第23話 お迎え
トトとの外出の日程が決まり、ついにその日がやって来た。
ルークはラピスティア家へ向かう馬車の中で小さなため息をついた。
(侯爵夫人は大丈夫かな? トト嬢の手紙には平気ですって書いてあったけど、ちょっと不安だな)
とはいえ、トトと何度も交流をしているのだ。いずれはちゃんと会って挨拶をしなければならない。
今日、会えるかどうかは分からないが、失礼のないようにしなければ。
ラピスティア家に到着し、まず出迎えてくれたのは、グレンだった。
「やあ、よく来てくれたルーク殿! この間は突然、訪問してすまなかった!」
「いえ、気にしないでください。あの後、トト嬢のご様子は?」
手紙から彼女が元気なのは伝わってくるが、さすがに家庭内のことまでは分からない。
以前、屋敷に来た時に彼女の口から母親のことを聞かされたとはいえ、あまり楽観視はできないだろう。
グレンを見れば、小さく失笑してルークの肩を叩いた。
「あっはっはっ! ルーク殿、これが傑作なんだ! 聞いてくれ!」
「へ? 傑作?」
「そうそう。今まで母親におよび腰だったトトが、逆に追いかけ回していてな!」
グレンが言うには、母親をお茶に誘うようになり、ルークの良さを語っているらしい。当初、グレンとシルベスターがトトに助力するため、同席していたらしいが、その必要もないくらい怒涛の勢いで話し続けているようだ。
トトが『ルーク様が』と言い始めたら最後、一時間以上は喋りっぱなしらしい。侯爵夫人は途中離席しようとするも、トトが逃がさないように先手を打つようになったとか。
「その成果か、母の中でルーク殿の印象が少しずつ変わってきているみたいで、最近は手紙のやり取りに口を出さなくなった」
「むしろ追い詰めてませんか、それ⁉」
苦手な相手の話を延々とされて、侯爵夫人の気が滅入っていないか少し心配になる。しかし、グレンは笑いながら首を横に振る。
「できれば、いい意味でとらえて欲しいぞ。前ほどではないとはいえ、母も少し落ち着いたしな。あ、来た」
グレンがそう言って、奥の階段へ目をやると、ラピスティア侯爵が夫人を連れ添ってこちらに向かってきていた。
深紅の髪をしたラピスティア侯爵とは違い、ミルクティーのような柔らかな髪色をした夫人は、少しだけ顔色が悪い。
「やぁ、リリーベル伯!」
やけに明るい声で迎えてくれたラピスティア侯爵に、ルークは少しほっとした気分になる。
「久方ぶりです。ラピスティア侯爵。それから、夫人も」
ルークがそう声をかけると、夫人はぴくりと肩を震わせた。
「お久しぶりです。先日は我が家のことで子ども達がご迷惑をおかけいたしました」
「いやぁ~、本当にね! でも、他に頼れるところがなくてね」
「どうぞ、お気になさらないでください。弟が宮廷から帰ってこない日が多かったので、むしろ来てくれたおかげで嬉しかったくらいです」
「そう言ってくれると助かるよ~……ん?」
ラピスティア侯爵が小さく首を傾げて、顎を撫でた。
「リリーベル伯、前より眩しくなった?」
ラピスティア侯爵は以前会った時と同様に、遮光板がついた眼鏡を付けている。それなのに手で日陰を作っているのを見ると、本当に眩しいようだ。
「自分ではなんとも言えませんね。特に変わったことはないですし」
「そう?」
首を傾げたまま低く唸り、ラピスティア侯爵は「まあ、いっか」と笑った。
「最近、トトがやけに元気でね。今日を楽しみにしていたんだ。娘をよろしく頼むよ」
「はい。えーっと、ラピスティア侯爵夫人」
ルークはそう頷き、今度は夫人に声をかけると、彼女が少しだけ表情を硬くした。
「なんでしょうか」
「ご息女との交流の件で、ご挨拶が遅れてしまったことをお詫び申し上げます。ラピスティア侯爵、ご子息のグレン様、シルベスター様とある程度の面識があったものの、夫人とは信用に足るほど関係ではなかったことを失念しておりました」
ルークの言葉に夫人が少しだけ目を見開いた。
「ご息女とは、これからも仲良くさせていただきたいと思っています。お許しをいただけないでしょうか?」
ルークとの交流賛成派の彼女の夫や息子がいるこの場で、許可をもらうのは卑怯なやり方かもしれないが、これを逃したら夫人と話す機会はぐっと減るだろう。
内心で冷汗を垂らしながら夫人の返答と待っていると、彼女は戸惑うように口を開いた。
