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火花【改稿】  作者: ミズノ
4/7

その4

 僕らの間に再び沈黙が落ちる、あたりには、木々のざわめきと土を踏む規則正しい足音だけが響いていたけれど、山頂に近づくにつれて、森の中を吹き抜ける風の音が大きくなっていく。

 山頂付近にらせん状の山道を見つけ、それに沿って歩く。周囲に人の姿はない。山頂にたどり着いたところで、大きな風切り音が僕らを包み込んだ。

 うおっ、と後方を振り向いて声をあげたのはヒロトだった。それに倣って後ろを向く。山頂からは、僕らの住む町が見えた。現実の風景のはずなのに、こうして見る目の前の景色はミニチュアの模型みたいだ。暗闇の中にぽつぽつと灯る小さな明かりの群れに、僕は見とれていた。

「馬鹿と煙は高いところが好きって言うよな」

 皮肉交じりに僕をからかってきたのはミツヤだった。そう言っているくせに、自分だって目の前に広がる景色から目を離さない。

「馬鹿で悪かった」

 そう言うと、ヒロトは僕に背中を向けたままふっと笑った。

「なあ、二人とも」

 ヒロトだ。僕はその声を聞いて、思わず身構えた。ちょっと思いついたことを口にしよう、というには、その声はあまりに決意と覚悟に満ちているように聞こえた。ヒロトは肩を上下させ大きく息を吸ったかと思うと、ゆっくりと僕らを振り向いた。

「お前らに、謝らないといけないことがあるんだ」

 僕は目を見張った、ミツヤも、僕の隣で目を丸くしている。僕らの前で、ヒロトは、泣きそうな表情をして口を一文字に結んでいた。

 ヒロトは黙ったままだ。とても大きな何かが胸につかえて、それをどう言葉にしていいのかわからずにいるような、そんな様子だった。

「本当にどうしたんだ? ヒロト」

 ミツヤの声は困惑といらだちでとげとげしくなっていた。

「急にらしくない提案すると思ったら突然静かになって、なんだ? 本当にどうしたんだ」

「悪い」

 急に始まった話に、僕はまだ割り込んだ。

「ゆっくり話してくれたらいいよ。怒らないからさ」

 怒らない、と言ったところで、内容にもよると思うけれど。ヒロトはゆっくりと右手をあげた。僕のズボンのあたりを指さす

「これ?」

 箱で膨らんだポケットをぽんと叩くと、ヒロトはためらいがちにゆっくりと頷いた。

「お前、さっき知らないって言ってただろ」

 ミツヤが噛みつく。久しぶりに会えたと思ったのに、どうしてこうなってしまうんだろう。

「ミツヤ、今はもういいだろ」

「いいんだ、すまない」

 ヒロトは謝ってばかりだ。

「聞いてやる、話せよ」

 いらだちを隠そうともしない声に応じて、ヒロトはもう一つ大きく息を振った。

「あのな……」

 僕は、突然その声が耳に入らなくなった。ヒロトの後方、僕らが抜けてきた森の暗闇に見えた異変に、目が釘付けになったからだ。ミツヤも、続けてヒロトを責め立てようと開いた口をぽかんと開けて、空気が不足した水槽の金魚みたいに口をぱくぱくさせていた。

「ヒロト、後ろに」

 ヒロトは、潤んだ小さな目を僕らに向けて、それからゆっくりと後ろを振り向いた。と、さっきまでのか細い声が嘘に思えるくらいの、大きな悲鳴をあげ、僕とミツヤを突き飛ばして走りだした。

 地面から明るい球体のようなものがふわりと浮かんで、僕らの目の前に現れたのだ。

 その物体はひとつだけではなくて、草木の茂みや岩の影から次々に姿を現してきていた。森の奥にも、光の点々が無数に見える。電灯の明かりとも、月の明かりとも違う。物体、と呼べるような実体があるのかもわからない。今まで目にしたことのない、黄色い光をぎゅっと凝縮したような光の球体は、不気味な行進みたいに僕らのほうに迫ってきていた。

「馬鹿、なにボーッとしてんだ、走るぞ」

 ミツヤに思い切り背中を叩かれたのを合図に、僕は地面を蹴って慌てて走り出した。

「何、あれ」

「俺が知るか、黙って走れ」

 山頂まで一気に駆け上がる。ちらりと後方を振り返ると、突然現れた光の集団はさらにその数を増やしているように見えた。僕らは山頂にたどり着くと、景色を眺める余裕もないまま、山の反対斜面を転がるように駆け降りた。もう一度森の中に走り込む。

