第39話 ブラコンのお仕事
ガイア・リリーベル。代々宰相補佐を務めるリリーベル伯爵家の次男坊だ。
四歳の頃に「悪意を遠ざける」という雫の力を持っていることが分かり、それ以来、歩くお守り扱いを受けている。
気持ち悪い小物、可愛くない装飾品、血痕付きの家具、はたまた幽霊が出ると言われる屋敷といった、俗に曰く付きと呼ばれるオカルトな品々を相手にしてきた。
雫の力にあやかりたいとしても、幼い子どもに与えるには酷なものばかり。幼いガイアが嫌がるのに対して、誰も、実の親すらも受け取りを拒否しなかった。
そんなものを自身の子どもに与えるのはいかがなものかと思っていたが、雫の真価を確かめるために先王が送り付けてきたものだったと知ったのは先日である。
誰も彼もが忌避する品々を押し付けられたガイアに、唯一手を差し伸べてくれたのが、実の兄、ルークである。
『大丈夫だよ、ガイア。お兄ちゃんがついてるからね』
兄はどんな時も傍にいてくれた。殺人鬼が愛用したソファは一緒に座り、幽霊屋敷は一緒に寝泊まりし、そして離宮の回廊は率先してガイアの前を歩いた。
勇気があって、優しい、自慢の兄だ。
幼いながらにガイアは世界が滅んでも兄だけは守ると自身の雫に誓った。
そんな大好きな兄からリボンを受け取った翌日、ガイアはダークブルーのリボンで髪を結って出仕した。
リボンと同色の糸でイニシャルが刺繍され、末端にはガイアが好きな青色のガラスが付いている。
(本当にアニキはセンスがいいわ)
いつもは憂鬱な部署巡りも、宰相のお使いも、不思議と足取りが軽い。
兄に雫の力がないと分かっていても、力が湧いてくる気分だ。
「よぉ、ガイア」
渡り廊下を歩いていたところで麦わら帽子をかぶった少年に声をかけられる。
少し日に焼けた肌、少し毛先が痛んだ赤茶色の髪、猫のようにつり上がった瞳は煉瓦色をしていて、彼のやんちゃさが強調される。
先月、友達になった庭師のマクベスだ。
彼は口端を吊り上げるようにして笑い、こちらに手を振る。
「今日はやけにご機嫌じゃん?」
「分かるぅ~? 実はアニキから髪飾り用のリボンをもらったの。しかもアニキの刺繡入りよ!」
「わぁお……お前のアニキも刺繍するんだ?」
「まさか! 元々趣味がない人だったんだけど、趣味探しに始めてみたんですって。アタシの兄、超手先が器用で超センスいいから! もう最高!」
頭で揺れるリボンをさっとなでつけると、マクベスは呆れたように目を細めた。
「出たよ、ガイアのブラコン発言」
「自慢の兄を自慢して何が悪いっていうのよ。アニキからの手作りなんて滅多に貰えないんだから!」
自分が裁縫を趣味としているので、兄は今までこういったものには手を出さなかった。
常に自分に自信がなくて、相手の方が自分よりセンスがいいと思い、無難な方向性を選ぶ兄が、こうして手作りを渡してくれたことに意味がある。
「それで、ここ最近のお庭はどう?」
「この間、お前がリリーベル伯を抱えて騒ぎまくっていた話で持ち切りだぞ? 何があったんだよ?」
マクベスは宮廷の庭師だ。宮廷だけでなく、公爵家などの上流貴族の屋敷にも出入りをしている。そのため作業中に貴族達の会話が自然と耳に入ってくるのだ。
「あら、アタシがアニキのことで騒がなかったことが今まであった?」
「くそっ、否定できないのが悔しい」
「まあ、冗談はさておき。アニキが婚約するの!」
そう、大好きな兄が婚約する。前は婚約直前で白紙に戻されてしまったが、今回は違う。兄も相手のトトも両想いなのだ。
これほど喜ばしいことはない。
「へぇ~、あのリリーベル伯が?」
「そうなの! もう素敵な子でね! あの人がお嫁さんになるなら文句なしよ!」
「ガイアがそこまでいうほどの令嬢か……すげぇな」
「ちょっと、それってどういう意味?」
感心したように頷いているが、どこか含みのある言い方に、ガイアは頬を膨らませる。
「お前、女にうるさそうじゃん。やばい舅になりそう」
「当たり前じゃないの! 大事なアニキに変な女が寄り付いたら困るもの!」
兄は地位良し、顔良し、人柄良しの三拍子がそろった男だ。本人の自覚がないが、幼い頃からモテる。社交界デビューをすれば、『社交界の陽だまり』『隣で癒されたい男ナンバーワン』と瞬く間に注目されるようになった。
