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空と海と水精と  作者: 数え唄
8/13

二人のウンディーネ

「くそっ! ここまでかよ!」

 レインは使い切った最後の給油用のポリタンクを海に放り投げた。。

 アルセイユ襲撃から三日が経った朝だった。広い海原に島影は微塵も見えないが、海図から読み取る限り、現在位置から北に二十キロ行った所にシンカがある。

 レインが乗る脱出艇には定員八人が三日生存出来るだけの食料と、移動のための燃料が二十リットルポリタンクで四つ積まれていたはずだった。しかし、軍艦から逃げる時に燃料の一つを落としてしまったことに気づかず、しかも少しでも早くシンカに到着しようとした結果、燃料を完全に使い果たすことになったのだ。

「チクショウ。こんなトコで立ち往生とは参ったぜ……」

 どかっと座席に座り込んでレインは頭を抱えた。今の彼に出来るのは、偶然船が通りかかるのを願うくらいだ。

「ナイ。お前の銃のスコープで船を見つけられないか?」

 レインは同乗者に声をかけるが、返事はおろか気配すらしない。レインが気になって背後を見やると、そこには膝を抱えてすすり泣く少年が居た。

「うう……お嬢様ぁ……」

「テメエはずっとそれだな。いい加減にしろよ鬱陶しい」

 レインが苛立った口調で言うが、ナイは表情を膝の向こうに隠して返答する。

「うるさい。僕はお嬢様をお守りするために居るんだ。なのに、お嬢様がどこに居るかも分からない上に、僕達は海の上で立ち往生だなんて。……主の側に居なくて何のための従者なんだ」

 ここまでうじうじされては絡む気にもならず、レインは大きく溜め息を吐いた。

「ジョゼットは大丈夫だ。何せミミが付いてるんだからな」

「……そういうことじゃない。僕がお嬢様の傍に居たいんだ」

 ナイは小さくだが言い返した。その意味を悟ったレインは、軽く肩をすくめる。

「お前も十分、分かりやすいよ」

 レインはへっと笑って言うが、ナイの気持ちは彼にも分かっていた。

(ミミ……お前、ほんとに大丈夫なんだよな? 妙なことに巻き込まれてないよな?)

