第2話 顔ナシ伯の誕生①
顔ナシ伯。そうルークが呼ばれるきっかけになったのは、半年前のこと。
昨年のうちに社交界のデビューを済ませていたルークは、父親の職場について行き、仕事を教えてもらう日々を送っていた。
そんなある日、隣国トゥールの王女が留学期間を終え、帰国することになり、送別会としてパーティーを開くことになったのである。その王女は王太子の従姉妹にあたり、過去に何度か来訪していたが、今回は二年ほど滞在していた。
王太子の友人であるルークもその送別会に出席する。
「アタシも行きたかったぁあああああっ!」
「しょうがないだろ……お前はトゥール王女殿下と面識がないんだから。まあ、ガイアが着飾って出かけたい気持ちは分かるけど……」
「何言ってんのよ! アタシはアニキのことを心配してるの! アニキは気付いてないでしょうけど、アニキは社交界で狙われているのよ!」
「ね、狙われている? まさか……命を?」
「バカおっしゃい! 未来の伯爵夫人の座よ!」
予想外の言葉にルークは面食らってしまう。伯爵家といえど、大して地位も高くない上に、主な仕事は宰相の使い走り。そんな夫の妻なんて嬉しくないだろうにと苦笑していれば、ガイアは「アニキは分かってない」と大袈裟にため息をつく。
「伯爵家の跡継ぎで、宰相補佐、顔に違えぬ優男! お茶会じゃ『社交界の陽だまり』『隣で癒されたい男ナンバーワン』って言われてるんだから! その証拠に、この間のパーティーで未婚の女性に寄ってたかられてたじゃない!」
そんな風に呼ばれていたなんて露も知らないルークは、「さすがに過大評価ではないか」と思ってしまう。しかし、ガイアの言う通り、社交の場で女性に話しかけられることが増えたのは確かだ。ただ、自己評価の低いルークは首を振る。
「いや、あれは滅多にお茶会とかに顔を出さないから、物珍しかっただけで……」
「そんな天然ボケだから、アタシが心配してんでしょ! アンタ、いつか女に迫られて困る日が絶対に来るわよ!」
弟にそう一喝され、ルークは困ったように笑って返すしかできなかった。
ガイアはそんなルークの胸倉を掴んで引き寄せると、顔を額に近づけた。
ちゅっとわざとらしいリップ音を立てて、ルークの額に口づけを落とす。
「ちょっ、何してるのさ?」
「おまじないよ! アニキが変な女に掴まらないようにね! アタシは星から雫を落とされた身だし、少しくらい効力があるでしょ?」
この国、イェルマでは古くから星に不思議な力が宿っていると信じられている。その力が雫となって零れ落ち、人に特殊な能力を与えることから、『雫持ち』と言われていた。与えられる能力は様々で、弟のガイアは『悪しきものを遠ざける力』を持っている。この力のおかげで実は事故や事件が起きる数分前に現場を通りかかっていたとか、ガイアに嫌がらせをしようとして逆に相手がしっぺ返しを食らうなんてことがよくあった。
そんな弟のありがたい御裾分けなのだが……。
「ちょ、アニキ! 何拭ってんのよ!」
「いや、さすがに口紅つけたままパーティーには行けないなーと思って」
そんな他愛もないやり取りをしてから、ルークはパーティーに向かった。
パーティーは昼間に行われ、終わった後にルークは王太子達と共に隣国の王女から私的な夜会に招かれている。一応、王太子の友人だったルークはその王女と何度も顔を合わせており、その席に招かれたことに何も不思議に思わなかった。しかし、違和感を覚えたのはその夜会を行う部屋についた時だった。
自分と彼女以外、誰もいなかったのである。
困惑するルークを席につくように促し、隣国の王女、クレアはこう言った。
「実は、わざと殿下達と時間をずらした招待状を用意しましたの。あなたとお話をしたくて……」
「は、はあ……?」
気を抜けた返事をしてしまったが、相手は他国の王女だ。夜会に呼ばれた中で一番の下っ端のルークに話したいことがあるということは、何か深刻な内容なのかもしれない。
