1.一の姫 エリュシオネー
今日は国王からの重大な発表があると、民たち全員を大広間に呼んで、昼から大宴会を行っている。
民はおろか、私たち国王の娘達まで内容は知らない。ただ一人、末の妹だけが姿を見せていないから、彼女に関することなのだろうと誰もが思っているのだろう。皆、そう思っている。
私はエリュシオネー、エリュシオネー・フンデルトヴァッサーである。ノッケンメーア王国の一の姫にして国王の正妃の唯一の娘であり次期国王としての教育を常々受けてきた。魔法・魔術・狩り・歌…様々な分野での1番を認められ、もう200年もしたら成人し、王となる未来。
しかし、城の者、民、皆から「災禍の姫」と呼ばれている。
それは500年前に私が災禍をもたらしたという話から来ており、もうかれこれ400年くらいはそのように呼ばれ、民からは避けられ、貴族たちに畏怖されてきた。次の王となる者であるのに、だ。
今日も、王国としては珍しく民たち一同が集まる機会だというのに、こうして姿を見せても大臣及び一部の貴族からご機嫌取りのような挨拶言葉をかけられた後は遠巻きにされるばかりだ。
くだらぬ。…だが、私の一挙一動を見てはひそひそと怯えて小声噺をする民たちの視線はいつでも痛い。
アメリア以外の侍女のほとんどは数年したら恐ろしくて耐えられないと、一の姫の侍女という名誉を捨ててまで辞めていく。
大臣たちは政務を私が手伝っているため長い関わりになるが、その顔色はどれだけ取り繕おうにも恐怖の色が隠せていない。その笑顔の下の冷汗、震え、怯え切った目に気付かないはずがない。
民たちは先ほどのように遠くで噂話をするか、私が海を散歩するときには視界に入らないよう物陰に隠れる始末だ。
500年前、私は100年ほど深い眠りについた。その時に災禍をもたらしたと皆が口を揃えて言うが、私自身は何もその周辺の記憶がないのだ。あまつさえ、具体的に私がどのような事をしたのか、なぜそのような経緯になったのか、その周辺の出来事は何だと聞いても皆口を閉ざすばかりだ。
はぁ、と思わずため水を吐く。私が何をしたというのか。
恐れ、避け、影口を言うくらいであれば堂々と理由を話せというものだ。
アメリアでさえ、何も言ってくれずに今日まで過ごしてきた。
本当にこの点においては納得がいかぬ。
400年前に目が覚めた時は、本当に驚いた。そして、虚しくなった。悲しくなった。何もかも、変わってしまった。
いつも優しかったお父様は私の目を一切見てくださらなくなり、話をしなくなった。あんなにいなくなったお母様のことをよく話してくださり、毎日顔を見に来てくださっていたのに。
今まで妾を一人も作らなかったのに、アデリナ様をはじめとした側室を何人も迎えていた。お母様のことは、お父様をはじめ皆忘れてしまったかのように話をしなくなっていた。
そして沢山の義妹ができていた。昔私に向けていた表情を義妹たち、特に末の妹のシャルロッテに向けるようになった。
私を抜いた幸せな宮殿の空気が出来上がっていた。私はお父様からは見て見ぬふりをされ、民や家臣たちからは恐れ忌み避けられる存在になっていた。
辛かった。怖かった。怒りもした。だが、私が泣こうものなら周りは怯え泣き止むよう懇願し、私が怒りを露わにすればたちまち一人残らず私の目の前から逃げ消える。感情を表に出すことを皆、嫌がったのだ。お父様も、ただ一言「そのようなことで感情的になるのは王として相応しくない」と。笑うことさえ、許されなかった。
ただ、義妹たち及び侍女のアメリアは私を避けずにいてくれた。
目覚めた日から暫く、あまりの変わり様に一人静かに部屋に籠って泣いたことがあった。その時でも、アメリアだけは私を恐れず抱きしめてくれた。
アメリアは私が生まれた時から世話をしてくれているから恐れることはないのだろう。
