第22話 ちょっとした進歩
トトが遊びに来る当日。
昨日の今日ということもあり、少しばかり落ち着いた様子でルークは彼女の到着を待っていた。
「ルーク坊ちゃん、ラピスティア侯爵家の馬車がお見えになりましたよ」
「わかった。今行く」
ルークが玄関に到着した時、ちょうどトトが馬車から降りるところだった。彼女の肩に掛けられたショルダー付きの手帳には、昨日渡したルーク似の人形が揺れていた。まさか手帳カバーにつけるとは思ってなかったルークは少しだけ驚いた。
「あ、ルーク様!」
トトがルークの姿を見つけると、彼女は分かりやすく顔を綻ばせる。
「トト嬢。ごきげんよう。本日は我が家に来てくださりありがとうございます」
「こちらこそ、お誘いくださりありがとうございます」
彼女を応接室まで案内し、ソファを薦める。
ダリルがお茶を淹れている間にルークは気になっていたことを口にした。
「昨日は帰宅後、侯爵夫人の様子はどうでしたか?」
彼女の表情を見る限りでは、関係が悪化していないように見える。それとも隠しているだけだろうか。
トトはルークの問いに、にこやかに答えた。
「どうやらお母様、お父様に叱られたようでして。おまけにそのままリリーベル伯爵家に押しかけて結婚するのではないかと、気が気でなかったようです」
「駆け落ち婚より現実味がありますね」
「確かに」
ルークの軽口にトトはくすりと笑う。
「それで手紙の件は謝ってくれました。でも、やはりルーク様との交流に思うところがあるようで不満を漏らしていたのですが……」
トトがぎゅっと拳を握ったのが見えた。
「ルーク様がいかに素晴らしい殿方か、こんこんと語り聞かせましたの」
彼女が浮かべた笑みには凄みがあり、ルークは意外な一面を見たような気がした。
「でも、お母様ったらまだ一時間も経ってないのに席を立たれてしまって。次は逃げられないように刺繍を誘って話しようかと思います」
「か、語り合うのは大事だと思います……はい」
変な方向へ関係がこじれないよう心の中でそっと祈り、ルークは話題を変えようと三本のリボンを取り出した。
「そうそう。この間、教えてもらったリボンの刺繍なんですけど。トト嬢に出来栄えを見ていただきたくて」
「わあ、どれも素敵です! ルーク様は初めてなのにお上手です。練習頑張ったんですね!」
トトはリボンを手に取りながら、さらに言った。
「ステッチをそれぞれ変えているんですね。ルーク様はどれをガイア様にお渡しする予定なのですが?」
「実は、まだ決めかねていて。それに刺繍だけじゃ地味かなと思って何か付け足したいと思うんですが、ビーズやレースでは可愛すぎるかなと。できれば宮廷でも使って欲しくて」
「そうですね……リボンの端に光り物をつけるとかどうでしょう? こう、ビーズみたいな飾りではなく、ピアスやイヤリングのような揺れるタイプを」
ガイアの頭でゆらゆら揺れるリボンの様子が簡単に想像つき、ルークは頷いた。
「それならガイアに似合いそうですね。金具は金色にして……石の色はガイアの好きな色で……」
「ガイア様はどんな色がお好みなんですか?」
「青が好きなんですよ。特に透明度が高いもので……サファイアとか。すぐ手に入ると嬉しいけど」
「最近、色ガラスなんかも素敵な色が増えてきたのでオススメですよ。安物に感じるかもしれませんが、本物の宝石っぽいものもありますし」
「じゃあ、それも検討しておこうかな。そういえば、トト嬢はお姉様に髪飾りをお渡ししたんですよね?」
「はい。とても喜んでくれました。次はルーク様の面布で着想を得た柄に挑戦しようと思ってます。出来上がったらルーク様にもお見せしますね」
「はい。楽しみにしてます」
「ルーク坊ちゃん。お茶の準備ができました」
ルーク達の前に紅茶とお茶菓子が運ばれ、トトが嬉しそうにクッキーを口に運んだ。
「この間もいただきましたが、このクッキー……サクサクで美味しいです」
「良かったです。あとで料理人に伝えておきますね」
伯爵位よりも身分が高い人が集まってくるおかげで、リリーベル伯爵家の料理人は腕がいい。気に入ってくれたようなのでお土産に包んでもいいかもしれない。ダリルにこっそり伝えておこう。
そんなことをルークが考えていると、トトが「そういえば」と言って、手帳カバーをルークに見せた。ショルダーの金具にはルーク似のブードゥー人形が揺れている。
「昨日いただいた人形が可愛くて、手帳に付けることにしました」
「さっそく付けてくださったんですね」
「はい!」
まさか彼女の大事なものと一緒に付けてもらえるとは思っていなかったルークは、弟が作ったものだと分かっていても、どこか照れてしまう。
「もう一つの人形はお部屋に飾ったんですか?」
「元々飾りっけのないものでして、内ポケットにしまっています」
ガイアが作ったお守りだ。できるだけ近くに置いた方がいいだろうと思い、内ポケットに忍ばせることにしたのだ。
実際に人形を取り出すと、人形を見つめる彼女の目が少しだけ優しく笑ったように見えた。
「本当はトト嬢のように、身に付けられるものがあればよかったんですけど」
「それは仕方がありませんよ。どうしてもつける場所が限られてしまいますから」
