第16話 知らないこと、知りたいこと
姉の髪飾りも完成したトトは、どこかすっきりした気持ちで馬車に揺られていた。
ルークとともに来店してから一週間しか経っていないが、メアリーは驚かないだろうか。店の前に到着したトトはそう思いながら、店のドアを押した。
無骨なドアベルの音を響かせて店内に入ると、奥からメアリーの困ったような声が聞こえてきた。
「だからね、いくらなんでもそんな大きなヴェールは専門店じゃないと無理よ」
「でも、必要なの! お願い!」
メアリーに何か訴えているのは、トトとそう歳が変わらない少女だった。髪の毛にあまり艶もなく、着ているワンピースは薄汚れている。しかし、その作りは一つ一つ丁寧で元々は高級品だったのが分かる。
「うちは確かにハンドメイドの商品を置いているわ。でもね、それは店内で使える素材を使った宣伝も含んだものなの。決してオーダーメイドをしているわけではないわ」
「で、でも……」
「仕立て屋なら紹介してあげるわ。多少高いと感じるかもしれないけど、オーダーメイドと比べれば割安のはずよ」
メアリーがそう諭すと、彼女は俯いて「もういい」とどこか不貞腐れた口調で言い放ち、トトに振り返った。
彼女は後ろにいるトトに気付いて、目を大きく見開く。トトもその見知った顔に、思わず声を漏らした。
「あら……」
「!」
それはルビア侯爵家のご令嬢だった。
あまり親しいわけではなかったが、姉に連れられて行ったどこかの家のお茶会で会ったことがある。
「シンディ様……きゃっ!」
彼女はどこか悔しそうに顔を歪めると、トトにぶつかるように通り過ぎていき、店を出ていった。
手に持っていた髪飾りの袋が手元から落ち、トトは慌てて拾った。
「ちょっと、トトちゃん大丈夫⁉」
「は、はい。ちょっとぶつかっただけなので」
カウンターから飛び出してきたメアリーにトトは頷き、袋の中身を確認する。
(よかった……中身は無事だ)
形の崩れもなく、留め具も壊れていないことに安堵したトトは、メアリーに向き直った。
「あの……彼女は……?」
「ああ、あの子? うちに入店するなり結婚式用のヴェールを作って欲しいって言ったのよ。断ったけど」
「ヴェールですか……?」
結婚する予定があるのだろうか。しかし、彼女の実家はそれなりに裕福であり、貴族なら専門店に頼むはずだ。実際、姉の花嫁衣裳はブライダル専門の仕立て屋に頼んでいた。
メアリーは嘆息をつき、小さく頷く。
「ええ。好きな男と駆け落ちしたらしくてね。ドレスは用意できないからせめてヴェールだけでも用意したいんですって。無理言うわよね。リボンだってそれなりに時間かかるのに、ヴェールなんて顎を隠すくらいでも一か月は関わるわよ」
(か、駆け落ち⁉)
風の噂で駆け落ち婚が流行っていると姉を通じて聞いていたが、まさか顔見知りが駆け落ちしていたとは思わなかった。トト自身、あまり他家との交流がないので噂に疎いというのもある。しかし、この国の貴族で恋愛婚はまだまだ珍しいため、最終手段として駆け落ちに走ったのだろう。
「何? 知り合い?」
トトの戸惑う気持ちが顔に出ていたのだろう。メアリーに怪訝な顔を向けられたトトはおずおずと頷いた。
「はい。他家のお茶会でお会いしたことがあります。シンディ様、家を捨ててまで添い遂げたい殿方がいらしたのですね。ご家族が心配しているでしょうに……」
トトがそう口にした時、刺すような冷たい空気を肌で感じ取った。
「シンディ? もしかして、シンディ・ルビア?」
「え? はい」
トトが返事をした瞬間、ドンとカウンターに拳を落とした。
「あれがルークちゃんとガイアちゃんに恥をかかせたバカ女か!」
「えっ⁉ ええっ⁉」
恥をかかせたとはどういうことだろう。トトが状況を飲み込めず、固まっているとメアリーがハッとして咳払いする。
「ごめんなさいね。あの子、ルークちゃんのお見合い相手だったのよ。婚約手前まで行ったんだけど、結局破断になったの」
「る、ルーク様の……あ」
トトは今の彼女の状況を思い出して、さっと頭から血の気が引く音がした。
(そういえばルーク様って婚約予定の女性に逃げられたって。シンディ様がお相手だったの⁉)
お見合いの時にアーロイから確かにそう説明された。しかし、駆け落ちした彼女はなぜ、この街にいるのか。
「でも、なぜまだこの街に? 駆け落ちしたなら、普通遠くに逃げるべきでは……?」
