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虫刺され令嬢は婚約破棄など聞いていない

作者: 小鳥ミコ

 王立学園卒業パーティー、それは、毎年盛大に行われる。

 貴族は全員王立学園に通わなければいけない。

 つまり、卒業パーティーは貴族の子が大人になることを祝う催しなのだ。盛大なのは当然のこと。


 今年は王太子ハース殿下、その婚約者である公爵令嬢カナリアが卒業する。

 例年以上のものでなければならない。


 しかし当の本人は険しい顔で会場のド真ん中に立ちカナリアと相対している。

 あろう事か、平民の女を伴って。


 ハースは高らかに告げる。威厳たっぷりのその声は、上に立つものとして完成されていた。しかし、その場にいた者は全員思った。

 その威厳は別の場所で使って欲しかった、と。


「公爵令嬢カナリア、君の悪逆非道は既に耳にしている!君のような人間と結婚はできない。婚約を破棄させてもらう!」


 後に人は語る。ハースの黒歴史はこの言葉が始まりだった、と。


「僕は全て知っている。君は、ユリアに対し、数々な非道な扱いをしてきた。君は、償いをすべきだ」


 カナリアは黙ってそれらを聞いていた。

 泣き崩れるか、烈火のごとく怒り狂うか、そのどちらかを想像していたハースは拍子抜けしていた。

 しかし同時に、不気味にも感じていた。


(何故、こんなにも落ち着いているんだ?)


 まさか、この計画を全て知っていたとでも言うのだろうか。怪訝に思って、カナリアの顔を注視すると、

 カナリアは微笑んでいた。


(……なんて、胆力だっ!)


 優秀な人材であると思っていたが、ここまでとは思っていなかった。これから、どんな反撃を食らうのだろうか、とハースは生唾を飲み込んだ。

 それでも、ハースは折れない。

 散々虐められてきたユリアを守らなければ、その想いがハースを強くした。






 一方、カナリアはハースの決意など知らず、ある出来事しか見えていなかった。

 必死に外面を取り繕い、完璧な笑顔を見せつけるカナリアは、内心荒れ狂っていた。


 しかし、それは婚約破棄に対してでは無い。


 どんな密室であろうと、気づけばそこにいる。やめてと懇願しようと話の通じない人外。

 そうそれは、夏場に現れる、蚊である。


(―――痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい痒いかきたい)


 そんな蚊が、ドレスの中に侵入し、好き勝手に足の血を味わっているとしたら?

 絶望、その一言に尽きる。


 彼女の脳内には蚊しか頭にいない。

 むしろ、蚊以外考えられない。


 痒みは強く意識すればするほど加速していく。

 蚊のことしか頭にないカナリアは現在、耐え難い苦痛を味わっている。

 そんなカナリアが、どうやって王子ハースの言葉を聞き、理解出来るのだろうか。不可能だ。


 今カナリアが分かってるのは、自分の目の前で婚約者が長話をしている、それだけだ。


 隣に女がいようが気にしない。

 カナリアは嫉妬深くもなければ、別にハースのことも好きじゃない。

 猪突猛進型のハースとは気が合わないと常日頃から思っていたのだ。

 むしろ、学園でハースの相手をしてくれていたユリアには感謝すら抱いていた。そんなカナリアが、ユリアを虐めるはずなどない。つまり、この状況は冤罪。


 しかし、カナリアは痒みに気を取られている。

 危機的状況下すら判断できていないカナリアはどうすることも出来ない。


 カナリアはもはや、意味深に微笑むだけの人形だ。

 微笑むことが出来るだけ、偉いと言えるかもしれない。


(痒いかきたい、痒い…………おうちかえりたい)


 内心、どんなことを考えていようとも。






 そんなカナリアを恐る恐る見つめるのは、ユリア。

 この騒動の中心人物である。

 カナリアの人柄を知っていれば、罪なき人を貶める悪女と呼べる。

 しかし、ユリアは真実虐めを受けていた。

 全てはカナリアの意向だと語る者達によって。


(これが上手く行けば……虐められずに済む!)


