ググれ!・前編
文字数制限のため、申し訳ないのですが前後編に分けさせていだだきました。できる限り読みやすい文章を心掛けたつもりです。お手数をお掛けしてしまい心苦しいのですが、後編もお読みいただけると幸いです。
1
〝新着メッセージがあります〟
印北高校二年、田中稔は、天台野球場の一塁側スタンドで、先輩たちの引退試合の応援をしていた。野球部は毎年、百七十校が参加する夏の県大会でベスト十六に残るそれなりの強豪だが、ここ三十年はベスト八に入れていない。稔たち補欠がレギュラーを応援するのは部の伝統なのだが、中途半端な強豪校だから補欠は百人からいる。試合は0対6で、コールド負け寸前の先輩たちに向けて声を枯らす必要もなく、稔はスマートフォンで、「ファイナル・モンスター」のゲームに夢中になっていた。ゲームを中断し、画面の隅に出てきたSNSのプッシュ通知を開くと、同級生のタカオからのメッセージだった。
〝監督に見つかったら怒られるぞ〟
後ろを振り向くと、メッセージを送ってきたタカオが自分のスマホを指差しながら、「バレてるぞ」というような口の動きをした。それを見た稔はすぐに向き直ってスマホを操作し、〝一塁ベンチから一塁スタンドが見えるわけねえだろう〟と返信した。
その瞬間、グラウンドから「キィン」という音がして、三塁側スタンドがドオっと沸わき上がった。相手チームの選手がレフトスタンドにソロホームランを放ったのだ。0対7。七回コールドで、印北高校の夏があっさりと終わった。今年も五回戦敗退、ベスト十六止まりが決定した。
試合後、百人を超える部員全員が、球場の外に集められた。監督が三年生に最後の訓示をするのも伝統なのだが、負けたら終わりのトーナメント戦でやるものだから、このためだけに、補欠は一回戦からずっと応援に来なければいけない。田口監督は三年生一人ひとりの肩を抱き、涙を流しながら何かを言っているようだが、輪の一番外にいる稔には、監督が何を言っているのかはまったく聞き取れなかった。
「タカオは新チーム、レギュラー決まりだろ?」
野球部は毎年、夏が終われば三年生が引退して新チームの編成に入る。稔は帰りの電車の中でもゲームをしながら、タカオに聞いた。学校のマイクロバスを使えるのはレギュラー陣だけだ。稔たち補欠は、会場が近ければ自転車、そうでなければ自腹を切って電車で応援に行かなければならない。
「分かんねえよ。決めるのは監督だし」
「今の三年生いなくなったら、タカオが遠投、チーム一じゃん?」
「肩だけじゃ無理だよ。おれのライトだとほら、今井がいるじゃん」
「ああ、あの監督にべったりの」
「アイツ、実力もねえのに調子のいいことばっか言ってやがって、監督に気に入られてるからな。監督、アイツにだまされてるから、おれなんか選んじゃくれねえよ。それより、お前はどうなのよ?」
タカオは、吊り革二つにぶら下がるようにしてフラフラと揺れている。
「おれか? おれなんか、監督に名前すら覚えてもらえてないんだから、選ばれるわけねえよ。お前も分かってて言うなよ」
稔はそう言うと、自分のスマホに視線を戻した。走り込みだけは毎日させられているから、体幹は鍛えられているんだろうか。吊り革など使わず、電車内で左手でスマホを持って右手で操作していても、今までに転んだことはない。
「そうか? いくら鬼監督だからって、部員全員の名前ぐらい覚えてるんじゃねえの?」
「覚えてても覚えてなくても関係ねえよ。おれなんか肩は弱いし足も遅いから、目立つわけねえじゃん。かと言って、今井みたいに監督にごますれってのかよ? やだよ、そんなの」
「そんなもんかねえ。お前だって、何か一つぐらい、良いとこあるかも知れねえじゃん。もしかしたら、送りバントやらせたらチーム一かも知れないし、振り逃げのセンスは全国一かも……」
タカオはそう言い掛けて、自分で言ったことに自分で吹き出した。
「振り逃げ全一なんて特殊能力要らねえよ。……お? やった!」
稔が右手で拳を握り、小さくガッツポーズをした。スタンド応援からやり始め、今まで負け続けていた「ファイナル・モンスター」の中ボスをやっと倒すことができた。すると、画面に『我が名は那由他なゆた。我が寿命は万億ばんおく那由他也』という中ボスのメッセージが出てきた。
「タカオ。これって、何て読むの?」
稔が画面上の〝那由他〟を指差した。
「ん? な……、なんだ?」
タカオも分からないらしく、首を傾げた。
「じゃあ、これは?」
「……これは、〝じゅみょう〟だろ?」
「〝まんおく〟は万と億でしょ? その後の、な……なんとかは名前だから良いとして、最後の平仮名の〝や〟みたいなのが付いてるのは何でだ?」
「そんなの、おれだって知らねえよ。ググれカス!」
タカオに大手検索サイトの「ググルー」で調べろと言われ、稔はスマホで検索しようとしたが、読み方が分からないのでどう入力すれば良いのか分からない。〝那由他〟の文字も、ゲーム画面上のものだったので得意の〝コピぺ〟ができず、稔は検索するのをあきらめた。
「まあいいや。読めなくてもゲームに関係ねえし」
それっきり二人の会話は止んだ。稔がそれを気にすることもなくゲームを続けていると、電車が最寄り駅に到着し、二人は無言のまま別れた。
自宅アパートに帰ってからの稔は忙しい。学校で流行っている「ファイナル・モンスター」と同時に、最近サービスが始まったばかりのパズルゲーム「戦国パズル絵巻」もプレーしなければならないからだ。このゲームでは、特定のステージをクリアすると、今後のゲームを有利に進めることのできる有力な〝武将〟を手に入れることができるのだが、その特定のステージが決まった時間にしか出現しない。だから、その武将が欲しいと思ったら、必ずそのステージが出現する時間帯にゲームをしなければならないのだ。特にゴールデン・タイムと呼ばれる午後七時から十時の間には、とりわけ難しいステージが出現し、特に強力な武将を入手できることになっていた。
「ああ! またやられた! 何だよ、これ。難し過ぎるんだよ!」
稔は食卓に並んだ夕食に手も付けず、スマホゲームに興じていると、母親の典子が、
「稔! ご飯の時ぐらい、携帯しまいなさい!」
と、稔を叱しかりつけた。
「ああもう! イライラする! 分かったよ、食べる、食べるよ!」
稔は箸はしは持つものの、依然としてスマホから視線を外さない。
稔の家は母子家庭だ。父親を早くにがんで亡くし、決して裕福ではなかったが、父の加入していたがん保険のお陰で、野球だけはさせてもらっている。スマホは、持っていないと学校でいじめに遭うので持たせてもらっていて、稔の所持品の中でも最も高価だ。ただ、月千円の〝学割〟ではすぐに通信制限を掛けられてしまい、毎日、街中の無料Wi−Fiワイファイスポットを探し回ってヒーヒー言っている。
兄弟もいないから、稔がスマホをいじってしまうと親子の食卓に会話がなくなる。「戦パズ」を始めてからは特にそれが顕著となり、稔はこのところ毎日、夕食どきにゲームばかりしている。
「あんた、最近ゲームばっかりだけど、ちゃんと勉強もしてるんだろうね?」
「うるせえな! いいよ、勉強なんて。どうせ就職するんだし」
「あんた、就職はいいけど、その前に卒業が先でしょ。勉強もしないで留年したらどうすんのよ。うちにそんなお金ないんだから、しっかりしなさいよね!」
「うるせえな! 分かったよ! あ、またやられた! ああもう、イライラする!」
典子は誤解しているかも知れないが、稔は別に反抗期や思春期で典子に暴言を吐はいているわけではない。ただ単に、ゲームがクリアできなくてイライラしているだけだ。
「ほら、ご飯冷めちゃうから、いい加減食べなさい」
「分かったよ、うるせえな!」
三回連続でゲームに失敗し、稔はスマホを食卓に放り投げた。そして無言で一気に夕食を食べ終えて、自分の部屋に戻った。最近はこれが、稔の家の夕食風景の日常になっていた。
部屋に戻ると、稔はインターネット上の「戦パズ」の攻略サイトを開き、全国の他のプレイヤーに質問ができる質問板に、たった今、三連敗した〝島津義久〟というキャラクターにどうしても勝てないと書き込んだ。「戦パズ」は日本の戦国武将数百人がキャラクターとなっているのだが、ゲーム上ではすべてアニメの少女キャラだ。特に、今回の島津義久は〝水着バージョン〟なので、稔はどうしてもこのキャラクターが欲しかった。しかも、このステージが出現しているのは午後十時までだ。急いで全国のプレイヤーから攻略法を聞き、制限時間内にステージをクリアしなければならないのだ。
しばらく待つ間もなく、稔の書き込みに次々とコメントが付いた。
〝お前、ここの攻略サイト見た?〟
〝トッププレイヤーの動画観てから書き込め、春日〟
〝ggrks〟
ggrks−−−−。タカオが日常でも使ったように、「ググれカス」と読む、インターネット上のスラングだ。ググルーで検索することを〝ググる〟と言い、つまり、人に聞く前に検索しろ、カス。人に聞かなくても検索すれば答えが出ているだろう、バカ。検索が面倒だからって簡単に人に聞くな、このボケ−といった意味らしい。ちなみに、〝春日〟も〝カスが〟という意味だ。稔は質問をするコーナーに質問を書き込んだだけだったのだが、まともな回答は一件もないどころか、数人からいわれもないカス扱いをされ、ため息をついた。
「何だよ、これ。誰も教えてくれねえのかよ。月一ギガしかねえのに、お手本動画なんて観れっかよ……」
月が始まってまだ五日しか経っていないというのに、稔の通信制限は間近に迫っていた。今、たった一本の攻略動画を観てしまったら、一発でアウトだ。稔にとって、ギガ消費は生活の中心だ。
仕方がないので、稔はタカオにSNSで「島津、どうやってクリアした?」と、メッセージを送った。するとすぐに返事が来て、「戦パズ? 飽きたからもうやってねえよ」とけんもほろろ。他人に聞くことを諦めた稔は、自分で試行錯誤を繰り返し、午後十時までプレーをし続けたが、どうしてもクリアすることはできなかった。
「あれ? あんた最近、ご飯の時にゲームしなくなったじゃない?」
典子が夕食のから揚げを食卓に運びながら、稔に言った。
「ああ、あのゲーム、ギガかかるから辞めた」
「ギガ? あんた、ゲームはギガかからないって言ってなかったっけ?」
「そうだっけ? あのゲームはかかるんだよ、ギガ」
「ふうん。ゲームによって違いがあるのね。母さんには分かんないけど、辞めてくれたのなら良かったわ」
稔が「戦パズ」を辞めた理由は、ゲームが難しかったのと誰も攻略法を教えてくれなかったからだ。決してギガ消費が理由ではなかったのだが、典子に対してはそうでも言わないと面目が立たない。
野球部でレギュラーになれそうかだとか、パート先の上司がバカだとか、他愛もない話をしている典子は楽しそうだ。一緒にテレビのお笑い番組を観ながら笑っていると、稔も、あんなイライラするだけのゲームを辞めて良かったなと思った。
すると突然、テレビの画面が真っ暗になった。二人が気付いて目を向けると、
『世界のすべてを検索する』
