アニキに渡したお守りじゃない。トト嬢がこっちを持ってたのね」
「はい、どちらも可愛らしかったのですが……ルーク様似の方が欲しくて。実は以前、手帳に付けていたのですが、一緒に池に落ちてこうなってしまったんです。直していただけないでしょうか」
「このくらい、お安い御用よ」
「そ、それとですね。実はこの人形のお洋服も作りたくて! でも、私、お人形の服を作ったことがないからそれについても相談しかったんです」
「あら、嬉しいわ! アタシ、トト嬢とそういう話したかったのよ!」
ガイアが破願してそう言い、何を着せたいかや生地の素材を二人で語り合う。食事も済んで、食後のデザートの前にガイアが席を立った。
「ちょっとお手洗いにいくわね」
そして、こっそりとトトに耳打ちする。
「今日は護衛も頼んでいるの。誰か変なヤツが近づいてきても大丈夫だから安心してね」
そう言って、ガイアがテラスに視線を送ると近くのテーブルに座っている客の数人が、こちらに向かって頷いているのが分かった。
彼らがガイアの言う護衛だろう。
「じゃあ、すぐに戻るから」
「はい」
ガイアの言葉に頷き、トトは紅茶を口に付けた。
(ブードゥー人形のお洋服のお話、思いのほか白熱しちゃった。この後、また生地を見に行くの楽しみだな)
結婚式のウェルカムボートにブライダル衣装の人形が置かれていたら可愛いだろうか。もし飾るなら大きめの人形を作らなければ。正直、クマのぬいぐるみでもなんでも可愛いと思うが。
ふと、テラス席に新しい客が入り、トトの横の通路を通り過ぎようとした時だった。その客はトトの目の前で足を止める。
「こんにちは、ラピスティア侯爵令嬢」
「…………?」
黒髪で細目の男はにっこりとトトに笑いかけるが、トトはその顔に見覚えがない。周囲を確認すると、ガイアが付けていた護衛は何も気付いていないようだった。
「……あ」
「しっ。声を出さないで」
彼は口の前で指を立ててそう言うと、周囲を確認する。
「実は私は、貴方を助けに来たんです。」
(助け?)
一体、何のことだろうか。トトが訝し気に男を見上げると、さらに男は続けた。
「自身の能力を制限され、自由を奪われ、不当な立場に立たされている。違いますか?」
(そんなわけないわ。今までの私ならともかく、自分の雫の力も分かって、ルーク様とも婚約が決まって、不当な立場なわけない)
「国王からの命令とはいえ、好きでもない男、それも顔ナシ伯との婚姻を迫られ、苦しくはないですか?」
「…………!」
トトは思わず、息を呑んだ。
ルークとの婚約はまだ周囲に知らされていない。それなのになぜこの男はそれを知っているのだろう。
「不安ではありませんか? 顔も声も分からない、おまけに隣国の王女に不貞を働いたなどと噂のある男の元に嫁がされるなんて」
ねっとりとした視線でトトを見つめてくる男を、トトは睨み返した。
トトはルークの顔も声も分かる。王女に不貞を働いたと言う噂も王妃側の貴族が流したデマだ。不安があるわけがない。
この人もあのトゥール王女の言霊に操られている人だろうか。
そうだとしても、どこの誰だか知らないが、失礼にもほどがある。
「逃げ出したいでしょう? もし、その婚約から逃げたいのなら……」
「勝手なことを言わないでください。そもそもあなたは一体……!」
トトは目を瞠った。一瞬だけ、蜘蛛の巣のような糸が男の周囲を張り巡らせているように見えた。
(何、今の……?)
「トト嬢?」
「⁉」
はっと我に返ると、お手洗いから戻って来たガイアが不思議そうな顔をして立っていた。
「どうしたの? 何もいないところなんて見て?」
「え……?」
先ほどまで男が立っていた場所には誰もおらず、周囲を見渡してもそれらしい人物はいなかった。
「あれ……?」
白昼夢だったのだろうか。それにしてはやけに現実味があった気がする。
(なんだったの……それにあの気持ち悪い感じ……)
周囲を取り囲む蜘蛛の巣のような糸を見た時、背筋に寒気が走った。ねっとりとした男の視線は舐めるようにトトを見つめてきた。
「すみません。少しぼーっとしてたみたいです」
「そう? まあ、いいわ。デザート、そろそろ来るだろうし、食べましょう」




