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俺の名前は天海司、進学校に通う高校三年生だ。
夏休みも終わり、周りの皆は受験モードに突入。当然、自分も現役合格を目指して勉強中である。昨日息抜きに見たラグビーの試合にやる気が触発されて、俄然俺のモチベーションは上がっていた。
学校の最寄駅を降りて、歩いて学校に向かう途中で同じクラスの高岡沙月さんが前を歩いていた。同じクラスとはいえ、俺は一度も話をした事がないので近寄っていって声をかけるという事はしない。というより、高岡さんが美少女すぎて、そんな事ができるはずがなかった。学年でも1年の頃から有名で、3年で同じクラスになれた時は嬉しかったが、俺がチキンすぎて半年たった今でも会話らしい会話なんてした事がなかった。
しかし、俺のモチベーションは上がっているのだ。それは何も勉強面だけではない。
『挨拶だ。挨拶くらいなら返してくれるかもしれない。勇気を出すんだ。同じクラスなんだし、おはようって言えば、きっと返してくれる………よな』
この半年の間に、何度か同じようなシチュエーションはあったのだが、ヘタレの俺はおはようの4文字すら言う事ができないでいたのだ。そして、それはモチベーションの上がっている今でも変わらなかった。
俺がいつものように、言おうか言うまいかを葛藤していると、俺の視界に信号を無視して突っ込んでくる車が目に入ってきた。
俺は無意識に走り出した。
『ジャッカーーーーーール』
意味不明な心の叫びと共に、俺は高岡さんの腰あたりにタックルをした。
「きゃっ」
高岡さんは前方に飛ばされ、俺は車にタックルされて真横に吹っ飛ばされた………
◇◇◇◇◇◇◇◇
「目覚めなさい」
「……ここは? あれっ……」
俺の頭は混乱していた。車にはねられた気がしたのだが、目の前には女性が1人立っていた。
「あなたは選ばれました」
「えっ? 何にですか?」
「私の代わりにアクゥルアという世界に行って、人々を救済し、私への信仰心を高めるのです」
その分野のライトノベルを読んでいた俺はピンときてしまった。これは世に言う【異世界転生】というやつではないだろうか。という事は俺は死んでしまったという事か……
「俺は死んだんですか?」
「そうです。しかし、運よく私に選ばれました。あなたは再び生を得る事ができます。良かったですね」
その言い方に何か嫌な感じがしたが、俺は気になる事があった。
「なら、高岡さんはどうなったんですか?」
「高岡さん?……あ~、あの、死ぬ前にあなたが突き飛ばした女性ですね。大丈夫ですよ。生きてますよ」
「いや、突き飛ばしたというか、助けようと思って……そうか、でも良かったよ。高岡さんだけでも助かって」
「クスクス。高岡さんの天命はまだ尽きていません。あそこで死ぬ運命ではなかったのです。あなたが仮に突き飛ばさなかったとしても、紙一重で車は彼女の横を通過していたでしょう」
「えっ?」
「つまり、あなたは高岡さんに体当たりをしてすこし怪我をさせてしまっただけということです」
「えっ?」
「一方のあなたは天命が尽きていました。どのように行動してもあの時死ぬことは決定していました。仮に体当たりをしていなくても、車のガラスの破片が頸動脈に直撃して出血多量で死んでいたんではないでしょうか」
「ええっ?」
何て事だ。俺のやった事は無駄だったという事か………
「しかし、あの一瞬、神の定めた運命に抗い、救おうとした心は評価できます。アクゥルアという世界ではその【運命に抗う力】こそが重要なのです……」
何かを説明しているが、俺は真相を知ったショックから何も頭に入ってこなかった。
「そこで、あなたには特別な力を授けようと思います。【ポーション作成】です。この力を駆使して、第773天使であるこの私、モエールの名を世に広めるのです………って、聞いてますか?」
正直最後の方しか聞いていなかった。しかし、異世界転生というのはライトノベル好きなら、かなりメジャーな文化だと言っていいだろう。ポーション作成というのもありきたりなチートスキルである。出来る事なら危険なく第二の人生を歩みたい。
「もしかして、魔王とか倒さないといけないやつですか?」