 と、レインが遠くの船影に気づいたのはその時だった。

「おい、船だ! こっち来るぞ」

「何だって!?」

 レインの言葉にナイが弾かれたように振り向き、一キロ前後の距離に船影が迫っているのを見つける。

「どうやらまだ、俺達の運は尽きてないらしいな」

 レインが力を抜いた笑みを作って拳を上げ、ナイは同じく上げた拳を相手の物にぶつけた。

 そしてそのすぐ後、レインとナイは自分達に向かって来るもう一つの存在に気づく。その正体を知った瞬間、レインは素っ頓狂な反応をする。

「ミ、ミミッ!?」

「レイン、ナイさん!? こんな所で何してるの? シンカで落ち合うはずじゃ……?」

 銀のウェーブライダーを纏ったミミが驚いた様子で言う。ボートの存在に気づいてはいても、それがレイン達だったとは思っていなかったようだ。

「ああ、実は――」

「ミミさん一人ですか!? お嬢様はどこに?」

 レインを押しのけて言い放ったのはナイだ。常のクールさが見る影もなく、勢い込んで言葉を投げてくるナイに、ミミは面食らったように身を引きつつ答えた。

「ジョ、ジョゼットなら今お世話になってる船に居るから! 安心してください」

「……そうですか……良かった……」

 それを聞いたナイは項垂れるようにして脱力した。レインはそんな彼を尻目にミミへ言う。

「俺等は燃料切れで立ち往生してたんだ。お前が来てくれて助かった。世話になってる船ってのは向こうに居る奴だよな? 俺等も同乗出来るよう話を通してくれるか?」

 ミミならすぐに頷くと思ったレインだが、意外なことに彼女は躊躇う仕草を見せた。

「何か問題でも?」

 ナイが問うとミミは頬を掻いた。

「船の人達には頼めば多分大丈夫だけど…………レイン」

 ミミがレインを見た。怪訝そうに自分を見返すレインにミミは告げる。

「怒らないでね?」

 その時はミミの念押しの真意を図りかねたレインとナイだったが、近づいてくる船の正体を把握するとともに理解することとなる。


               ◇


「――ミミちゃん。どうせ拾ってくるんなら可愛い女の子にしてくれよ」

 レイモンドはレインとナイを見るなり、素直な感想を漏らした。彼が漂わせるがっかり感は、アジョット号の甲板に居た部下達にも広がって行く。

 互いの肩を叩いて仕事に戻る男達の背に苦笑して、ミミはレイモンドに言う。

「海の真ん中に可愛い女の子なんて落ちてないってば。この二人はレイモンドさん達に会う前に別れた私とジョゼットの仲間だよ」

「仲間ね。……まあ、それは分かるけどよ」

 言ってレイモンドが視線を向けた先では――

「お嬢様~!! よくぞご無事で……!」

「分かりましたから。ナイ、もう泣くのはおよしなさいな」

 ジョゼットは、自分の腹の辺りに縋り付くようにして泣くナイを仕方なさそうに慰めている。そんな光景にレイモンドは一つ吐息を零した。

「……で、そっちのボウズは何で俺を睨んでんのかな?」

 レイモンドが半目を向けたのはレインだ。彼はかなり不機嫌そうな顔をして返す。

「別に。海賊って輩が嫌いなだけだ」

「も、もう、レイン! 駄目だよ!」

 ミミは慌てて言ったが、レイモンドは気を悪くしたふうもなく笑った。

「いいって。海賊は嫌われ者が当たり前だ。面と向かって言われたのは初めてだがな」

 レインはミミとレイモンドのやり取りに憮然としつつ言い放つ。

「とりあえず、ミミとジョゼットをここまで連れて来てくれたことには礼を言っとく。ミミ、ジョゼット、ナイ! 行くぞ」

「行くってどうするの?」

 目を丸くするミミへと振り返ったレインは告げる。

「この船下りてシンカに行くんだよ。ここからなら、ミミにボート押してもらえば済むだろ」

「それは、まあ、そうだけど……」

 ミミはジョゼットと視線を合わせながら言葉を濁す。だがすぐに、ミミは意を決した表情を作ってこう言った。

「あのねレイン。実は私達、レイモンドさんに事情を話して協力を頼んだの」

 レイモンドは七王になるほどの実力があるし、人柄も(海賊を評するには変だが)良い。協力を要請するには申し分のない人材だったのだ。

「面白そうな話だったからな。二つ返事で引き受けたぜ」

 レイモンドがニヤリと笑みを浮かべる。

 しかし、レインはこの世で一番不機嫌だと言わんばかりの表情を浮かべた。

「何言ってんだ、こいつらは海賊だぞ!? ちょっと助けてもらったからって簡単に悪党を信用すんな!」

 頭ごなしなレインの物言いに、さすがのミミもむぅと唇を尖らせる。

「でも……レイモンドさんって、レインのお父さんの知り合いだって言ってたし、だったら信用出来るかなって思って……」

「ああ?」

 レインがジロッと睨むと、レイモンドは怪訝そうにミミに問うた。

「俺がこいつの親父と知り合い? ミミちゃん、何の話だよ?」

「え? でも、私達の歓迎会してくれた時、ゼオさんの船に居たって言ってたよね?」

 ミミが小首を傾げると、ジョゼットとレイモンドが目を見開いた。

「まさかレインさんのお父様が、あの海賊王……!?」

 素っ頓狂な彼女の大声は甲板中に響き渡り、クルー達の口伝によって船中に伝播した。

