第1話 顔ナシ伯 ルーク・リリーベル
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ルーク・リリーベルは目の前の光景に面布越しで苦笑した。
なぜなら、自分より爵位の高い家の当主が土下座をしているのだから。
「申し訳ありません! リリーベル伯! 娘がとんでもないことを……っ!」
「顔を上げてください、ルビア侯爵……」
「いえ、こればかりは面目が立たない! うちの娘が……駆け落ちしただなんて!」
「そうですねぇ……あははは」
ルークは思わず、空笑いで返してしまう。
世間では空前の『駆け落ち婚』ブームが起きていた。
結婚を認められなかった恋人同士が家を飛び出し、田舎の教会で夫婦となる手続きを済ませてしまうというもの。
駆け落ちされた親も親で「仕方ない」と最終的に結婚を認めてしまう家も多いらしく、身分差や家柄で苦しむ恋人達の強硬手段だった。
ルークの目の前で土下座するルビア侯爵の一人娘、シンディもその駆け落ち婚ブームに触発された一人。
彼女はルークとの婚約式前夜に子爵家の幼馴染と駆け落ちしたのだ。
そして今、ルビア侯爵はルークに土下座し、件の駆け落ち相手の家は一族総出で血眼になりながら二人を探している。
「笑ってる場合じゃないでしょ、アニキ!」
そう一喝したのはルークの弟のガイアだ。綺麗な銀髪を腰まで伸ばし、中性的な顔立ちと女性的な口調。男性には珍しく化粧を施しているおかげで男装麗人にも見える。そんな彼は琥珀色の瞳を吊り上げて、土下座するルビア侯爵を見下ろした。
「とんでもない裏切りだわ! 婚約前とはいえ、双方の合意の上で婚約するんじゃなかったわけ⁉ おまけにアニキとの交際期間中にも逢引きを許していたとか、どういうことよ⁉」
ルークと令嬢はお見合いだった。顔合わせの後、交際期間を設けられた。恋人ようなお付き合いをするものではなく、互いをよく知るために交流する期間である。その間もルークはもちろん誠実に接していたつもりだし、相手の令嬢に悪い印象がなかったので、本人の意思を確認した上で婚約の準備を進めたのだ。
だから、彼女が他の男性と会っていたことにも、両家の親がそれを許していたことにも驚きだった。事態を知ったガイアがルビア侯爵を問い詰めれば、「知らない相手ではなかったし、昔から兄弟のように仲が良かったから」という答えに、弟はとうとう激高した。そして今に至る。
「大勢の前で恥をかかせて! こっちは宮廷の関係者……いえ、王族も呼んでるのよ⁉ ふざけんじゃないわよ!」
リリーベル家は代々宮廷勤めで宰相の補佐をしていた。そのため、今回の婚約式には上司の宰相夫婦とその息子夫婦に加え、王太子とその婚約者もいたのだ。
「か、返す言葉もございません……」
顔を床に伏したまま声を震わせ、さらには鼻をすする音も聞こえてきた。さすがのルークも可哀そうに思えてくる。
「ガイア、相手も被害者のようなものだし……」
「アニキが怒らないからアタシが怒ってるんでしょうがぁあああああああああっ!」
「あ、はいっ! すみません!」
弟の怒声にルークが反射的に頭を下げた時だった。
慌ただしい足音と野太い男の怒鳴り声がエントランスの方から聞こえてくる。
その音は部屋の前まで近づいてきたかと思うと、ノックも無しにドアが開いた。
そこに現れたのは、太い眉を吊り上げた強面の男。彼は振り乱した髪を直そうともせず、片手に掴んでいた何かを室内へ放り込む。それは、荒縄で縛り上げられた青年だった。よく見れば顔は痣だらけで、衣服はボロボロだ。まるで強盗に遭ったような姿である。
「フレッド!」
悲鳴のような声を上げて青年に寄り添うのは、婚約するはずだったルビア侯爵令嬢のシンディだ。その後に続いてずんずんと室内に入って来た男は、ルークの前に膝をついた。
「クロヴィス子爵……」
件の駆け落ち相手の親である。
「リリーベル伯、このような見苦しい姿で申し訳ない」
「いえ……ところで、そこの彼は?」
「愚息だ」
彼は短くそう答え、フレッドと呼ばれる青年に目をやる。
「愚息の怪我は貴公が気にする必要はない。……いつまで寝ているバカ息子がっ!」
そう言って息子の胸倉を掴んで起き上がらせたところで「あ、強盗ではなく、クロヴィス子爵に殴られたんだな」とルークは察した。
「おじ様! フレッドにもう乱暴はしないでくださ……ひっ」
フレッドをかばおうとしたシンディは、クロヴィス子爵に殺気の含んだ目を向けられ、小さく悲鳴を上げた。
「言うに事を欠いて、その態度か!」
クロヴィス子爵が一喝した後、ルビア侯爵は自分の娘を抑え込むように捕まえる。
「何をするのお父様!」
「リリーベル伯に言うことがあるだろ!」
「何を言うって言うの!」
一瞬、言葉を失ったルビア侯爵は、青ざめた顔でシンディを見つめる。
「何をって……婚約式をめちゃくちゃにして……それにお前は婚約に頷いたじゃないか」
「私はフレッドを愛してるの! 小さい頃からずっと! 初めから婚約に乗り気じゃなかった! 婚約しろってお父様が言ったから仕方なく頷いたの!」
小さな子どものように癇癪を起して泣き叫ぶシンディに、ガイアが「アンタ……っ!」と立ち上がりそうになったのをルークが止めようとした時だった。
「いくら将来有望でも……顔ナシ伯なんて呼ばれてる男と婚約なんてイヤ!」
彼女の泣き叫ぶ言葉にその場が凍り付いた。
「そう、ですよねー……」
静まり返った室内でルークの声が寂しく響くのだった。