「それで、お話したいこととは……?」
居住まいを正してクレアに訊ねると、彼女は何か言いたげにしながらも沈黙してしまう。
しばらく室内に妙な緊張感が漂い、さすがのルークも居心地の悪さを感じてきた頃、ようやく彼女は口を開いた。
「ルーク様、以前からお慕いしておりました。わたくしと結婚してください」
「へっ?」
自分でも間抜けな声が出たと思う。
彼女は大真面目な顔で言っていたが、彼女のお転婆な一面も知るルークは逆に冗談だと思ってしまうほどだ。
しかし、ルークが口を開く前に、彼女はもう一度いった。
「わたくしと、結婚してください」
ゆっくりと、はっきりとそう口にし、ルークは冗談ではないのだと理解する。
本気だと分かったからこそ、ルークは敢えて彼女に微笑んで見せた。
「トゥール王女殿下、お戯れはよしてください。それは過ぎた冗談です」
彼女と結婚なんてとんでもない。ルークと彼女の間には越えられない身分の差があるのだから。王族の発言には慎重に言葉を選ばなければならない。この場にいるのはクレアとルークの他に、彼女の侍女だけだ。ルークが冗談だと受け取れば、大事に至らないだろう。
「戯れだなんて……」
ショックを受けた風に目を見開く様子に、ルークは胸が痛んだがそれでも笑みを保つ。
「どうやら、先ほどのパーティーで酔ってしまったご様子。酔い覚ましに効くものを用意しましょう」
そう口にしてルークが腰を浮かしかけた時、彼女の侍女がルークの前に紅茶を置いた。
なんとも空気の読めない侍女である。さすがに出されたお茶も飲まずに席は立てない。
(彼女が一口でも飲んだら、さっさと飲んで退散しよう……)
気まずい空気の中、彼女が紅茶を口に運んだのを見て、ルークも紅茶を飲んだ時だった。
「時に、ルーク様。この国には雫持ちと呼ばれる特殊能力を持つ者がいるとお聞きしました」
唐突に話題を投げかけられ、ルークは怪訝に思いながらも小さく頷く。
「そうですね、たしかにそのような力を持つ人が稀にいると聞いています」
雫持ちの存在は、他国の人間にも知られている。しかし、誰が何の力を与えられたのかは、公にしないことが多い。だから、ルークも弟が雫を持っていることクレアに話したことはない。
「それがどうかしましたか?」
「実は我が国にもいるのです。変わった力を持つ者が……」
(これは話が長くなりそう……)
このまま引き留められたら面倒なことになりそうな気配を感じ取ったルークは話をすぐに話を切り上げることにした。
「そうですか、それは面白そうな話ですね。きっと殿下達も興味を引くでしょう。ぜひ殿下達と一緒に聞かせてください」
彼女のカップが空になったのを見て、失礼にならない程度に紅茶を早々と飲み干す。それを見て、彼女の目がきらりと光った。
「飲み干しましたね、ルーク様」
「はい?」
ぽかんとするルークにクレアはにっこりと微笑みかけた。
「わたくしの国では、その特殊な力を持つ者を、男女問わず魔女と呼びます。彼らが扱う魔法は、火や水を操るだけでなく、時には人の心を操ると言われています」
彼女はゆっくりと飲み干したルークのカップに目をやる。
「わたくしとルーク様が飲んだ紅茶に、魔女が作った魔法薬を一服盛らせていただきました」
「魔法薬……?」
初めて聞く薬だ。互いの紅茶に盛ったということは、何か効果があるのだろうか。
「そ、その薬とは一体……?」
ルークが恐る恐る訊ねると、彼女は少し間を空けて答える。
「ルーク様がわたくしのことを『好き』と言わないと死ぬ薬です」
「はいぃ⁉」
思わずルークは上ずった声を出すと、クレアは自分の胸に手を当てて言葉を続ける。
「ルーク様も身体の火照りや胸の動悸を感じませんか? それは薬が効いているという証拠です」
言われてみれば、紅茶を飲んだ後、身体が熱くなり、心臓の音が早くなっている気がする。
(まさか……本当に?)
