餅と猿
「あら? 私、先ほど聞いたばかりですのよ? 人前で緊張した時は、相手を豚だと思えと。つまり、あなたは婚約者を前に緊張して思わず豚だと口にしてしまったのでしょう?」
ジョージ様がぽっかり口を開いた。
「そりゃ、君を前にすれば緊張しない男などいないでしょう。だが、こんな醜い豚のような女を前に緊張するわけがないっ! 親が決めた婚約者ってだけで、近づかれるだけでもうんざりだっ」
私を前にすると緊張する? 悪役令嬢の空気でも出てます? まだ悪役令嬢らしいところを見せたつもりはないですけど? 王都を五年も離れていたというのに、何か噂でも流れてましたか?
まぁ、かなり我儘に過ごしているし。刺身が食べたいからと、屋敷の者たちとバトルも繰り返しましたし。
……うん、我儘で癇癪持ちの令嬢だと噂が流れていても仕方がないですよねぇ。
と、そんなことよりも……。ずいぶんひどい言葉が次から次へと……。
餅令嬢は今にも泣きだしそうだ。
はぁーと。ため息が漏れる。
「まぁ、豚と言われても仕方がない体型ですものね。ブクブクと太って、制服もはちきれそうですし……」
私の言葉に、肩を大きく震わせ、餅令嬢が更に下を向いた。
「だろ? 恥ずかしくてエスコートなんてできるわけねぇよなぁ」
赤毛猿ジョージの言葉に、はぁーと、再びため息が漏れる。
「そうですわね。本当に恥ずかしい……」
ジョージがニヤニヤと笑う。
「分かったら、もうあっち行けよっ!」
しっしと、野良犬でも追いやるようなしぐさを餅令嬢にするジョージ。
悲しそうな顔のまま、その場に立ち続ける餅令嬢にいらだったのか、ジョージは餅令嬢の肩をドンッと突き飛ばした。
「おら、おら、さっさとどっかへ行って、二度とその醜い姿を見せるんじゃねぇ!」
唾を吐きかけるようなしぐさをして再び餅令嬢を突飛ばそうと手を伸ばしたところで、スカートのポケットから扇を取り出し、ビシッと、その手を打つ。
「痛っ! 何するんだよっ!」
「あら? ごめんあそばせ。人を平気で傷つけることができるお猿さんは、痛みを感じないかと思っておりましたわ」
おっとしまった。猿呼ばわりしてしまったわ。これは失礼よね、お猿さんに。
それに、これじゃあ、人のことを豚と言う人間と同じじゃない。私も子供ね。
失敗したわ。同じ土俵に下りてどうする。でも、ちょっとばかり頭に来たのよ。
「は? 誰が猿だっ!」
ジョージが顔を真っ赤にして怒っている。
「……なぜ、怒るのかしら? 豚のように見えるから婚約者のことを豚だとおっしゃるのであれば、猿のように見えるあなたが猿だと呼ばれて怒る筋合いはないのではなくて?」
ジョージが言葉に詰まる。
「こ、こいつが豚なのは、誰が見たって一目瞭然だろう! 俺は、猿などと言われるような容姿はしてないっ!」
ジョージの言葉に、ふんっと馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
うわ、私ってば悪い女。いえ、でも悪役令嬢ですから、私らしいとでもいえばいいの?
……うん、でもイーグルたんの前では見せたくないわね。
「勘違いなさらないで。確かに容姿も猿に近いように見えますけれど、猿に見えたのはその中身ですわよ?」
「はぁ? 中身だ? 俺は猿みたいにキーキーわめいてるとでも言いたいのか!」
なるほど。その視点はなかった。
確かに、キーキーうるさいといえばうるさい。自覚があるならやめればいいのに。まぁ、それを考えられるだけの脳みそが足りないのでしょうね……。
「いいえ、とても人間とは思えないほど考えが足りないところが猿みたいだと思ったのですわ」
まぁつまり、おバカさんってことね。
「な、なんだとっ! 俺のどこが馬鹿だっていうんだ!」
「婚約者をエスコートして入場するのが通例であるというのに、それを拒否なさるところですわ。それを見た皆がどう考えるかお分かりになりませんの?」
「馬鹿はお前だろう。俺は見られたくないんだよ!」
言葉遊びをしてるんじゃねぇぞ、ごらぁ!
「本当に、分からないのですわね? あなたが誰か、婚約者が誰かなんてすでに皆はご存知でしょう? 今は知らなくとも学園生活を送れば噂は広まりますわよ。入学式にエスコートしなかった話も瞬く間に広がるでしょうね」
それがどうしたという顔をジョージがしている。
「あなたが、婚約者のことを疎ましく思っていることはご家族もご存知なのでは? それなのに婚約の見直しや解消の話が出ないということは、それができないということなのではありませんの?」
「ああ、そうだ。あんな豚と結婚したくねぇと言ってもそれはできない、結婚さえしてしまえば愛人でも何でも作ればいいだろと言われてる」
……愛人を作ると言う言葉に、餅令嬢の肩が揺れるのが見える。
まったく、言わなくてもいいことをペラペラと。しかし、親もそろってクズなのか。