群がる女達から兄を守るため、ガイアは防波堤となったのである。
「アニキの婚約者は、可愛いし、謙虚だし、アニキのこと大好きだし、アタシと趣味の系統が似てるし。文句なしよ! 明日はお茶の約束をしたの」
魔女対策でブードゥー人形を作ったり、魔女が見つかったりで、ずっと宮廷に缶詰めになっていたせいでトトと話す機会がなかった。
彼女は手芸が趣味でガイアと系統が似ている。兄からもそのうち時間を取って欲しいと言われていた。
兄と婚約が決まったのを機に、トトと仲を深めるべくお茶に誘ったのだ。
「おお~、よかったじゃん。一体どこの誰なんだ?」
「な・い・しょ! そのうち正式に発表があるから! じゃあ、アタシは用事があるから、またね、マクベス。ティルスにもよろしく~!」
「おう、いってら~」
ちゅっと投げキッスをして別れを告げると、ガイアは顔から笑みを消し、とある場所へ向かう。
そこは宮廷にある独房だ。監視役の騎士に挨拶し、重い鉄扉を開ける。
中には部屋の中心を格子で隔てており、格子の前には対になるように簡素なテーブルと椅子があるだけだ。
ガイアは椅子に腰を下ろすと、奥から誰かがやってくる足音と声が聞こえた。
「あのぅ……本当にリリーベル伯爵令息がいらっしゃるんですか? ただならぬ気配と視線がするのですが……ねぇ、聞いてますぅ?」
それはガイアとそう年の変わらぬ少女の声だった。おそらく、監視に無視をされているのか、聞こえてくるのは少女の声だけだった。
格子越しにある鉄扉が音を立てて開く。
そこに現れたのは小柄な少女だ。
短く波打つ白髪交じりの金髪、青白い肌に、ぎょろっとした青い瞳。いかにも不健康そうな少女は、ガイアの姿を見ると小さく悲鳴を上げた。
「お久しぶり、トゥールの魔女さん」
語尾を飛びっきり甘くして呼んでやれば、彼女はただでさえ青白い顔から、みるみる血の気が引いていく。
「リ、リリリリッ、リリリリリッ! リリーベル伯爵令息のっ、おおおおうおう弟様ぁっ⁉」
彼女が悲鳴にも似た声を上げた時、後ろの鉄扉はしっかりと閉じられ、しまいには鍵をかけられた。
「わわわわわわわっ! 私を騙したんですね! おかしいと思ったんですぅ! リリーベル伯爵令息のわりには気配が物騒だなって! 監視さん、助けてください! 開けてください!」
鉄扉を叩きながら叫ぶトゥールの魔女にガイアは呆れてため息を零した。
「騙してないわよ。アタシだって伯爵令息だし……あ、でもアニキが今伯爵だからちょっと違うのか。とりあえず、座りなさいよ」
「ひぇっ⁉」
そう声を上げた後、すすっと部屋の隅に移動した。
ガイアがまるで小動物だなとその様子を見つめていると、彼女は震える声で言った。
「ま、まず、その変なものを部屋の隅に置いてくれませんか……?」
「変なもの?」
「わ、私を射殺さんばかりに見つめる目が二つあります。それに加えて、貴方の周囲に漂う黒い靄! それは恨みや執念深さの象徴です! 一体、どんな呪物を携帯しているのですか⁉」
「はぁ? 一体なんの……ちょっと待って」
一つだけ心当たりがあったガイアは、胸ポケットから手作りブードゥー人形を取り出す。
「もしかして、これのこと?」
「ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」
トゥールの魔女は部屋の隅で縮こまってしまい、とうとうガイアに平服した。
あまりの怯え様にこれでは話を聞くどころではないと判断したガイアは、監視にブードゥー人形を預けることにした。ガイアには一応、雫の力があるので魔女の言霊には耐性がある。ブードゥー人形がなくてもなんとかなるだろう。
「ほら、これでいい?」
「はひ……」
ようやく席についたトゥールの魔女は青白い手を祈るように握りしめていた。
「リリーベル伯爵令息の弟様が、わわわ、私になな、何の御用でしょうか?」
「何って世間話をしに来たのよ?」
「せ、世間話……ですか?」
警戒した様子でこちらを見つめる魔女にガイアは頷いた。