『10月1日午前0時、世界同時配信』
『アー・ユー・レディー?』
『ググルー』
という文字が順番に映し出された。
「何、今の?」
典子が気味悪がると、稔は、
「ただのCMじゃない?」
と言った。やはりCMだったらしく、テレビには別のポン酢のCMが流れている。
「世界同時配信って、おっきい映画か何かかしら?」
「映画じゃないんじゃない? 最後、『ググルー』ってなってたし」
「配信とかって、母さんには分かんないけど、まあ、母さんには関係なさそうね」
「まあ、そうだろうね。おれだって、月一ギガしかないし、あんま関係なさそうだけど。今ググってみようか?」
稔が自分のスマホで検索してみると、出てきたのは今観たのと同じ画面だけで、十月一日に何が始まるのかは完全にシークレットになっていた。
「うーん……。サイトはシークレットになってるね。パソコンのウインドウズみたいに、ググルーがバージョンアップでもするのかな」
「何その、ウインドとかバー……なんとかってのは?」
「多分、母さんには関係ないよ。十月一日だと来週でしょ? 分かったら、母さんにも教えるよ。一応」
「一応って何よ、一応って」
「だって、興味ないでしょ?」
「ま、まあ、そうだけど。でもほら、知ってないと、母さんだってパート先でバカにされちゃうかも知れないじゃない?」
「分かりました! 何が始まるか分かったら、必ず母さんに教えます!」
「それでよし! そうしてちょうだい」
そう言って典子は、稔のご飯の上に、自分の分のから揚げを二個乗せてくれた。
翌日、稔は学校でクラスメートたちに、昨日観たCMのことを聞いてみようと思った。休み時間のたびに聞いてみたが、そのCM自体を観ていなかったという返事が多く、観ていても稔と同じレベルで何も知らなかった。まったく詳細がつかめないまま昼休みになり、クラスで一番仲の良い長井と弁当を食べながら話していると、きょうは風邪で休んでいる親友のタカオとポジションを争う、あのお調子者の今井が自分の弁当を持って寄って来た。
「おう、何話してんの?」
稔も長井も、今井のことは友達だとは思っていないのに、今井はさも当然とばかりに、二人の間に座った。
「ああ、昨日のググルーのCMの話。お前、観た?」
稔はちょうどいいやと思い、今井にもCMのことを聞いてみた。
「ああ、あれな」
「観たんだ? もうすぐ十月一日じゃん? あれって実際、何が始まるか、お前知ってる?」
「あんなの、ググルーなんだから、ネット関係に決まってんじゃん。そんなこと聞くヤツなんてバカだよ」
今井の目が泳いでいる。知らないのだ。答えになっていない答えしかしていないくせに、今井は稔たちを見下すように笑った。今井は他人を貶おとしめることばかりを言って、自分の地位を上げようとする人間だ。それをクラスメートはみんな分かっているから、積極的に今井とは付き合わない。だが、自分がそう思われているとは一切感じることのない今井本人は、クラスメートの誰彼構わず話し掛けてくる。クラスメートは、話し掛けられるから仕方なく応対しているだけなのだが、今井自身は、クラスのみんなと話しているから、自分は人気者だと思っている節がある。
大体、実力もないのに、監督に取り入ってタカオのポジションを奪おうとすることが許せない。稔は、普段なら調子の良いことばかりでまったく内容のない今井の話など聞き流すところだったが、つい、やんわりとでも反論してみようと思った。
「いくら何でも〝ネット関係〟は広すぎるでしょ。そりゃあ、インターネットの会社なんだから。そのネットで何やるのかって聞いてるんだよ、知らない?」
稔が少し強い口調で聞き返すと、今井はすぐさま、
「そんなの、十月一日? にやるって、決まってんじゃん」
と、これまた分かり切ったことを当然の表情で言った。稔のこめかみの血管がピクピクと動いたのを見たのか、長井が、
「ネット上では、世界中でかなりの議論が巻き起こっているみたいだけど、まだ分からないみたいだよ、トップシークレットで。情報が漏れないから、トップシークレットって言うんだ。おれたちみたいな日本の高校生ごときには分かるわけないよ。こりゃあ十月一日、待つしかないよ」
と、二人をなだめるように、話をまとめた。たかがアメリカの企業の一本のCMだ。稔はそれきり、ググルーについて調べることはなく、十月一日の当日を迎えた。
米検索大手「ググルー」は十月一日午前零時、新たな検索システム「ググルー・ランク」を世界同時配信した。〝世界のすべてを検索する〟との謳うたい文句の通り、世界中のありとあらゆるものの順位を瞬時に知ることができ、さらにランキング形式でも検索できるという画期的なシステムだという。これまでにググルー社が蓄積した膨大ぼうだいなデータを基に、最新鋭のAI(人工知能)が、検索された単語の順位を弾き出す。例えば『四菱の鉛筆』と検索すると、これまでは製造した会社や製造を開始した年月、年間売上の推移などを知ることができたが、ググルー・ランクでは、『四菱の鉛筆 人気』と入力することで、AIが鉛筆業界全体に寄せられたユーザーの声なども併せて分析し、瞬時に現在の順位、『一位』と叩き出す。
これを人間に当てはめたというのが最大の特徴だった。例えば有名人の場合、学校での成績に始まりIQ、体力データ、育った環境、取り巻く人間の関係、さらにはインターネット上にあふれるありとあらゆる書き込み……。膨大なデータをビッグ・データ化して取り込み、有名人の人間としての成長の度合い、その時代時代でのそれぞれの業界での力関係までをもAIが自動で分析し、一瞬でその有名人を、人気や能力といった項目ごとに順位化した。
時差の関係で世界で最も早く配信が始まった日本は、瞬く間に〝ランキング天国〟となった。テレビのニュースでは、真っ先に時の首相『菅義英』を検索。やれ外交力が歴代九十九位だの、政治力が現役国会議員中二百三十七位だのと大いに盛り上がり、〝首相としての適性に疑問〟などと報じた。
〝人気〟で順位が出てしまったから、芸能界は特に過敏に反応した。これまで長く起用されていたが、実は人気がまったくなかったという芸能人がテレビから消えた。映画やドラマ、音楽や演劇、絵画や小説など、ありとあらゆるジャンルから、現時点で人気がまったくない無名の新人というものは起用されなくなった。そうなると、常にランキング上位十人ほどが入れ替わり立ち替わり起用され続けることになり、テレビや雑誌などのランキング企画も用をなさなくなってしまった。
「ほらあ。やっぱ、セカンドは浅村が一位じゃん」
「それ、守備力だろ? 〝セカンド 人気〟ってやれば吉川になるって」
「肩だと菊池って出るよ」
稔の野球部も例外なく盛り上がった。普段から、それぞれが推すプロ野球選手の名前を挙げ、やれセカンドは誰が一番上手いだのショートは誰だの、やれあの選手は人気だけだだのと言い合っていたから、部員たちはググルー・ランクが配信されたその日から、練習そっちのけでスマホに好きなプロ野球選手の名前を入れまくった。途中、現役選手だけではなく、歴代選手でも検索できると分かると、もう誰もグラウンドには出なくなった。
「稔、そういや球速って、大谷祥平の百六十五キロだっけ?」
タカオに聞かれた稔は、「そうだと思うけど……」と言いながら、『大谷祥平 球速』と検索した。
「あれ? 大谷、二位になってる。大リーグに行った後って、誰かに抜かれてたっけ?」
「嘘? 誰にも抜かれてないっしょ」
「だって、二位になってるよ。ほら」
稔がスマホを見せると、タカオも首をひねった。
「おかしいな。じゃ、一位は誰ってなってんの?」
「大谷で調べたから、大谷の順位しか出てない」
「あ、そうか。稔。それじゃあ、歴代球速ランキングって入れてみ?」
「ああ、それなら全部出るな」
言われた通りに検索すると、一位のところに『金田正市 170キロ』と出てきた。金田正市は、すでに鬼籍に入った往年の名投手だ。当時はまだ球速の計測ができなかったのだが、対戦経験のある元選手の間には「百七十キ以上は出ていた」という話もあり、稔たち現役時代を知らない世代でも知った名前だった。
「うお? すげえ。ググルーのAI、金田さん百七十キロにしてるよ。昔はスピード・ガンなかったはずなのに、ちゃんと数字出るんだな」
「AI、すげえな」
みんなで感心していると、校舎の方から、
「おーい。おめえら、そろそろ終わりにして帰れよー」
という声がした。日が落ちて辺りが暗くなり始めたというのに、この日初めて姿を見せた田口監督は、グラウンドに入ることなく、声だけ掛けて職員室へと戻っていった。
「おい、タカオ。このググルー・ランク、エモいな。明日はもっと、歴代調べたくね?」
「そうだな。これ、かなりエモいよ。きょう帰ったらちょっと、面白くなりそうなワードとか考えてみる」
着替えに部室へ戻ると、まだスマホを見ていたキャプテンが、「ほらあ! やっぱ松井秀樹だ! 打撃力も人間性も一位だぜ!」と言って、飛び上がって喜んでいた。
みんなで着替えながらワイワイ騒いでいると、部室にドタドタと足音が近付いてくるのが分かった。
「おい、また監督だ」
誰かが言ったかと思うと、全員スマホをしまって、急いで今まさに部室のカギを閉めて帰るところだという状況を装った。扉が開くと、やはり巨体の田口監督で、
「おい、二年生、まだ全員いるか?」
と聞いたので、誰か一人ぐらいは帰ってしまっているかもとは思ったが、全員で「はい!」と声を合わせた。
「すまんな、忘れてた、忘れてた。これ、新チーム名簿な。キャプテンから発表しといてくれ」
田口監督はキャプテンにA四判の紙を一枚手渡し、また職員室へと帰っていった。キャプテンはその場ですぐに名簿を読み上げたが、レギュラーは全員二年生で、意外性はなく概ねみんなの予想通り。ライトにはあの今井が入っていたが、キャプテンから、タカオと稔の名前が読み上げられることはなかった。
ググルー・ランクは日本を中心に瞬く間にあちこちで大ブームを巻き起こした。日本では、このシステムのせいで仕事がなくなった芸能人数人が訴訟を起こす騒ぎとなったが、裁判所は、いち企業が膨大な時間を掛けて集めた大量のデータを基に勝手にランク付けをしただけであり、法的責任は問えないという判断を下した。この判決をきっかけに、日本の検索社会化はさらに加速した。
もともと、有名人・著名人の境界はあいまいで、例えば同じプロ野球選手でも、二軍登録選手となると検索されたりされなかったりしていたし、俳優や芸人、上場企業の社長でもそれは同じだった。すると、今度は検索されランク付けされた側が、検索されないのは不公平だ、平等にすべてを検索できるようにすべきだなどと騒ぎ出した。力を持つから検索された有名人・著名人は、検索されなかった者より上位だと初めから分かっているから、力なくランクで弾かれた者の情報のことごとくをググルー社に提供し始めた。