「俺はあんな奴、親父だなんて認めてねえよ。あいつのせいで俺とお袋がどんだけ苦労して来たか――おわっ!?」

 レインは突然詰め寄って来たレイモンドに驚く。咄嗟に距離を取ろうとするレインの両肩を捕まえて引き止め、レイモンドはしげしげと眺め回す。

「言われてみりゃ、どっか面影があるような……。お前のお袋さんの名前、フィノって言うんじゃねえか?」

「! ……ほんとにアイツの船に居たんだなアンタ」

 観念したように吐息を零すレイン。意外な状況にレモンドは呆然とレインを見つめる。

「大変だ船長!」

 その時、下っ端の一人が声を上げた。

「どうしたー? まあたカワイコちゃんでも流れてきたか?」

「違ぇよ! それなら船長に報告なんかしねえ。――って、そうじゃなくて!」

 男はガバっと顔を上げ、レイモンドに言い放つ。

「シンカの前に戦闘艦がいやがる! それも十や二十じゃ利かねえ数だ!!」

 彼の言葉でその場に居た全員が息を飲んだ。


                ◇


 甲板からは(うっす)らと都市シンカの島影と、その周囲に浮かぶ船影が見えていた。

 それらは多数の駆逐艦を初めとする戦闘艦と、補給艦などの支援艦で構成される軍艦群だ。

 シンカは未踏破海域に向かう船の補給基地である。そのため多くの船舶が出入りするのだが、現在シンカを囲んでいる軍艦はただ補給に来たのではないようだった。

 今まさに、不用意に近づいた貨物船を容赦なく沈めたことが、動かぬ証拠と言えるだろう。

黒煙を上げて海の藻屑と消えて行く犠牲者を見て、他の船は慌てて引き返していく。

「――おうおう停船勧告も無しかよ……。あれがあんた達を追ってるって連中かい?」

 レイモンドは望遠鏡を下ろして振り向いた。水を向けられたミミ達の中からジョゼットが口を開く。

「ええ、間違いありません。あの大戦艦はリグルが旗艦として使っていた物ですわ。……どうやら先回りされていたようですわね」

 ジョゼットが歯噛みしてそう言った。その隣でミミは少し肩を落とす。

「……あの時の私達の足は脱出艇だけだったから、シンカに向かうのは見え見えだったんだ」

「僕達に他の案があったわけではありません。ミミさんは最良の選択をされたと思います」

 落ち込むミミをフォローするナイに頷いてから、敵方を見るジョゼットは眉間に皺を寄せた。

「それにしても、あの数は何ですの? ダイゼンにはあんなに戦闘艦はありませんでしたわ」

その疑問に答えたのは望遠鏡を持つレイモンドだった。

「……よっく見てみっと、見覚えのある船があるな。雑魚海賊――いや、海賊とも言えないチンピラ共の船だな。多方、甘い蜜を吸えると思ってくっついてんだろうな。近くの都市の軍艦もちらほら見えるが、こっちは都市を潰すとでも脅されたか?」

そんな呟きを漏らすレイモンドをレインが睨む。

「おい、アンタ等強いんだろ? ここでケリつけられねえのか!?」

「無茶言うな。あっちはどう見積もっても五十隻は居るんだぞ? 烏合の衆っつっても今の時代戦闘艦の数が絶対だ。いくら俺等でも相手し切れねえよ」

「……くそっ!」

 レインは憤懣やる方なしとばかりに、近くにあった砲台の基部を蹴りつける。それを放ってレイモンドは告げる。

「……このまま未踏破海域に向かうぞ。ジョゼットちゃん達もいいかい?」

 レイモンドがジョゼットに水を向けると、彼女は小さく頷いて見せた。

「ええ、(わたくし)の目的はリグルの野望を潰えさせること。無理に戦う必要はありませんわ」

「よし。オメエ等、これから未踏破海域に向かうぞ。古代の兵器を探す冒険の始まりだ!」

 レイモンドの指示に海賊達から歓声が上がる。命懸けの旅にそんなリアクションが出来るのは、さすがに海賊ということであろう。

 急に活気で満ちた甲板を満足そうに眺めたレイモンドは、次にミミ達を振り返って言った。

「オメエ等もさっさと船室に戻んな。万が一にでも連中に見つかったら厄介だぞ」

 その忠告を受けたミミ達は大人しく艦内へと続く扉に向かう。

「?」

 と、その途中でミミが何かに反応する。彼女は青い髪を揺らして背後を振り向いた。彼女の視線の先には、船縁で仕事をしている船員達が居た。彼等は軍艦群の方向を見て、怪訝な顔で話している。

「だからあれだよ」

「どれだよ? 見えねえぞ?」

 彼等の話が気になったミミはスタスタと近づいて訊く。

「あの、どうかしたんですか?」

 いきなり声をかけられて驚いた様子だったが、ミミだと分かるとすぐに答えてくれる。

「いや、コイツが海の上で何か光ったとか言うもんで」

「ホントだって! ウンディーネさんにも見えるよな? ほら、あそこだ」

男達が指し示した先をミミは目で追う。それは敵の軍艦がたむろする方向だ。

しかし、そこに見えたのは光ではない。陽光の煌きが瞬く青い海面を激しい飛沫を上げながら、何かが向かって来る光景だった。

「……何だありゃ? 速い……もう八……いや、三百メートルまで来てやがる……」

 もう一人の男にもようやく見えたのか、細めた目の上に手で(ひさし)を作りながら呟く。彼の言う通り、その物体の移動速度は恐ろしく速い。その姿は見る間に大きくなっていく。