 高位貴族から虐められる環境など、田舎出身の平民には荷が重い。奨学生になんてならなければ良かったと後悔している。

 人から嫌われるというのは心がすり減るもの。

 それが地位の高い人からとなれば、恐怖も追加される。


 本来なら泣き寝入りするだけだが、ユリアには心強い味方がいる。


(ハース殿下なら、カナリア様に注意ができる!)


 何故こんなにも人目のあるパーティーでなければいけないか、カナリアに婚約破棄を突きつけなければいけないのか、ということまでは分からないが。

 ユリアとしては、虐めるのは止めて欲しい、それだけだ。


 ユリアはハースに任せていれば大丈夫だと思っていた。


 しかし、カナリアを深読みするハース、微笑むだけの人形カナリア、この2人は向き合うだけ。場は硬直。

 この局面を打開するためには、誰かが動かなければならない。


(ハース殿下だけに押し付けるのも違うよね。私の問題だもん。私が動かなきゃ)


 だから、ユリアは動いた。

 ハースの後ろに隠れるのをやめ、前に出た。恐怖に耐えながら、カナリアを見つめた。


「私は……奨学生として王立学園に入学しました」


 誰に許可を取ったわけでもなく、公爵令嬢に話しかける。これは不敬だと、ユリアも重々承知の上だ。

 しかし、こんなにも重要なパーティーで公爵令嬢と対立する立場になった時点で、手遅れ。

 既に覚悟は決めている。


「私は、学園で虐めを受けていました。教科書、制服を破かれることは日常茶飯事。平民が食べるものはないと、食堂にすら入れて貰えませんでした。しかし、何より恐ろしかったのは、故郷の大切な人達がどうなってもいいのかと言われ続けたことです」


 故郷にいる、家族、友人、そして()()。皆大切な人達。


「私は、耐えればいいと思っていました。しかし、ハース殿下がこれは理不尽であると声を上げてくれました。だから、私はここにいます。怖くても、カナリア様、貴女に私の苦しみを知って欲しくて、ここにいます」


 心を込めて言葉を紡ぐ。

 少しでもこの目の前の人に届くように。

 自分自身を守るため。

 これから被害者となる人が現れるのを防ぐため。


 虐め主犯格さえ勘違いでなければ、結構いい事言っていたユリアであった。


 しかし勘違いだとは知らないユリアは続ける。


「……何か、返事をくれませんか?」


 カナリアは黙ったまま。


「……平民とは話すこともないですか?」


 カナリアは何もしない。痒いから。


「私は、人間です。尊い血は流れてなくとも、必死に生きている人間です。平等でないのは百も承知です。それでも、虫けらの様に扱われる筋合いはありません」


 この時、カナリアは微笑むのをやめた。


「先程からうるさいですね」


 冷酷な表情で言った。

 誰が見てもわかる、カナリアは烈火のごとく怒り狂っていると。

 事実カナリアは怒っていた。


 痒みでムシャクシャしている最中に、長話をしてきて引き止めてくるうざったい2人に。

 正直、話の内容は大して把握していないが。

 ユリアが何らかの辛い出来事を語っているのだとはわかった。


 人は誰しも自分が一番可愛い。


 カナリアも例外ではなく、痒みに苦しめられている自分の方が苦しいと信じていた。

 現在、カナリアの痒みは多少マシな状況下だった。僅かな余裕も生まれ、普段の百分の一の思考力を手に入れていたからこそ、そう信じられていたのかもしれない。

 

