第20話 晩酌
その日の夜。ルークはグレンを晩酌に誘い、談話室でくつろいでいた。
テーブルにはチーズやクラッカー、ナッツの他に少し手の込んだなつまみが並べられ、ルークはグラスにワインを注いだ。
「あまりいいものではないんですけど」
「いや、むしろ突然来たのに申し訳ない……ルーク殿は飲まないのか?」
ルークのグラスの横には炭酸水とシロップが置かれており、それを割ったものが注がれている。
「実は、お酒で失敗したことがあって、アーロイ様と殿下に『お前は一生酒を飲むな』と言われてしまったんです…」
この国の飲酒は十六歳から。ルークは十六歳の誕生日に、二人に祝われながらワインを飲んだことがある。しかし、飲んだ後の記憶がなく、目が覚めた時にアーロイとクラウドにそう言われたのだ。
酒乱というほど大暴れはしなかったらしいが、二人に迷惑をかけたらしい。
それを聞いたグレンは面白そうに口端を吊り上げた。
「ほう、あのルーク殿が? 一杯飲まないか?」
「もう、やめてくださいよ~」
ルークは笑いながらシロップの炭酸割を口にした。
エルダーフラワーのシロップは口当たりもよく、ルークは気に入っている。誰かの晩酌に付き合う時のお供だ。ただ、おつまみに合うかどうかは微妙なところである。
「ところで、侯爵夫人の件。申し訳ございませんでした。私が言霊の影響もありますし、ちゃんと侯爵夫人に許可を取るべきでした」
互いにグラスを口にしたところでルークがそう口にすると、彼は首を横に振った。
「なに、それは我が家も同罪だ。その顔の原因が話せない以上、どう説明しても無駄だ。ただ、母も少しは肝が冷えたんじゃないか? トトはあまり怒らない子だったからな。駆け落ち婚なんていう謎のブームもあるし」
「あははは……それは笑えませんね」
トトが駆け落ち相手に自分を選ぶなんて夢のまた夢だろう。そもそもルークは駆け落ちなんてよほどのことがないかぎり選ばない。なぜなら、自分の存在は家族だけでなくクラウド達にも影響することを、この顔になってから痛いほど理解しているからだ。
「いずれは、ちゃんとご挨拶に行かせていただきます」
「その時は婚約の話も聞けると嬉しいな」
「またまた。もう酔ってるんですか?」
「グラス一杯くらいどうってことない…………ところで」
グレンが持っていたグラスを置く。
「トトの目。見たか?」
「はい。光ってましたね」
あの時にグレンも見ていたらしい。彼女の目のことはルークからも訊ねたい事だった。
「一週間前に出掛けた時にも一瞬ですが、同じように光っていました。魔眼、でしょうか?」
「ランプ代わりになるほど目が輝く魔眼は過去にいたらしいが、あれはその類いじゃないだろう」
「前にトト嬢からグレン様達は魔眼の使いどころが選べると聞きましたが、魔眼を使う時に光るとかはないんですか?」
自分の顎を撫でながらグレンは低く唸るが、彼は小さく首を振った。
「今のところ、そんな副作用はないな。一応、トトに何か見えたかと聞いてみたが、涙で視界がぼやけていて何も見えなかったらしい」
確かにあの状況では何も見えないだろう。あの時、トトを慰めないという考えでいっぱいだったため、他に考えが回らなかった。
「そうだったんですね……また見かける機会があれば、私も訊ねてみます」
「ルーク殿の方で他に気付いたことはないか?」
「んー……特には。アーロイ様から聞きましたが、奥様が前よりトト嬢が明るくなったと」
彼女と顔を合わせたのは片手で数えられるほど。
手紙でやり取りをしているとはいえ、以前の様子を知らないルークは家族の方がトトの変化をよく分かっているだろう。
「ああ、そうだな。わりとのドライというか、他人との関わりに興味が薄いところがあるからな」
「え……トト嬢がですか?」
意外だ。ルークに対して丁寧に接してくれるし、最初のうちは面布の下を気にしていたし、ルークが手紙の返信が遅れた時は彼女から屋敷に出向いてくれたこともあった。
しかし、彼女の家の肩書と出会う前のことを思い出したルークは「あ……」と声をもらした。
グレンは苦笑いを浮かべて、深く頷く。
「小さいうちから当たり障りない付き合い方を身に付けてしまったんだ。姉が結婚してからは顕著でな。お茶会にもほとんど参加していない。我が家でなければ、手芸の腕やデザイン力で輝けるところはいくらでもあるんだけどな」
魔眼はラピスティア家のアイデンティティーと言ってもいい。活躍している兄弟がいれば、なおのこと肩身が狭いだろう。
ルークも雫持ちのガイアが羨ましいと思っていた時期があったが、今ではそんな感情は薄れてしまった。それにガイアの効力は、目に見えないものばかりなので、それほど意識していない。そのせいか、ルークはトトとの交流で魔眼について、聞いたり話したりすることはほとんどない。
「ルーク殿と出掛けてからは格段に明るくなったと思う。これからも仲良くしてやって欲しい」
「もちろんです」
ルークがそう頷くと、グレンは持ち上げていた口端を下げ、真剣な表情を作る。
「ところでルーク殿……」
「はい?」
「家出の話をした時、『なぜ今になって?』と聞いていたな」
「え、はい。言いましたね」
「実はオレ達、姉の手紙を無視して夜のうちにリリーベル家に突撃しようとしてたんだ」
グレンとシルベスターは母親の暴挙に腹を立てていたらしく、父親が姉からの手紙を持ってくるまで家出の準備を進めていたらしい。
「姉のアレと殿下を相手にしていたから、ある程度の無茶振りは許されると思ってな」
「その考えは正解です。ガイアがいたら非常識だってプリプリするかもしれませんが」
とはいえ、ラピスティア侯爵家にはお世話になっているので拒むことはなかっただろう。
「それでルーク殿が在宅かオレの千里眼で確認しようとしたんだが……」
「ダメだったでしょう?」
言い淀むグレンにルークがそう言えば、彼は顔を引きつらせて頷く。
「屋敷のどこを覗こうとしても同じ人形と目が合うんだ。あれはなんだ?」
おそらく、元呪いのブードゥー人形のブーのことだろう。
過去に透視の雫を持つクラウドの護衛に、似たようなことを言われたことがあった。
他にも地獄耳の雫持ちから「誰かが耳元でぼそぼそ何かを言っている」とか。物から残留思念を読み取る接触感応の雫持ちからは「人形の顔しか浮かばない」とか。様々な苦情がリリーベル家に寄せられている。
ブーのおかげで我が家のプライバシー保護は完璧だった。
アーロイの妻の手紙を読んだルークは「あー、ブーのことを配慮してくれたんだな」と納得したが、今のグレンは幽霊を見たかのような深刻な顔をしている。
「えーっと、我が家の防衛とプライバシー保護を司る元呪いの人形です」
「…………安心してトトを嫁がせられそうだ」
様々な魔眼が混在し、プライバシーもへったくれもないラピスティア一族。姉の『彼の家なら何も心配はいらないわ』という言葉の意味をグレンは身を持って知り、そう言うのだった。