「ミミ? どうしたんだよ」

「何か見えますの?」

 レインとジョゼットが近づいて来て訊いてくる。すると、ジョゼットの後ろから海を見ていたナイが言う。

「あれは……人、ですか?」

 あれほどの狙撃の腕を見せた彼には、肉眼で見るにはまだ遠いそれの姿容がすでに見えているのだろう。だが、相手の移動速度が幸いして、すぐにミミ達にもそのシルエットが分かる。

 何か大きな物を片手で背負ったそれは、確かに人に似た形をしていた。ただし、全身が真紅の色を持つ存在を人間と呼べるなら、だ。しかし距離が縮まって来るにつれて、その人物が赤い装甲のような物を纏っているのだと分かってくる。しかもその姿はある物に似ていた。

「お前等、さっさと船の中に入れ――って、オイオイ……何だありゃあ?」

 ミミ達の異変に気づいてやって来たらしいレイモンドは、海の上を走ってくる赤い人影を見て疑問符を浮かべる。そこへ次々と他の船員達も集まり、口々に相手の正体を類推し始める。

「あの姿はミミの……?」

「似て、いますね」

 ジョゼットとナイが驚いた様子で言葉を交わす。赤い装甲を身に纏った姿は、確かにミミがウェーブライダーを装備した時の物に似ていた。レインは彼等よりも深刻な面持ちで呟く。

「なあミミ、まさかあれ……!」

 途中でレインは問いかけを止める。何故ならそこに、ミミの姿がなかったからである。

「あいつどこ行った!?」

「ミミちゃんなら船尾の方へ走って行ったが……いい加減答えろよ。あれは何なんだ?」

 レイモンドが解答を要求する。彼にはさっぱり事情が飲み込めていないのだろう。

 レインが答える前に、赤鎧の人物が停止した。海面で前後に足を開くと、背負っていた物を構える。それは全長二メートルもある大砲にも似た銃だった。普通に支えるのが困難なのか、銃身側と尻側に持ち手があり、両手で吊り下げるようにして持っている。

「た……対艦砲だと!?」

 レイモンドの表情が引き攣る。通常の対艦砲はコンパクトな物でも人間が、それも海の上で扱える重量ではないはずなのだ。その常識が崩されたのだから当然の反応である。

「あ、当たるわけねえ」

 船員の誰かが言うと同時に、赤鎧の人物がスイッチ式のトリガーを押し込んだ。人の頭の二倍ほどある砲弾が対艦砲の銃口から飛び出し、皆が集まる船縁の真下の装甲に潜り込む。

 一瞬の間を置いて、わっと皆が逃げ出した。直後、皆が居た場所が吹き飛ばされる。

 破片から身を守るため伏せていたレイモンドはガバッと起き上がって言い放つ。

「あ……ありえねえ……! 何なんだあいつは……!? おい、こっちも撃ち返せ!」

「駄目だ! 撃つなレイモンド!」

 それを止めたのはレインだった。思いもよらぬ制止に全員が動きを止める。その隙に再び飛んで来た砲弾が艦橋を斜めに抉り取った。常識外れな相手もしっかりと狙いを定められているわけではないらしい。だが、危険であることには変わりない。

