殿下視点の続き
そして、うっかり彼女に「豚」と呼びかけてしまった。
この五年の間に、人前に出ることも、人と会話をすることも訓練を積み、かなり改善されたと思っていたのに。
フローレンを前にしたとたんに、人前で緊張する昔の自分に戻ったようだった。
心臓はバクバクと弾けそうなほど早く脈打ち、頭の中は真っ白で何も考えられなくなった。逃げ出したい思いにかられるけれど、手足は震えだしそうでうまく動かすことができない。
落ち着け、大丈夫、そう、豚だ。目の前にいるのは緊張する相手じゃない……。落ち着け……。豚。豚、そう、目の前にいるのは……。
……いや。ちゃんと、フローレンを前にすると緊張してしまうということと、昔のことの謝罪もできたからよかったのか?
「殿下は、見た目でフローレン様のことを好きなわけではないんですね」
リドルフトの言葉に、何をいまさらという目を向ける。
「俺は見た目が好きだなんて一言も言った覚えはないが?」
「いえ、そうですがあの美しさを見てしまえば男ならだれでも心惹かれると思いますので」
誰でも心惹かれる?
お前もか? 思わずリドルフトをにらみつけると小さく頭を横に振る。
「とにかく、私は誤解していたようです。……彼女ほど聡明な女性を初めて見ました。皆に虐められ孤立しそうなラミアをそばに置くことで虐められることをかばった優しさがあるだけではない。……昨日は前の席に座ったのはラミアを虐めていた者たちへの意趣返しなのかと思ったら、純粋に授業を聞き洩らさないようにということだという」
リドルフトがフローレンを褒める言葉に、思わずにやけてしまう。
自分が褒められたかのようにうれしい。俺のフローレンはすごいだろう? もっと褒めてくれ。
「言われてみれば、後方の席では時折先生の声が聞き取れないことがあると気が付きました」
「ああ、そうだな。まぁすでに家庭教師から学んだ内容だから聞き取れなくても構わないと気にしていなかったが」
「そうなのです。私も学園での授業内容はすでに履修済ですし、先生の話を聞くということに大した価値は見出してはいなかったのですが」
リドルフトはそこで言葉をいったん切ると、感嘆のため息を漏らしてから続けた。
「フローレン様は、私の一歩先……いいえ、二歩も三歩も先をお考えでした。自分が理解すればよしとはしない。周りの人間の理解度にも気を配り、重要なことを理解していない者がいると知れば分かるように手助けをする」
リドルフトの言葉にああと、頷く。
「……あれには俺も驚いた。授業中に突然声を上げたかと思うと、ラミアを注意したように見せかけて、学べていない者たちすべてにちゃんと聞くようにと遠回しに苦言を呈した。あの言葉を聞き、確かに家庭教師から学んでいない者も多くいるはずだと思い至った」
「そうなのです。静かにしなさい、先生の声が聞こえませんと言うのは簡単ですし、ちゃんと授業を聞きなさいというのも簡単です。しかし、彼女は違った。子爵令嬢は知らなくても仕方がないけれどと言うことで、当然伯爵家などそれ以上の家の者は知っているだろうと。知らないのは恥ずかしいことだと釘を刺した」
確かにそうだ。ラミアを馬鹿にするような言葉だが、実際は教室にいたすべての人間に対しての忠告だった。常識的なことだと。知らないのは恥ずかしいと。
そして、先生にもう一度説明させることで、その後先生の話に生徒たちは耳を傾けることになった。