ランキング自体は、日を追うごとに充実していき、その流れはもはや、ググルー社にも止めることはできなくなっていった。あいまいだった有名人・著名人と一般人との境界が完全に崩壊した。稔の周りでも、ある日突然、校長先生の知能や指導力、人間性などの順位を調べることができるようになったかと思うと、その翌日には一般教員全員の検索が可能となった。野球部の監督など、あっという間に全国ランキングまでが分かるようになった。
「タカオ、ちょっとこのランク、ヤバくね? 順位以外でも、『田口監督 身長』とかって上手く入力すると、田口監督の身長出てくるぜ?」
野球部の練習中、ベンチでスマホを見ていた稔は、さすがに行きすぎだと思ったのか、眉間にシワを寄せながらタカオに言った。
「すげえな。監督がそこまで調べられるんなら、もうすぐおれたちも調べられるようになるかもよ?」
タカオは検索システムの充実を歓迎しているのだろう。うれしそうに話す表情だけで、自分が検索できるようになる日を心待ちにしているのだと分かる。
「でもさ、見てよ、これ。『全国野球部監督体脂肪ランキング』。田口監督、体脂肪率四十・三パーセントで全国三位だって」
「そりゃそうだろ。おれだって、監督より太ってる監督、見たことないんだからさ」
「いや、そういうこと言ってんじゃなくて。大体、こんなデータ、どこから集めんのよ?」
「うーん。体脂肪率なんて、健康診断のデータとかじゃない?」
「じゃあ、病院?」
「病院じゃないとは思うけど、いるんだよ、そうやってググルーに情報を流すヤツが。うちの校長なんか、この前、自分の指導力が全国千五百位だったって怒ってたらしいから、校長なんか一番怪しいんじゃねえの? あれから毎日、SNSで『印北高の校長は素晴らしい』って自演してるってうわさだし」
「それじゃ、なおさらまずくね?」
「まずくないよ。ググルーだって言ってんじゃん。『世界のすべてを検索する』って。情報化社会、情報は隠しちゃダメ。すべての情報を提供してもらわないと、おれたちはすべてのことを検索できないじゃん。だから良いんだよ」
「ふうん。おれなんか、掛け算もあやふやだから分かんねえけど、頭の良いタカオがそう言うんなら、そういうもんなのかも知れねえな……」
稔は、そうは言っても、やはりどこか府に落ちない様子で首をひねった。
「そう言うお前だって、今も監督のことググったんだろ? どっぷりハマってんじゃん、ググルー・ランクに。そういやお前、最近、「ファイナル・モンスター」やってねえじゃん」
「まあ、今はこっちの方が面白いからな。現実だし」
「だろ? だからデータは、もっと充実させなきゃいけないんだ。昔から言うじゃん、『数字はうそをつかない』って。そうだ。マネージャーに言って、うちのチームのスポーツテストの結果も提供してもらおうよ。そうすりゃ、誰が一番足が速いかとか、誰の肩が強いかとか、一発で分かるようになるじゃん?」
「ええ?? それは嫌だよ」
「いいよ、そうしよう。おーい、マネージャー!」
そう叫びながら、タカオはマネージャーのところへと走っていった。
なるほど。きっと、こういったことが世界中で行われているのか。こうやって、ググルー社にどんどんと大量の情報が集まっていくんだ……。
インターネットの仕組みを垣間見た気がして、稔は少しそら恐ろしくなった。
ググルー・ランクの世界同時配信からひと月も経つと、国内に検索できないものはほぼなくなった。車や家電に始まり、商品という商品にはトイレットペーパーからネジ一本に至るまですべてに順位が付けられた。特に飲食業界が顕著で、フランスのガイドブックや国内で発行された新聞・雑誌、インターネット上の口コミや書き込みなどが反映されたから、国民はググルー・ランクを〝真のランキング〟と評価した。客は上位の店にばかり集中し、ランキング下位の店は次々と淘汰とうたされ、閉店を余儀なくされていった。
次第にこの傾向が経済界全体に広がっていき、ランキング上位の企業の株価ばかりが際限なく上昇した。下位の企業は次々と倒産していき、日本は空前の格差社会へと向かっていった。
最も時間が掛かったのは、やはり国民一人ひとりのデータの集積だった。ググルー社の日本法人は〝一億総検索社会の実現〟を旗印に掲げ、非公式にありとあらゆる情報をかき集めていった。
そんなある日、稔はタカオと、同学年のチーフマネージャーのルカ、一年生マネージャーのアケミの四人でダブルデートをすることになった。ダブルデートと言っても、交際しているのはタカオとルカだけで、稔はタカオに強引に付き添いをさせられた形だ。三人では体裁が悪いからと、誘いやすい一学年下のアケミを無理やり引き込んだ。行き先は、千葉県が誇る巨大テーマパーク「ネヴァーランド」。遊園地嫌いのタカオはかなり渋ったが、ネヴァーランドはルカのたっての希望で、タカオも「稔が行くなら行ってもいい」と言ったらしい。
「うわあ、やっと来られた! うれしい! ホントあたし、ここ来るの、夢だったんだから!」
ネヴァーランドの入り口を抜け、たくさんの土産物店やレストランが建ち並ぶ巨大なアーケードを歩きながら、ルカがはしゃいだ。その横でタカオがつまらなさそうに歩きスマホをしていたので、稔は仕方なくルカに、
「夢なんて大げさな。近いんだから、いつでも来られんじゃん?」
と聞いてみた。
「大げさじゃないよ。だってあたし、ここには絶対、高校生のうちに彼氏とデートで来るって決めてたんだから。あ、見て見て! あそこ! バブルス君があいさつしてる! カワイイ!」
稔たちが見ると、ネヴァーランドのマスコットキャラクター、猿の「バブルス君」の着ぐるみが、こちらに向かって手を振っていた。すると、興味がないと思っていたタカオがバブルス君に近付き、持っていたスマホを向けて写真を撮った。
「何、タカオ? お前、バブルス君のファンだったのかよ?」
タカオに続くようにルカとアケミも写真を撮り始めたので、稔はこっそりとタカオを冷やかした。
「ちげーよ。えーと、ほら出た。おーい、ルカちゃん! この着ぐるみ、税込みで三十五万円! 東京都墨田区製だ!」
タカオは誰はばかることなく、バブルス君の横でポーズを決めていたルカに向かって、大声で叫んだ。
「お前、今撮った写真でググったのかよ?」
稔が聞くと、ルカが血相を変えてタカオの元へ走って来た。
「もっと調べられんぞ。今、あの着ぐるみに入ってる〝中の人〟は、お? アケミと同じ名前じゃん。アケミ・ダグラスっていうスーツアクターのアメリカ人だ。バブルス〝君〟なのに、中の人は女性なんだな。えーと、年は三十……」
タカオがスマホを見ながら夢を壊すようなことを次々と言うので、周囲の客が冷たい視線を向け始めた。稔は急いでタカオの腕をつかんで土産物屋と喫茶店の間の路地にタカオを引き込んだ。
「バカ! タカオ! やめろ! 周りにいっぱい子どもいるんだから、夢を壊すな!」
「いや、稔。ググルー、やっぱ面白えぞ? このダグラスさんって中の人、給料二十万だって。あの着ぐるみより安いじゃん。ここのスーツアクターの中で実力五十三位になってっから、手ぇ振るだけでダンスとかできねえんじゃん?」
「だからそれやめろって。ここは〝夢の国〟なんだから、そういう〝現実〟は要らねえんだよ」
振り返ると、通りの方からルカとアケミが心配そうにこちらを見つめていた。
「ほら。二人も待ってっから行くぞ。いいな? きょうはそういう〝現実〟はなしだからな?」
タカオを説得してルカたちのところへ戻ったが、タカオは相変わらず、手からスマホを離さなかった。
アーケードを抜けると、このパークのランドマーク、「ノイシュバンシュタイン城」が現れた。
「うわあ、大きい……」
ルカが感嘆の声を上げると、タカオがまたすかさず写真を撮り、
「デカいったってあれ、たかが二十メートルだぜ? 遠近法使って、下から見たら大きく見えるように作ってあるんだって。日本の建築物ランキングだと、十万……」
と言い出したので、稔は、
「だからやめろって!」
と言って、あわててタカオの口をふさいだ。
ダメだ。絶対、このデートは失敗する……。
稔が思った通りで、タカオはこの後も、ルカが「コスモマウンテンに乗りたい」と言えば、「絶叫度ランキングが三十位だ、きっとつまらない」、「名物のバブルスシェーキが飲みたい」と言えば、「スイーツランキングが五千位台と酷い。着色料も入ってる」などと検索を繰り返し、ルカを興醒めさせた。仕方なく入ったパーク内のゲームセンターで四人はエアホッケー勝負をしたが、タカオはルカに一点も取らせず完勝。怒ったルカは結局、アケミを連れて帰ってしまった。
「バカ! タカオ! だからおれ、あんなにググるなって言ってたじゃねえか」
「何でだよ? ググれるもんはググるだろ、普通? ググんなきゃコスモマウンテンが面白くねえって分からなかったんだぜ? ググって真実を知った方が、失敗しねえに決まってんじゃねえか」
「お前、結局、ルカちゃんたち帰っちまってんだから、失敗してんだろうが」
「だって、つまんねえアトラクションに乗ったってつまんねえに決まってるし、まずいって知ってるもんも食わんだろうよ?」
「ちげえんだよ。こういうところに来たら、そういうのも全部、雰囲気なんだって。コースターのスピードがどうとか、絶叫度がどうとかって、関係ねえんだよ。おれもよく分かんねえけど、こういうデートで知らねえでまずいもん食ったって、後で『あそこで食べたあれ、まずかったね』って、笑い話になるんじゃねえの?」
「ふうん。おれはまずいもんは初めからまずいって知っておきたいけどなあ……」
「まあ、タカオの気持ちも分かるけどさ、ほら、あれだよ。ググルーが検索できすぎるからいけねえんだよ。こんなに何でもかんでも検索できるようにしなけりゃ、タカオだって何でもかんでもググったりしねえだろ? ググルーが悪いんだよ、ググルーが」
「ググルーか……。でもおれは、やっぱ何でもググれる方がいいけどな」
タカオのググルー好きは、通信制限でも食らわない限り治りそうもない。
「ま、タカオがいいならそんでいいけど。ググルー好きの女の子ってのも、どっかにいるだろうし」
二人の反省会は結局、稔がさじを投げて平行線に終わった。稔自身、デートは初めての経験だったが、今回はなぜか、すごく勉強になったような気がした。そして稔は、タカオは絶対に謝りそうもないから、次の部活で必ず、ルカたちに謝らなければいけないなと思った。
三カ月後、稔の野球部にも変化があった。実家のラーメン店が潰つぶれた、父親の会社が倒産したと言って、次々と部員が辞めていったのだ。中には学校そのものを退学した部員もいて、百人いた部員は、あっという間に七十人ほどにまで減った。幸い、稔の母親は一流企業のスーパーでレジ打ちのパートだったため影響はなく、親友のタカオの家は父親が上場企業の社員だったので、父親の給料は五倍に、タカオの小遣いは三倍になった。
「稔! ついに来たぜ、おれたち!」
朝練に遅刻してきたタカオが、スマホを持って、グラウンドを走っていた稔に駆け寄ってきた。
「ついに来たって、何が? っつーかお前、遅えよ」
稔は眠そうにダラダラと走っている。
「ググルーだよ、ググルー・ランク!」