「そうですね……外出の際には必ずどこに行くか報告すること。門限を守ること。節度あるお付き合いをすること。そちらを守ってくだされば、かまいません」
「ありがとうございます」
その言葉にほっと胸を撫で下ろすと、夫人はさらに言葉を続けた。
「最近、娘が目に見えて明るくなりました。感謝しています」
「恐縮です」
「ルーク様、お待たせしました!」
奥からトトが小走りでやってきて、それを夫人が「はしたないわよ」と窘める。
今日の彼女は、いつもよりも地味なワンピースを着ている。かくいうルークも貴族というよりちょっとした裕福層の平民の出で立ちだ。今日は森林公園で開催される市に行くため、二人とも平民に近い服装をしている。
「ちょっと準備に手間取ってしまって。今日はとても楽しみにしていたので!」
「私もです」
ルークがそう答えると、トトは頬を朱に染めて笑った。
「それではお母様、お父様、グレン兄様。行ってまいります」
「一日、お嬢さんをお預かりします」
ルークが頭を下げると、三人が小さく手を振った。
「ああ、いってらっしゃい」
「門限までに帰してくださいね」
「ルーク殿なら心配いらないよ、お母様。まあ、気を付けてな」
見送られながら、ルークはトトをエスコートし、馬車に乗り込む。
「ルーク様……母に何か言われませんでしたか?」
馬車を発車させると、トトが心配した様子で訊ね、ルークは首を横に振った。
「いえ。心配するようなことは何も。ただ、トト嬢とこれからも仲良くさせて欲しいと私からお願いしました」
「は、母はなんと……?」
トトの声が強張ったのを感じ取り、ルークは安心させるように優しく言った。
「外出の際には、必ずどこに行くのか報告すること。門限を守ること。節度あるお付き合いをしていただけたらかまわないと」
「ほ、本当ですか! あのお母様が!」
信じられないと言わんばかりに喜びを露わにし、トトはぎゅっと拳を握った。
「毎日、お母様に言い聞かせた甲斐がありました!」
(何を⁉)
おそらくルークに関することだと分かるが、夫人の表情とグレンの話を思い出して苦笑した。
「それにしても、今日の外出を夫人にお話済みだったんですね」
「もちろん、家族でご迷惑をおかけしましたから。お父様もルーク様にお会いしたがっていましたし。実は今日の外出は少しお母様に反対されたんですけど。あ、ルーク様に反対したじゃありませんよ! 場所です!」
「ああ、結構大きな市ですからね」
今日の外出先は森林公園で開催される大規模市だ。王都の小さな店だけでなく、地方の行商人なども多くの人が集まる。中には国境を越えて出店する商人もいるので、人の出入りが多い。貴族の子女がこぞって行くような場所でもないので、彼女の母親は心配しているのだろう。
「スリや痴漢も多いだろうってお母様は言ったのですが、お父様とグレン兄様が一蹴してくれたんです。『アレらの相手をしている彼なら大丈夫だ』って……でも、アレらって?」
まぎれもなく、アーロイとクラウドである。
しかし、口が曲がってもそんなことは言えないのでルークは軽く咳払いする。
「えーっと、そうですね。多分、体術の師範達かと。殿下と一緒に体術を習っていたので。本職の護衛には負けますが、トト嬢をお守りするくらいの心得はあります。安心してください」
「まあ、頼もしいです。でも、ルーク様と市に行けて嬉しいです。私、この市に行くのがとても憧れていたんです」
「憧れ、ですか?」
「はい。子どもだけでは行けませんし、シャルロット姉様やグレン兄様は連れて行ってくれませんでした」
異文化が多く交わる場所だ。飲食物も販売しており、中には酒を飲む客も少なくはない。ルークもあの市で喧嘩騒ぎになったという話を何度も聞いたことがあった。さすがに小さな子どもを連れていくわけにはいかないだろう。
「ルーク様は行ったことはありますか?」
「ええ、たしか……アーロイ様が結婚するちょっと前と……八歳くらいの時の二回ですかね?」
「え? そんな小さい頃にも? もしかしてご両親と?」
「そんなまさか。もちろん、お忍びですよ。殿下とアーロイ様とガイアも一緒に」
懐かしい。クラウドが市の存在を知って、四人で遊びに行ったのだ。変わった雑貨や大道芸もあって面白かったのをよく覚えている。二回目の時もお忍びで行った。
「あの時はそんなに長い時間いられなかったので、今回はゆっくり見られそうです。楽しみましょうね」
「はい!」