「中腹、通り過ぎないよね」

「わからず走ってきたのかよ、このまま駆け降りればいい。方角はだいたいあってる」

 ミツヤは息を切らしながらそう説明した。

「……あいつはどこに行ったんだ」

 僕は森の奥に目を凝らしたけれど、ヒロトの姿はもう見えない。

「ヒロト意外と足速いよね」

「お前はのんきすぎるな」

 地面の土が柔らかく、ところどころ木の根っこが突き出していて走りにくい。焦れば焦るほど、足を取られて転んでしまいそうになる。

「あれ?」

 僕は、木陰の向こうに懐中電灯の明かりを見つけた。その明かりは、誰かを探すようにして左右にさまよっていた。きっとヒロトが僕らを探しているのだ。呼びかけようとしたところで、ミツヤに肩を掴まれた。

「何するんだ」

「黙ってしゃがめ」

 僕はミツヤに頭を抑えられ、傍らの草木の影にしゃがみ込んだ。木々の隙間から様子を伺う。懐中電灯の光はひとつではなかった。ひとつ、ふたつ、みっつと数える。背の高い三人の大人の影。僕らは声を潜めた。

「バレてる?」

「どっかの馬鹿が馬鹿みたいにでかい声出したからな」

 ミツヤの怒りはまだ収まらない。僕はミツヤに倣って懐中電灯の明かりを消した。ミツヤのポケットの中で携帯電話が振動する音が聞こえた。ミツヤはポケットから素早く取り出して耳に当てた。

「兄貴か?」

「ミツヤ? 悪い、お前らがいないのがバレた」

 電話からの声は僕の耳にも聞こえた。

「はあ、完璧にごまかしとく、って言っただろ」

 声を潜めながら罵倒する、という器用なことを、ミツヤは僕の目の前でやってのけた。

「運が悪すぎた。親父が帰ってきたんだ。で、親父がリビングのドアを開けるのと電話が鳴ったのはほぼ同時だったよ。ヒロトの親からだった。大学生にもなって久しぶりに叱られちまったよ。悪い、なんとか頑張ってく……」

 ミツヤは最後まで聞かずに電話を切った。

「どいつもこいつも役立たずばっかりだな」

 ミツヤの声は怒りを押し殺すように震えていた。たぶん、僕に怒ってもしかなたいことをわかっているからだと思う。

「急ごう、もうすぐ十時になるよ。どっちに歩けばいいか教えて」

 僕らは、音を立てないようにゆっくりと前進した。土を踏みしめる小さな音さえ、聞きつけられて見つかってしまうんじゃないかと思えた。

 十分ほど歩いたところで、草木の生えていない開けた空間が木々の隙間から見えた。僕らの秘密基地よりのだいぶ広い。広場は丸い形状をしていて、その真ん中には、火花の群生が風に揺れてその葉を揺らしていた。

「あれだな」

 ミツヤは、リュックからビデオカメラを取り出しで電源をつけた。僕はビデオカメラの画面に表示された時間を見た。今、ぴったり十時。今から一時間以内には、おそらく開花が始まるだろう。

「やっとここまで来れたね」

「お前と俺だけで来ればよかった」

 僕は曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。そもそも、ヒロトが提案しなければ僕らはこんなことをしなかったんだけれど。

 僕は、追ってが近くにいないか確かめようとして後ろを振り向いた。そして、わっ、と声をあげそうになるのをこらえなければならなくなった。

「どうしたんだ」

 僕に倣って後ろを振り向いたミツヤの影が一瞬びくりと震えた。後方からは、僕らを追ってきた光の集団が迫ってきていたのだ。

 周囲を見回す。森全体から、円形の広場を目指すように光の球体が集まってきていた。僕はぼんやりとその光景を眺めていた。光は僕らの頭部と同じくらい大きさをしていた。ちょうど、そのうちの一つが僕の傍らを通り過ぎようとした。手を伸ばして触れてみる。熱くない、冷たくもない、触れた感触は何もない。まるでホログラムみたいに、それは僕の手をすり抜けた。

 僕の傍らを通り過ぎたひとつの光は、ゆっくりと前進して木々の間を抜け、円形の広場に出て行った。そのまま、中心にある火花の群れに向かっていく。その光は、火花のうち一本と接触したかと思うとそこで動きを止めた。すると、茎の先端に小さな明かりが灯った。その明かりはちょっとずつ強度と大きさを増していく。一方で、根元の球形は徐々に明るさを失いつつあった。

 ミツヤはビデオカメラを構えた腕を草木の中に突っ込んだ。画面の倍率をあげて、木立の間から火花の様子を捉える。森中から現れた光は、全て火花の根元でその動きを止め、代わりに茎の先端に強い光を灯していた。

「始まるな。やっとだ」

 ミツヤがほっと息をつく。と、僕らの後ろから、かさかさと土を踏み分けて近づいてくる誰かの足音が聞こえた。やっとヒロトが追い付いてきたのかと思った。振り向く。目の前に現れた懐中電灯の明かりに、僕は目を細めた。