それを聞くと、一緒に走っていた全員がその場で走るのをやめ、タカオの方を見た。田口監督は朝練には来ないので、誰に気兼ねすることもない。
「何? ついに、おれたちもググれるようになったのか?」
タカオと同様、ググルー・ランクが大好きなキャプテンが聞いた。
「朝練なんかいいから、ちょっとググってみようぜ」
タカオが言うと、全員朝練を止め、ベンチに集まった。
「じゃあ、誰から行く?」
「うわあ、何か怖いな」
部員たちが騒いでいると、「まずはキャプテンからだろう」という今井の一声で決まった。
「ええと、キャプテンって、〝タカハシ〟は普通の高橋で良いでしょ? 〝タカシ〟ってどういう字だっけ?」
タカオが聞くと、キャプテンは、
「〝やま〟書いて〝そう〟だよ」
「〝やま〟書いて〝そう〟? ああ、〝祟り〟の〝たた〟か」
「バカ。〝祟り〟って言うな。〝崇高〟の〝すう〟だ。どこの世界に、祟りなんて名前つける親がいるよ?」
「……ええと、〝高橋崇〟と。最初はどうしよう。〝野球力〟ってやってみる?」
タカオが入力しながら言うと、みんな自分のこと以外には興味がないようで、「いいんじゃね?」と声をそろえた。
「〝高橋崇 野球力〟……と。出た!」
タカオが見せた画面に、〝12万7522位〟と表示された、部員全員が大笑いした。
「タカオ! バカ! これ、プロも入れた全国順位だろ! せめて同学年にしろ、あ、いや、このチームにしろ、このチームに!」
涙を流しながら笑っていたタカオは、
「十二万位! 超ウケる!」
と言った後、今度は〝高橋崇 野球力 印北高野球部 現役〟と入力した。すると、今度は〝32位〟と表示された。
「三十二位ってビミョー」
「キャプテン剥奪はくだつじゃね?」
みんなの声にいたたまれなくなったのか、キャプテンは顔を真っ赤にしながら、
「まあいい。次、エース行ってみよう」
と、気を取り直してエースの方を向いた。エースを〝投手力〟で検索してみると、意外にも〝チーム内2位〟と表示された。
「おいおい、エースなのに一位じゃねえのかよ」
「じゃあ誰だよ、うちのチームの投手力一位は?」
部員から次々と声が上がり、エースは憮然ぶぜんとしている。タカオがすぐに〝印北高野球部 現役投手力ランキング〟と入力すると、これまた意外にも、タカオが一位となっていた。
「お、おれ?」
タカオは驚いた様子を見せたが、満更でもない表情をしている。
「確かに、タカオのライトからのバックホームはチーム一だもんな。AI、案外良いとこ見てるのかも……」
稔が言うと、キャプテンは少し考えた後で、
「よし。ちょっと、AIでスタメン考えてみよう」
と、提案した。AIにはどうやら、練習試合で記録したスコアブックのデータがかなり細かく提供されているらしく、投手力や打撃力、守備力、走力はもちろん、犠打数や失策数など、さまざまなランキングを調べることができた。
「……よし。大体、こんなもんか?」
キャプテンがベンチの黒板にチョークで書き出したスタメンは、サードだったキャプテンがキャッチャーになっていたり、タカオがピッチャーになるなど、補欠から五人がレギュラーに昇格。ライトの今井など五人が入れ替わりでレギュラーから外れていた。それにも関わらず、意外にも部員たちの間からは、
「これ、意外と強いんじゃない?」
「監督よりも、AIの方がおれたちをちゃんと見てるのかも」
「隠れてた才能が見つかって良いな、これ」
などと、不満はまったく聞かれなかった。「セカンドなんかやったことないよ」と言っている顔も、嫌そうにはまったく見えず、どこからどう見てもうれしそうだった。
AIの診断をもってしても、稔の名前はなかった。稔は、
「キャプテン。これきっと、まだまだいろんなランキングが出るんじゃね? もっと時間を掛けてじっくり調べた方が良いかも」
と言ってみた。キャプテン自身も、どうやらまだまだ検索し足りなかったらしく、
「そうだな。ちょっと一晩じっくりググってみて、パーフェクトランキング作ってみるわ」
と言い、この日の朝練はお開きとなった。
隠れた才能が見つかる−。部員の一人が言った言葉が頭から離れず、稔はこの日の授業にはまったく身が入らなかった。自分にも必ず、何かしらの隠れた才能があるはずだ。授業中も机の下でスマホをいじり、何度も何度も検索をかけて、自分の名前を探した。だが、やればやるほど、自分が惨みじめになるだけだった。〝野球力〟は全国二十万位台と算出された。チーム内に条件を絞ったが、九つあるポジションはあっさりと全滅。打力も走力もレギュラーにはほど遠かった。送りバントも代走もダメ。挙げ句の果てには〝振り逃げ力〟とも入力したが、チーム内ベスト五十にすら入るものは一つもなかった。
おれには野球の才能はないのか……。
稔ががっくりと肩を落とすと、突然、教師が教壇から、「田中! お前、早弁してんじゃねえだろうな??」と、怒鳴りつけた。急に名前を呼ばれ、あわてて背筋をピーンと正した稔が、「いえ、してません」と言うと、教室のあちこちから失笑が漏もれた。どの教科の教師も、稔がバカだと分かっているから、こういう時でも、やれ教科書のどこどこを読めだの、やれこの問題を解けだのとは一切言ってこない。実際、〝学力〟で検索してみても、チーム内ではワースト二位だったし、学校内に範囲を広げても下から三番目。全国では、同学年で五十万位台という有様だった。
タカオが新エースか。隠れていた才能が開花して甲子園にでも行ったら、あっという間にプロか……。
いつもはタカオを誘って一緒に帰宅していた稔だったが、この日はタカオを誘う気が起きず、夕方の練習もサボって一人で帰宅した。野球の才能がないんだから、練習なんかしたって仕方がないと思った。
アパートに帰ると、ドアの鍵が閉まっていた。母親の典子は、午後七時までパートに出ている。稔はこの日、鍵を持って出掛けなかったので、仕方なく近くのゲームセンターにでも行こうと思い、ふらふらと街へ出た。勉強もダメ、野球もダメ。自分には何の才能があるのだろう。街を歩いていると、牛丼チェーン店のアルバイト募集の張り紙が目に入った。牛丼屋の店員なら……。そう思って、スマホで〝田中稔 接客業〟と入力してみた。すると、順位は〝2562万8323位〟と出た。
二千五百六十二万……。そ、そりゃあまあ、接客なんてやったことないしな。
順位に青ざめながらも、稔はそう自分に言い聞かせた。タクシーが目に入り、〝タクシー運転手〟で検索したが、〝圏外〟となった。
そりゃそうだ。そもそも免許持ってないし……。
試しに〝教師〟と打ってみても、同じ〝圏外〟だった。〝会社員〟、〝駅員〟、〝清掃員〟……。思いついた職業を次々と入れて見たが、どれも数十万、数百万、数千万という単位でしか順位が出なかった。
おれには何の才能もない……。こんなんじゃ、高校卒業したって就職すらまともにできないじゃないか……。
あっという間に日が落ち、辺りが暗くなってくると、稔の目の前も真っ暗になってきたような気がした。すると、目的のゲームセンターのネオンが目に飛び込んできた。〝ゲーセン店員〟で調べてみると、〝5万3376位〟と、これまでで最も良い数字が出た。
そうだ。ゲームは割と得意なはずだ……。
ゲームセンターに入り、ベンチで自分の〝ゲーム力〟を調べてみた。この数字だけはかなり期待が持てると思っていたが、出てきた数字は〝4622万7611位〟という、〝圏外〟を除けばこれまでで最低だった。
マジかよ、これ……。
試しに、〝日本のゲーム人口〟と調べてみると、四千八百万人と出た。つまり、全国で最下位レベルということだ。あきらめずに、今現在、熱中しているスマホゲーム「ファイナル・モンスター」だけに限定して調べると、順位は二万位を超えていて、ユーザー数をからこれも下から数えた方が早いという結果だった。
大好きなはずのゲームですら、才能がないのかよ……。
ヤケになってきた稔は、目についたクレーンゲームやメダルゲーム、ビデオゲームを次々と入力し、自分の才能を探した。だが、どれも結果は似たようなものだった。
才能のない人間は、今の日本では生きていてはいけなくなるのかも知れない。稔に言いようのない絶望感が押し寄せてきた。
〝上には上がいる〟。こんな言葉が気軽に使われているけれど、この言葉を使って良いのは、ある程度の才能がある人間だけだ。今の自分には、そんなはるか彼方の天上世界は見えっこない。見えるのは下だけだ。〝下には下がいてくれている〟。自分より下の順位の人間がいてくれているから、自分が最下位にならずに済んでいるのだ。
稔は、適当なゲーム機に百円玉を入れ、スタートボタンを押した。と同時に、午後六時になったから高校生は帰るよう促す店内アナウンスが流れた。稔が無視してプレーを続けようとすると、店員が駆け寄ってきて、規則だからと稔を店外に追い出し、「ありがとうございました」と頭を下げた。こんな何の才能もない高校生にも頭を下げなければいけない大人の店員を見て、稔は何だか少し申し訳ないような気がした。
2
「稔! あんた、朝練はどうしたのよ! きょう、雨降ってないわよ!」
翌朝、稔は母典子の怒鳴り声で目を覚ました。
「……うーん。きょうは行かない」
稔は目も開けずに布団を頭からかぶり直した。
「行かないって何よ? 朝練休み? 晴れてるわよ? 風邪でもひいたの?」
典子がドアの向こうから聞いた。
「……いや、ひいてない」
「じゃあ何? 朝練サボって大丈夫なの?」
「……野球なんか、もう辞める」
「あんた、じゃあ、学校には行くんだね? お弁当作っちゃってるんだから、早く起きなさい」
「……学校も辞める」
「学校も辞める? あんた、何バカなこと言ってんのよ」
典子は勝手にドアを開け、稔が寝たままのベッドの脇まで雪崩れ込んできた。
「……野球も学校もどうでもいい」
そうだ。自分には野球の才能も勉強の才能もないのだ。才能がないんだから、そんなもの、いくらやっても無駄にしかならない……。
「どうでもいいって……。あんた、学校辞めてどうするのよ? まさか、芸能人にでもなるとかって言わないだろうね?」
ついに、布団を典子にはぎ取られた。
「……分かんない」
「分かんないって、この子はホントにもう……。ほら、あんたとふざけてる暇ないんだから、さっさと起きて、とりあえず学校行きなさい。高校ぐらい出とかないと、ろくな大人になれないわよ!」
稔は半ば本気で言っていたのだが、典子は、そんな稔の言うことを戯ざれ言と取り合わず、忙しそうに台所に戻って行った。
ろくな大人になれないか……。そういや、会社員の順位、五千六百万位だったしな。どうせもう、〝ろくな大人〟になんかなれやしないって決まってるんだ。おれなんか、〝ろくでなし〟にしかなれないんだ……。
そう思って二度寝しようとした稔は、ふと、典子の言葉を思い出した。
高校ぐらい出とかないと……か……。
稔は枕元のスマホに手を伸ばし、布団の中で、〝田中稔 会社員 高卒〟と検索してみた。すると、順位が昨日とはまったく違い、一気に三千万位台に跳ね上がった。ちなみに〝大卒〟で検索してみると、さらに順位は跳ね上がり、千七百万位台だった。行ってもいない大卒の数字がどういう仕組みで出るのかは、稔には分からなかったが、典子が言うように、少なくとも高校ぐらいは出ておいた方が良いということは分かった。稔はあわてて飛び起きてダイニングに行った。