「自分語りは十分ですか?帰っても宜しくて?」


 己が巷の悪役令嬢の立ち位置に追いやられ、それらしい言動をしていると気づいていないのは本人ばかり。

 帰ろうとするカナリア。動くハース。


「帰ることは許さない。ユリアと話し合え」

「……はぁ、分かりました。少しの時間なら付き合って差し上げましょう」


 王太子に婚約破棄を告げられてもこの態度、なんと

 貫禄があるのだろうか、と感嘆の声が上がる。


「私は辛かったんです。その苦しみを少しでも理解して欲しい、それだけが私の望みです」

「……バカはあなたよ」


 痒みの限界に挑戦し続ける女、カナリアはもはや、取り繕うことは無い。

 今のカナリアにとってユリアは虫唾が走る存在だ。


「平民だけが苦しみを知っているとでも?貴族が辛いと思う事がないとでも?」

「―――っ!」

「貴女は、私がどんな気持ちでここに居るか、分かっていないの?」

「……分かりません」

「私も…………っ辛い。苦しみを知る貴女なら、私が今どんな気持ちなのか分かるに決まってるでしよ」


 もちろんその苦しみとは、虫刺されによるものだ。

 痒いのにかけない。パーティー会場から出ることも許されない。

 だって公爵令嬢だから。

 軽々しく重要なパーティーを抜けることなんてできない。

 今カナリアはユリアに嫉妬している。

 自由な平民のユリアを。

 もし自分がユリアなら、この会場から駆け出して、ドレスをたくしあげ、思う存分蚊に刺された場所をかけるのに、と。


「私は貴女が羨ましい」


 その言葉で皆はっと気づいた。


 ―――婚約者の周りを女がうろついていたら、そりゃあ、腹も立つ。やり過ぎたかもしれないけど、理解できる。


 今にも泣きそうなカナリアは、舞台の上に立つ女優のよう。

 多くの苦しみを味わった、悲劇のヒロイン。


 ユリアもようやく、カナリアの真意に気づく。


「もしかして、あの虐めはハース殿下との仲を誤解していたから……!」

「?」

「私は、ハース殿下とはただの友人です!色々助けて頂いて、深く感謝していますが、恋仲だなんて有り得ません」


 この時、後方彼氏面していたハースは勢いよく顔を上げる。

 パーティー会場の外野も王子の様子を伺う。


(……恋人だと思ってた)


 ハースは思った。しかしよく考えてみれば、告白をした訳でもない。手すら繋いで無かったのに勘違いしたのは、恋愛経験のなさの暴走。


「第一、私には故郷に結婚を約束した幼馴染がいます!彼を裏切るような真似、絶対にしません」


 ハースはちょっと死にたくなった。

 羞恥心が自分を攻撃するなら、ハースは間違いなく死んでいた。

 初恋だったのだ。

 特に仲良くないけれど婚約者のいる身、女性経験は皆無。そこに可愛くて性格のいい子がいたら、心も揺れる。


 正直この卒業パーティーで婚約破棄して、ユリアと婚約しようとしていた。


 王太子といえど、こんな所で派手なことをすれば、縁談も来にくくなると思ったから。そうしたら、平民のユリアと結婚できる確率が上がると思ったから。


 今となっては、彼氏面して、突っ走っただけ。


 しかしまだ間に合う。全て胸の内に秘めておける。

 人は黒歴史を作って強くなる。

 頑張れハース。負けるなハース。

 ユリアにとっての親友ハースが打ちひしがれていることなど知らず、ユリアは前を向く。


「カナリア様の気持ちは十分わかりました」

「分かってないわ。分かるはずもないわ」


 今のカナリアにとって喋ることは痒みから気をまぎらわせるためのもの。

 一方的に話しているだけに過ぎない。


「恋にこがれる苦しみは味わったことがありませんが、それなりの苦しみを味わってきたつもりです。倉庫に閉じこめられたこともあります。管理されている訳ではなく、虫も沢山いました。いくつもいくつも蚊に刺され、暗い倉庫の中にいるのは、今思い出してもゾッとします」


