流派の話。悲しい話。
剣術に柳生新陰流や北辰一刀流があるように、空手に剛柔流や極真会館があるように、合気道にも多くの流派が存在します。全てを語るのは難しいので、3選。ざっと特色を語りたいと思います。また、私の知識はいささか古いものがあるので、そこは御容赦。
■合気会
合気道の開祖、植芝盛平が設立した団体で、合気道の本家といえます。
日本全国の合気道道場の9割がこの合気会という、圧倒的なまでの最大手です。
そんな大規模な団体なのですが、敷居がとても低いことでも有名でした。
道場と責任者をさえ用意して申請すれば、基本的には合気会の傘下に入ることができます。
名前を書くだけで合格できる高校って地域に1つくらいあいますよね。そんな感じです。
そういう事情があるので、道場によって、まったくバラバラの稽古をしています。
なので、合気会に入りたいと考えている方は、毎年、武道館でやっている大会の見学をお勧めします。
大会といっても試合があるわけでは無く、それぞれの道場が普段やっている稽古や、演武をして「ウチはこんな感じでやってます」と披露する、合同説明会のようなものです。
合説ほどかしこまるもんじゃないですけどね。ラフなことやっているんでラフに行きましょう。
■養神館
おなじみ塩田剛三先生が合気会から独立して作った流派です。
私は一度だけ高田馬場支部に見学へ行ったことがあります。そこでの稽古は全く塩田先生と違う動きでした。全身を緊張させた身体でのカチコチとした固い動きにはなかなかの衝撃を受けました。開手の指までもピーンと伸ばしていたのを未だに覚えています。
塩田先生は「実戦合気道は私が最後」と仰っていましたが、あれでは自然とそうなるでしょう。
塩田館長が亡くなった後には高弟の井上先生が二代目を務めます。しかし5年ほどで退いて、塩田先生の息子さんが三代目館長となりました。
外部の私には何があったか分からないのですが、このあたりから養神館は分裂し始めたのです。
結果として8つほどの団体に散りました。養神館の名前は残っていますが、館長が空位という理解し難い状態にあります。また本部道場は移転し、なんと私が見学した高田馬場道場が本部となったようです。いやあ、あそこ狭いですよ。
■富木流
合気道を競技化させた団体の中では一番大きなとこです。
そのルールをざっくりと説明。オフェンスとディフェンスに分かれて試合をします。オフェンス側は模擬短刀を持って、突きにかかります。ディフェンス側はこれを捌き投げれば勝利。刺されてしまえば負け。だいたいこんなところです。
うーん・・・苦労して考えたなぁ。というのが率直な感想です。
競技化において一番に頭に入れておくべきは柔道の存在です。
いつも投げの稽古ばかりしているのだから、試合だって投げ合いでいけよと思いはします。
しかし、合気道の型にある技に限定した投げ合いですら、合気道経験ゼロの柔道家には勝てないでしょう。そういうことを考えての、この本質が良く分からないルールだと思います。
ただ、それでも定石を覚えられたら柔道家には勝てないです。もし今、よその組技連中に荒らされてないとしたら、単に眼中にない存在だということです。
富木流が「オリンピック競技入りを目指している」と聞かされた時、私は失笑しました。そして数年前「オリンピックは諦めた、今は分裂問題でそれどころじゃない」と聞かされた時は・・・まあ笑えないですよね。