43.エルンストの憂鬱 その3
「嘆きの岩」、そこはノッケンメーアの宮殿とエルメンタ王国の浜辺の中間地点にある静かな浅瀬であった。王国で唯一の正妃の娘で一の姫と呼ばれるエリュシオネーが500年前ここで魔力暴走を起こし、曰くの場と畏れられるとともに、その膨大な魔力が周辺にしみこみ魔石が生成され、彼女が流した魔力の籠った真珠が溢れているため定期的に採掘される資源の場と化していた。だが、曰くの場と言うこともあり普通の人魚は畏れ多いからか、それとも噂で恐れているためか採掘の為以外には滅多に近づかない静かな場所であった。
その岩の根元の隠れた部分に、隠し扉があった。隠し扉は巧妙に擬態魔術で周りと同化し、一目見ただけでは全く分からない。
隠し扉の奥へ人魚たちがスルスルと何かを警戒するように1人、また1人と入っていくのは、周辺を泳いでいたウミガメやクラゲだけが知っている。
「おぅ、やっと来たか若造め。気づかれてはいないんだろうな?」
そう言って小突いてきたのはディータであった。彼は即座に扉の内側に仕掛けてある防音魔術を起動し、入ってきた人魚たちをさらに奥へ誘導した。
「うわぁ、こんな場所があったなんて、俺、今まで知りませんでした!中は意外と滅茶苦茶広いんすね!」
そう言って辺りを見回すのはハインリヒ。
「それに、こんなに集まっているとは…てっきり以前仰っていた8人とばかり…うわぁ、近衛騎士団ではない方たちまで」
ハインリヒと一緒に入ってきたエルンストは、施設よりも人数の多さに目を瞠っている。
「お前たちのように現状に疑問を持っている奴が、こんだけいるってこったな」
ため息交じりにぼやくディータは、薄暗くなっている更に奥の方へ進む。
何だろうと2人がよく目を凝らすと、ぬぅっと3人の影が現れた。奥で待機していた老人魚達は彼に対して言った。
「ここは以前有力な宮廷魔術師が作った場所ですわい。一の姫様の事件以降、ここ一帯は何かと避けられがちになっていたのを目につけ、空間を作った後は密会用に色々と弄っておったんですわい。」
「うぉ!古株の爺さん達じゃないっすか!びっくりしたぁ」
「くぉら!口を慎め!長年大臣職を勤めておられるお方たちだ。礼を尽くさんか!」
驚いて思わず素の口が出てしまったハインリヒを、ディ―ターはゲンコツで窘めた。蹲る同僚を見て傍にいたエルンストは同じくビクッと驚いたが故に、声が出なかったことに今は感謝した。
「後の2人は?」
「あ!もうすぐ来ると思います!彼らは今日例の場所の巡回担当で…。」
「あぁ、あそこか…だったら、十中八九遅れるだろうな。」
あそこと言うのは王宮の本殿の近くのシャルロッテやアデリナその他正妃以外の妃の住まう宮「サンゴ宮」や、その周辺を指している。その持ち場の巡回や警備担当になる場合、必ず何かしらの八つ当たりや癇癪の対応、無理難題を躱すなどの面倒ごとに遭うため、衛兵たちの間では一番避けたい担当になっていた。以前は一の姫であるエリュシオネーの部屋がある本殿の一角が避けられていたが、基本的に何も起こらなかったため今になって衛兵たちは一の姫の部屋の巡回担当がいかに楽だったかを思い知っていた。
「ふむ…ならばこの場でただ待つのも時間が惜しい。であれば、ここ最近の変化や気づきについて、何かあれば申してくれぬかの?儂らは宮殿での地味な内政ばかりに目を向けるあまり、皆が見えていることも見えておらぬやもしれぬ。」
ディ―ターの簡単な申し出に、古株の3人衆ウルリッヒ・ウッツ・ウーヴェのうちウルリッヒが快く承諾した。
「は!ではわたくしから報告させていただきます!」
最初の一人、大洋警固騎士軍団団長であるフィンが報告を始める。
大洋警固騎士軍団は、人魚の民たちの暮らしを水魔から守る衛兵の集団で、広大な領海を持つノッケンメーアの暮らしを守る為に1番多くの部隊を持つ重要な民たちの盾である。フィンによれば、ここ数か月で水魔の出現・侵入が増えており、民たちの被害が顕著に。それに応じて民たちの王国に対する不満が出てきているとのことだった。
「それに関しては、私からも報告させていただこう。」
結界警備隊の隊長リアムがフィンに付け加えるような形で報告した。彼のまとめる結界警備隊は広大なノッケンメーアの領海全体を守護する結界石及び結界魔法(大守護結界)の警備・観察が主であり、結界魔法に関して日々研究を行っているやや研究者気質の少数精鋭の中隊であり、近衛騎士団の下にある。リアムが言うには、水魔が出没しだしたとされる同じ数か月前から、結界の効果が弱くなっているとのことだった。