「お前ら、何してるんだ」

 重低音の低い声が僕の鼓膜を震わせた。見張りの大人だった。ミツヤははじかれたように立ち上がって逃げようとしたけれど、暗闇から伸びてきた腕がその体を羽交い絞めにした。ミツヤは最初のうちは抵抗していたけれど、やがてあきらめて両腕をだらんと体の横にぶら下げた。

「よくこんなところまで来たな、帰るぞ。もう一人はどうしたんだ」

 たくましい体をした三十台くらいの男だった。それだけではない、その後ろから、複数の足音が聞こえてくる。僕は足元に落ちたビデオカメラを拾って立ち上がり、草むらから飛び出した。

「逃げたぞ、追ってくれ」

 男が叫ぶ。それに応対して誰かが返事をするのが聞こえた。地面の凸凹につまづきそうになりながら木々の間を駆け抜け、僕は広場に飛び出した。広場は、火花の先端に灯った光で明るく照らされている。僕の左右から誰かの影が現れて、僕に向かって手を伸ばした。僕は身をかがめ、ミツヤのビデオカメラを胸に抱えるようにして走った。背中に固いこぶしが当たり、思わず口から声が漏れる。僕はそのまま広場を突っ切り、真ん中にある火花の群れに突っ込んだ。バランスを崩して転び、その勢いでミツヤのカメラを放りだしてしまった。

「馬鹿野郎、危ないぞ、出て来い」

 僕は立ち上がり、後方を振り返った。追手の人たちは、火花の群生の向こうで叫んでいる。

 僕の足元は、ちょうど火花の咲いていないスペースだった。先端に明かりを灯した火花の群れに、ぐるりと周囲を取り囲まれている。追手たちはもう僕を追ってこなかった。

 僕は腰をかがめて、光り輝く火花の一本に手を伸ばした。細い茎の根元を片手で掴み、思い切り地面から引き抜いた。

「止めろ、出て来い」

 火花の群れの向こうから聞こえるその声は、まるで何重もの壁を挟んでいるように僕には聞こた。火花を手につかんだまま群生から手を引き抜こうとしたところで、僕は動きを止めた。

 無数に咲く火花のうち一本が、いっそう強い輝きを放っていた。かと思うと、その火花の先端に灯った明るい光が、一本の線になって空に打ちあがった。

 次の瞬間、広場に群生した無数の火花が、空中に向かって一斉に光の線を描いた。

 僕はとっさに腕を引き抜いた。一瞬遅れて、焼けるような鋭い痛みが腕に走った。けれど、目の前に現れた光景に圧倒されて、僕は痛みも、熱さも、音も、視覚で感覚する以外のすべての知覚を失った。

 まるで空から光のカーテンを下ろしたみたいだった。明るく、熱く、空に向かって登っていく巨大な光の奔流に飲み込まれていく。目の前の光がどんどん強度を増す。目をつぶってるはずなのに、強烈な光が目の裏に焼き付く。黄色か、オレンジか、白か、赤か、僕の知っているどの色とも違う奇妙な色彩が視界をいっぱいに満たした。

 目をつぶっているのか、それとも開いているのかもわからなくない。と、何も見えないはずの視界の中に、何かの影が現れ始めた。僕は、ただ光の向こうにうごめく影に意識を集中した。

 人の影だった。それも一人や二人じゃない。背の高さも恰好も様々な人々が、光の中をあちこち歩き回っている。なんだか商店街の亡霊みたいだと思った。

 僕は、そのうちひとつに目を引かれた。僕よりもずっと低い背丈、首にかからないくらいに切った短い髪、華奢な体躯とスカートの形、僕と同じくらいの年齢の女の子だ。

 その影は、僕の目の前を横切ろうとして、こちらに気づいたみたいに立ち止まった。そして、ゆっくりと僕のほうを振り向いた。僕は身動きできずに、ずっとその様子を眺めていた。

 人型の影は徐々にその姿を大きくしていき、やがて、体全体の輪郭がはっきりとしてくる。気づいた時には、その影はもう人間らしい色彩を帯びていた。髪と、肌と、目と、口と。その表情も、動きも、僕の知っているそれだった。僕は口を開いたけれど、なかなか言葉が出てこない。なんとか、喉の奥で止まったままの言葉を捕まえて、

「マコト?」

 その人物は、町でばったり出会った時みたいに気楽な笑みを浮かべていた。

「そうだよ」

 マコトは光の中から抜け出して僕の前に立つと、きょろきょろと周りを見回した。ミツヤとヒロトを探しているんだろう、なんて考えている僕は、もう夢と現実の違いもわからなくなっているみたいだ。

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