31.師の愛
毎度毎度更新が不定期ですみませんが、ちょびちょびとやらせてもらっています。
深夜の寮の海の中、6色の人魚姫はすやすやと寝息を立てながら思い思いの場所で寝ていた。その中、一人エリュシオネーは奥まった部屋の一角、張り出した窓のエリュシオネーはドロテアから貰ったロケットの蓋を開いていた。青白い月光が窓から差し込み、白く光る彼女の髪をより一層引き立てていた。
彼女に話したい、その一心で開いた瞬間に浮かび上がるようにドロテアがロケットの中から出てきた。
{ひっひっひ、そろそろ連絡が来るんじゃないかと思ったよ。}
「ど、どうしたのだドロテア!透けているではないか?! 遂に精霊となってしまったか?!」
ロケットからのドロテアは青白く、霊の様に透けていたためエリュシオネーは驚いた。アカヤガラのような長い鼻がエリュシオネーの顔のすぐそこまでくっつきそうだった。だが、彼女に触れようともまるで霧のように揺らぐだけで一向に触れられない。
{こちらからも、お前さんが透けて見えとるわい。}
ロケットでいつでもどこでも連絡が取れるというドロテアの言っていたことは本当のようだった。しかし、ロケットから見えるドロテアの姿がそのままエリュシオネーのロケットから浮き出て見える、画期的な連絡方法に驚いたのだ。今まで海の中では魔力と相性の良い水晶や鏡などに魔力を通して声や姿を送るという方法だった。
「これも魔術の一つか?凄いな、てっきり声のみでやり取りできるものと思っていたが」
{そうさね、暇な時間を潰して考えた術式と暇な時間を持て余して集めた触媒がうまく働いたようで良かった、良かった……ところで、その表情は何か悩んでいるようだね?私の大事なお姫様}
そうだ。エリュシオネーは自分の心の中で渦巻いている葛藤を整理するためにも、この寝静まった深夜に信頼のおける今生の師に相談したかった。そのことは、彼女の表情を見て一瞬にドロテアも察した。無表情に見えるその面はいつになく憂いている。
「分からなくなった。だから、ドロテア殿に聞いてもらいたくて、」
{ひっひ、頼られることは師の冥利だねぇ。…どうやら、直接話した方が良さそうじゃないか。どれ、私の手をお取り。}
エリュシオネーは不思議に思いながらも透けているドロテアの手を握ろうとロケットに手を伸ばした。
するとロケットは今まで感じなかった強い魔力を帯び出してエリュシオネーをロケットの中に吸い込んでいく。
ぎゅっと目をつぶって荒れる魔力風と眩しさに耐えていたら辺りが暗くなっていることに気づいた。恐る恐る目を開けると目の前にはつい先日訪れた氷海の塔の中ではないか。目の前には透けていない、蛸のケープを羽織った本物のドロテアがいる。そして、斑模様の歪な手はしっかりとエリュシオネーの白陶磁のような手を握っていた。
「…!…ふ、ふふ、驚いたな。どのように作用するかは確かにこのロケットを貰ったときに聞いてはいたがいざ体験すると奇妙なものだ。転移のような魔法が動作するよう術式を組み込み、触媒はこのロケットの中にある宝物だけでなく私たち2人合わせて初めて成り立つものになっているのか?」
「ひっひっひ、弟子にしては及第点だねぇ。さてさて、またこんな辺鄙なところへ呼んでしまって悪かったねぇ。」
「いや、私が話したいと…こんな夜更けにいきなり連絡してしまいすまなかった。」
「おやおや、すっかり陸の生活に染まってしまったようだねぇ。この海の国は深く、常に暗い。人魚にとっての時間軸と陸のそれとは違うのはお前さんがよく知っているだろう?決まった時間はない、起きているときが人魚にとっては「お昼」さね。」
「ふふ、そうだったな。そういうドロテア殿は随分陸に詳しそうだな。」
「ここら一帯は陸に人間は住めないようでね、たまに氷海を覆う氷の上から顔を出しているからねぇ。まぁ、氷海から出られない
暇つぶしの一環さ。そのおかげで珍しい触媒や材料も手に入るもんだよ。」
会話片手にドロテアは紫色のドロドロとした液体を溶岩でできた器に入れた。エリュシオネーが幼少期の頃によく師匠であるドロテアと休憩時間に飲んでいた特製ジュースだった。
「懐かしいな、「アメフラシとモズクガニの生絞りジュース」。そう言えばそなたが宮殿からいなくなった後も、たまにこれを作っていた。記憶を無くしていてもこの強烈な味は忘れていなかったということだ。」
「ひっひ、このジュースを拒まず一緒に飲んでくれたのも、お前さんくらいだねぇ。……それで…、陸は馴染めなさそうかい?」
ズズ…、と濃いジュースを啜った後にエリュシオネーは漸く話す。…味は慣れていたから平気だが陸の食に慣れているものは到底受けてけないであろうエグ味と苦味が強い。
「人間は…人間は、皆自分勝手で傲慢で、思い通りにするためならば…自分の為ならば他種族をも殺すことも厭わない危険な種族だと思ってた。」
「今は違うのかい?」
「…それが分からない……。人間の城で見た者たちは私の想像するよりも何倍も陰湿そうで、小癪な手を使ってきそうな輩だが、危険な存在には変わらないと思う。でも最近、妹たちがそれぞれ人間の友人を持っているようなのだ。そして、その友人たちは別に人魚を見下そうとしているわけでもなく、害意も無さそうで、ましてや我々の血を求めようなどとも勿論思っていない。」
