第10話 デート
約束の日。ルークは少し落ち着かない足取りでエントランスを歩き回っていた。
本来、ルークがラピスティア侯爵家へ迎えに行くところだが、やんわりと遠慮されてしまった。彼女の母はルークを良く思っていないらしいので当たり前と言えば当たり前かもしれない。
彼女と約束を取りつけた時は、大して意識をしていなかったが、異性と外出は初めてだ。前のお見合い相手は、互いの屋敷を行き来するだけだったので、ダリルに指摘されてようやく気付いた。
(ただの買い物だし、最後は我が家でお茶をしながら手芸をするだけ)
そう自分に言い聞かせるも落ち着かない。
そんなルークの様子に見兼ねたダリルがため息を漏らす。
「坊ちゃん、みっともないですよ。ラピスティア侯爵令嬢は約束をすっぽかすような相手ではないのでしょう?」
「あ、うん。そこ心配いらない。だけど、ちょっと緊張しちゃって」
今日はガイアとよく行く手芸店へ足を運ぶ予定だった。そもそも今日の外出はデートと呼べるほどのものではない。買い物を済ませれば、屋敷でお茶しながら手芸をしてゆっくりする予定なのだ。今日の予定だって、そんな気取った計画は立てていない。
いくら異性が一緒でも買い物だけだったら、計画を立てる必要もないだろうと、ダリルに言ったが、ダリルは「たかが買い物だと侮ってはいけない。貴族は常に品定めをされている立場です。意識するのとしないのでは違います。それに屋敷に来るのであれば、お客様をおもてなしする準備は必要です」と言って、計画を立てるよう推奨した。
「いつもの手芸店へ行くだけでしょう? あまり意識すると相手に伝わってしましますよ」
「ダリルがデートだって言わなかったら、私も緊張せずにいられたんだけどなー……」
ちくりと恨み言を口にしてやれば、ダリルはルークの丸まった背を強く突いた。
「何を言いますか! むしろ、坊ちゃんの意識が低いのではありませんかっ! 散々人の心がないだ、人の扱いが雑だのと言われていた、あのアーロイ様を見習ってください!」
「見習う相手への評価がひどい! そんなに突かないでよ! くすぐったい!」
「ラピスティア侯爵令嬢がお見えになりました」
玄関の外に待機していた使用人がそう声をかけ、玄関のドアが開かれる。
「ごきげんよう、ルーク様。本日はよろしくお願いいたします」
トトは街に出かけるからか、シンプルな白いブラウスに若草色のスカートと軽装だ。かく言う自分も普段よりもラフな格好をしている。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
そう言って、手を差し出しエスコートをしようとすると、トトは驚いたように目を見開く。
(あれ? もしかして、嫌だった?)
忙しなくルークと差し出した手を交互に見やり、彼女は恥ずかし気に笑いルークの手を取った。
「すみません。今さらながら殿方とお出かけは初めてだなと思い当たりまして」
白い頬が淡く色づき、困ったように眉を下げたトトの表情にルークは心臓をぐっと掴まれた気分になる。
この気持ちをなんというのか。緊張と嬉しさが入れ混じったような思いだった。
(面布をつけてて良かった……)
表情が文字として現れる面布だが、実際に顔を見られるのとそうでないのでは違う。きっと自分は情けない顔をしているだろう。
今さらになってダリルに感謝しなければ。彼があの時にルークを意識させなければ、今の彼女の言葉でしどろもどろになっていたに違いない。
「私も女性と外出は初めてです。至らないところがあると思いますが、精一杯エスコートいたしますね」
「ふふ。改めてよろしくお願いします、ルーク様」
周りがどこか微笑ましい様子で見守る中、二人は馬車へ乗り込んだ。
「それにしても、トト嬢がガイアと同じ店を贔屓しているとは思いませんでした」
「私もです。偶然ですね」
これから向かう手芸店はガイアのお気に入りの店である。そして、実はトトも顧客だった。
貴族は商人を屋敷に呼ぶのが普通だが、ガイアは「お店に行った方が、全体的に商品が見られていいのよね」と自ら足を運ぶことが多かった。トトも同じ考えらしく、ぶらっと商品を見渡して、気に入った商品を買っているらしい。
「以前、ガイア様とお会いした時、あまりお話ができなかったので、今度じっくりとお話を伺ってみたいです」
「ええ、ガイアときっと喜ぶと思います」
目的の手芸店について、ルークがドアを開けると「いらっしゃいませ~」と元気な声が店内から聞こえてきた。
奥へ向かうと、フリルとレースをふんだんに使ったワンピースの店員が現れる。
栗色の髪をカールさせ、厚めの化粧を施した顔にルークよりも背が高く、逞しい体格をした男性だった。しかし、着ているワンピースは決して不格好には見えず、彼の肉体美がより引き立っている。片耳のピアスは細いチェーンがついており、赤いガラスがはめ込まれたプレートが動く度に揺れ、煌いていた。
彼はルークの顔を見ると、一瞬怪訝な顔をした後、ぱっと表情を明るくする。
「あんら~、ルークちゃんじゃないの~? それに、トトちゃんまで!」
「こんにちは、メアリー」
「ごきげんよう、メアリー様」
メアリーとは、彼が店で使用している名前で、本名は別にある。かれこれ五年以上の付き合いになるが、未だに教えてくれない。