「結界石及び結界魔法の強化は王もしくは一の姫様が主に行っていらっしゃったため、一の姫様が陸へ送られてしまわれた今、現次期王候補のシャルロッテ様にお願いをしているのですが…。」
リアムのテッカリとしたつるつるな鱗の額から、出るはずもない苦汁の汗が今にも出ないばかりに先日の些末を話した。
「前回、前々回と満月の日に、定期的に結界石に魔力を供給し、件の結界魔法の上書きをお願いしに伺ったときは、八の姫…いえシャルロッテ殿下は快諾されました。ただ、結界石を目の前にしていざ魔力供給の儀式になると突然ご気分を害されたのか、あの…いつもの癇癪を起こされまして…はい。その後は我々で何とか儀式を完遂させようと尽力いたしましたが、完全な魔力供給・補強とはならず……恐らくそれがノッケンメーア全体に影響をもたらしているのではないかと…」
フィンが食って掛かるようにリアムに噛みついた。
「そうであるならば何故もっと早くに我らに共有しない!おかげで我らはここ最近ずっと水魔との戦闘に民たちの鎮静化で休む暇もないのだぞ!」
「だ、だがしかしですな…あまりことを大きくするのをシャルロッテ様やアデリナ様が強くお止めになられるのだ…我らとしてもこんな一大事など初めてのことだ。そんな直ぐに代替案が出るわけでもなく、途方に暮れていたのだ。」
「ふん!何が少数精鋭の警備隊よ!ずっと宮でのらりくらりしていると思えば…こんな時こそ役に立たないなら普段はよっぽどお暇なんだろうよ!」
「なにを?!」
「やるか?!」
フィンとリアムの魔力が今にも爆発せんばかりに荒れ狂ってきたとき、
ウェッヘッ…!
静かな咳が響いた。古株のうちの3人目、ウーヴェが呑気にタコイカスムージーを飲んで咽ていた。
「あぁ、すまんかったのぅ…このスムージーは滋養に良いが如何せん濃くてのぅ…で、喧嘩は終わったかのう?」
「…ウーヴェよ、儂らは報告を聞いていたはずじゃ。」
ウッツが低く威厳のある声でウーヴェを窘める。
「あぁ、そうだったそうだった!…報告は終わったのかの?」
「未だに。」
なんとも平和な光景に拍子抜けてしまったのか、周りは一瞬ポカンとなってしまったが、フィンとリアムは自分たちが今、何をしていたのか急に冷静になりだし、互いに咳ばらいをして他に報告を譲った。
「ン゛ッン゛ン!…互いに熱くなりすぎたようだ。この件に関しては後程詳細な報告を共有していただき、対策検討の為にも打ち合わせをさせてもらいたい。」
「ゴ、ゴホン!そ、そうですね。今更アデリナ様方が何と言おうと状況が改善するわけでもないでしょうし…私も言い過ぎたようです。この件に関しての現時点の概要報告は以上です。他の方は何か情報ありますか?」
ここに近衛騎士団団長であり、ディ―ターの上司でもあるゲルルフが腕を上げ、手短に説明を始めた。
「近衛騎士団長としての見解だが、ここ最近の宮殿内はとてもではないが行政を行える状態を保つのも難しいくらいに荒れている。特に八の姫はアデリナ側妃に甘やかされたのか、気に入らないすぐにものを投げつけたり処刑などど脅しを入れる。様々な決め事や政で王族の承認や出席は必須であるにもかかわらず彼らの気分次第でその日の内にしなければならないことが再調整しなければならないことが多い。このままでは対人間の外政だけでなく内政にもすぐに影響が及ぶだろう。他の所属も同じようなことが起きているかと認識している。」
それを水切りに暫く辺りは「俺の師団はこうだ!」「こっちの警備なんか!」と各師団や警備隊の隊員や師団長たちがざわつき、文官たちは自分たちの訴状を詠った歌の譜を古株たちに次々と提出していたが、それに古株たちは黙って静かに聞き、受け入れていた。
すると、一際深く澄んだ声が響いた。
「すこし、いいかね?」
東南洋ヴュステの海の領主ジーモン・ヴュステだった。その濃紫の髪に入り混じった白髪と深く刻まれた眉間の皺は彼の半生の苦労を物語るが、その瞳は鋭い輝きを放っていた。
「ヴュステ様!貴方がこの集まりに来てくださるとは!」
古株のウルリッヒが狼狽えながら挨拶をする。ウッツも、スムージーを飲んでいたウーヴェもスムージーを置き礼をする。末端騎士エルンストやハインリヒは、まさか宮殿に仕える人魚だけでなく領主まで集まっているのかと目が魚眼並みに大きくなった。