義妹たちは、彼女たちの母親である側室が皆育児に興味を示さず、放置されていたのを私が面倒を見ていた。側室たちは常に何かしらの饗宴を開いて贅を尽くした暮らしをしていたが、遂に今はアデリナ様以外皆亡くなっている。
妹たちは皆、個性があり私を好いてくれていた。妹たちと一緒に私の生み出す魔法で遊んだり、上の妹たちと共に寝泊まりにこちらへ来たりして、よく私を慕ってくれていた。王妃としての教育も、私が直接教えることも多々あった。
まぁ、500年前にその「災禍」とやらを見ていない上、彼女たちにも詳細は知らされていないから恐れる要素が薄いだけかもしれんが…。
それでも、 一人ではなかったことは確かだった。それが救いだった。
しかし、大きくなるにつれて末の妹シャルロッテだけは変わってしまった。恐らく母親のアデリナ様の影響だろうか。シャルロッテは事あるごとに私を悪者に仕立て上げたいらしく、他の義妹が物語の朗読をせがみ、読んでやると、自分を仲間はずれにしたと母親であるアデリナ様に泣きついたり、私が少し注意をすれば呪いの言葉を吐くと吹聴するようになった。
何故そのような嘘をついてまで私を貶めたいのか、嫌いになったのかと一度聞いたことがある。
「私のことは、もう嫌いになったのか?」と問うと、「災禍の姫は何かする度に災いを蒔くんでしょ?今も私に話している間にその言葉で呪いを吐いているんでしょ?災禍の姫だから、何をしても嫌われるのよ?」と返ってきた。あまりに幼稚で、根拠のない言いがかりの為に確か私は呆れ、それからなるべく関わらないようにしているのだ。
関わらなければ関わらないで、冷たい氷のような心を持つとまた噂されるのだが、背に腹は代えられぬ。
アデリナ様と彼女の取り巻き貴族たちは、私が「災禍の姫」として悪評を流されても未だ正妃の娘であり、全ての分野において一番の功績を残した私が第一王位継承権を持っているのが面白くないのだろう。会うたびに嫌味を言われ、根も葉もない噂を流して余計に民たちを怖がらせていた。
ばかばかしいことをする。暇なのか?暇なんだろうな。ここ200年くらいは海も穏やかで陸の国との争いも水魔の襲撃も何もないのだから。
民の為、嫌がらせを避ける為、お父様にこれ以上嫌われたくない為、この数百年なるべく感情を押し殺して過ごしてきた。
ただ皆が怖がらないように、無害な者であると分かるように、静かに何も言わず、表情を動かさずにいればいいのだ。長い寿命を持つ人魚だが、あと1000年これを続ければ皆も分かってくれよう。
1000年なぞ、人魚の生では瞬きの間だ。あと少し、あと少し耐えればよい事なのだ。
つまらない噂も私を見る目も、1000年くらい経てば変わるはずだ。
それが、今私にできることなのだから。
それなのに、耐えてきていたと言うのに…
「八の姫、もとい、次期国王候補であらせられる、シャルロッテ姫のおなーーーりーー!」
……なんだ、それは。 正妃の娘で長女であり、正式に次期国王としての教育を受けてきた私を差し置いて、次期国王候補とわざわざ民の前で言うとは、一体どういうことだ?
妹たちが口々に騒ぐ。民たちもざわめく。それらすべてが雑音となって耳に波のように押し寄せる。
出てきたララくらいの幼さを残した可愛らしい少女の姫、シャルロッテは私より豪華で仰々しい飾りを尾ひれに、髪につけていた。ここより深いスサナ海溝でしか獲れないパーリーピンクシェルをメインとした腰輪と尾ひれの飾り、その貝から採れるピンクパールの腕輪、薄織のシーシルクの腰巻はどれも造りが他の妹たちよりも丁寧で豪華なことは確かだ。
いくらシャルロッテがお父様の寵愛を受けているからと言って、ここまで差をつけるとは…。
中央に出てきた彼女は第一側室のアデリナとともに出てきて、こちらを振り返り、クスリと笑った。
その顔は、同じ妹であるはずなのに他の妹には感じない悪意、嫌悪感が混じっていた。