第21話 帰宅
たった一泊のお上品な家出(付き添い付き)が終了した。
ラピスティア兄弟を見送るため、玄関にやって来たルークは、すでに玄関の外で待機していたグレンを見つける。
「う~ん、お母様も結構反省しているみたいだな」
千里眼で母親の姿が見えるのか、グレンが屋敷の方角を眺めながらそう口にする。
敵情視察のつもりか、はたまた意地が悪いだけなのか、忍び笑いをするグレンの姿に、ルークは内心で肩をすくめた。
「早いですね、グレン様」
「ああ、ルーク殿か。今回は本当に世話になった」
「いえ、お気になさらず。でも、本当にいいんですか? 喧嘩の原因は私ですし、一緒にラピスティア家へ行った方がいいのでは……?」
「その必要はない。今回の家出は当てつけだしな。次の機会があれば、よろしく頼む」
「できれば、その『次の機会』は来ないで欲しいですけどね……」
家出なんてとても心臓に悪いので、やめて欲しいというのが、ルークの本音である。
「ルーク様、グレン兄様、お待たせしました」
帰宅する準備を終えたシルベスターとトトがダリルと共にやってきた。
トトの表情は昨日よりもよく、少しすっきりとした顔をしている。
二人がダリルに挨拶をし、ダリルは柔和な笑みを浮かべて「またいらしてください」と二人に頭を下げていた。
「ルーク様、お世話になりました」
「いえいえ、また遊びにきてください」
ルークがシルベスターに言うと、彼はいたずらを考えた幼子のような笑みを浮かべ、トトの方を向く。
「トト姉様、荷物先に馬車へ運んでおきますから、ルーク様とごゆっくり!」
「え、ちょっと!」
奪うようにトトの旅行鞄を持ち、シルベスターは笑顔で馬車の方へ向かって行った。
トトが呆気に取られた様子でシルベスターの背中を見つめた後、ふとルークと視線がかち合い、彼女は水色の瞳を気まずげに伏せた。
もしかしたら、突然屋敷に押しかけたことを気にしているのかもしれない。
「トト嬢」
「は、はい!」
「昨日より表情が明るくなったようで安心しました」
ルークがそう言うと、彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめる。
「そ、その……ルーク様、今回は大変ご迷惑をおかけいたしました……」
「いえいえ、お気になさらず。でも……心臓に悪いので、家出はほどほどにお願いしますね?」
ルークは軽口交じりに笑えば、トトはホッとしたような表情を浮かべた。
その表情にルークも安堵を覚え、ポケットに忍ばせていたあるものを取り出す。
「本当は明日、お渡しするつもりだったのですが」
「これは……」
「弟が作ったブードゥー人形です。ぜひ、トト嬢にも渡して欲しいと」
トトとルークによく似たブードゥー人形を見て、水色の瞳を輝かせた。
「かわいい……ガイア様は本当に手先が器用なのですね」
「はい。私も見習いたいくらいです。お守りでストラップにもなりますので、つけていただけると嬉しいです。トト嬢にはこちらを」
ルークはトトによく似た人形を渡そうとすると、彼女はもう片方、ルーク似の人形を指さした。
「あの、私……そちらを頂いてもよろしいですか?」
「え、別に構いませんが……いいんですか?」
ルークは恐る恐る訊ねると、彼女は大きく頷いた。
「はい」
「じゃあ、こちらを」
手の平に乗せられた人形を見つめるトトの目は、とても優しい。眦を下げて口元を緩ませた彼女に、ルークは少しだけ落ち着かなくなる。
「人形をありがとうございます。大事にしますとガイア様にお伝えください」
「はい。きっとガイアも喜ぶと思います」
「えーっと、その……明日のこと……なんですが」