「撃つなってどういうことだ!? やらねえとこっちがやられちまうぞ」

「分かってる! でも撃っちゃ駄目なんだ。あれはミミの――」

 彼の言葉に被さるようにして砲音が響き渡る。狙ったのか偶然か、砲弾は過たず機関部への軌道を描いていた。直撃すれば爆発炎上は必定。船が辿る道は沈没だけだ。

 だが、そうはならなかった。

 突如として飛び出した銀風が、激しい火花とともに砲弾を弾いたからである。

「――つ~……!!」

 ウェーブライダーの装甲を貫いた衝撃がミミの両腕を痺れさせる。ミミは涙を浮かべて痛みを堪えると、海賊船を庇うようにして赤鎧の前に立ち、その姿を間近で見つめる。

「……やっぱり……そうなんだ……」

 確信したミミは愕然となって呟く。一目見て直感したとは言え、俄かには信じられなかった。

「何で? どうして悪い人の手伝いなんか……!」

ヘルメットとアイシールドで髪型や瞳の色はもちろん、相手の顔立ちもまともに見て取れない。だが、ミミははっきりと分かっていた。

「ねえ、答えてよ! ――お母さん!?」

 そこに居るのが自らの母親――アーシア・シュトランゼであることを。

 ミミから強い感情をぶつけられても、アーシアの表情は無のまま微動だにしなかった。

そして言葉の代わりに、彼女は銃口をミミへと向ける。

 引き金に躊躇いはなかった。

 咄嗟に横へ回避行動を取っていたミミは、銃弾の射線から危うく逃れていた。

「お母さん! 私だよ、ミミだよ!? 分からないの?」

 次々と放たれる砲弾から身をかわしながらミミは呼びかけを続けるが、アーシアは無言のまま機械的に引き金を引き続ける。

(どうしちゃったのお母さん……?)

 ミミは今まで向けられたことのない無感情な母の視線に泣きそうになる。

『ミミ!』

 突然耳元のインカムがレインの声を吐き出した。ミミは攻撃を掻い潜りながら叫ぶ。

「レイン!? どうしよう、この人やっぱりお母さんだった!」

『ああ、聞こえてた! けど、まだ厄介なことがある。軍艦共がこっちに近づいて来てる。アーシアさんを通じて俺等が居るのがバレたんだ』

 言われて見やれば、シンカ沖に停泊していた軍艦達が確かに向かって来ている。すると、今度はレイモンドが言った。

『あんな大軍相手にしてられねえ。とっとと逃げようぜ』

 その遠慮のない提案にはミミも賛成だった。だが――

「……分かった。皆は先に行って」

 ミミがそう返答すると、レイモンドの口調が諭す響きに変わる。

『気持ちは分かるがな、母ちゃんのことは一旦諦めろ。物事には順序ってもんが――』

「そうじゃないの。お母さんはまだ本気じゃない。あの人にとって、銃なんか飾りだよ」

 ミミの発言に合わせたように、アーシアは弾切れを起こした対艦砲を捨てた。

「お母さんの相手は、私にしか出来ないから……」

ミミの眼前でアーシアがゆっくりと両手を広げると、その周囲で海面が不自然にさざめき始める。海賊船の方から悲鳴が上がったのはその時だった。

 海賊船の船体が大きく上下に揺れている。船の上に居た者達が振り落とされまいと、周りのものに必死にしがみついていた。さらに船の周囲の海面から長い首が持ち上がる。海獣と見紛うそれは、大量の海水で出来た触手だった。

 ミミにはない水を操る能力だ。これを知るからこそ、ミミは殿(しんがり)を申し出たのである。

 海水の触手は海賊船に絡みつき、船体を軋ませながら海中に引きずり込もうとしている。

「止めて!!」

ミミは母目掛けて飛び出すが、アーシアは無数の水弾によるカウンターを放つ。凄まじい衝撃で跳ね返されそうになるが、ミミは歯を食い縛って無理矢理に水弾の中を駆け抜けた。

 ミミがアーシアの腹にぶち当たると集中力が切れたのか、船を捕まえていた触手が海水に戻って滝のように流れ落ちる。

「お母さん!!」

 ミミは必死でアーシアを呼ぶが、アーシアは組んだ両拳を振り上げると、自分の腹にしがみついたミミの背中に叩き込む。

「ぐっ……うっ……!」

そのダメージでミミの力が緩んだ瞬間、アーシアは操った海水をミミの腕に絡ませて彼女を引き剥がす。そしてミミが体勢を崩した所を逃さず、巨大な水球に彼女を閉じ込めた。

「ごぼっ!?」

 吐き出した言葉が泡になって消える。ウンディーネの血を継いだミミは十分程度呼吸を止められるが、ちょうど空気を吐き出した所だったためそう長く持ちそうにない。

(……お母さん……!!)

 ミミはもがくように手を伸ばすが、アーシアは何の反応も示さない。ミミに打つ手がないと見るや、アーシアは水球を維持したまま海賊船を追いかけようとする。

(駄目! 止めてお母さんっ!!)

