第3話 顔ナシ伯の誕生②
その後、ルークはクラウドともう一人の幼馴染である宰相の息子、アーロイによって身分が証明された。
無駄に付き合いの長い彼らは、互いに色んな秘密を共有しており、三人のうち、どちらか一方しか知らない情報がいくつもあった。悲しいことに、そのほとんどがクラウドの恥ずかしい過去である。昔からガキ大将気質だったクラウドは、そう言った話に事欠かなかった。
そして、ルークを知る人達に顔を見せ回った結果、どうやら皆、ルークの顔が分からない上に、どんな顔をしていたか思い出せなくなっていた。
それどころか、寸前まで一緒にいたクレアはルークのことだけすっかり忘れてしまっている始末。
この異常事態に、イェルマ国王も黙っていられなかった。なんせ一国の王女を預かっていたのだ。翌日に帰国させる予定だったが彼女を国から出せるわけもなく、秘密裏に国境の辺境伯領へトゥール国王を呼び出すことになる。それまで黙秘を貫いていたクレアの侍女はクレア本人の説得もあってようやく口を割った。
なんでもトゥールには本当に魔女が実在している。雫持ちとは違って同じ血族から生まれ、他国に知られていないのは一族そのものを国が管理しているからだった。
クレアが互いのコップに盛った薬は、本当に魔女が煎じた魔法の薬である。魔女はクレアに「この薬を互いに飲み、好きだと言わなければ命を落とす」と伝えていたが、侍女には「実際には命を落とすことはない」と告げていたらしい。しかし、侍女が知るのはそこまで。
トゥール国王はすぐさま件の魔女を突き止め、魔法薬の詳細を吐かせた。
その魔法薬は、言霊の力を増幅させ願いを叶えさせるものだった。言霊とは、言葉に魂を乗せ、その言葉通りの事象を呼び寄せる力のこと。ただし、叶わなかった場合はその願いを忘れてしまうというものだった。
確かに彼女のルークと結婚するという願いは叶わなかった。だから、彼女の記憶からルークのことが消えてしまった。
それならどうしてルークの顔が皆に認識できなかったのか。
おそらく、ルークの弟ガイアが持つ力も要因の一つだった。
ガイアの力は悪しきものを遠ざけるというもの。どうやらそれは魔法の類いも含まれていたらしい。
彼女はルークが自分のことを好きではないと分かっていながら、自分のことを好きだと言って欲しいと告げたが、こうも言っていた。
『パーティーで女性に囲まれているルーク様を見て思ったのです。他の誰にもあなたを取られたくない……』
クレアの言霊とガイアの力が正面衝突した結果、自分を好きじゃないと分かっていたため、『好きだと言って欲しい』という弱い願いを打ち消され、『ルークを誰にも取られたくない』強い願いが反映されたのだろう。誰も取られないように顔が分からなくなった。
ガイアの力が緩衝材になっていなかったら、おそらくルークは一生女性にモテなくなるか、存在そのものが消えていたのではないか。そう周囲は話していた。
考えるだけでもぞっとする話である。
その後、クレアは半永久的にイェルマ王国に入国できないことが決まった。
そしてルークの顔はトゥールの魔女達が総力を挙げてどうにかしようとしたが、どうにもならなかった。
「どうにもならねぇじゃねぇ! どうにかするんだよ!」
そう怒鳴ったのは、ブラコンのガイアと本人確認するたびに恥ずかしい過去を暴露される王太子のクラウドである。
そうしているうちにルークの父、リリーベル伯爵が心労に倒れ、急遽ルークが後を継ぐことになった。
しかし、あまりにも他者がルークを区別つけられないため、仮面やハリボテの被りものを用意したがそれも無駄だった。どうやら顔の形に近い三つの点が並ぶものは例外なく区別つけられないらしい。
そこで、雫持ち針子が縫った面布をつけたことで、どうにか他人がルークを区別できるようになった。これは正面から見ればただの布だが、ルークからはヴェールのように透けて見える優れもの。この面布にトゥールの魔女がさらに手を加えたことでルークが浮かべた表情が文字となって布に現れるようになった。
これでどうにか平穏に暮らせると関係者達が安堵したのも束の間、社交界ではこんな噂が流れ始めていた。
リリーベル伯爵は、隣国の王女に不貞を働いた罰で顔を奪われた。面布の下を見た者はたとえ親兄弟でも不幸にするという。現に彼の父親は心に病に抱え療養していると。