「あんた、起きてきたじゃない。まったく、朝は忙しいんだから、グズグズ面倒なこと言わないでよね。ほら、お弁当」
典子が弁当を差し出すと、稔は素直に受け取った。
「母さんさあ……」
「何よ。ほら、さっさと朝ご飯食べちゃいなさいよ。きょうはゴミ出さなきゃいけないんだから」
「学校行くときおれが出すよ。そんで、母さんさあ」
「だから何よ?」
「父さんって、何か特技とか才能とかってあったの?」
「何よ、急に、珍しい」
稔の父親は十五年前、がんで亡くなった。長距離トラックのドライバーで、アパートにはほとんどいなかったが、稔は当時、やたら太かった父の太ももに抱きついた時の感触を何となくではあるが覚えている。
「いいじゃん、たまには。やっぱ、車の運転?」
稔がトーストにかじりつきながら聞くと、典子もテーブルの向かいに座った。
「父さん、ずっと無事故だったからね、車の運転も上手かったと思うけど……」
典子が懐かしそうに目を細めた。
「けど何?」
「ん? あ、そうね。父さんはやっぱ、競輪ね」
「競輪? トラックドライバーじゃないの?」
稔は、今まで父と競輪が結びつくような話は聞いたことがなかった。
「父さんねえ、元は競輪選手だったのよ」
「うそ? そんな話、一回も聞いたことなかったけど」
「一年しかできなかったからね。あんたが生まれた年にけがして辞めちゃったから」
「けがで……」
すると、典子は仏壇に行き、引き出しの奥から持ってきた古いスポーツ新聞の小さな切り抜きを見せてくれた。
「ほら、ここ」
典子が指差したところに、小さな写真のない記事で、『優秀新人選手賞 千葉70期 田中紀之』と、父の名前があった。
「写真は載ってないんだ?」
「贅沢ぜいたく言わないの。新聞に名前が載っただけでもすごいんだから」
「ふうん。じゃあ父さん、競輪の才能があったんだ?」
「才能なんかないわよ。父さんが競輪選手になるって言ってた時、太ももなんか、今のあんたより細かったんだから」
「だって、新人賞獲ったんでしょ?」
「あたしは競輪、よく分からなかったけど、父さん、競輪選手になる前もなってからも、ずうっと練習練習だったからね。それでも最初は全然勝てなくて」
「へえ」
「負けて負けて、五戦目にやっと一勝できて、それであの人、あたしにプロポーズしてくれたのよ」
「プ、プロポーズ?」
稔が飲んでいたインスタントコーヒーを吹き出しそうになると、典子はあわてて、
「あらやだ。母さん、朝から何言ってんだか。ほら、あんたもさっさと食べて、朝練行きなさい」
と言って、恥ずかしそうにテーブルの空いた食器を片付け、逃げるように台所に走って行った。
父さんが競輪選手だったなんて……。父さんの血が流れているなら、自分にだって同じ才能があるかも知れない。
そう思った稔は、燃えるゴミと一緒に、いつもの癖で野球道具の入ったバッグを持ってアパートを出て、朝練の時間に間に合うバスに乗った。ポケットからスマホを出し、試しに車中で〝田中稔 競輪〟と検索してみた。〝二世タレント〟みたいに良い順位が出るかと期待したが、結果はやはり〝圏外〟だった。
ググルー・ランクが有名人・著名人に関わらず、一般人までも検索できるようになったことは、あっという間に世界中に知れ渡った。稔の学校でもクラス中がその話題で持ちきりで、結局、朝練をサボった稔が教室に入った時には、生徒全員がスマホを手に、検索結果に一喜一憂していた。かつては、校内に学力テストの順位を貼り出していたが、近年の日本の教育では、児童・生徒に優劣を付けてはいけない、いじめを助長するといった理由から、児童・生徒の順位付けは避けている。〝何点台に何人〟といった発表だったり、運動会では手をつないでゴールしたりというのが普通になっていたから、はっきりと順位が出るググルー・ランクは、こうした教育を受けてきた高校生たちにとっては、これ以上ないほど新鮮で刺激的だった。
「嘘ぉ! 木村先輩の〝イケメン度〟、全国三万位だって! あたし絶対、芸能人になると思ってたのにぃ!」
女子生徒たちの黄色い悲鳴が聞こえたかと思うと、
「ははは。やっぱ、ブサ田のヤツ、バカだな! 〝学力〟でブサ田の下、全国に五十人しかいねえじゃねえか! ブサイクでバカって、最悪だな!」
と、隣のクラスのブサ田こと房田章夫を笑う男子生徒の品のない笑い声が耳に入った。
「うぃーっす」
稔がいつも通りのあいさつをしながら、自分の机にバッグを置くと、すぐにタカオが声を掛けてきた。
「稔。お前、野球の道具持ってんじゃん。きょうの朝練、どうしたんだよ?」
「ん? ああ。行こうと思ったんだけど、途中で腹が痛くなってな」
稔はとっさにうそをついた。
「そうか。もう大丈夫なの?」
「ま、まあ。で、でも、ちょっと様子見るから、夕方の練習は行けたら行くよ」
高校は出ておいた方が良さそうだが、少なくとも才能がない野球など、もうこれ以上やる意味がない。グローブもユニフォームも、アパートを出る時、つい勢いで持ってきてしまっただけだ。稔は夕方の練習もサボって、そのうち監督に呼ばれたら、退部の意思を伝えようと思っていた。
「ダメだよ、稔。きょうは腹痛くても絶対に行かないと」
「何でだよ。一応、また腹が痛くなるかも知れないし、まだ様子を見るって言ってんじゃん」
「お前、来ない気だろ?」
「何で分かるんだよ」
「『行けたら行く』っつってちゃんと来たヤツはいねえんだよ」
「ああ、そうか」
タカオの説得力に、思わず行く気がないことを認めてしまった稔は、タカオと目が合うとそれに気付き、二人で笑い合った。
「じゃ、行くってことで」
「しょうがねえなあ。でも、だから何で? おれ、体調悪いからさ、練習はしねえよ?」
「いいよ、練習は。先刻な、朝練終わりに珍しく監督がチラッとだけ来たんだよ。そんでな、夕方の練習で新レギュラーを発表するんだって」
「新レギュラー? そんなもん、この前、発表したじゃん」
「うん、そうなんだけど、どうやら監督、ググルー・ランク使って、メンバーの入れ替えをしたっぽいんだよ」
「っぽいって何だよ、っぽいって」
「ほら昨日、キャプテンが一晩かけてランク順のレギュラー考えるとか言ってたじゃん」
「そうだな」
「そんでキャプテン、新しいメンバー表、作ってきたんだよ。それ見て、みんなでワイワイやってたら、監督が来てな。キャプテンのメンバー表見て、『お? いい線いってんな』って言ったんだよ」
「それじゃ間違いないじゃん。監督がググルー・ランク使ったの」
「だろ? だからさ、ちょっと楽しみじゃん?」
「楽しみなのはタカオだけだろ? おれなんかどうせまた、スタンドの応援要員だし」
「分かんねえよ? 意外と監督が稔の隠れた才能をググったかも知れねえじゃん?」
「ねえよ、おれにはそんなもん。キャプテンの予想にだって、おれの名前なんか入ってなかっただろ?」
「まあ、確かに入ってなかったけど……。でもま、行こうよ。稔がいねえとつまんねえじゃん。選手の能力に見合った、正しいスタメンだぜ? 興味あんじゃん。それにほら、〝ミスター太鼓持ち〟の今井。アイツがレギュラー落ちするとこ見たくね?」
そう言って、タカオは稔の肩をポンと叩いた。タカオの熱意に稔が思わずうなずいてしまうと、教室の扉から担任が入って来た。
まあ、新メンバー発表を聞くぐらいならいいか。
席に着いたタカオは担任に見つからないよう、机の下でこっそりとスマホを出して〝タイコモチ 意味〟と検索した。
放課後、部員たちはバックネット裏の部室前に集められた。一年生が、キャスターは付いているがアスファルト上ではまったく機能しない移動式の黒板を、ガラガラと音を立てながら用意すると、キャプテンがその黒板を囲むように座れと指示した。大半が練習用ユニフォームに着替えていたのでそのまま座ったが、練習をする気もなく制服のままだった稔は、三人の女子マネージャーと一緒に、輪の外に立ったままで監督を待った。〝太鼓持ち〟の今井は、レギュラー入りの自信があるのだろうか、最前列の監督の立ち位置の一番近く、まさに太鼓持ちの位置を取っていた。タカオは輪の中ほどに座っている。
「あれ? エースは?」
部員の顔ぶれを見回した稔は、隣で立つ一年生マネージャー、アケミに聞いた。
「何か、補習があるみたいですよ」
「へえ。エースのクラス、変な時期に補習やるんだね」
日々野球漬けの野球部員にとって、補修は日常だ。だから、部員はみんな練習をサボりたい時、よく補修だとうそをつく。それを分かっていた稔は、エースの補修はきっとうそだろうと思った。ググルー・ランクが出した新エースはタカオだ。エースはきっと、部員の前でレギュラー落ちの無様な姿をさらしたくなかったに違いない。
すると、部員の一人が、「あ、監督来た」と声を上げた。部員は全員、その場で立ち上がり、田口監督の方を向き、「よーあーっす!」と声をそろえて頭を下げた。印北高野球部伝統のあいさつで、稔は初め、意味も分からないまま、この監督用のあいさつを使っていたが、どうやら「よろしくお願いします」という意味らしい。あいさつの後は、部員は直立したまま監督を待たなければならないのだが、監督はまだ校舎を出たばかりで、ここまでかなりの距離がある。監督は巨体を揺らしノッシノッシと歩いて来るが、五分経っても一向に到着しない。高校から最寄りのバス停までが徒歩五分だというのに、監督はグラウンドを横切るだけで徒歩五分以上掛かる。この時間をただ直立して待つのなら、腕立て伏せの三十回でもやった方が、よっぽどチームは強くなると、稔はいつも思う。
ようやく黒板の前に到着した監督は、さも部員が自分の到着を待つのは当然とでも言うように、集まっていた部員を見回し、
「よし、大体いるな」
と言って、マネージャーに自分が座るためのパイプいすを持ってこさせた。
監督が座ったのを確認すると、部員たちはキャプテンの合図で「しーまっす!」と声をそろえてその場に座った。これは「失礼します」という意味だ。
「じゃ、きょうは朝言ったように、新メンバー発表するからな。前にも一回発表したが、あれは暫定で、これから発表するメンバーが正式だ。選手個人個人の能力や才能を最大限に生かした、今の印北高野球部での最強の布陣ということになる」
そう言った監督は、持って来ていたタブレット端末の電源を入れ、「おい」と言って、一番近くに座っていた今井を指差してから黒板の方に向け、指だけで、自分が読み上げた新メンバーを黒板に書き出すよう指示した。
「まずは……、キャプテン、山田! キャッチャー!」
監督は、ググルー・ランクのAIが示した通り、サードだったキャプテンをキャッチャーに選んだ。監督としては、かなりの目玉人事のつもりだったのだが、部員たちは全員、前日からキャプテンのキャッチャー転向を予想していたので、歓声はまったく上がらなかった。部員たちの顔を見回した後、首をひねった監督は、
