第27話 決意
池の捜索から一時間ほどで面布は見つかった。幸い傷もなく、顔につけても機能に問題はない。
運営者がほっと胸を撫で下ろし、ルークは捜索している間にダリルと連絡を取り、お詫びとして用意していた金を渡した。
シンディとフレッドは、この捜索の間にこの街から出ることを決めたらしい。行先は尋ねなかったが、おそらくもう会うことはないだろう。森林公園から離れていく彼女達をルークは静かに見送ったのだった。
帰りの馬車の中で、同乗するトトが小さく息をついたのが分かった。
「ルーク様の面布が見つかってよかったです」
安堵した様子のトトに、ルークは申し訳なくなって頭を下げた。
「本当にお騒がせいたしました」
ルークはそう言うと、被っていたビビットピンクの布をはぎ取った。
ルークが布を取るとは思わなかったのか、トトは少し驚いた様子だ。しかし、きちんと顔を見て気持ちを伝えた方がいいだろうとルークは思った。
「それと、トト嬢。私の為に怒ってくださりありがとうございます。ただ、その……それを無下にした言葉を言ってしまいましたね」
トトは自分の為にシンディへ謝罪を要求したのに対して、ルークはすでに終わったことと言ってしまった。それは彼女への気持ちを否定したようなものだ。
謝るルークにトトは小さく首を振る。
「いえ。でも、私……本当に許せなかったんです」
「はい……そう思ってくださったのはとても嬉しかったです」
彼女が自分のために怒ってくれたことは素直に嬉しかった。しかし、自分が抱えている事情を考えると、どうしてもシンディが悪いと強く言えない。そんなルークの感情が透けて見えたのか、彼女は水色の瞳を悲し気に光らせた。
彼女の気持ちを考えていなかったわけではなかったが、やはり傷つけてしまっただろうか。
胸に膨れ上がる不安を悟られないよう、ルークは気を引き締める。
トトは何か考えるように小さく俯いた後、再び顔を上げた。
「ルーク様。ずっとお聞きしたかったことがあります」
「はい、なんでしょう」
「そ、その……ルーク様が、シンディ様達にあまり強く出られないのは……シンディ様をお慕いしていたからでしょうか?」
「………………は?」
一瞬、時が止まったような感覚に陥る。
トトが口にした疑問は、ルークの予想を遥かに上回るものであり、最も忌避していた誤解だった。
「ど、どうして、そう思ったんですか?」
冷静を装っているつもりが、自分が思っている以上に動揺しているのが声から分かる。
誠実でありたいと思って布を脱いだが、今は顔を突き合わせている状態に後悔してしまう。自分はどんな表情をしているだろうか。面布で常に隠していたルークには、分からない。
ビビットピンクの布を握りしめ、全力で布を被りたい衝動を抑えた。
トトは言いづらそうに答える。
「結局、婚約がなくなったとはいえ、ルーク様が結婚すると決めた相手ですので……少しでもお慕いする気持ちがあったのかと思いまして」
(そういうことかっ!)