「そうよ? 一応、アンタは捕虜って扱いなの。捕虜の精神衛生を保つことも大切でしょ?」
それは建前だ。ガイアは魔女からトゥールの動向を聞き出すよう国王に命じられている。彼女はガイアの兄、ルークに恩を感じており、兄以外には一切口を割らなかった。
おまけに兄の変装をした尋問官すらも見破ってしまうのが嫌なところだ。
そこで魔女の言霊に耐性があり、彼女と面識があり、信頼における人物として白羽の矢が立ったのが、ガイアである。
ガイアとしても、魔女に直接聞きたいことが山ほどあったのでちょうど良かった。
魔女が何やら訝しむ視線を送ってきたので、ガイアは片眉を吊り上げた。
「何よ?」
「お、弟様は私のことが憎くないのですか? 元を正せば、私がクレア王女に魔法薬を渡したのが原因ですし……」
兄の顔が認識できなくなったのは、この魔女の薬のせいだ。確かにあんな薬を作った彼女を憎くないと言ったら嘘になる。しかし、ガイアの中でもう気持ちの整理を付けているのだ。
「何言ってんのよ。確かにアンタの魔法薬のせいでアニキはとんでもない目にあったけど、アンタは作っただけで、使ったのはアンタの主でしょ? 今更アンタを恨んだところで、どうしようもないわよ」
そう悪いのは彼女の主であるトゥールの王女、クレアだ。
彼女はお守りとして魔女から魔法薬をもらい、告白に失敗すれば兄が死ぬと分かっていて使用したのだ。
気弱そうに見える兄だ。きっと脅せばどうにかなると思ったのだろう。しかし、兄は決めたことに信念を通す男。それを分かっていれば、あんなことにならなかった。結局、兄に群がる女達は、兄の表面しか見ていないのだ。
「それに道具は使い方を選ぶわ。薬の多くは毒から生まれたものでしょ? 治療に使うか、服毒に使うかは相手の考え方次第よ」
ガイアの言葉に魔女は驚いたように目を見開くと、青い瞳を潤ませてガイアを見上げた。
「お、弟様ぁ~!」
「ガイアよ。それにアニキはもう伯爵位を継いだんだから、リリーベル伯って呼びなさい」
「は、はいぃ……あれ? そのリボン」
彼女の視線が、ガイアのリボンに目が留まった。
ガイアはリボンの末端についたガラスに触れながら、にっこりと笑う。
「あら、このリボンが気になるなんてお目が高いじゃない。これ、アニキからの贈り物なの」
「まあ、どおりで……そのリボンに優しい思いが込められているわけです」
「はぁ? アニキが優しいのはいつもだけど?」
兄が優しいのは周知の事実だ。兄が自分に渡したプレゼントに何も込められていないわけがないとガイアは信じてやまない。
彼女はハッとして首を横に振った。
「いえ、そうではなく。我々魔女は言霊を操り、その事象を呼び寄せることを魔法というのはご存知ですね?」
「ええ、聞いているわ」
「呼び寄せたい事象を言霊に乗せる時、魔法をかけたい対象が人間だった場合、縁を結んでいないといけません。その縁は自分でなくても、他に媒介があれば大丈夫です。例えば、その人が身に付けていたもの、とか」
彼女は平然と魔法について話し出し、ガイアは内心驚きながらも平静を装った。
「その縁を読み取るのも魔女の素質です。そのリボンからリリーベル伯がガイア様への思いが詰まっているのを感じます。普通は小さな刺繍程度では微弱なものですが、よほどガイア様を思って針を刺したのでしょう。素敵な贈り物ですね」
どこか羨ましそうな、それでいて悲しそうに微笑む魔女の様子がガイアは気になったが、兄から貰ったリボンを褒められて誇らしくなる。
「当ったり前でしょ? アニキはアタシのこと自慢の弟だって言ってたんだから! 大事に刺してくれたに決まってるわ」
ふんっと触れていたガラスを離すと、ガイアは言った。
「アンタ、なかなか見る目あるじゃない。うちの兄に命を誓っただけあるわ」
「はい! リリーベル伯には一生かけても返しきれない恩があるので! リリーベル伯の為ならトゥールを捨てるのもやぶさかではありません!」
「よくぞ言ったわ! うちの兄は上司として最高の男よ!」
「はい! ルーク様に仕えることができるなら最高だと思います!」
大好きな兄を手放しで褒められ、調子に乗ったガイアは、幼い頃のあれこれを魔女に語ったのだった。