「いえ、必ずしもそうではありません。アクゥルアという世界には魔王が存在します。アクゥルアの民は魔物たちの脅威にさらされて暮らしているのです。でも、だからと言ってあなたに魔王を倒せという無茶ぶりはしません」
危険な事をしなくていいと聞いて安堵する。
「じゃあ、何をすれば……」
「さっきも言ったように、第773天使であるこの私、モエールの名を世界に轟かせてほしいのです。我々天使の世界も厳しい世界なんです。序列を上げるためには信仰心という第六次元に位置する力を集める必要があるのです」
「はぁ………ちなみに天使は何人いるんですか」
「777人です。って何ですか、その不安そうな顔は。こう見えて私は期待の新天使なんですよ。この100年で序列を4つも上げたんです。それに、前は人選を間違えてしまいましたからね。私の【ポーション作成】の有用性を理解できない者を転生させてしまいましたからね。その点、あなたなら分かるんじゃないですか。【ポーション作成】という能力の素晴らしさが」
目の前の女性がニヤリと笑う。
「確かに【ポーション作成】はチートスキルの定番ですね。ちなみにどれくらいの効があるもを作り出せるのですか? 日に何本とか制限はあるのですか?」
「やっぱり分かりますか。そうですよね。私の能力は素晴らしいですよね。聞いて驚いてください。なんと日に何本とか制限なしなんです。どうです? 素晴らしすぎて、今から異世界生活がワクワクしてきませんか? 効力もレベルが上がれば、治せないものはありません。最高レベルまで到達すれば【神薬エリクサー】なんてものも作り出せるにちがいありません」
「レベルってどうやって上がるんですか? 魔物を倒すとかですか? それこそ、ポーションではどうする事もできないので、最初の魔物で死んでしまう事だってあるんじゃないですか? あっ、派生で毒ポーションとか攻撃にも使えるようになるとか?」
「いえ、そんな事をしなくても大丈夫ですよ。信仰心によってレベルが上がりますから。あなたは天使モエールの名を広め、崇拝させてください。私を祭る神殿を作るなんてのもいいですよ。そうして、信仰心が集まれば、その力が私に力が集まり、その力があなたにも還元されます」
「………なるほど。じゃあ、ポーションを使って感謝されればいいという事ですか……」
「そうです。その通りです。理解が早くて助かります。そして、その感謝されている際に天使モエールの名前を添えていってくれればいいのです」
「レベルと言ってましたけど、最初の段階でどのくらいのものが治せるんですか?」
「まだ初級レベルですからね。しかし、それでも、骨折程度なら余裕で治せるレベルです。すごくないですか?」
「たしかに、凄いですね。それなら、なんとかなるかもしれません」
「そうでしょう。そうでしょう。では、頑張ってください」
「わかりました」
なんとかなりそうな感じがして、2つ返事で了承してしまう。
「いや、やっぱり平成生まれの日本人の高校生はいいですね。前は戦国時代の日本人でしたから、なかなかポーションという概念が伝わらなかったものです。ではアクゥルアで頑張ってください。アンダブラ、カンタブラ………」
「ちょっと、待………」
まだまだ聞きたい事があったのに、いきなり女性の手が俺に向けられ呪文の詠唱が始まった。そして、その手から光が溢れ出て、俺はその光に包まれたと思ったら、意識が遠のいた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
目が覚めたら、見知らぬ天井が目の前にあった。
「奇跡です。持ち直しました」
白衣を着た男性が俺の瞼を持ち上げ、光を当てる。眩しい。
「あなた」
その横では俺の母さんと父さんが抱き合って、涙を流していた。
さっきまでのは夢だったのか? 異世界転生とは何だったのか。走馬灯のように死の直前に変なものを見てしまったのだろうか。
俺は動こうとしたが、全身が固定されていて動けない。口には人工呼吸器のマスクがつけられていた。眼球だけを動かして、室内を見回す。すると、同じセーラー服を着た女子高生が2人いる事に驚いた。
1人は口に手を当てて驚いた表情をしている高岡さんだった。
そしてもう1人は……
「お兄ちゃーーーーん」
涙を流しながら、俺に縋り付いて来た。
俺に妹なんていない。
誰だ? オメェは…………
、