1-1 一目惚れ
一目惚れをした。
いつもと変わらない、なんてことない日に、
偶々立ち寄った公園に居た少女。
寂れた、人の居ない小さな公園のベンチで、ポツンと座り、なんと言えば良いのか、どこか透明感のある雰囲気を醸し出しながら1人ボーッとしているその姿に。
伊原葵の心は今まで体験したことがない程、大きく高鳴った。
「あ、あの……!」
思わず近づき声を掛ける。
普段はどちらかと言うと内気で、幾ら好きな人が居たとしても自分から告白することは絶対にない葵。
その言葉の通り、大学1年である今に至るまで自身から告白をした事も、された事もない。
つまりは彼女いない歴イコール年齢というわけだ。
しかし、何故かはわからないが、この時、この瞬間だけは、葵の身体は自然と動いた。
それはここで声を掛けなかったらもう2度と会えないかもしれないという危惧からか、それともまるで花の蜜に吸い寄せられる蝶のように、彼女の持つ強大な魅力に引き寄せられたからか。
はっきりとこれだとは言えない。
しかし、確かに今この瞬間葵は惹きつけられるように少女に近づき、声を掛けたのだ。
少女の反応を待つ。
距離にして大凡1メートル。
確実に葵の声は少女に届いているはずだ。
しかし。
「…………」
全く反応がない。
それ以上に、こちらには全く目を向けることすらないという始末である。
目の前で声を上げているのに反応がかえってこない。
つまりは、無視……だろうか。
ちくりと胸が痛む。
しかし、ここで引いたらもう二度と会えないかもしれない。
その考えが浮かんだ瞬間に、ここで引き下がるという選択肢は頭から無くなっていた。
葵は一度握っていた拳を開くと再び強く握った。
ずっと握りっぱなしだからか、手のひらには汗が滲んでいる。
息を大きく吸い、大きく吐く。
ドキドキという胸の鼓動がやけに大きく感じる。
時間にして大凡3秒。
一瞬の静寂の後に、意を決して、
「あ、あの……!」
と、先程よりも少し大きな声で、再度少女へと声を掛けた。
これで無視をされたら。
そんな不安も心のうちに秘めながら手をぐっと握り、少女の反応を待つ。
と。
「…………」
やっと葵の思いが届いたのか、ゆっくり、ゆっくりと少女は葵の方へと顔を向けた。
目と目が合う。
「…………!」
どきりとした。遠目からでも美しかった少女。その少女を真正面から捉えるとこれ程美しいのかと。
しかし同時に。
葵は何か言いようのない違和感を覚えた。
それを探ろうと、視線を少し動かし……そこで気づいた。
少女は、葵を見ていない。
いや、それは語弊があるか。
実際、目と目は合っているのだ。
少女が葵の方を見ていないなんてことまずありえない筈だ。
しかし、葵にはどうも見ていないように思えた。
何というか、少女の様子がまるで幽霊を見ているかのような、非現実的なものをぼんやりと眺めているような、そんな気がしたのだ。
「…………」
ボーッと、透明感のある不思議な雰囲気を身に纏いながらこちらを見つめる少女。
しかし、それも一瞬のこと。
少女は再び視線を外そうとしてしまう。
「…………!」
葵は少女の行動に驚いた。
まさか、まだ自分に話しかけているとは思っていないのか。
それとも葵が煩くて、邪魔だからあっちに行けということを暗示しての行動か。
後者だと、流石に心にくるものがあるが、少女の表情にはこちらを煩わしく思っているような様子はみられない。
仮にそう言ったことを思っても表情に出ないような人間であったのならば、どうしようもないが。
しかし、葵は少女の口から拒絶の言葉を吐かれるまでは、話しかけることを辞めないとそう決めていた。
強引なようだが、そう簡単に諦めることができないほどに、目の前の少女が美しかったのである。
さて、どうしようか。