噂の出所は、なんと王妃が懇意しているイェルマ国内の貴族だ。彼らは風の噂でクレアがもう二度とイェルマ王国に入国できないことを知り、彼女の叔母でもある王妃が落ち込んでいることから、その噂の裏付けになった。事情を詳しく知らない彼らだが、ルークがその件に深く関わり、しばらく姿を見せていなかったことを知っている。
こうして噂は大きく膨れ上がり、『素顔を見た者を不幸にする顔ナシ伯』が誕生したのであった。
◇
ルークの婚約式が中断させられた日の夜に話は戻る。
「ほっんと信じられない! あのバカ女! 駆け落ちして婚約式をすっぽかした挙句、アニキを『顔ナシ伯』って罵るなんて!」
婚約するはずだったルビア侯爵家、そして駆け落ち相手のクロヴィス子爵家を交えての話し合いは夜まで続き、多額の慰謝料を払ってもらうことになった。
駆け落ちした二人は終始、苦汁を飲ませられたような顔でルークとガイアを睨んでいた。
「慰謝料だけじゃ足りないわっ! 伝手という伝手を借りて、二度と貴族社会で生きられないようにしてやる!」
「ガイア……そこまでしなくても……」
「なんでアニキはそんなに怒らないの! アニキが握ってる殿下の弱みを使えば、あんな二人どうとでもできるでしょ!」
「たしかに殿下に頼めばできるだろうけどさ……そんなことしたら、噂は本当だったって言われちゃうよ」
ガイアが言葉を詰まらせたのを見て、ルークはため息をついた。
常に面布で顔を隠しているので、不審がられることが多く、社交界では男女問わず距離を置かれている。
(誠実に接しているはずなのに……顔が分からないだけで、こんなに嫌われるなんて……)
「アニキ……」
ガイアがそっとルークを抱きしめた。
「アニキは何も悪くないよ……だって、アニキは自分勝手な相手の都合に巻き込まれただけなんだから……」
「ありがとう、ガイア」
心の中で「心配ばかりかけさせるダメなお兄ちゃんでごめん」とルークは懺悔するのだった。
◇
相手に婚約式をすっぽかされた日から一か月。あの日のことは社交界に瞬く間に広がった。社交界だけでなく宮廷でも距離を取られ始め、落ち込むルークに宰相の息子、アーロイ・マイルズが肩を叩いた。
「ルーク、そんな辛気臭い顔をするな」
「どーせ私の顔なんて分からないでしょうに……」
「お前の顔が見えなくても、面布に書いてある。『苦』ってな」
アーロイはそういうと、小さな子どもにそうするようにルークの頭を掻き回した。
幼馴染三人の中で年長者の彼は、ルークを弟のように接していた。彼はすでに結婚して子どももおり、ルークと共に宰相の仕事を手伝っていた。
「まあ、なんだ……傷口に塩をねじ込むようで悪いが……相手はどうなったんだ?」
「両家とも勘当したそうですよ……二人は抵抗したそうですが」
駆け落ち婚の多くは最終的に実家に帰っているそうだが、今回ばかりはそうはいかない。家の名誉を傷つけるようなことをしでかしたのだから、なおさらだ。
「まあ、当然な判断だ。ほら、ルーク。お前にやるよ」
そう言って手渡してきたのは、マイルズ家の蝋印が押された封筒だった。
訝し気にそれを見やると、アーロイが苦笑する。
「二人目が生まれたんだ。そのお披露目パーティーを一か月後に行う。ぜひお前にも参加して欲しい」
「……いいんですか? 私のせいでお子さんに不幸を呼び寄せても知りませんよ?」
「おいおい……自虐ネタにしたってそんな顔して言うもんじゃないぞ?」
「私はどんな顔を?」
「『泣』って書いてある」
そうルークは涙目で渾身の自虐ネタを口にしていた。その顔がどうやら面布に現れていたようだ。
「今回のパーティーは雫持ちも参加するからお前の弟も連れてこい」
「雫持ち……ああ、夫人の実家の方も?」
アーロイの妻は雫持ちだ。ただし、ただの雫持ちではない。彼女の実家は、雫持ちが生まれやすい家系なのだ。そして、その力は決まって目に現れる。
『魔眼一族』と呼ばれ、彼女の父親であるラピスティア侯爵には、ルークの顔が分からなくなった一件で世話になっている。
「ああ、めでたい席でお前をとやかく言う者はいないさ。それにオレはお前を弟のように思っている。ぜひ、我が子に会いに来てくれ」
「…………はい、ありがとうございます」
泣きそうになるのをこらえながら、ルークは小さく頷いた。