「じゃあ次! 主戦、金本!」
タカオの名字が呼ばれた。補欠だったタカオがエースに大抜擢されたのだ。これも相当なサプライズ人事のはずだったが、部員たちの反応は薄く、監督はまた首をひねった。
その後も、次々と部員たちの名前が呼ばれたが、スタメンは、キャプテンが一晩かけて検索した結果とまったく一致していた。
「スタメン最後! ライト、越川」
一年生の越川の名前が呼ばれ、チョークを走らせる今井の手が止まった。今井はあっさりとレギュラー落ちした。これもキャプテン予想の通りだった。今井はその後、黒板に書く用事がなくても、一度も部員たちの方を向かず、黒板の方を向いたままだった。
「……ベンチ入りが九人で、これで以上だな」
合計十八人の名前が読み上げられ、新メンバーの発表が終わった。やはり、稔の名前が呼ばれることはなかった。
「えー、今発表したのが、最終決定だ。このメンバーで、まあ行けたらだが甲子園まで行く。先刻も言ったように、選手の能力と才能を最大限生かした最強の布陣だ。少なくとも、県大会ベスト4は狙えるはずだ。分かったな?」
体育座りをしたまま、部員全員が「はい!」と返事をした。
「それで、きょうからの練習の方だが、このメンバーは絶対に変更しないから、メンバーに選ばれた者は全員、そのボジションの練習だけをしろ。ボジションに合わない練習は一切するな。おれが選んだ十八人は、全員、おれが選んだポジションの才能がある。そこはおれが保証する。だから、これからはその才能を伸ばすことだけを考えろ。いいな?」
すると、選ばれた十八人は「はい!」と答えたが、選ばれなかった部員からは何も声が上がらなかった。
「何だ? 何か言いたいことがあるヤツでもいるのか? いるなら今、手を挙げろ」
監督が凄すごむと、監督の背後で黒板に向かっていた今井がそおっと監督に耳打ちした。
「そうか。言い忘れてたが、今回、選ばれなかった部員についてだな。選ばれなかった者は今後、レギュラーをサポートしろ。筋トレの手伝いでもバッティングピッチャーでも、球拾いでも何でもいい。レギュラーがしたいと思った練習をできるよう、全力でサポートするんだ。県ベスト4は、お前たちのサポートにかかっている。分かったな?」
監督の目標が、あっさりと〝甲子園出場〟から〝県大会ベスト4〟に下方修正されていた。部員全員の「はい!」の声にはまったく気持ちが込もってなく、力がなかった。
「ポジションごとの専門的な練習方法は分かるな? おれに聞く前に、プロの動画なんかを観て調べるんだ。ネットで探しても分からなかった時だけ、おれんとこに聞きに来い。それじゃ、きょうはこれで以上だ」
「はい!」
今度は、部員たちの声が先刻より少し強くなった。レギュラー固定はともかく、部員たちは、練習で監督にあれやれこれやれと強制されるよりも、自分たちの判断で勝手にやらせてもらえる方がうれしいのだ。
だが、稔の頭の中には、「ggrks」の文字が浮かんだ。この監督も、人に聞く前にインターネットで調べろと言った。目の前に監督という指導者がいるのに、その指導者には質問するなと言った。監督がネットならコーチもネットか。教師もネットなのか。それなら、教育というものもネットになるのか。だとしたら、学校に行く意味はあるのか。家でネットだけやっていれば、立派な大人になれるってことなのか……。
わけが分からなくなってきた稔は、ふと、職員室に帰ろうとする監督を見た。「よっこいしょ」と言ってパイプいすを立ち上がった監督が、タブレットを地面に落とした。弾みで電源が入った画面には、ググルー社のロゴマークが映っていた。
稔は結局、この日の練習には参加せず、一人でアパートに帰宅した。鍵は毎日持って出掛けるようにしたので、鍵を開けて電気を点け、テレビのスイッチを入れると、ニュース番組でググルー・ランクの特集が流れていた。
自分には何の才能もない。この先、どうやって生きていけばいいんだろう。そんなことを考えながら、何となくその番組を眺ながめていると、そのテレビ局のニューヨークの特派員が、
〝ここニューヨークでは、ググルー・ランクは大きな話題の一つとはなっていますが、単に検索の幅が広がっただけととらえている人が多く、日本ほど大きな盛り上がりは見せていません〟
と、報告していた。次に出てきたロンドンの特派員も同様のことを報告していて、カメラがスタジオに戻ると、コメンテーターだというどこかの大学の客員教授が、
〝日本でこれほどのブームになった背景には、ランキング好きという日本人の国民性が大きく影響していると考えられます……〟
などと、ググルー・ランクが日本に一気に広まった理由を解説していた。稔が冷蔵庫から麦茶を出してコップに注ぎ、テレビに視線を戻すと、司会者が、
〝国民性ということは、ブームは一過性になるということも考えられますか?〟
と、再び客員教授に話を振った。稔も麦茶を飲みながら、こんなランキング社会はすぐに終わってほしいと思ったが、客員教授は首を横に振った。
〝いえ、そうはならないでしょう。ここまで広がったもう一つの要因はAIです。このAIは、単に最新の学力テストや体力テストといった客観的な数値を基に判断しているわけではありません。例えば学力テストの点数であれば、過去の点数をすべて取り込み、点数の変化、いわゆる能力の伸び率を判断します。さらに、その人の生活環境や性格をも加味します。加えて、SNS上の書き込みなどのデータもすべて取り込んでいますから、その人の趣味や交友関係なども判断材料とするのです。例えば、AIがAさんを判定する場合、Aさんの周りにいるBさんやCさんとの関係、さらにBさんとCさんの数値も調べます。Aさんがどういう環境にいるかということは非常に重要ですから。BさんとCさんが勉強熱心で、互いに競い合うような仲であれば、Aさんの学力は上がっていくと判断されます。逆にBさんとCさんが遊びにばかり誘うような人物であれば、Aさんの学力は下がっていくと判断するということです……〟
そんなことまでまで判断材料としていたなんて……。
テストで良い点を取ればランキングは上がっていくのかと、漠然ばくぜんと思っていた稔は、客員教授の話を聞いていて恐ろしくなってきた。客員教授の話は続いた。
〝……それだけではありません。もう一人Dさんがいて、学校の先生だったとします。AIはDさんのデータも把握していますから、Dさんの指導力や過去の実績、Dさんとの関係性なども判断されます。同じように、Aさんの両親のデータも当然加味されるのですが、このAIの凄いところは、こうした現代の社会性だけで判断しているのではないということです〟
すると、司会者が、
〝どういうことですか?〟
と聞いた、
〝それは血統です。Aさんの身内・親族にどういう人がいるか。さらに、Aさんの先祖にどういった人がいたのかを考慮した上で、Aさんがどういう人になるかという傾向までも判定できるのです。それを可能とさせたのが、ビッグデータです。国民一人ひとりでさえ膨大なデータがあるのに、それを一つひとつ、お互いに作用し合うようにしたのです。そうして得られた検索結果というものへの信頼性。これを、日本人が大きく評価しているということが、今の検索ブームにつながっていると思います〟
持論を言い終えた客員教授が、大きく胸を張った。
それじゃあ、自分はこの先、何をやってもランキング上位にはなれないってことじゃないか……。そういえば小学校の時、講演に来たプロレスラーが、「夢を持て」と言っていた。中学の時には、バレーボールだかでメダルを取ったという選手が、「誰にでも何かの才能があるから、学校生活でそれを探せ」と言っていた。売れているバンドも、「あきらめなければ夢はかなう」なんて歌っていた。それはうそだ。どんなに頑張ってもあんな立派な筋肉がつかない人もいれば、いくら牛乳を飲んだって身長が伸びない人だっているんだ。筋肉も身長も立派な才能だ。歌を歌う声だってそうだ。あきらめなければ夢はかなうなんて、それは歌や楽器の才能があって、成功した人間が一方的に言っているだけだ。そりゃあ、夢がかなった人間は、「夢はかなう」と言うさ。夢がかなった人間の周りに、夢がかなわなかった人間が無数にいることだって、おれは分かっているんだ。夢がかなわなかった人間は、講演になんか来ないんだ。だって、「夢は必ずかないません」なんて言えるわけがないんだから。才能のない人間は、何をやっても成功なんてできっこないんだ……。
稔は絶望した。
テレビでは、相変わらず客員教授が熱弁を振るっていて、ググルー社が国民からありとあらゆるデータを集める手法を解説していた。ググルー社は名簿や成績表、レシート一枚に至るまで、国民から寄せられたデータを内容に応じて一枚一円から百円の範囲で購入していたから、短期間での膨大なデータの集積に成功した。集まったデータの中から、商品のマーケティングに使える分を大企業に販売することで、ググルー社は莫大な利益を得ているといい、中にはデータを提供するだけで、個人で月百万円を稼ぐ人もいるというから、驚きだった。
テレビを観ているのが嫌になった稔は、いつもの習慣でスマホゲームでもやろうかと思ったが、
「どうせ、ゲーム順位四千六百二十二万位だもんな、おれ……」
とつぶやき、スマホをテーブルの上にぶん投げた。
稔がテーブルに突っ伏してふて寝していると、典子がニコニコしながら帰ってきた。
「あら稔、もう帰ってたの? 野球は?」
「……ああ、きょうはメンバー発表だけ。また落ちた」
稔はテーブルに突っ伏したまま言った。
「あらそう。部員がいっぱいいる部は大変ね」
台所に買ってきたスーパーの袋を置くと、典子は振り返り、何かを聞いてほしそうにニコニコしている。稔は仕方なく、
「……何? 何か良いことあった?」
と聞いた。典子は、待ってましたとばかりに、
「母さんねえ、あの店でレジ打ち、一番だって! きょう店長にほめられて、来月から時給十円、上げてくれるって!」
と、うれしそうに言った。
「……あ、そう。良かったね」
母さんにまで、ちゃんと一位になれる才能があるのかよ……。
素直に祝福できない稔は、ボソッと言って起き上がり、自分の部屋に戻ろうとした。
「稔ちゃん! きょうはハンバーグだから、先にお風呂、入ってらっしゃい! きょうは湯船にお湯、ためていいからね!」
稔は言われてつい振り返った。本当にうれしそうな母親の笑顔を、稔は久しぶりに見たような気がした。
田口監督は新メンバー発表以来、グラウンドに一切顔を出さなくなった。メンバー入りした十八人は、選ばれなかった部員たちと一緒に、スマホを見ながらそれぞれの練習メニューをこなしたが、それも最初の三日間だけだった。そもそも、通信無制限のスマホを持っていたのがタカオしかおらず、他のメンバーは通信制限がかかって動画視聴ができなくなった。四日目からは、選ばれなかった部員が段々とグラウンドに姿を見せなくなった。うるさい監督もいなければ、自分は練習なんかしなくたって、このチームの一位だ。思い上がったレギュラーたちは、五日目からは練習用ユニフォームにすら着替えなくなり、部室棟で連日、スマホゲーム大会をするばかりとなった。朝練も当然のようになくなった。