少女がこちらに目を向け、話しをしてくれるにはどうすればよいか、葵が悩んでいると。
何やら遠くからヒソヒソと話し声が聞こえてきた。
話の内容はしっかりと聞き取れないが、どうやら公園の前の主婦達がこちらを見ながら何やら話しているようである。
恐らく、主婦達には大学生である葵が、数歳年下であろう少女に向かって話しかけ、全く相手にされていないという現状が、大変滑稽に映っているのであろう。
しかし、今は葵にとってそんなことはどうでも良かった。
周囲にどう見られるかよりも、目の前の少女ととにかく会話がしたい。
その思いしか、今の葵にはなかったのだ。
葵は意識的にヒソヒソと聞こえてくる話し声をシャットアウトすると、再び少女を目に映した。
そして、「僕が話しかけているのは君だ!」とでも言うように、はっきりと少女に話しかけた。
「僕の目の前にいる、美しいお嬢さん!」
葵の渾身の一言。
葵の目の前にいる少女など、ここには1人しか居ない。
その一言に、少女は葵の方を再度向くと、やっとのことで、柔らかそうな唇を小さく開き、恐る恐るといった様相で、
「あの、私……ですか?」
そう小さく声を出した。
葵は軽く周囲を見回す。
ここは先程の主婦のように周囲を通る人はあれど、内部には人があまり寄り付かない公園だ。
その言葉の通り、この瞬間、周囲には葵と少女以外居ない。
仮に人が居たとしても、葵の目の前のお嬢さんと言えば、まず間違いなく1人しか居ない。
当然、先程の言葉は葵から少女へ送った言葉だ。
「うん、君だよ。僕の目の前に座っている君だよ」
言って、葵は小さく笑った。
「本当に……私、ですか?」
これほど美しいのに、自分に自信がないのだろうか。ポカーンとした表情のまま、再度少女が問いかける。
葵はそれに、
「うん。君だよ」
当然という風にそう言った。
その言葉を聴いて、
「………………」
少女は目を見開くと、こちらを見つめたまま固まった。
そんな少女を真正面から目に収めて、改めて美しい少女だなと思う。
風でサラサラと靡く、艶やかな長い黒髪。まるで白磁のように透明感のある白い肌。しかし、決して病的な雰囲気はなく、とても健康そうである。また、目鼻口が人形を思わせるほどバランスよく配置され、少したれ目ぎみのしかしパッチリと開かれた目と、ぷっくりとした柔らかそうな唇からは、とても優雅な雰囲気が感じられる。
その姿を仮に一言で表すとしたら、大和撫子だろうか。
「…………」
葵は、少女の美しさに目を奪われ、思わずその顔を見つめてしまう。
しかし、意図はわからずとも、少女もこちらを見つめたまま、微動だにしない。
『………………』
一体どれ程の時間がたったのだろうか。
体感では1分ほど、しかし実際は10秒程か。
互いを見つめる2人の間を流れるゆっくりとした時間。
しかしそれは、目の前の少女によって解かれた。
「あ、あの…………」
不意に少女の口から言葉が漏れる。
そして、
「貴方の名前を、教えてください」
そう続けられた。
「名前……?」
「はい」
こちらに目を向けたまま、少女は小さく頷く。
そんな少女に、葵は。
「伊原葵」
一言、そう返した。
もう少し丁寧な言い方もあっただろう。しかし、葵はこの時これだけで充分なような気がしたのである。
「葵さん……伊原葵……さん」
少女はまるで大切なモノの名を呼ぶかのように、優しく丁寧にその名を復唱する。
「君は……?」
そんな少女へ、葵が問う。
「私の名前は、百合花。黒井百合花です」
「黒井……百合花」
今度は葵がその名を復唱する。一生忘れることがないように。絶対に手放す事がないように。
「はい、百合花です。よろしくお願いします。葵さん」
ポツリと呟かれた葵の言葉に、百合花がそう返す。
そして、百合花は小さく微笑んだ。
「うん。よろしくね」