驚きのままクレアを見つめれば、彼女は小さく俯いた。
「わたくしは隣国の王女であり、殿下の従姉妹。ルーク様がわたくしを王女として敬う以上の感情を持ち合わせていないことは重々承知しています。しかし……わたくしはっ、ルーク様が好きなのです!」
クレアは顔を上げ、大きな瞳に涙を浮かべながらルークにそう告げた。
「身分差もありますし、きっと父達も反対します。何度もこの想いを封じようとしました。しかし……どうしても抑え込むことができなかったのです」
「トゥール王女殿下……」
彼女の瞳から零れ落ちた涙が、テーブルクロスに小さなシミを作る。
「だから、一度だけ想いを告げて、ルーク様のことを忘れようとしました。この薬も、本当はお守りのつもりで作ってもらったもの……でも、パーティーで女性に囲まれているルーク様を見て思ったのです。他の誰にもあなたを取られたくない……」
クレアは一度言葉を区切ると、上ずった声で言った。
「お願いします、ルーク様。わたくしのことを好きだと言ってくださいっ……」
室内に彼女の嗚咽だけが響く中、ルークの頭は混乱していた。
(えぇ……どうしよう……)
クレアの言う通り、ルークは彼女のことを『隣国の王女』『殿下の従姉妹』以上の感情を持ち合わせていなかった。
そもそも、ルークの実家は王家の血筋が入ってないので、クレアと知人以上の間柄になることすら難しいのだ。
『アンタ、いつか女に迫られて困る日が絶対に来るわよ!』
家を出る前に言われたガイアの言葉を思い出して、ルークは内心苦笑を浮かべる。
(弟よ……お前の言う通りだったよ……)
これで自分が命を落とした時、ガイアはどんな説教をかましてくるか考えていたら、ルークは徐々に冷静さが戻ってくる。
(よく考えたら、トゥールに魔女がいるなんて聞いたことがないな……)
雫持ちのような存在がいるのなら、もっと知られていてもおかしくはない。本当に不思議な力を持っているのならなおのこと。
そこで、ルークはこう思った。
(彼女の国でいう魔女とは、薬学や化学、占術などに精通した、研究者のことなのでは?)
普通に考えて一国の王女に飲んだら死ぬような薬を持たせる者はいないだろう。もし、そんな者がいれば、相当な命知らずか大馬鹿者である。
(ならば、彼女が盛ったという魔女の薬は、相手にそう思わせるためのハッタリの道具)
ルークがその答えを導き出すのに、そう時間はかからなかった。
滋養強壮の薬には本人の意志関係なく、興奮作用があると聞く。身体の火照りも、胸の動悸も、全てただの薬効だと考えれば全て納得がいった。
ルークは一つ息をつくと、まっすぐクレアを見つめた。
「トゥール王女殿下」
「……はい」
泣き腫らした目を向けられ、ルークは言葉を詰まらせたが、自分の答えは変わらなかった。
「失礼ながら、王女殿下とは何度も顔を合わせたことはあっても、交わした言葉は少なかったはずです。そんな中、私に想いを寄せていただいたことに驚いた気持ちと、不遜にも光栄な気持ちを抱きました。しかし、真摯に想いを告げられたからこそ、私は誠実でありたいと思います」
ルークは深々と頭を下げた。
「申し訳ありません。どうかその想いは、貴女様の胸の内に秘めたままに……」
そう言ってルークが顔を上げると同時に彼女が泣き崩れた。
声を上げて泣く彼女に侍女が近寄り、その肩を抱きしめている。その様子を横目にルークは自身に何も起こらないことを安堵する。
(ほら、やっぱり何も起こらない……)
ルークがそう思い、席を立った時だった。
大きな破裂音と共にルークの額に衝撃が走り、そのまま身体が後ろにのけぞる。
床に倒れるまでの時間が、ひどく長く感じたような気がした。
(え、ええ? 嘘……本当に死ぬ薬だったの?)