メアリーはルークとトトを交互に見ると、驚き半分、微笑ましさ半分と言った表情で頬に手を当てた。
「あらあらあら! まさか二人とも知り合いだったの⁉ 意外な組み合わせね! ガイアちゃんは⁉ まさか内緒のお付き合い⁉」
「いえ、お付き合いという程では。彼女はアーロイ様の奥様の妹さんなんです。ガイアも彼女のことは知ってます」
ルークは苦笑して答えると、メアリーはルークの背をバシバシと叩いた。
「そうだとしても、ルークちゃんが女の子を連れてくるなんて、こんな嬉しいことないわ!」
メアリーはトトの手を掴んだ。
「トトちゃん、ルークちゃんはこんななりだけど、すっごい良い子なのよ! 仲良くしてあげてね! 素顔もとてもいいのよ……今は覚えてないけど、顔がいいっていうのは覚えてるわ!」
「は、はい。ルーク様がお優しい方なのは存じています。それに……」
ちらっとルークの顔を見たトトに首を傾げると、彼女は少し照れたように笑う。
「ルーク様の素顔が素敵なのも知ってます」
お世辞でもルークの素顔を唯一知るトトにそう言われ、嬉しいような、それでいて言葉にできない居心地の悪さを感じる。
なんて言葉を返そうかと考えていると、にやけた顔をしたメアリーと目が合った。
「まあ、そうなのね! それで今日は二人とも何を買いにきたの? ルークちゃんは、ガイアちゃんのお使い?」
「いえ、今日は個人的に買い物に来たんです。トト嬢に手芸を教えてもらおうと思って」
「何を作るかもう決めた?」
「はい。髪をまとめるリボンに簡単に刺繍を。刺繍に必要な針と刺繍枠、それから練習用の糸と布にチョークを。弟にあげる予定なので内緒にしてくださいね?」
「あらあら、本当に仲がいいわねぇ~。準備しておくわね。トトちゃんは?」
「私はレースに使う糸を。あ、ルーク様に刺繍を教えるのでルーク様と同じ布を用意していただけたら!」
トトがそう言うと、メアリーは頷いた。
「じゃあ、準備するわね。そうだ、トトちゃんは先に糸の棚を見てきたら? ルークちゃんの裁縫道具を見繕うまで暇になっちゃうし」
「え、でも……?」
トトがルークを見上げる。誘った手前、別行動をしていいのか迷っているのだろう。ルークは安心させるように頷いた。
「私に気にせず見てきてください。大事なお姉様へのプレゼントなんですから、じっくり選ぶ時間が必要でしょう」
ルークの言葉に、トトは柔らかく笑みを零した。
「はい。ありがとうございます。先に棚に行ってますね」
トトが糸のコーナーへ行き、姿が見えなくなってから、メアリーがそっと耳打ちをした。
「で、一体どんな関係なわけ~?」
にやけた顔を向けられ、ルークは肩を竦めた。
メアリーは恋愛話が大好きなのだ。街の恋人事情に詳しく、恋愛相談までされるような人でもある。
「普通のお友達ですよ」
さらっとルークが答えるが、メアリーのにやけた面は戻らない。むしろ、余計にニヤニヤした顔をしている。
「ふ~ん? オトモダチねぇ~? トトちゃんはいい子だし、前の子みたいにはならないと思うけど。まあ、ガンバッテ!」
「頑張ってって……まあ、良い関係でいたいとは思ってます。彼女は私のこれを気にしない方なので」
ひらひらと面布を触ってみせれば、メアリーは「まあ!」と声を上げ、喜色満面にあふれる。
「あら、良かったじゃないの! 前のお見合い相手の件で、ガイアちゃんが『呪殺用の針、千本ちょうだい』って注文してきた時はどうしたもんかと思ったけど、安心したわ」
「その節は大変お騒がせしました……」
「いいのよ。ちゃんとトトちゃんを掴まえておきなさいよ! その面布を変に思わない人って少ないんだから。それに、正直どうなのかな~と思ってるのよね、その面布。あまりお洒落じゃないし、不気味っていうか」
そう言われルークは、入店時に彼の顔を思い出してから笑いをしてしまう。
「やっぱり? メアリーも顔をしかめてましたもんね?」
「あははははははっ! そりゃ、のっぺりした布で顔を隠した野郎が来たら、そんな顔もするわよ!」
大笑いしながらルークの頭を叩き始め、ルークは手で頭を守った。面布が取れたら困るのもあるが、彼は力が強いのだ。
「ちょ、叩かないでくださいよ~!」
叩く手が止まり、ルークが彼を見上げると、メアリーはどこか労わるような目をルークに向けた。
彼の耳についたピアスの飾りが、静かに揺れる。
「早く治るといいわね、その顔」
「…………はい」
彼のピアスは昔、ガイアが既製品をカスタマイズして作ったプレゼントだ。きっと彼がいつも通りに接してくれているのは、あのピアスのおかげだろう。
ルークが答えると、彼は満足げに頷いて、ばちんと片目を閉じた。
「じゃあ、刺繍に必要な道具持ってくるわね!」
メアリーがご機嫌に店の奥へ消え、ルークはほっと胸を撫で下ろした。
(やっぱり、ガイアの雫は作ったものには少なからず効果があるみたいだ。このお店に来て正解だったな)
今日、この店を選んだのは、ガイアのお気に入りという理由だけじゃない。ガイアとメアリーの仲が良く、ガイアの作ったプレゼントが、魔女の言霊に効果があるのか気になったのだ。
商売人だからあからさまに態度には出さないと分かってはいたが、いつものように接してもらえ、ルークは安堵を漏らした。