そこへ葵がそう言葉を返した。
一瞬の静寂。
と、ここで。
百合花が何かに気づいたかのように、ハッとする。
「どうした?」
気づいた葵がそう言って小さく首を傾げる。
「いえ、あの。葵さん……ずっと立っていて、大変ではないのかなって」
「あー、うん、言われてみれば」
確かに百合花の言う通り、少し立っているのが疲れてきた。
少々情けないが、これが高校でも大学でもスポーツをやっていないひ弱な大学生の実力なのである。
まぁ、今回は百合花な話しかける為に緊張していたというのもあるので、普段ならばきっともう少し疲れにくい筈ではあるが。
「隣に、座りますか?」
百合花は軽く腰を浮かし横へとスペースを作りそう言う。
「うん。そうさせてもらおうかな」
少し情けないと思いながらも、葵は百合花に促されるように、彼女の隣へと腰を下ろした。
瞬間。
「…………!」
甘い香りが鼻腔をくすぐる。
その香りは、百合花から発せられたものであった。
風が吹き、彼女の美しい黒髪が揺れる度に、甘く優しい香りがふわりと漂ってくる。
どうしてこうも女性というものは良い香りがするのか。
ふと葵はそう考える。
シャンプーが良いのか、化粧品が良いのか。将又匂い付きのハンドクリームでも使っているのか。
もしかしたらこの良い香りは百合花自身のものかもしれない。
どれが事実なのかはわからない。
しかし事実がどうであれ、百合花から漂ってくるその香りに、葵の鼓動は速くなっていた。
また隣に座る百合花との距離は大凡10センチ。少しでも身体を動かせば彼女に触れてしまいそうな、そんな距離。
そのことが、更に葵の鼓動を速くしていた。
と。
「葵さん」
葵が内心あたふたとしていると、百合花が突然葵の名を呼んだ。
「……ん?」
葵はどうにか動揺を表に出さないように、なるべく平静を装い返事をする。
そんな葵の内心とは対照的に、とても落ち着いた様子で、しかし心に若干の揺らぎをかんじさせる声音で百合花は問う。
「なぜ、私の居場所がわかったのですか?」
「え?な、何故って……えっと、君が座っているのが見えたから?」
質問の意図がわからず動揺しながらも、葵は事実を伝える。
そんな葵の返答に、しかし百合花は会話を続けることなく、一拍置くと、更に質問をした。
「なら……なぜ、私に話しかけてくれたのですか?」
百合花は葵の瞳をしっかりと見つめる。
色々な感情が混ざり合っているかのような複雑な眼差しで。
そんな百合花の問いに葵は。
「それは……君と話をしたいとそう思ったから」
一目惚れをしたから。
ここでそう言えたらどれだけ良かったか。
しかし、先程までの勢いはどこへいったのか、ここにきて葵はいつもの情けない自分へと戻ってしまっていた。
「そうですか……」
葵の問いを聴いた百合花はそう言って静かに目を瞑る。
『…………』
静寂が訪れる。
しかしそれも数秒のこと。
静寂は再び百合花によって解かれた。
「ねぇ、葵さん」
目を瞑ったまま、百合花は静かに葵の名を呼ぶ。
そしてそのぱっちりとした大きな目を再び開くと、ニコリと笑顔を浮かべ、
「そんな人、初めてです」
柔らかな声色でそう言った。
「…………」
百合花の発する言葉の意味。その全てを汲み取ることはこの時葵にはできなかった。
──ただ一つわかることがあるとするならば。
小さな寂れた公園で、こちらへ笑顔を見せる百合花。
その姿がさながら焼かれ、破壊され、悲鳴が飛び交う戦場に咲く一輪の花のように、どこか美しく、そしてどこか──儚げであったということだ。
お久しぶりです。福寿草真です。
色々と納得のいかない部分もありましたが、とりあえず投稿することにしました!
話を追うごとに、どんどんと面白くなっていくように頑張りますので、どうか感想、レビュー、ブクマ等で応援よろしくお願いします!