第32話 恋するヴェール
馬車を走らせマイルズ侯爵家に到着すると、ルーク達を出迎えたのはアーロイの妻、シャルロットだった。
「お帰りなさい、貴方」
「ただいま、シャルロット」
シャルロットは兄弟達と同じく深紅の髪と水色の瞳をしている。眦が下がっているのもあって、常に微笑んでいるように見え、おっとりとした口調も相まって、優雅さが増していた。
「リリーベル伯、ようこそいらっしゃいました。息子のお披露目以来ですね。妹がとてもお世話になっているようで」
「久方ぶりです、奥様。こちらこそ、妹君のトト嬢にはお世話になっています」
「ふふ、そうかしこまらずとも結構ですよ。さあ、中へどうぞ」
アーロイにエスコートされながら、シャルロットが屋敷の応接室へ案内する。
「実は夫がリリーベル伯を連れてくると聞いて、もう『恋するヴェール』をこちらに用意しておいたのです」
「え?」
シャルロットはにっこりと笑って頷く。
彼女は未来視の魔眼を持っている。おそらく、今日のことを予知していたのかもしれない。
アーロイが応接室のドアを開けると、目の前にはウエディングヴェールを被ったトルソーが置かれていた。
「これが……『恋するヴェール』?」
それはとても緻密なヴェールだった。
頭頂部は意匠が少ないものの、いくつもの花飾りが付けられたように見える。下に行くにつれて、鳥や薔薇などの意匠が増えていき、ヴェール全体を花束のように縁どり、床に広がった形まで綺麗だった。
ヴェールは四年も前に作られたものだというのに、その純白を今も保っている。
思わず瞠目するほどの美しさに、数々の女性がこのヴェールを使用したい気持ちが分かるような気がした。そして、このヴェールに魅了する力があると言われても納得する。
「すごいでしょう? 最初はラペットだったんですよ」
シャルロットがそう言うと、侍女から小さな箱を受け取り、蓋を開ける。
中にはラペットが丁寧に折り畳まれ、しまわれていた。
だいぶ前に作られたものだったのだろう。そのラペットは黄色く変色しているが、ヴェールと同じ意匠が施されていた。
しかし、全体的に意匠の形が歪で、素人が作ったものだと一目で分かる。
ヴェールと比べると見劣りするが、それでもじっと見つめてしまうような、人を惹きつける何かがあった。
「これはトトが私に初めて作ってくれたラペットです。もう六年ほど前になるかしら。あの子がこの図案を書いてくれた時、とても嬉しかったわ。だって、これは私がずっと憧れていたものでしたから」
「憧れ、ですか?」
きょとんとするルークに、シャルロットは深く頷いた。
「はい。これは、私がずっと憧れていた恋の形なのです」
「恋の形……?」
彼女は少し恥ずかしそうに微笑み、また頷く。
「ええ。私とあの子の話を聞いてくれますか?」
「…………はい」
シャルロットはルークにソファを勧め、お茶を飲みながら語り出した。
「リリーベル伯もご存知の通り、私の目に落とされた雫は、未来を見る力でした。父は私の結婚相手に大層悩んだそうです。最初はクラウド殿下の婚約者候補にも名が挙がりましたが、お父様が未来に波乱が訪れることを予期して、お話は流れてしまいました」
それを聞いて、アーロイがムッとした表情を浮かべる。
「そんな話、初耳だけど?」
「ふふ、話す機会がなかったものですから」
夫の嫉妬を軽くあしらうと、シャルロットはさらに続けた。
「その後も私は婚約者候補の方と何回もお見合いをしました。そのうちに、自分が結婚する未来が見えるようになったのです。そこで私は気付きました。私が見える未来は、必ず訪れるものではなく、誰かと出会い、相手を知ることで変化し続けるのだと」
シャルロットが言うには、お見合いをする度に花嫁衣装に身に纏った自分が、鏡の前に立っている姿を見ていたらしい。
そして、誰かと出会う度に未来の花嫁衣裳が変わることから、自分の未来視は変則的なものだと理解したのだ。
「そんなある日突然、このヴェールを纏った自分の未来が見えました。はじめこそ目を引く素敵なヴェールだなと思って見ていたら、鏡の前に立っていた未来の私が、とても幸せそうに笑っているのに気づいたのです」
今まで見てきた花嫁衣装の自分は、どこが浮かない顔や真面目な顔をしていた。この幸せそうに笑う自分は、今まで見てきた自分と一体、何が違ったのだろうか。そして、こんな風に笑う未来の自分に、シャルロットは憧れと羨望を抱いたという。
そんな想いを抱えシャルロットは、いよいよ社交界デビューを果たした。
「その頃からかしら、トトが絵を描くようになったのは。あの時はレースのデザインだとは思いませんでした」
まだ幼かったトトが描いた絵は、何を書いているのか全く分からなかったらしい。
当初は「変わった絵を描く子だな」という認識だったのだという。自分がお茶会やパーティーに参加する度に、何枚も何枚も絵を描き続けていたそうだ。
そうしてしばらくして、アーロイと出会い、彼の強引なアプローチに戸惑いながらも少しずつ関係を深めていった。そして、自分がアーロイに恋していることを自覚した頃のこと。
トトが描いている絵を偶然見かけて、シャルロットは驚いた。
「たまたまあの子が描いた絵を覗き見た時、憧れていた未来のヴェールと同じものがありました。そして、あの子が今まで描いた絵を見ると、私が未来視で見たウエディングヴェールと似ていたのです」
そして彼女は、トトが描いた絵を改めて見直した。それはよく見ると、未来視で見た花嫁衣裳のヴェールのデザインに酷似していたのだという。
「あのデザインを見てようやく気付きました。鏡の前に立つあの自分は、夫に恋をしていたのだと。そして、これは私の恋の形で、あの子はずっと私の心や軌跡を絵にしてきたのだと」
シャルロットはそう言うと、一度紅茶を口に含み、小さく息をついた。
「おそらく、あの子の目には、人の心や軌跡を形にしてしまえる力を宿しています。そして今日、夫が貴方を連れてきたのも、それを裏付ける何かが起きたからなのでしょう?」
その言葉にルークが静かに驚くと、シャルロットは優しく微笑んだ。
「トゥールの魔女は、このヴェールをなんておっしゃっていましたか?」
彼女は一体、どこまで知っているのだろう。アーロイに目をやると、彼は小さく頷いた。今日の事柄は彼女に話していいのだろう。
「……このヴェールには、魔女が扱う魔法のような力が込められているらしいです。それも魅了に近いものだそうで、特に女性に強い効果を発揮するのだとか」
そう説明すると彼女はくすくすと笑う。
「恋は人を美しく見せるものだもの。人目を引くのも、女性が恋に憧れ、魅了されるのも不思議な話ではありません」
シャルロットはそう言って、カップをテーブルに置いた。
「ところで、リリーベル伯。貴方はトトとのこれからの関係にとても悩んでいますね?」
「え……」
そんなことまで分かっているのかと、ルークは心臓を掴まれたような気分になった。
「未来で貴方とトトの間に何が生じるか分からないので、多くは語れません。私が言えることは、人の想いはそれぞれ色んな形があるということ。それこそ、トトが私に描いてくれたデザインだけでもたくさんありました。たとえ、自分の知る恋の形に自分の恋に当てはまらなくても、それはちゃんと貴方の恋です」
シャルロットは最後にそっと微笑み、ルークは肩の荷が下りた気分になった。
「…………はい。ありがとうございます」




