1-3 感情の変化
本日2回目の投稿です。
「まだ……ドキドキしてる」
夕暮れに染まる帰り道。
1人歩く百合花の鼓動は、ドクンドクンと強く、それでいて早く刻まれていた。
抑えようにも、抑えられない。
気分が高揚し、頬がほんのりと赤く染まる。
「……こんなこと、初めてだよ」
赤らめた頬を両手で挟むように触れながら、百合花は小さく笑みを浮かべる。
この湧き上がる感情は何だろう。
百合花は考え、そしてすぐに答えを出した。
……この気持ちは、きっと喜びだ。
百合花には生まれつき抱えた一つの問題がある。
『家族以外の人間には、百合花の存在を認識することができない』
という酷く残酷な問題だ。
そんなまるで呪いという言葉が似合うそれに、初めて打ち勝つ存在が現れた。
伊原葵という存在が。
家族以外には認識できない筈の自身の存在を、ぼんやりとではなく、はっきりと認識し、目を合わせてくれる。
そんな奇跡のような、夢のような出来事がつい先程起こったのだ。
その事実に、16年という長い間訪れなかった一つの奇跡に、百合花の心は今までにない程の大きな喜びに包まれていた。
「早くお母さん達に教えてあげなきゃ!」
気持ちが急く。いつの間にか歩調も速くなっている。
こんな感覚はいつぶりだろうか。
いや、もしかしたら初めてかもしれない。
それほどまでに、百合花は興奮を隠せなかった。
と。
そうもしている内に、自宅の前へと着いた。
百合花は止まることなく早足で近づき、玄関を開けると、いつもよりも大きく元気な様子で、
「ただいま!」
「おかえり〜」
玄関を開けてすぐに、百合花が自身の帰宅を示し、それに母、黒井真名子が反応する。
ここまでの流れは、いつもと同じだ。
しかし、ここで母は百合花のテンションが普段とは全く違うことに気づいた。
そして、その違和感に首を傾げる。
と。そんなリビングにいる母の元へ、玄関で靴を脱いだ百合花が足早に近づいた。
そして、
「お母さん!聴いて聴いて!私のことが見える人が居たの!」
「見える……人?本当なの?百合花」
「うん!さっきまでお話ししてて、明日も会う約束をしたの!」
俄かには信じられない出来事を、一気に捲し立てられ、母は混乱した。
だから、一瞬の逡巡の後、すぐに思考を巡らせると、
「ねえ、百合花。その話、夕御飯の時にみんなの前で話せる?」
「うん!話せるよ!……というより、元々話すつもりだったしね!」
「そう。じゃあ、もうすぐご飯できるし、お父さんも帰ってくるみたいだから。……とりあえず夕飯の支度、手伝ってくれる?」
「うん!」
百合花は満面の笑みで、元気よく返事をすると、夕食の準備の為に母から離れていった。
1人、台所に残って。
母は、何とも複雑な表情を浮かべた。
「家族以外に見える人……ねぇ」
百合花の言っていることを信じたい。
そう思う気持ちは当然強い。
しかし、16年という長い歳月の間、家族以外には誰一人として、百合花のことを見える人はいなかったという事実。
それが、信じたいという気持ちに邪魔をする。
もしかしたら、百合花の見ているものは幻覚なのではないか。
そんな悲しい考えすら浮かんでしまう。
「だめよ……母親が信じてあげなくてどうするの」
そう小さく呟くも、頭の中を悪い考えばかりが支配をする。
もしも、奇跡的に百合花を見えるという人が実在して、しかしそれが悪い人だったら。
百合花は家族以外と会話をしたことがない。
つまり、悪意に触れたことがないのだ。
よく言えば純粋。悪く言うならば、人に騙されやすい。
そんな百合花が悪意ある人間に触れればどうなるか。想像に難くない。
「だめ!だめよ信じてあげなきゃ!」
言って、母は首を大きく横に振った。
そして気持ちを落ち着かせる為にふぅと大きく息を吐く。
「……ひとまず、百合花の話を聴きましょう。その話を聴いて判断しても決して遅くはないでしょう」
少し冷静になった母は一人台所で、そう考えた。