稔自身、すぐにでも退部しようと思っていたのだが、監督がグラウンドに来ないし、わざわざ職員室に退部届を出しに行くのも面倒くさい。レギュラーにはタカオもいるし、練習じゃなくてゲーム大会なら面白い。何より、帰宅部となってアパートに早く帰っても、何もすることがなかったので、もはや〝ゲーム部〟となった野球部に連日、顔を出した。
部室棟には、八畳の監督室があった。田口監督が練習中、いつもテレビを観ながらたばこを吸ったり、缶ビールを飲む部屋だ。稔たちは、田口監督が来なくなったことを良いことに、汗臭い部室よりも、この部屋をゲーム部屋とするようになった。チーム内で流行はやっていたゲームの「ファイナル・モンスター」が、最大四人でしか一緒にプレーできなかったので、放課後は必然的に四の倍数の十六人が集まるようになり、四つに分かれてそれぞれ独自にプレーした。
稔はタカオとキャプテン、なぜか今井と一緒にプレーしていた。
「ダークネス・サラマンダー、強えんだよな」
スマホ画面を見ながらタカオがこぼすと、キャプテンが、
「ここはおれとタカオで行こう。稔と今井はランク低いんだから、手ぇ出すな」
と言った。このゲームの中での強さを表すランクは四人ともほぼ同じだったのだが、キャプテンは、ググルー・ランク上の、実際にゲームをプレーするプレイヤー自身の腕前の順位を知っていたので、すっかり上から目線となり、稔と今井にやたらと指示を飛ばしてくる。ググルー・ランクでは確かに、タカオが最上位の二千位、キャプテンが二千五百位とかなり上位だった。大きく開けられて稔が四千六百二十二万位、今井は何と、稔よりも下の四千八百万位だった。つまり、「ゲームが下手なんだから、上手い二人に任せろ」ということだ。
「……ここは必殺のキャノンボールだ!」
「何だよ、外れかよ!」
「何だよ! この攻撃、即死かよ!」
タカオとキャプテンのキャラクターが、ダークネス・サラマンダーにやられた。後に残された稔と今井もなす術すべなく、あっという間にダークネス・サラマンダーの必殺技、ダークネス・ファイヤーで焼き殺された。
「何だこれ、即死なんて汚ねえよ! どうやりゃ勝てんだよ!」
タカオが、ゲームの仕様にかなり怒っている。ゲームが下手な稔と今井には、発言権がない。
「ググれ! ググってから、もう一回だ!」
キャプテンに言われて、タカオはスマホでこのゲームの攻略サイトを開いた。サイトには、ダークネス・サラマンダーを倒す手順が、一手一手、細かく解説されていた。
「何だよ、キャノンボール、無効だって。こんなの、攻略サイト見なきゃ分かんねえじゃねえかよ」
「そりゃ、負けるわけだ。おれたちが悪いんじゃない。ゲームが悪いんだ」
タカオもキャプテンも、攻略サイトを見て納得したようだ。再挑戦して、サイトの手順通りにやってみると、二人はダークネス・サラマンダーをあっさりと倒した。
「何だよ、やっぱり簡単じゃねえか」
タカオが言うと、キャプテンは、
「サイト見なくても分かるように、ちゃんと〝キャノンボール無効〟って書いとけってんだよな! 運営におれ、苦情メール入れとくわ」
と、自分のスマホを操作し、ゲームの運営会社にゲームの仕様を直すよう、苦情メールを送った。
稔は、自分はゲームが下手だとは、決して思っていない。ゲームなんだから、攻略サイトなどは一切見ず、自分で攻略法を考えてそのゲームを何とかクリアしようとする。だから、ゲームで何度も負けるのだ。負けて負けて、考えて考えて難しい面をクリアした時には、自然とガッツポーズが出るほどうれしくなる。負ける回数が人より多いから、ゲームの順位が低いんじゃないかと思う。タカオたちは、攻略サイトを見てあっという間に難しい面をクリアしていくから、順位が高いのだ。楽しむためにやるのがゲームだと思うのだが、ググルー・ランクが蔓延まんえんした今、ランクのためにゲームをやっているプレイヤーがほとんどだ。ゲームの世界では、稔のようなランクが低い人間には〝人権がない〟と言われる。実際、親しい仲間四人で顔を合わせてやっているというのに、稔と今井は、上位者のタカオとキャプテンに、「下手くそは手を出すな」と言われてしまうのだ。
「キャプテンさぁ。春なんかどうでもいいとして、夏に向けて少しは練習って、しなくていいの?」
ゲームに飽きた稔は、別にレギュラーでもないしチームの現状を憂いていたわけでもなかったのだが、何となく聞いてみた。
「いいんじゃない? だって県大会の順位、ググルー・ランクで十五位って決まってるんだし」
「決まってるったって、トーナメントだから組み合わせ運とかもあるんじゃない?」
するとタカオが、
「ググルーも、夏の大会がトーナメントだって計算した上で順位出してるんだ。やる前から順位は決まってるんだから、どこの学校も一緒だよ、きっと。ろくに練習なんてしてないって。どんなに練習したって、俺たちはベスト十六止まり。十五位より上には行けないって決まってんだ」
と、すべてを見透かしたかのように言った。
「そんじゃ、県大会なんか、やらなくてもいいじゃん」
「まあ、いずれ、そうなるんじゃん? ファイナル・モンスターだって、別にこんなふうにここに集まらなくたって、四人それぞれ自宅にいたってできるんだし、大人だってみんなテレワークって言って、出勤しなくなってるでしょ? 野球だってそのうち、VR(仮想現実)になるよ。人が集まって何かやるって時代はもう、終わったんだよ」
タカオは、冷静に現代社会を分析しているかのように言ったが、稔は何か違うような気がした。だが、ここはタカオに反論することはやめて、タカオの言ったことに納得したフリをした。ググルー・ランクで調べた限り、稔はタカオより上位の才能が何一つない。ランク下位の人間には、〝人権がない〟のだ。
稔はふと、今井を見た。今井はダークネス・サラマンダーに負けたことがそんなに悔しかったのだろうか、自分のスマホを見つめたまま、無言で下唇をかんでいた。
次の日もいつものように、稔たちが監督室でゲームをしていると、制服姿の一年生の越川が息を切らせて監督室に駆け込んできた。
「先輩! 大変です!」
キャプテンを中心とした二年生たちは、学校の目もあるから、一年生たちにグラウンドで練習しているフリをさせ、自分たちは監督室を占領してゲームをしていた。一年生は監督室には来るなと厳命していたから、キャプテンは、越川を見て、
「何だ越川! てめえらはここには入るなって言っただろう!」
と、怒鳴りつけた。
「いえ、キャプテン。緊急なんです」
「緊急?」
監督室の二年生が顔を見合わせた。
「はい。僕、先刻まで校舎で補修だったんですけど、終わって教室出たところで、今井先輩を見たんです」
「今井?」
キャプテンと越川の会話を聞き、稔は監督室を見回した。そういえば、いつもいるはずの今井の姿がない。
「はい。僕も、ライトのポジション奪っちゃったんで声掛けづらくて、声は掛けなかったんですけど、今井先輩、校長室に駆け込んだんです」
「校長室? 何で?」
「はい。僕も何だろうと思いまして。それで、今井先輩が校長室に入った後、廊下で中の声、聞いてみたんです」
「ああ、そういや越川の教室って、トイレ挟んで校長室の隣なんだっけ?」
「はい。さすがに教室じゃ聞こえないんで、校長室のドアの前です」
「それで、何だって?」
「はい。今井先輩、監督がググルーでスタメン決めたのをチクってました。監督が生徒を見ないで、ネットだけでスタメンを決めたのはおかしい。元に戻さないと、教育委員会に訴えるって」
「何だと? あのバカ、ふざけやがって……」
キャプテンが顔を真っ赤にして怒りをこらえている。確かに、毎日ここで会っているんだから、校長室に駆け込む前にキャプテンに何かしら相談があっても良さそうだ。しかも、スタメンの選出方法に文句があるなら、校長より先に、監督に抗議すべきだ。いきなり校長に苦情を上げ、しかもさらに上の教育委員会の名前を出すなど、思い上がり過ぎだ。監督室にいた二年生たちも、今井の行動に腹を立てた様子だった。
「それで、校長は何て言ってたんだ?」
キャプテンの代わりにタカオが聞いた。
「はい。校長は、ググルー・ランクは信頼性が高いから大丈夫だ、監督がした行動は正しいって言ってました」
「じゃ、越川のライトのレギュラーもそのままってことだ?」
タカオの言葉に、越川と同じく補欠からレギュラーに抜擢された何人かの二年生が、ほっと胸をなで下ろした。
「で、何が緊急なんだ?」
キャプテンが話を戻すと、越川は、
「あ、そうです。緊急なんです。今井先輩、校長に言い負かされてやけになったのか、先輩たちが練習しないで監督室でゲームばかりやってるってのも、校長にチクってました。僕、それ聞いてすぐ、ヤバいと思って、ダッシュでここまで走って来たんです」
「バカ! お前、それ先に言え!」
キャプテンが言い終わらないうちに、監督室にいた二年生たちは大あわてで制服から練習着に着替え始めた。最近は練習着すら持ってきていなかった稔は、大急ぎでスクールバッグを持ち、グラウンドの塀を越えて学校の外へと逃げた。塀の頂上で一瞬、校舎の方を見た。麻雀が語源で、一度にらまれたら必ずツモられる、校内で〝鬼ヅモ〟と恐れられる、生活指導の面前つらまえ先生が、ズンズンと部室棟に向かってくるのが見えた。鬼ヅモというあだ名は、麻雀の〝面前自摸めんぜんつも〟から取って、何代か前の先輩たちが名付けたらしい。ググルー・ランクの〝恐い先生〟ランキングでは、県内三位になっていた。
〝ゲーム部〟は解散となり、稔にはいよいよ、学校に行く意味がなくなった。唯一、理由があるとすれば、卒業するための出席日数稼ぎぐらいだった。
そんな中、年度の途中だというのに、学校は大規模なクラス替えを実行した。ググルー・ランク上、一流大学に入学できる上位十人を「特別進学クラス」に編成し、経験豊富で優秀な教員を全て、そのクラスでの指導に集中させた。上条という男子生徒がランク上、バドミントンでインターハイ三位と判明したとのことで、上条は授業を免除され、連日、徹底的にバドミントンの技術を叩き込まれるようになった。野球やサッカー、バレーボールや卓球、テニスなど、他の競技では全国ひと桁けたの順位の生徒は見つからなかったが、それぞれの校内順位一位の生徒たちだけを集め、「スポーツ特進クラス」も作られた。同様に、絵画や演劇、吹奏楽、将棋などでも「文化特進クラス」ができた。
学校には千人から生徒がいるというのに、全国ひと桁順位の才能を持った生徒は、上条ただ一人だった。稔はその事実に驚いたが、最も驚かされたのは、学校一のマドンナ、伊集院飛鳥のためだけに、「芸能クラス」ができたことだった。大人たちは、飛鳥一人に歌やダンス、演技や英語だけでなく、歩き方や笑い方、自分の見せ方、好感度を高める方法など、アイドルに求められる技術を指導し始めた。在学中のアイドル・オーディション合格を目指すのだという。