トトはくすくす笑いながら、手帳を開く。
「でも、私はこの子を色んな所に連れて行きたくて、取り外しが簡単かつ、見栄えのするカバーのようなものを作ってあげたいんです!」
(そ、そこまで気に入ったんだ⁉)
彼女に見せられた手帳には、クマの着ぐるみやベッドのカバーに入った人形の絵が描かれており、自分が着せ替えられるような錯覚を覚えルークは、頬を掻いた。
「でも、私が作るとどうしても『なんか違う』って気持ちが拭えなくて……」
「なるほど……人形の着せ替えとかは弟の領分なので、今度帰って来た時にガイアもお茶に誘いましょうか? 弟に相談すれば、いいアイディアが浮かぶかもしれませんよ?」
「そううですね! いつかガイア様ともゆっくりお話がしたいと思っていたので、ぜひお願いします」
嬉しそうに笑いながら言った後、トトはじっとルークの顔を見つめる。
そのように見つめられるのは、前にお茶会の時以来の気がする。
「どうかしましたか?」
ルークが小首を傾げると、トトははっとして首を横に振った。
「いえ、なんでもないんです!」
「そうですか? もしかして、次のレースの構想用にまた面布が見たいのでしたら、ダリルに用意させますが?」
そう言うと、彼女は目を泳がせてまごつく。
隠し事というわけではなさそうだが、何か気まずい話だろうかと彼女の言葉を待っていると、トトは少し恥ずかしそうに口を開く。
「え……あ~、そうではないんです。実は昨日、兄と弟が私の目に異変があったのに気付きまして」
「もしかして、目が光ることですか?」
「ルーク様、ご存知だったんですか⁉」
目を大きく見開く彼女に、ルークは小さく苦笑する。
「黙っていたわけではないのですが、前にお出かけに誘った日にうっすらと光っていたように見えまして。気のせいかなと思っていたのですが、一昨日も同じようにトト嬢の目が光ったのをグレン様も見たと言っていました」
「そうだったんですね……あの、前にお出かけした日はいつ光っていたんですか?」
一昨日は涙で前がよく見えていなかったと聞いている。ルークは前にお出かけした日のことを思い出した。
「たしか……帰り際ですかね? 馬車に乗る前です。あの時、何か見えてましたか?」
トトは「帰り……」と小さく呟いたかと思うと、ゆっくりと考え込み始めた。その真剣な眼差しはゆっくりとルークの顔に向けられる。
「糸が……」
「糸?」
「はい。ルーク様の面布に糸がついていたんです。すごく綺麗な真っ赤な糸。静電気が起きた後は、消えてしまいましたけど」
彼女はルークの面布をじっと見つめた後、小さく笑った。
「おかしいですよね? あの日、私達は赤い糸なんて使ってなかったのに。それに見えた糸が魔眼に関係するものだったとしても、何の糸なのかさっぱりですし。本当にうっすら光るだけの魔眼かもしれません」
どこか自虐めいた常葉にルークは小さく首を横に振る。
「トト嬢。少し分かっただけでも大きな進歩じゃないですか。見えた糸が何かは分かりませんが、ご兄弟達のようにコツを掴めば、また見えるようになるかもしれません」
「コツ……」
トトが少し考え込むように俯くと、再びルークを凝視した。
「実は、シルベスターに魔眼は使うのに条件があるから、見方を変えてみればと言われたんです。なので色んな角度からルーク様をみてみたらどうかと」
(そういえば、シルベスター様は相手の目を見ないと過去視ができないんでしたっけ?)
見方を変え、色々な角度から見ると言っても、見られる側としては面布があっても少し恥ずかしい。
「でも、あまりジロジロ見るのははしたないと思って……」
「じゃあ、またお出かけに行きますか?」
またデートに誘おうと考えていたルークが提案すると、トトはきょとんとした顔をする。
「さすがにじっと見つめられるのは、私も恥ずかしいですが、お出かけだったら、自然と色んな角度から見られますし。観劇とかピクニックとか買い物でもいいですし」
「で、でも……ルーク様は大丈夫ですか? 人が多いところは苦手では?」
「まあ、これを付けている以上嫌でも注目されることには変わりないので、仕方ないですよ」
面布をひらひらさせながら笑えば、彼女はおずおずと口を開いた。
「じゃ、じゃあ! 今度のお出かけのプランは私が考えてもいいでしょうか⁉」
「え、いいんですか?」
「はい! 昨日のお詫びもかねて!」
食い気味に言った彼女に気圧されたルークは少し身をのけぞらせて頷く。
「で、では……よろしくお願いします」
「はい! 楽しみにしてくださいね」
ぱっと目を輝かせてトトが笑い、日程は後日に決めることになった。
トトとのお茶会が終わり、彼女を見送った後、ルークは自室のソファにもたれかかった。
「私も、ちょっと前向きに考えないとな……」
面布を持ち上げ、視界が少しだけ明るくなる。
以前、ラピスティア家でお茶会をした時、面布を外した状態でお茶をしたことがあった。あの時は不安が大きいのもあったが、今では恥ずかしさがあっても不安はない。それだけ彼女に対して親しみを覚えているのだろう。
しかし、さすがに外したまま外出はできないため、また二人でお茶をする機会に考えてみようとルークは思うのだった。