明日はルークの屋敷で会う約束をしていたが、昨日の今日だ。家出先にした手前、連続での訪問は少し抵抗があるのかもしれない。しかし、ルークは相談したいこともあったし、彼女の訪問を楽しみにしていた。
「明日もぜひ遊びに来てください。楽しみにお待ちしています」
「…………はい。私もルーク様に会えるのを楽しみにしています」
彼女は人形を優しく握り占めると、何かを決心したかのように、その手を胸に抱いた。
「あ、あの。ルーク様」
「はい?」
「わ、私……ルーク様ともっと仲良くなりたいと思っています」
「…………はい?」
一瞬、トトが何を言っているのか分からず、少しだけ反応が遅れた。そんなルークの戸惑いに気付かず、トトは言葉を続ける。
「私、お母様の小言に対して……特にルーク様の話題を上げられた時は、どんなに説得してもお母様が私の話を聞いてくれず、最後には適当に話を切り上げて逃げてばかりでした。ルーク様がどんなにいい人か、私がお母様に説明できれば、こんなことにはならなかったはず」
「…………ト、トト嬢?」
彼女は燃えるような気迫を背後に背負い、その目には強い力が宿っている。彼女の何かしらの硬い意志を感じ、ルークは後ずさりしそうになった。
「なのでルーク様。今度我が家にご招待します。お外にも遊びに誘います。ルーク様も遠慮なく誘ってくださいね!」
いつになく積極的な姿勢に気圧され、ルークは素早く頷く。
「それではルーク様。また明日」
「はい。また明日」
トトが馬車に乗り込むと、馬車が発車する。窓から手を振る三人に、ルークは手を振り返した。
馬車が見えなくなったのを見計らって、ルークはダリルに言った。
「顔のこと、早めに陛下の許可をもらって、侯爵夫人に挨拶行ってくるべきかな?」
「ルーク坊ちゃん、そこまで罪悪感を抱く必要はございませんが、ラピスティア侯爵家の方々に婚約の申し出と間違えられないよう、十分に気を付けてしてください」
「あ、うん。火に油を注いじゃうもんね」
ただでさえルークの心象が悪いので、夫人が卒倒するかもしれない。挨拶の際にはグレン達に話を通してもえるよう、トトに相談しよう。
「ダリル。急な客人の対応ありがとう」
「いえいえ、勿体ないお言葉です。殿下の時に比べれば、些事でございます」
トトが急に来ると分かった時は大慌てだったダリルも、ほっとした表情を浮かべている。
事前連絡のおかげで来客の心構えがあったのと、王族が宿泊した経験が功を成したと言っていい。
「あとで皆にも労いの言葉をかけておいて」
「ルーク坊ちゃん。本来は屋敷の主人が労いの言葉をかけるべきですよ」
「この顔の私より、執事のダリルの方がありがたみあるよ。それからまた明日、彼女が訪問する予定は変わらないから、そのつもりでいるようにとも伝えてね」
「……かしこまりました」
どこか諦めた様子でダリルは頷き、恭しく頭を下げた。
「私は自室に戻る。何かあったらまた教えて」
ルークはそう言うと、自室へ真っすぐ足を運び、入室と同時に安堵を漏らした。
(彼女の泣き顔を見た時は驚いたけど、落ち着いたようで良かった……侯爵夫人と仲直りができるといいけど)
内ポケットに入れていたブードゥー人形を取り出す。
ルークはトト似の人形を手の平で転がしながら、彼女に言われた言葉を思い出していた。
『わ、私……ルーク様ともっと仲良くなりたいと思っています』
あの時は面食らったが、彼女の方から歩み寄ってくれたことに男として情けないと思いながらも、少しこそばゆい感情が生まれていた。
(彼女の魔眼のこともあるけど、それとは別にもっと仲良くなりたいな)
彼女に似た人形はどこか嬉しそうな表情をしているように見え、気づけばルークも口元が綻んでいた。
「またお出かけの計画でも練ってみようかな」
ルークは人形を内ポケットにしまい込み、机に向かうのだった。