「……きょうは五十八ページまで。あすは五十九ページから読みます」
稔たちのクラスを受け持つことになった、教育実習の若い先生がポツリと言った。授業は教科書をお経のように音読するだけで見るからにやる気がなく、まるで通夜のようだ。稔は、タカオやキャプテン、今井と同じ、最も学力がないとされるL組になった。学力順では、「特別進学クラス」が最も上で、以下、アルファベット順にAから下がるほど学力が下がっていく。
「あの教育実習、毎日教科書読むだけで、これ、授業って言えるのかよ」
授業が終わって稔が言うと、タカオは、
「しゃあねえじゃん。優秀な教師はみんな特進系にいっちまってんだから。おれたち〝おバカクラス〟なんて、学校はどうでもいいんだよ」
と、悟り切った表情で言った。稔たちのL組よりも下のクラスはなく、L組は校内で〝おバカクラス〟などと呼ばれていた。
「けどよう。いくら何でも、あの教育実習、やる気なさすぎだろ。ただ、おれたちに教科書音読させるだけで、黒板一つ使わねえじゃねえか」
「やる気なんて、あるわけねえじゃん。アイツだって教員順位、何万位だぜ? おれたちだって何十万位なんだから、お互い、一生懸命やったってしょうがねえんだよ」
「まあ、そうか。でもさあ、タカオは、スポーツ特進ぐらいは行けたんじゃねえの? 投手力一位なんだし」
「無理無理。お前だって知ってるだろ? おれの球速なんて、チーム一っつっても百十キロちょいだぜ? 陸上部にいたんだよ、百三十キロ投げるヤツが。やり投げかと思ったら、円盤投げの選手だって」
「じゃあ、しゃあねえか」
「そ。しゃあねえ、しゃあねえ」
ググルー・ランクが出した〝答え〟に逆らう人間は、すでに日本中を探しても見つからなくなっていたので、稔たちも素直にその結果を受け入れるようになっていた。
すると、同じクラスになったキャプテンが、教科書一冊入っていない薄っぺらなスクールバッグを持ちながら、
「おうい、お前ら、これからゲーセン行かない?」
と、誘ってきた。
「キャプテン、部活は?」
稔が聞くと、キャプテンは、
「部活なんて、やったってしゃあねえだろ。おれたちは県内十五位、甲子園には行けないって決まってんだ。やっても無駄なことは、やっても無駄だから、やっても無駄って言うんだよ。なんか先刻ググったら、駅前のゲーセン、きょうから新しいゲームが入るらしいぜ」
と、もっともらしく聞こえるようでわけの分からないことを言って、自分のスマホを取り出し、駅前のゲームセンターのホームページを見せた。稔はふと振り返り、今井の席に目をやった。今井は校長室に駈け込んでゲーム部を裏切った翌日から、学校には顔を出していない。
「そうだな。練習したってしゃあねえし、勉強したってしゃあねえしな」
タカオが言うと、稔も、
「そ。しゃあねえ、しゃあねえ」
と言って、作り笑いをした。
今井はレギュラー落ちして、裏切り者になって、不登校になって……。あ、そうだ。もともとの実力も才能もないって、ググルーに認定されたのもあるのか……。
稔は少しだけ、学校に来なくなった今井を気に掛けたが、所詮しょせんは裏切り者のしたことだとすぐに思い直した。そして、タカオたちと三人おそろいの教科書の入っていない薄っぺらなバッグを肩に提げ、駅前のゲームセンターへと向かった。
一億総ランキング化により、日本の格差社会の拡大には、歯止めがかからなくなった。才能による順位が絶対視された社会で、ランク下位の人間は〝下位国民〟と呼ばれ、ランク上位の〝上位国民〟には逆らうことができなくなった。上位国民たちは、今まで自分より下位かどうかまでははっきりとは分からなかった相手が、自分より下位だと分かった途端、その相手をさらに蹴落とした。下位国民たちも、明確な上位国民とは戦わなくなり、自分よりもさらに下位の相手を叩くことしかしなくなった。そして、それだけをしていれば自分の地位は保てるから、一切の努力をする必要がなくなった。
メディアでは当初、こうした下位国民の無気力さが、日本のGDP(国民総生産)を押し下げると懸念を示していたが、その予想は外れた。大企業では年功序列が撤廃され、ランク上位の社員が下位の社員の部下となるようなことがなくなり、適材適所の人事が実現した。社員個人個人の今持っている才能が何よりも重視されたから、社員に経験を積ませるために、わざわざ未経験の部署に異動させる必要もない。さらに、経営陣と労働者との境界が明確化され、労働者が出世して経営陣に入ることもなくなった。客観的に能力が上位の経営陣に文句を言える労働者がいなくなったことで、労働組合も解散。人事や組合に翻弄ほんろうされず、本業に専念できるようになったランク上位の大企業は、際限なく成長していった。
そんな中、プロ野球界では伝統を守り、ドラフト会議が行われた。とは言っても、プロ志望届を出した高校生や大学生選手のランキングは、すべてググルー・ランクがその能力順を弾き出しており、各球団から呼ばれる名前はすべてランキング通り、各スポーツ紙の事前予想通りで、ただ一つのサプライズもない、まったく面白味のないものとなった。
「ドラフトってさあ、もっとこう、ドキドキするもんじゃなかったっけ?」
稔は、タカオとキャプテンと一緒に授業をサボって、監督室でドラフト会議のテレビ中継を観ながら言った。〝おバカクラス〟ともなると、学校や親からも期待されることはなかった。若い教育実習の先生もこのクラスの生徒の成績が伸びないと分かっているから、出席を取ることもなければ、生徒たちが授業中に漫画を読んでいようとスマホをいじっていようと、叱りつけることはなく、ただ淡々と、年度が終わるのを待っているような有り様だった。
「去年は敬天学園の五十嵐が有力候補だって盛り上がったからな。今年は千葉にドラフト候補いないって、やる前から分かっちゃってるし」
タカオが言うと、キャプテンが、
「去年なんて、もう卒業した先輩たち、みんなここに集まってたよな? テレビの前で『おれ指名されるかも』なんて、志望届出してもいないくせに盛り上がってて」
と、去年の監督室での先輩部員たちの様子を思い出しながら、胸の前で両手を祈るように組む先輩の真似をした。
「やってた、やってた。あれ、毎年の恒例行事だったらしいじゃん?」
タカオが笑うと、稔は、
「今年はおれたち二年生が三人だけだもんな。ホントに今年の千葉の三年生って、ドラフトにかからないほど才能ないのかな?」
と、ググルー・ランクに才能なしと断定された先輩たちを思うと、まるで自分が言われているかのような気がして、タカオのようには笑えなかった。
「ググルーが言うんだから、間違いないんじゃない? ドラフトだって、プロのスカウトがこんなに集まってるってのに、指名されたの、全員、ググルー・ランクの上位者なんだから。それだけググルーが正しいってことの証明じゃん」
タカオはすっかり、ググルー信者だ。
「いや、そうなんだけどさ。でも、前まではさ、『まだ荒削けずりだけど、将来性を買って指名した』ってケースもあったじゃん? そういうのって、もう永遠にないってことなの?」
稔が反論すると、今度はキャプテンが、持っていたスポーツ紙を広げ、
「それがこれだよ、東京六位で指名された八戸水産の山田。球速も大したことないし、バッティングも高校通算たった二割三分だけど、『体幹』で高校生一位。体幹がずば抜けてるから、将来性で東京が獲ったってことなんだよ」
と、東京ミリオンズが六位指名した選手の紹介記事を指差した。そこには、『漁業研修で鍛えた体幹は高校生ナンバーワン』とあり、プロ選手の体幹ランキングとともに紹介されていた。体幹はプロにとって重要らしく、記事の歴代ランキングでは、伝説の名捕手、野村川だったり、現役では八年連続首位打者のハチローなど、確かに錚々(そうそう)たる顔ぶれが並んでいた。
「そんなところまで見てるのかよ。すげえな、ググルー……」
ググルーからは、もう誰も逃れられない。ググルーで才能が検索できなかった人間には、もう、ただの一片の才能もないということの証明だ。稔は、感心するというよりも絶望した。
「どんな才能でも、絶対に見落とさないってことだな」
そう言うキャプテンに、タカオが、
「ググルーがなかったら、この八戸の山田はプロになれなかったってことだ。さすが、ググルーだよ」
と、同調した。二人とも、ググルー・ランクは、自分たちが作ったシステムでもないというのに、どこか誇らしげだ。
「才能って、何なんだろう……」
稔が、どちらに聞くでもなくこぼした。
「才能? そりゃあ稔、生まれ持ったもんが才能だよ」
そう言うキャプテンに対してタカオは、
「それだけじゃないんじゃない? 例えばほら、おれと稔なんて野球始めたの、高校入ってからだから一緒じゃん? おんなじ時期に始めて、おんなじ練習してるんだから、本当ならググルー・ランクの順位は一緒になるはずじゃん? それなのに順位に差が出るってことは、この順位の差が才能ってヤツなんじゃないの?」
と分析した。
「あ、そうか。勉強だって一緒か。確かに、小、中、高って全員おんなじ勉強してるはずなのに、頭良いヤツは良いもんな。おれたち、おんなじ勉強してておバカクラスなんだから、元からの才能がないってことなんだな」
ランキング社会が浸透しすぎて慣れっこになっていた稔は、すっかりタカオの言いぶりに腹も立たなくなっていたし、自分たちのことをおバカクラスと卑下することも、何とも思わなくなっていた。
「そうなんだよ。今までは才能があるかないかなんて、やってみなけりゃ分からなかったんだよ。小、中、高って十二年。それが今は、ググルーで一発で分かるようになったんだ。やっぱすげえよ、ググルーは」
得意げに胸を張るタカオに、キャプテンも「そうそう」と、うれしそうに同調している。稔は二人に、どんな才能が検索できたのかを聞いてみたくなったが、どうせまた「ググれ」と言われると思ったので、その場で聞くのをやめた。そんなに知りたければ、後でアパートに帰ってからでも、自分で検索すればいいのだ……。
「オラァ! おめえら、またゲームやってんのか!」
日も落ちて部屋の明かりが外に漏れ出したのに気付いたのか、生活指導の〝鬼ヅモ〟が監督室に怒鳴り込んできた。鬼ヅモは三人の顔を見て、
「何だ、おバカクラスの三人か。ん? きょうはゲームやってねえのか」
と言うと、キャプテンがその場に起立し、
「はい! きょうはテレビ中継でドラフト会議を観て勉強してました!」
と、素直に言った。
「ドラフトねえ……。まあ、おめえらならゲームでも何でもいいや、問題さえ起こさなけりゃ。ほら、もうテレビ終わってるだろう、ちゃんと鍵閉めて帰れよ」
鬼ヅモは、それだけ言って職員室に戻って行った。
そういえば、稔はおバカクラスに入って以来、誰からも叱られることがなくなっていた。それは決して、自らの行いを正したからではない。それどころか、授業はサボり放題だし、授業中だってスマホもいじり放題だ。それでも叱られないのだ。このままでいいのだろうか。どこか大人たちに見捨てられているような気がして、稔の不安は増すばかりだった。
(後編に続く)