2-2 アホ面
「クッキー……美味しかったなぁ」
目を瞑り、昨日の情景を思い出す。
「手作り、百合花の手作りだもんなぁ」
その事実に葵の頬が緩む。
そして頬が緩む度に、大学の食堂で座っている葵の周囲から──人が離れていった。
実は葵自身は気づいていないようだが、百合花と出会ってから、彼女のことを思い出す度に、顔が緩んでいるのである。
1日だけならまだしも、ほぼ毎日のようにニヤニヤとしているのである。
そのため当然のように、周囲から人が1人また1人と消えて行く。
と。
そんな状況を流石にまずいと思ったのだろう。葵の様子を見かねた一人の青年が、話をかけた。
「最近どうしたんだお前。人目をはばからずにアホ面を晒して」
「アホ面って……お前な」
そこに葵が軽く返事をする。
彼の名前は、花本千槍。
葵と高校の頃からの付き合いで、よく一緒にバカをやった仲だ。
現在同じ大学に通ってはいるが、学部が違う為、こうした昼休みに時々会うことはあれど、高校の頃程一緒にいる時間が長い訳ではないという、なんとも微妙な関係だ。
しかし、お互いに昔から気が合うため、基本昼休みは一緒に昼食をとりながら、お互いの近況を報告したりしているのである。
「で、実際の所どうしたのよ?」
葵の向かいに座り、その見た目からは想像できない程に凝った手作り弁当を開きながら、千槍がそう問うた。
「ん?何が?」
葵があっけらかんとした様子で返す。
「いや、最近のお前についてだよ。休み時間だけならまだしも講義の間も時折ニヤニヤしてるらしいじゃねーか。秋元も言ってたぜ、葵がおかしいって」
秋元というのは千槍同様に葵と同じ高校出身で、現在葵と同じ学部に所属しているやんちゃな丸坊主の男だ。
「ニヤニヤ?そんなんなってる?」
恐らく無意識のうちにそうなっていたのだろう。
葵は疑問符を頭に浮かべながらそう問い返した。
「ああ。気持ち悪いぐらいにな……」
「そっか……」
「おう」
「「…………」」
一瞬の静寂。
もうこの話は終わったとばかりに、昼食を再開する葵に、
「──って終わり!?理由教えてくれないの!?」
思わず千槍がツッコむ。
「いや、だってそんなに気になるか?」
「そりゃ、気になるさ。高校時代から今の今まで浮かれた話のなかったお前があんな顔をしてるんだからな。腐れ縁として、気にならないわけがないだろ」
「そういうもんか?」
「ああ、そういうもんだ」
「そっか」
再度静寂が訪れる。
しかし、それは葵によってすぐに破られた。
「じゃあ、話すかな」
「おう」
「えーっと、まず何から話そうか」
うーんと、考える葵。
と。
「お、おい葵。顔、顔!」
話をしようとしたのに、突然千槍が葵に話しかけた。
「……顔?」
そんな千槍に首を傾げながら、自身の顔へと意識を向ける。
「……緩んでるな」
「ああ。本当気持ち悪いぐらいにな」
確かに、言った通り緩んでいた。
それももし今の葵と同じ顔をしている人が居たら、物理的に距離を遠ざけてしまうだろう程に。千槍の言うように気持ち悪いぐらいに……だ。
これを毎日無意識のうちにしていたとなれば、コソコソと噂されるのも不思議ではないのかもしれない。
しかし、今はそれを言ってはいられない。
千槍に話すと決めたのだ。ならば、しっかりと最後まで伝えなくてはいけない。
葵はそう考えると、緩みそうになる口角を必死に抑えながら、百合花について千槍へと話すのであった。
「……と、まあそんなことがあったわけよ」
「成る程……天使かと思う程綺麗な中学生ねぇ」
言って千槍が怪訝そうな表情を浮かべる。
「なんだよ、千槍」
「いいや。本当にそんな娘が存在するのかなってね。……葵幻覚でも見てるんじゃないの?」
「現実だよ!」
「ははっ、そうか。お前は嘘つくようなやつでもないし、まぁ、本当なんだろうな」
「あ、ああ……あはは」
昔馴染みの千槍の悪くない評価に、葵は何だか少し恥ずかしくなり、頬をかく。
と、ここで。
「……っと、もうこんな時間か」
「あー、本当だ」
気づいたら昼休みも残り5分まで迫っていた。
次の講義に間に合う為にはそれなりに急がなくてはならない時間である。
「んーじゃ、その天使ちゃんの話の続きはまた今度聴かせてくれ」
「はいよ」
「んじゃーな、葵」
「おう、また今度」
「あぁ、そうだ」
言って、千槍は歩を止め、振り向くと言葉を続けた。
「その顔!早くなんとかしろよ!その女の子に気持ち悪がられても知らねーぞ!」
「……善処するよ」
葵は苦笑いでそう返す。
「善処じゃねー!絶対だ!良いか?」
千槍は葵をビシビシと指差しながら、力強い口調でそう言う。
「……わかったよ。ありがとな、千槍」
言って、葵は小さく笑みを浮かべる。
「おう。んじゃ……頑張れよ」
「ああ」
そして2人は最後に軽く挨拶をすると、それぞれ次の講義のある教室へと向かった。