彼女が誤解するのも無理はない。
婚約予定の相手の裏切りを示談で済まそうとし、ルビア侯爵家とクロヴィス子爵家の罰を軽くしてもらえるよう願い出たのはルークだ。
少しでもシンディに気があったのではないかと邪推するのも頷ける。
(そろそろ彼女に顔のことを伏せておくのは、難しいかな? それに誤解を解くには多少なりと説明しておく必要もありそう)
ルークの身に起きた事情は、ごく一部の人間しか知られていない。たとえ、ラピスティア家の人間でも、あくまで彼女の魔眼は魔女対策になるかもしれないという推定でしかない。
そのため、トトの魔眼の真価が分かるまで周囲は敢えて伏せていたのだ。
(しかし、何から話すべきか……)
出そうになったため息をこらえ、ルークは口を開いた。
「そうですね。彼女を慕う気持ちに恋や愛があったかと訊ねられると、はっきりと違うと答えられます」
ルークの答えが意外だったのか、トトはぽかんとした表情を浮かべた。
「そう……なのですか?」
「はい。この顔になって私の結婚が遠のくことを憂いた殿下とアーロイ様がお見合いを勧めてくれたのですが、釣り書きを送って断られてばかりだったんです」
できれば、同等の伯爵位、もしくは野心のない子爵位を、とクラウドとアーロイが意気込んでいたが、思った以上に事は運ばなかった。
「そんな私を不憫に思ったクラウド殿下の婚約者の父君、ベルクシュタット公爵が見繕ってくださったお見合い相手が、シンディ嬢だったんです」
そんな大層な相手が整えた縁談を無下にできるはずもなく、ルークはシンディとお見合いすることになった。
しかし、それはシンディも同じことが言えた。
「実は、少し後悔しているんです。あの頃の私は浅慮で不誠実だったなって」
「ルーク様がですか?」
「はい。私は時間をかけて交流して、彼女の意志を確認し、了承を得れば婚約しようと思ったんです」
結婚してから関係を築く恋や愛もあるだろう。あの時のルークは少しずつ仲良くなれればいいと思った。
「ただ、彼女は父親に私と結婚するよう言われていたようでして。彼女が上流階級の令嬢で、感情を隠すことにも長けていて、王家の意向もあって断ることができない立場だと、あの頃の私は考えが及ばなかったんです」
あれは、ルークがお断りしなければならなかった。
痴情のもつれと言われればそれまでだが、ルークはトゥール王国に瑕疵を付けられた側である。王家に近しい家が配慮するのも当たり前だ。
侯爵家といえど、背後に王家がちらつく公爵家に逆らえるはずもない。身分が一つ下の伯爵家が相手だろうと、丁重に扱う必要があった。
しかし、下っ端気質が抜けないルークは、自分から断るという考えが頭からすっこ抜けていたのである。相手が了承してくれるならいいかという甘い考えが、あの悲劇を生んだのだ。
「それでも、シンディ様の方が不誠実ではありませんか! 婚約は契約ですし」
「いえ、彼女の気持ちを察せなかった私の落ち度でもあります。私の顔は女性が特に嫌悪を抱くようになっていて、シンディ嬢が駆け落ちするほど私を厭うのも無理はなかったんです」
それを聞いたトトは大きく目を見開いた。
「どういうことですか?」
「私も最近自覚するようになったのですが、この顔は女性に対して強い不信感を煽いでしまうようです。特に、雫を持たない女性が」
彼女は何かに気付いたようにはっとした表情を浮かべる。おそらく自分の母親の状態を思い出したのだろう。
「もしかして、母も?」
「可能性があります」
「もっと詳しいお話を伺えますか?」
身を乗り出すようにしてまっすぐと水色の瞳を向けられ、ルークは一瞬言い淀んでしまう。
「残念ながら、ここからは守秘義務の範囲になります」
「私はもう無関係とはいえない所に来ていると思います。ルーク様の為に私の魔眼が必要となれば、詳しいお話を聞けば役に立つかもしれません」
退く気のないトトの姿勢に、ルークは思案する。
「ルーク様」
トトに目を向けると、彼女の目は変わらずルークを見つめている。
「手帳をルーク様に渡された時、自分の魔眼が発動したんだと分かりました」
確かに彼女に手帳を渡した時、水色の瞳が燐光を放っていた。そして、その目でルークを見つめていたことも覚えている。
「何が見えたんですか?」
「ヴェールです」
彼女は膝の上に乗せた手帳を撫でた。
「ルーク様を覆う真っ白なヴェールと真っ赤なレースのリボンが見えました。ただ、それが何を意味するのか分かりません。それを知るためにも私の魔眼に何を期待されているのか、兄達が何を黙っているのか、教えてください」
ルークをまっすぐ見つめる彼女の瞳からその覚悟がはっきりと伝わってくる。彼女にそこまでの意志があるのであれば、ルークも話す決意ができた。
「分かりました。しかし、私の一存では決められません。お時間をください。必ず返事を持ってきます」




