その5
「皆で行こうって言ったじゃん」
幻のマコトが僕に文句を言っている。
「お前が速すぎるんだよ、あいつらはまだ森の中だ」
僕は、幻相手に何を言ってるんだろう。
「ごめん」
「謝らなくていい」
「……来てくれたんだね」
「約束だっただろ」
「ありがと」
マコトはそれだけ言うと唇をきゅっと結んで、片手で目をごしごしこすった。目の下がうっすらと赤くなる。まるで本当に生きてこの場所にいるような、現実よりもずっとリアルな幻だった。
僕はポケットに手を突っ込んで中の感触を確かめた。あの箱は、まだちゃんとここにあった。
「……マコトは青色が好きだったよな」
へ? ときょとんとした表情を浮かべながら、マコトは小さく頷いた。僕はポケットから箱を取り出して手のひらに乗せ、マコトの前に差し出した。青い水玉模様の包装紙と青色のリボンでラッピングされた小さな箱。
「これはお前のか」
マコトは箱に手を伸ばした。けれど受け取り損ねた。一度、二度と掴もうとするけれど、マコトの白い手は箱にをすり抜けて触れることができなかった。たぶん、僕の手にも触れることができないだろう。マコトは、腕を引っ込めて箱をじっと見つめた。
「知らない」
「じゃあもうひとつ教えてくれ」
「なに?」
「あの日のことだ」
マコトは目をちょっとだけ見開いた。事故のあった日のことだと、すぐにわかってくれたらしい。
「お前、ヒロトに」
「ヒロトは悪くない」
僕が言い終える前に答えが返ってくる。僕は戸惑った。
「悪い?」
「え?」
僕らはお互いに目を見開いてしばらくそのまま固まった。僕は小さく息を吸い込む。
「ヒロトと秘密基地に行ったんだろ? 何しに行ったんだ」
マコトは視線を宙にさまよわせた。マコトは言い訳を考える時はいつも挙動がおかしくなった。そして、必ず誰かに嘘を見抜かれてしまうのだ。昔と全然変わらない。思わず笑ってしまいそうになる。
「……それ聞く?」
「聞く」
「本当に?」
「本当に」
文字一つ返しでマコトを正面から見据える。マコトは笑ってごまかそうとしていたけれど、やがて諦めたみたいにふっと一つ息を吐いた。そして、口を小さく開いて、お、の形にした。
「告白」
「へ?」
「ヒロトに告白されて、私が逃げたんだ。その時……」
マコトは表情を失っていた。ただ感情を抑えて淡々と当時のことを話してくれた。僕は、黙ってそれを聞いていた。
ヒロトは、その日にマコトを秘密基地に呼び出したらしい。ヒロトの告白を受けたマコトはどうすればいいのかわからなくなって、慌てて秘密基地を飛び出して山を駆け降りた。事故が起こったのはその時で、おそらく、ヒロトは用意したプレゼントを渡すつもりでいたんだろう。
ヒロトは、ずっとそのことを黙っていた。だから、今日、僕らのうち誰よりも火花を見に行くことを望んでいたのだ。
話をしながらマコトは泣きそうになっていた。僕は後悔していた。マコトの口から説明してもらうことではなかったのだ。
「もういいよ、ごめん」
「ヒロトは悪くない、私が臆病だっただけで」
マコトはそればかり口にしていた。僕は、俯く頭にそっと手を置こうとしたけれど、そこにはやはり何の感触もなかった。僕の目の前のマコトは幻なのだ。僕の手から箱を取ろうとするけれど、どうやってもそれには触れることができない。
「ヒロトにありがとう、って伝えてくれる?」
「おう」
「でも、私には三人から誰か一人を選ぶことはできないよ」
マコトはふっと顔をあげた。潤んだ瞳をごしごしこすって、僕を見上げる。
「背、伸びたね」
「あれから、二年、経ってるから」
今のマコトは、僕から見て凄く小さく見えた。マコトの時間はもう二度と動くことがない。
「また、あいつらも、連れてくるさ」
僕は何とか笑って見せようと思ったけれど、鼻と目の奥が熱くなってうまく表情を作れなかった。
「ここにはもう来ちゃ駄目だよ」
僕は鼻をすすった。
「どうして」
「ここは私達の帰り道だから、もしかしたら、こっちに戻って来られなくなるかもしれない」
僕らの周囲で人型の影がひとつずつ光の奔流に飲まれて空に昇っていく。マコトの言う私達、というのがどういう意味なのか、僕にはわからない。
「それでもいい」
「駄目だよ、まだ、皆にはやれることがたくさんあるじゃん」
マコトは、子どもを叱る親みたいにきっと僕をにらみつけた。その拍子に、目の縁から涙が一粒だけこぼれ落ちて頬を伝った。
「私にはもう何もできないんだよ」
僕が小さく頷くと、マコトもうんうんと繰り返し頷いた。
巨大な光の群れは、少しずつその勢いを失いつつあった。マコトはまたごしごしと目をこすると、周囲を見回して大きく息を吸った。
「もう行くよ」
マコトは僕に背を向けて、光の中に消えていく。僕は、その背中をどうしても呼び止めたくて仕方がなかった、
「マコト」
小さな背中が立ち止まった。何を言うかなんて全然考えていなかったけれど、口をついて出てくる言葉に全部任せる。
「また会おう。百年後には、また皆で集まれるさ」
マコトは振り向いた。学校帰りにちょっと呼び止められた時みたいな気軽な笑み。
「楽しみにしてる」
その言葉を最後に、マコトの姿は僕の視界から消え去った。
やがて夜の闇が再びあたりを包み始め、僕の右腕の火傷が再び痛み始めた。痛みと疲労で、ちょっとずつ意識が薄れていく。深い眠りに落ちる直前みたいに、世界は急激に暗転した。