 しかし、頭の中で反復している言葉、「蚊」は別である。


「蚊に……!」


 同じ痒みに苦しめられた者同士、カナリアは強い親近感を抱いた。

 先程まで自由なユリアに嫉妬していたカナリアだが、今となっては、労りの言葉しか出てこない。


「ええ、そうです。蚊です。故郷でもよく刺されていましたが、一人虚しく倉庫で痒みに耐えるのは、耐え難いものがあります」

「痒みに……!」

「私は、ただ、そのような目にもう二度とあいたくないのです。ただ、それだけを望んでいるのです」


 ユリアは必死に言い募った。

 ここで公爵令嬢の説得が出来なければ、この先の人生は暗闇に覆われる。本当に人生かかってる。

 対するカナリアは、ただただユリアに同情していた。

 倉庫で蚊に刺され続けたユリア。

 パーティー会場でドレスの中に迷い込んだ蚊に刺され続けているカナリア。

 自分達二人は似ているのでは、とすら考えた。


 そして思った。同じ境遇の者同士、この学園で助け合うことが出来たのでは、と。

 しかし今日はもう卒業の日。

 かつてのユリアを助けることは出来ない。


(少し早く彼女と苦しみを知ることが出来たなら、魂の友(ソウルメイト)になれたのかもしれない)


 カナリアは、深く後悔した。


「……私は、なんて事を……!」


 涙すら零し、崩れ込むカナリアを見て、ユリアはそっと笑った。


(ああ……やっと私の気持ちが通じたんだ)


 ユリアは勘違いしていた。

 イジメの主犯格はカナリアだと。

 ユリアから見て、現在のカナリアはイジメをしていた自分を深く後悔している。


(きっと、これから先カナリア様は悪戯に人を傷つけることはしない。だって、なんて事ない平民の苦しみを理解出来た人だから)


 カナリアは心を入れ替えた、そう信じているユリアは穏やかな気持ちになった。


「……もう、何もかも遅いのね」

「いいえ、人は何時でも変わることが出来ます、カナリア様」

「本当に?」

「勿論です!」

「なら……私と友達になってくれる?」


 カナリアの思いがけない言葉にユリアは目を丸くさせた。しかし、直ぐに聖母のような慈悲に溢れた表情でカナリアを見つめた。


「ええ、勿論です」


 周囲の人間は自然と拍手をしていた。

 身分を越え、本音で話し、真の友となった二人に。


 それは、美しい光景だった。


「カナリア様、貴方は自由です。どうか、苦しみを一人で耐えないで下さい。今回の件は勘違いとはいえ、貴方は苦しんできました。私を友と思うなら、これからは貴方と苦しみを分かち合いたいです!」


 ユリアの言葉に、カナリアは感激した。


(今私の持つ、痒みをここまで労わってくれるの……?)


 嬉しさに涙が出そうだった。

 信頼のできる友を得たカナリアは無敵の気分でいられた。

 そう、今なら、このパーティー会場から逃げられる気がする、と。


(公爵令嬢ではなく、苦しむ自分理解してくれたユリアの友として、ありのままの自分でいたい)


 カナリアはユリアの手を取った。

 ユリアも驚きはしたものの、握り返してくれた。


「行きましょう、ユリア」

「はいっ、カナリア様!」


 カナリアは駆けて行く、痒い所をかくために。

 ユリアは駆けて行く、自由のために。


 人々はそんな二人を温かく見守った。

 これから先も続くだろう、二人の輝かしい友情を幻視しながら。


 カナリアとユリアは消えた。

 会場の熱気も落ち着いてきた。

 そして、徐々に人々の視線は一点に集まって行った。


 そう、途中から完全に空気となってしまったハース殿下に。

 ハースは、虐めをしていたとはいえ、一人の令嬢の心を蔑ろにし、婚約破棄を突きつけた。

 そして、人々はハースの恥ずかしい結末を迎えた初恋にも気付いていた。

 現在、ハースの背中には哀愁が漂っている。

 かなり自業自得だが、それでも皆同情せざるえなかった。


 そして、後の国王たるハースはカナリアとも、ユリアとも違う女性と結婚した。

 ハースは、初恋の暴走による勘違いを忘れようと、ひたすら慎重かつ、冷静な判断をし続けて行く。

 賢王とすら言われるようになったハース。


 そんなハースの黒歴史は、国中の笑い話として何時までも残り続けた。その過程で、カナリアの冤罪も発覚したが、既に何年も経った後だった為、より滑稽な昔話にしかならなかった。


 そんな話を聞くことなく過ごしたのは、当人達であるカナリアとユリアだけであった。 

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