マイ・スイート・ホーム⑷
とりあえずバタバタと学校へ行く準備を進めるわたしをよそに、お母さんがソファでくつろいでいる事に気づいた。高貴な猫ジオン様を撫でながら、まるでマダムみたいに優雅にテレビを見ている。
「あれ? お母さん今日仕事は?」
「お休みにしたのよ。ジーオちゃんいるし連休とっちゃおうかな」
「ええ!?」
お母さんが1日家にいるなんて想定外だった。ジオン様を一人にできるわけもなし、お母さんが仕事に出かけたら家に戻ろうと思ってたのに。
「だってジーオちゃん一人にできないでしょ? 知らない人のお家でお留守番だなんて可哀想じゃないの」
はっと猫ジオン様を見ると目をキラキラと輝かせている。うちのお母さんの言葉に感激したらしい。
「母上……」
ヒーッ!
あれほど上手な猫語で通していたジオン様が、ぽろっと人の言葉をしゃべった。
「ダメです!!」
わたしの大声に部屋の中が一瞬静まりかえる。お母さんもジオン様もギョッとしてわたしを見ていた。
「やぁだ、びっくりした。急に大声出しちゃって。有給たくさんあるんだから、何もダメなことは無いのよ? 休んでも大丈夫なの」
「あ、うん。わかった。そっか」
どうやらお母さんにはジオン様の言葉は聞こえなかったみたいだ。
だけどこれは由々しき事態だ。
猫の姿でクリアできたと思ったけど、やっぱり油断は禁物。演技派としてやってきたジオン様だって、これだけ長い時間だと集中切らして普通に人の言葉でしゃべっちゃうこともあるらしい。
いや、そういえば思い返すとわたしの部屋の中ではたぶん人の言葉でしゃべってた。わたし自身がその辺曖昧になるくらい自然に流してしまっている。
これはかなりのハイリスク。猫の姿で人の言葉をしゃべるなんて一発アウトだ。
「さあ、行ってらっしゃいしましょうね」
「ナ~オ、ニャオオウ。(ハル、これより先は決して言葉は違えない。安心して行くが良い)」
母の腕の中で猫ジオン様がキリッと自信満々に鳴いた。
それからニコニコ顔のお母さんが、ジオン様の前足を持ってバイバ~イと手を振る。
……なにこの構図?
うちの母親が魔王様を抱っこして、バイバイしてる。
もう不安しか無いんですけど。
「行って……きます」
わたしは後ろ髪をひかれるように、いや、不安いっぱいの自分を振り切るしかなくて家を出る。
これならカラオケボックスかビジネスホテルにでも、人の姿のジオン様を押し込んでた方がましだった。
いやいや、絶対に部屋の中をいじりまくって、スタッフの人が注意に来て「無礼な奴だ」とか言っちゃって、攻撃魔法を使うかもしれないし。
いっそ学校に連れて行く?
だめだめ、自分ちのペット連れてくるなんて意味わかんないイタい子だし、結局学校の隅の方で猫ジオン様だけ待ってもらうことになる。ってことはわたしが目を離すからこの界隈の危険が増す。
魔王預かってくれる保育園とかあったらいいのに……。
足が重い。
心配すぎて放っておけるわけがない。
しゃべる可能性は低いとしても、何かの拍子に魔法だって使うかも知れない。
むしろ100パーセント魔法の方は使うよね、ジオン様なら。
「ただいま!」
家の中に駆け込むと、お母さんはジオン様に飲ませるためのミルクを準備していた。
「どうしたの!?」
「さっき友だちから連絡があってジーオちゃん迎えに来るって」
「にゃおう? (誰も迎えになど来ないぞ?)」
「わかってます!」と思わず猫ジオン様に大声で返答して抱き上げる。
「えー!? お母さんジーオちゃんと遊ぼうと思ってたのに」
「うん! でもごめん! 行くね!」
玄関でスニーカーを履こうとして、わたしはもう一度リビングに戻る。
「お母さん。絶対戻ってくるんだけど、元気でね」
「は?」
ぽかんと口を開けたお母さんを家に残して外へ出た。
やっぱり念のために言いたいことだけは言っておかなくちゃいけない。
「ハル、どうしたのだ? 学校に行くのではなかったのか?」
わたしの腕の中でジオン様が怪訝な表情を向けてくる。
「サボります」
「学校をサボるのは良くないぞ?」
わたしは猫ジオン様を抱えたまま、早足であのコンビニ横の路地を目指す。
「……もしや召喚地点へ戻っているのか?」
ぴたりと足を止めて人目につかないように近くのスーパーの駐車場に入る。
「このままジオン様だけ戻って下さい」
「それはできんぞ? 何も問題は無い」
「問題ありまくりです」
「本を購入するまで、わずかな期間ではないか」
「一週間もここでわたし達だけでは過ごせません。ここにいるという事はわたしもここでの生活があるんです」
「だから大丈夫だ」
ジオン様は明らかにムッとした表情でわたしを見上げてくる。
どうしてわかってくれないの?
それが切なくて、次第に視界が揺れ始めた。
「だって、大丈夫じゃないですよぉ……」
言葉と共にぽたぽたと涙が落ちた。
ストレスと寝不足と一晩中マンガを読んだ疲れで、わたしはけっこう参っていたらしい。
「な、何も泣くことは無いだろう?」
ジオン様がわたわたと焦り出す。
「だって、ジオン様が話聞いてくれないんだもん」
「そんなにお前を困らせるつもりは無かったのだが」
わけもわからず止まらない涙を、猫ジオン様がぺろりと舐めてくれる。