ヴュステはウッツ、そして他の古株ウルリッヒやウーヴェをギロリと一瞥しながら言った。
「まず、地方海領主としての一般的な報告だが、先ほどフィン殿が申した通り、ここ最近の水魔の出没頻度が異常に多い。おかげで我ら東南洋特産の海ブドウや美味いブダイはほとんどダメになった。水魔による直接的な被害のほかにも、水魔が放つ瘴気による食料飢饉、疫病の不安が高まっているし、事実もうすぐ現実的な問題となるだろう。」
これに対し、フィンはコクコクと頷いた。
「ここ首都ハオプトシュタットで過ごしている宮仕えの騎士団の皆さま、古株のジジイ共はまだ結界の効果が強いから被害は分かりづらいだろうが、地方はすでに実害が出ている。国境に近い地方海ほど酷い状況だろう。さっき言った飢饉や疫病も既にあるかもしれない。―――そこで皆、特に古株のジジイ共に問いたい。」
鋭い目が更にきつく吊り上がる。
「さきほどから、今の窮状を訴えている声が多かったが、お前たちは一体何をやってきた?なぜ一の姫様を守れなかった?シャルロッテ殿下やアデリナ様が実権を握ってから色々大変なのは分かるしその通りだと思うが、お前たちはやるべきことを本当にやってきたのか?その結果の体たらくの報告会かこれは?」
シン、と辺りは深海が如く静まり返る。ハインリヒやエルンストはごくりと唾をのみ下を向くしかなかった。
「…答えられんのか?!……では何のために同胞が、私の娘が500年前犠牲になったというのだ?!ライラは一の姫様をお守りして海へと還った!その一の姫様がこの国の未来をご立派に支えてくれると信じてたからこそ私は引き続き領主として、臣下としての務めを全うしてきた!…恨んでなどおらん、寧ろ一の姫様を守れたことを誇りに思う…!…だが、だがお前たちは一の姫様をどのように扱ってきたのだ!?」
そう叫びながら段々とヴュステの目からは真珠が小さいながらもでき初めていた。
「私は娘に良くしてくださった姫様に定期的に玉梓歌を送っていた。昔は返事がよく来ていたものだが、この500年返事が来たことはなかったが…玉梓歌。だがそれでも、私は娘が命を懸けて守った彼女をまるで娘自身のように健康を祈っていた…。それなのに…先日のシャルロッテ殿下の継承御披露目会、あの時一般の人魚たちが一の姫様を災いを呼ぶ姫だ、要らない姫だ!と大きな声で話しながら通りを泳いでいたぞ?アレを普段から見逃していたのか?!どうなんだ騎士たちよ!!!」
低く透き通った声が、怒りを乗せてガタガタと空洞内を震わす。エルンスト達は俯くしかなかった。確かに、今思えばそれは不敬罪で直ちにしょっ引かねばならぬ案件だ。なのに自分たちは当時それが当たり前だと平然と受け入れていた。何故なんだ…と後悔と疑念で胸が渦巻いていた。
一人の若手騎士が怖いもの知らずにも、おずおずと物申した。
「で、ですが、俺の親たちは皆そう言ってて…俺たちもそれが普通だと育ったんです…だからー」
「だから次期国王となる尊きお方を侮辱しても罪にならないと?!お前たちの倫理観はどうなっている?!」
予想通り喝が飛んできて小エビのようにその騎士は引っ込んだ。
「…はぁ、呆れてモノも言えぬわ。南洋のブリッツェン、大陸を挟んだ向こうの西洋のオツェアーンの領主殿も同じ思いだと先日会ったときに話した。一の姫様が一番国を任せるのにふさわしい、正妃の娘を正当に扱うべきと、八の姫様では力不足とな。彼らは領海が心配で先に帰ったが、先ほど私とともに国王へ嘆願歌を送った。…なしのつぶてだったがな。」
はぁ、と再びため息をついた後、ヴュステは一度近くの腰かけに腰掛けた。
「最近の王はどうかしているよ。以前からおかしいとは思っていたが、あそこまで腑抜けた…と言うより人形のような王は初めてだ。…本当に。」
「…それについては、一応見当がついているようですじゃ。」
うなだれているヴュステに古株のウルリッヒが声かけた。
「…やはり、何かあったという訳か。どなたか医者にでも見せたのか?それとも魔術師か?」
「魔術師じゃよ。と言っても、今は幽閉されておるがのぅ。」
「幽閉…まさか?!ドロテア殿か?!」
「左様。彼女とは内密に連絡を最近取れてな。遠話魔法で状況を説明し、極秘裏にこちらへ来てもらっておる。」
「では…今この場に…?」
どす黒い水煙が突如ヴュステの隣辺りから噴き出したかと思うと、特徴的なタコのにゅるにゅる動くケープが目に入った。
「出番のようだねぇ…?」
しわがれた声が隠れ洞穴のこの場に響いた。