床に倒れた後、遠くの方で絹を裂いたような悲鳴が聞こえ、ルークは自分の意識が遠のいていくのが分かった。
瞼が重くなっていく中、脳裏に浮かんだのはガイアと仕えている殿下達のこと。
(ガイア、不甲斐ないお兄ちゃんでごめんよ。お父様やお母様、家のことは頼んだ。どうか殿下達が私の死を上手く揉み消して我が家と国が面倒ごとから逃れますように……)
そんな物騒な願いを託しながらルークは目を閉じた。
「おい、貴様! 一体何をしている!」
男の鋭い声に加え、乱暴に起こされたルークは、はっと目を開けた。
「あれ……え?」
そこにいたのは部屋の外に控えていた護衛の男だ。彼はルークの胸倉を掴み上げ、ものすごい剣幕で睨みつけている。
「怪しい奴めっ! 一体、どこから入って来た!」
「っ⁉」
彼はクレアが国から連れて来た護衛だ。何度も顔を合わせているし、知らない相手ではないはずだ。
上手く状況が飲み込めないルークが、唯一分かったことといえば。
「なんで私、生きてるんだ⁉」
「何を寝ぼけたことを!」
「ちょ、まっ! 首が締まる!」
あっという間に取り押さえられたルークは、床に身体を押し付けられたまま弁明する。
「ま、待ってください! 私です! ルーク・リリーベルです! 私がこの部屋に入ったのは確認済みでしょう⁉」
「バカを言え! リリーベル伯爵令息の顔を間違えるわけがない! この似ても似つかない偽物が!」
(ええええええええええええええっ⁉)
ルークは信じられない思いを隠し切れないでいると、騒ぎに駆けつけて次々と人が集まってくる。
「リリーベル伯爵令息を探せ! この部屋にいたことは間違いない! 彼がこの不届き者を招き入れた可能性もある!」
「だから、ここですってば! というか、濡れ衣だぁっ!」
ルークは必死に訴えるが、彼は聞く耳を持たない。
(一体何が起きてるんだ⁉)
彼女達の方に顔を向けると、クレアの侍女は青ざめた顔でなぜか気を失っている彼女を揺さぶっていた。
「殿下! 殿下! お気を確かに!」
「う……ううん……」
ようやく目を覚ました彼女は、泣き腫らした目をこすりながら顔を上げた。
ルークは彼女に向かって声を張り上げる。
「トゥール王女殿下! 私です! ルーク・リリーベルです!」
「気安く王女殿下に声をかけるな!」
「ぐっ! トゥール王女殿下! 先ほど一緒にお茶をしていたでしょう!」
腕をねじ上げられ、ルークは痛みに堪えながら必死に叫ぶと、返って来たのはぽかんとした様子の彼女の声だった。
「ルーク・リリーベル? 一体、それは、どなたですか?」
その言葉にルークは絶句する。しかし、驚いたのはルークだけではなかった。
「殿下……一体、何をおっしゃっているのですか?」
そう震えた声で訊ねたのは、ルークを押さえつけていた護衛。ルークを押さえつけていた力を緩めるほど彼が驚いているのが分かる。
「え?」
「クレア王女殿下……ルーク様をお忘れに……イェルマ王太子殿下のご友人ですよ?」
彼女の侍女の声が聞こえた後、短い沈黙が流れた。
「……殿下のご友人にそんな方いらっしゃったかしら?」
「クレア! 無事か!」
物々しい金属音と共に室内に入って来たのは、イェルマの王太子であり、ルークの友人であるクラウドだった。
「大丈夫か、クレア⁉」
「殿下、一体これは何事ですか?」
「それは私が知りたい! 約束の時間まで一時間以上あっただろう!」
「約束?」
どうやら、彼女はパーティー後の約束のことまで忘れてしまったらしい。
(トゥール王女殿下が記憶喪失? でも、なんで私だけを忘れて? ……いや、それよりも……)
王太子のクラウドは互いに幼い頃から知る仲だ。いくらなんでも彼がルークの顔を違えるわけがない。ルークは助かりたい一心で顔を上げ、再び声を上げる。
「殿下! クラウド殿下! 私です! ルークです!」
「…………はぁ?」
ルークを見たクラウドは、間抜けな声を発した後、顔をしかめた。
「ルークですよ! ルーク・リリーベル!」
そう言った突端、クラウドは白けた顔をし、短く「連れていけ」と言い放った。
「え、あっ! 殿下⁉」
ルークがいくら呼んでも、クラウドは何も答えない。どうやら彼は無視を決め込んだようだ。当たり前だ。彼は王族で、本来言葉を交わすことすらできない相手なのだ。
乱暴に立ち上げさせられたルークは、部屋の外を連れ出される。
「殿下! 殿下ぁ!」
どんなに必死に訴えても、誰も信じてもらえず、友人にすら見放されたルークは、最後の手段に出た。
ルークは大きく息を吸い込み、クラウドの背中に向かって叫んだ。
「殿下が十歳の時のお泊り会の夜、自分で仕入れてきた怪談話を勝手に怖がってトイレに行けなくなった挙句おねしょして、それを一番年下の私のせいにしたことを、独房で三日三晩叫び続けてやるかなぁああああああああああああっ!」
「ルークゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!」
慌てふためいて部屋を飛び出してきたクラウドによって助けられ、ようやくルークは人並みに話を聞いてもらえるようになった。