そう口にすると、メアリーは舌を鳴らしながら首を横に振る。
「今は田舎の教会で夫婦の証明をもらって、実家に帰るのが駆け落ちの主流なの。最近、多いのよね~。そういう甘ったれた思考の子。家を出たなら戻ってくるなって感じ」
メアリーは厳しい物言いをするが、トトは困惑を隠せない。
もし、今の駆け落ち婚がメアリーの言う通りなら、なぜ彼女はドレスも用意できないのだろう。メアリーはさらに説明する。
「ルークちゃん、あの顔でしょ? 殿下とアーロイ様にいい娘がどんどん結婚する前に婚約しておけってお見合いさせられてたのよ」
「な、なるほど……」
「それで何度か断られて、殿下の婚約者の伝手でお見合いした相手が彼女ってわけ。婚約式の当日に令嬢が来なくて、前夜に失踪していたことが分かったのよ。当日は騒然だったんだから。ガイアちゃん曰く、ルビア侯爵令嬢とその駆け落ち相手は実家から勘当されたそうよ」
「か、勘当……じゃあ、ヴェールだけでもっていうのは」
「本当にせめてもってことでしょうね? でも、勘当されて当然よ。未来の王妃の伝手でお見合いして、婚約式に殿下や宮廷の人間も呼んでいたんだから。一族の恥さらしよ」
ルークとのお見合いの時に彼が婚約に後ろ向きだった理由がはっきりして、トトは口を噤んだ。
(てっきり顔が理由で白紙になったのかと……まさか駆け落ちだったなんて)
おまけに婚約式前夜に失踪された。それを当日に知り、お客様がどんどん到着する中、一人残された彼はどれだけ心を傷つけられただろう。ましてや、宮廷関係者が勢ぞろいしていたのだ。
「ルーク様は……」
「ん?」
「ルーク様はシンディ様のことを愛していたのでしょうか?」
もし、ルークが彼女を愛して婚約を決意していたら、そう考えるとトトの胸は苦しくなった。
メアリーは少し考えた後、肩を竦めた。
「さーねぇ? でも、ルークちゃんは何度か交流して、自分を嫌ってなさそうだし、婚約後も仲良くなれるかと思って婚約したそうよ。ちゃんと相手に了解を取った上でね。恋かどうかは本人に確認しなきゃ分からないわよ」
「そ、そうなんですね」
奥手そうな彼だ。シンディとの婚約を慎重に進めたに決めたはずだ。
(なんだか、落ち着かない……)
胸の中でもやもやとした感情が浮かび、トトは小さく俯くとメアリーから笑い声が聞こえた。
顔を上げれば、メアリーは嬉しそうな顔をトトに向けている。
「ルークちゃんのこと気になるなら、聞いてみたら?」
「え……いや、でも……そんな、傷口に塩を刷り込むような真似はできません!」
「そーお? ルークちゃんなら答えくれると思うけどね。それで、今日はどうしたの?」
メアリーが明るく話題を変え、トトは持っていた袋から髪飾りを取り出した。
「これ、シャルロット姉様にプレゼントを作って……メアリー様に意見を聞きたくて」
「あら、今回も素敵ね。特にこのモチーフ!」
この間、姉が二人目を生んだ後に浮かんだデザインだ。雪の結晶花がいくつも連なっているように見え、一つの花のように見える。ニードルタティングレースといい、ネットレースとはまた違う繊細さがある。
「これを鞄やリボンのワンポイントに使ったら絶対に素敵~っ! ねぇ、トトちゃん! このデザイン……」
「残念ながら売りません」
「ええ~、勿体な~い!」
「これは……シャルロット姉様をイメージしたものですし……二人目が生まれた記念でもあるんです」
これのデザインを売ってしまえば、家族を売ったような気持ちになってしまいそうで、いつも断っている。
「だから、姉だけに渡したいと思って……」
「そーお? こんな素敵なデザイン作れるなんて、もはや才能よ? トトちゃんはもっと強欲になるべきよ」
メアリーの言葉を聞いてルークの言葉を思い出す。
『センスや才能の一言で片付けられるものではないでしょう。トト嬢の手帳も、デザインの一つ一つも、手芸の腕前も、全て貴女の宝物なのでしょうね』
「……デザインは私の宝物の一つなんです。やっぱり売りものにはできません」
これは思い出のようなものだ。デザインを見返した時、渡した相手の喜ぶ顔を思い出すことができる。トトにとって大切な宝物だ。
メアリーは残念そうに唇を尖らせると、髪飾りを返した。
「あら、残念。でも、気が変わったらいつでも言ってちょうだい」
「はい。その時は頼らせてくださいね」
メアリーからお墨付きをもらったことで自信を得たトトは、新たに糸を購入し店を後にした。




