ここには無い何か⑵
思い出されるのはここに来るまでに目にした荒廃した町や村、魔物に傷つけられた人々の姿だ。
現代日本じゃ実際に見ることは無い、目を覆いたくなるような惨状に、初めて体が震えるほどの恐怖と怒りを覚えた。
その魔物達の頂点にいるのが、目の前に立つこの魔王なのだ。
「……なぜそれを俺に言う?」
魔王はうんざりだとでも言うようにため息をつく。
「それはあなたが魔物達の長だからでしょ? だからわたしはここへ来たのよ。あなたたちを討伐するために」
「俺が何の長だと?」
「だから魔物たちのことよ! 今だって町や村を襲っては人間を傷つけてるのよ?」
「俺には関係無いことだというのに、なぜそれを俺の責任にする?」
魔王の言葉に怒りを覚えた。
ここへきて責任転嫁なんて許しがたい。
わたしの腕から手を離すと魔王はどっかりと椅子に腰掛けた。頬杖をつくと突っ立っているわたしを見上げてくる。
「それで? お前は俺のことを誰に聞いてここへ来たのだ?」
「それはわたしをこの世界に呼んだ人達よ。国王とか大臣とか。魔王を倒せば魔物の侵攻はなくなって世界は平和になるって。だから助けて欲しいって」
「ほう……」と魔王は怪しくも美しい笑みを浮かべて視線を流してくる。
「その人間達の話を鵜呑みにして、俺に剣を向けたのだな?」
『鵜呑み』だなんて言われて心臓がギクリとした。
魔王が発する重たい空気と比例するみたいに、話の雲行きが怪しくなっていく。
「だって魔王は魔物達の王でしょ?」
「愚か者。俺は魔物の王などでは無いわ」
「……え?」
魔王は魔物の王じゃない……?
大前提を覆すような事を言われて、頭が真っ白になる。
魔王と魔物が無関係なんて考えたことも、まして疑ったこともなかった。
本当にそんなことがあるの?
いや、ダメダメ!
これは罠かもしれない。全部が嘘でわたしを騙そうとしているのかも。
敵の言うことをコロッと信じるほど頭の中はお花畑じゃない。
「そんな大ウソついたってムダよ!」
だってこの魔王の言うことが真実なら、王様達がわたしに嘘をついていたことになる。
下手したらカール様やエルザさんまで。
そんな事は絶対に無い!
陛下の悲痛な言葉は本物だった。
民の犠牲とそれを防ぎきれない事への自責の念を口にして、一国の王がわたしみたいな小娘に懇願してきたんだ。
────やがて魔王軍も攻め込んでくる。そして我々は滅亡するだろう。一縷の望みは勇者なのだ────と。
だからわたしも仲間たちも命がけで必死にここまでやってきたんだ。
荒くなる息を殺し、わたしは魔王から目を逸らさないように努めた。
せめて動揺していることを悟られないようにしなければならない。
「魔王は魔族の王ではあるが、魔物は別種。奴らが我らに連なっているとでも思っているのか?」
酷く不快そうに顔を歪め、魔王はわたしのことを睨みつける。
彼の嫌悪感は本物だ。
嘘偽りなど混じっていないようにしか思えない。