「良かったじゃないか。お前さんたち姉妹は外を知らない。他の人魚との交流もほぼ無かっただろう。友をこしらえるのは悪いことじゃあ無い。」
「だが分からないんだ。人間は、アイツらはラウラを殺した。皆、私たちの民を殺したアイツらとその友人は同じ種族なのに…その種族と大切な妹たちが友人など、認めても大丈夫なのだろうか?私は…人間にあまり心を許したときに惨状が起こるのではないかと怖くて…だが妹たちには自由に世界を見てほしいという思いもあって…とにかくココがぐちゃぐちゃなんだ…」
キュウ…と胸を抑える。妹たちがのびのびと自分で感じて認めた友人を作る、世界を広げる、「良かったじゃないか」。確かにそうなのだ。そして、それを止める権利は自分にはないし、そうしたいとも思っていない。思っていないはずなのだ。
しかし、「だが…」という別の思考が彼女の中に存在し、大手を振って妹たちと一緒に人間の友を歓迎することを阻む。
「……お前さんの身に起こったことを想えば無理はないよ。大丈夫、可笑しいことなんてないさ。心配なんだろう?優しい姉心じゃあないかい。」
「そう、だな。心配なのは、その通りだ。だが、それだけでない。嫌なのだ。単純に。人間は私たち人魚を野蛮と言う者もいたが、私から見ればアイツらの方がよほど野蛮だ、人間種族全体と良好な関係を築くなど、空想でしかない。…それが自分の独りよがりな考えであることも承知だ。…ドロテア殿、私は、500年前に起きた出来事、それに執着しすぎて視野が狭まっているのか?人間の友人を作ることは、そなたの目から見ても大丈夫なのか?」
恐らく彼女自身、自分のトラウマから脱せずに多様な視点から考えられなくなっているのに気づいてはいるのだろう。人間とは種ではなく個として付き合うことも、その個の中には人魚を利用せず、尊重できる者もきっといるであろうということも、頭では分かっているはずなのだ。それは彼女が自身の考えていることに疑問をドロテアに投げたことで明白であった。
それでも、分かっていても抑えられない過去からの恐怖と不安、再び大切なものを失うかもしれないという切迫した危機感が全てをかき消してしまうのだろう。現に、エリュシオネーはここ最近妹たちもしくはアメリアと常に一緒にいる。姉の心の奥底を覗ける妹たちが率先して傍にいてくれる故なのだが、その実エリュシオネーは一人になり思考の余裕ができると、いつも呼吸が早くなり過去のトラウマの檻に閉じ込められそうになっていた。
ドロテアは心が痛んだ。彼女の状況は定期的に覗いており、状態はよく分かっているつもりでいた。とても不安そうに縋る瞳は酷く怯えていて、今にも悩みで張り裂けそうな心が十分に伝わった。抱きしめてあげたい。だが、甘言を言うだけなら誰にでもできよう。ここは正しいと思う言葉を与えてやらねば彼女はまた、全ての人間を敵視し、妹だけでなく自分の道をも閉ざしてしまうかもしれない。
「厳しいことを言うかもしれないがね。」
「それでよい。今は師匠、そなたの言葉が薬となるであろう。」
「なら、いいかい、…1つ、人間は確かにお前さんに深い心の傷を負わせた。…でもね、人間の生は短い。お前さんが昨日の様に覚えていることを、人間が覚えていないのは寧ろ当たり前で、彼らにとってはご先祖が行ったこととして、新たな考えのもので生きているのかもしれない。」
「…分かっている。…だが、あんなことをしておいて何も後世に伝えず、罪の意識すらないとは…」
「師匠の言葉を最後までお聞き。…都合の悪いことは抹消したいと考えるのは別に珍しくもないさね。そんな正直に、高潔に生きる者は…ましてや種族は多くはないだろう。だからね、人間の本質が変わらない部分があることはあるにせよ、だからと言って新しい関係が望めないわけでもない。…人魚をただ単純に知りたい、我々と本当に仲良くしたいと思っている「個」もいるわけだ。意味は分かるだろう?」
「はい、師匠…。」
「その者がたまたま人間であっただけで、あるいは獣人かもしれないしあるいはエルフかもしれない。もしその友が獣人であったとしても、妹さんと友になりたいと申し出たことだろうよ。」
「…だが、獣人の方が安心だ。獣人は正直で、義理堅い。人間よりは信頼できる。」
「話が飛んでいきそうだねぇ。また、「種族」の話になっているよ。私が言いたいのは、「種族」の特性がある程度あるとしても、それをそのまま全ての「個」に当てはめて判断するのは早いという話さ。」
「…」
「万が一に備えて、妹さんが何かされた時は、思いっきり仕返ししてやんな。でもそれまでは、見守るに留まるでも充分だと思うさね。」
「うん、師匠…ありがとう。」
ジュースを両手で持ち、尾を抱えながらドロテアの顔を見上げるエリュシオネーの顔は、いつしかの幼い弟子だった頃の表情を彷彿とさせた。
「…もう、大丈夫そうだね?」
「うん、後は、自分で出来ると思う。直ぐには私も考えや態度が変えられないとは思うが、それでも…」
「あぁ、しっかりやっていきな」
エリュシオネーも、彼女の妹たちも新しく、自分らしく生きられる一歩の一助となれればとドロテアは願い、彼女をロケットの転移魔術で送り返した。