 ミミは何とか水球から逃れようとするが、水中でウェーブライダーは役に立たないし、水を操れないミミにはこの状況を打破する手立てがない。しかも軍艦達まで近づいて来ている。

(このままじゃアルセイユの時と同じになっちゃう。どうしたら……)

 水球の中で必死に思考を巡らせるミミだが、アーシアの背を追っていたその視線が不意に、何かを察知したように僅かに右へ動いた。

 直後、アーシアの右手側の海中から無数の魚が飛び出した。それは発達した胸鰭で宙を滑空するいうハネハネという魚の大群であった。魚達はアーシアに体当たりするようにぶつかってその足を止めている。一見すると彼等がアーシアを襲っているように見えるが、我を失ったりしない限り海の生き物はウンディーネを襲うことはない。

これは、アーシアが彼等の通り道に自ら踏み込んで行ったのである。

(……お母さん何で? 皆あんなに大声で言ってくれてたのに……)

 ミミは唖然となる。本来ウンディーネであるアーシアが海棲生物の声を聞き漏らすはずはない。しかし現に、アーシアは群れの行軍に巻き込まれて翻弄されるばかりだ。

(もしかして、海の生き物との意思伝達が出来てないんじゃ……?)

ミミが戸惑っていると、彼女を閉じ込めていた水球が崩れ落ちた。アーシアの干渉力が弱まったためだろう。解放されたミミはこの機を逃さず海賊船の方に向かう。

「ごめん! 避けて」

そう叫ぶと魚達はミミを避けるように動く。意思疎通が出来ているからこその芸当だ。

海賊船はすでに豆のような大きさになっているが、全速力で追いかければ追いつけない距離ではない。

 ミミの行動に反応したのか、アーシアが魚達を叩き落としながら無理矢理突破してくる。水弾を作りつつ向かって来るアーシアを肩越しに見て、ミミは苦渋の表情を浮かべる。

(巻き込むのは気が引けるけど……)

 ミミは大きく空気を吸うと、水平線の彼方まで響きそうな大音声を張り上げる。

「お願い、来て――――――!!」

すると、辺りからボコボコと海獣達が顔を出す。やはりアーシアは反応出来ず、飛び出した海獣の巨躯に弾かれて宙を舞う。

(やっぱり! 今のお母さんは、海獣さんと意思疎通出来ないんだ)

 どのような手段を用いたのかは分からないが、今のアーシアには意思というものが感じられない。海獣とのコミュニケーションは言語ではなく、思考そのものを伝えるテレパシーのようなものなので、今のアーシアに海の生き物を察知するのは難しいだろう。

「皆、お願い! 少しの間その人を足止めしてて!!」

 ミミが叫ぶと、海獣達は巨体をくねらせて海面を乱す。アーシアは水を操って反撃するが、如何せん数が多く捌き切れていない。海獣もアーシアに攻撃を加えることはないが、足止めとしては十分だ。

「……絶対助けるから。待っててねお母さん」

 ミミは口惜しげにそう呟いて仲間達を追うのだった。


              ◇


 その後、敵艦の姿が水平線の彼方に振り切ったものの、海猫海賊団に歓喜の声はなかった。

(まあ、仕方ないですわよね)

 暗い雰囲気に包まれた甲板を見渡してジョゼットは小さく吐息した。

 敵との戦力差に、純正のウンディーネの参戦……山積みの課題が皆の口を重くしているのだ。あのレイモンドでさえ、先程から腕を組んで黙っている。衝撃の程が窺えるというものだ。

 そんな時、船縁から投げ落とされた梯子を登ってミミが現れた。常は明るい彼女までもが表情を暗くしている。母親と矛を交えたのが相当ショックだったのだろう。

 ジョゼットがどう声をかけたものか分からずにいると、ミミの方がこちらに気づいて歩み寄ってくる。どこか怒って見える彼女をまともに見られず、ジョゼットは視線を伏せる。

 ミミがアーシアと対立したのは、元はと言えばジョゼット達の事情に巻き込まれたからだ。先の一件でミミが受けた苦痛を思えば、どんなに罵られてもジョゼットは反論出来ない。

 さすがに殴られるのを覚悟して密かに歯を食い縛るジョゼット。しかし、ミミが行ったのは平手打ちではなく、ジョゼットを抱きしめることだった。

「え? あの、ミミ?」

 戸惑ったジョゼットが言うと、ミミは彼女の髪に顔を埋めるようにして囁く。

「大丈夫。確かにお母さんは変だったけど、ちゃんと生きててくれてるんだから。絶対助けてみせるから……自分を責めないでね、ジョゼット」

「! 何で……?」

 内心を見通されていたジョゼットはビクリと震えた。ミミは身体を離してくすりと笑う。

「だってそういう顔してたから。……レイモンドさん」

 ミミが声をかけると、レイモンドは無言で視線を向けてくる。それを見返してミミは言った。

「無理は承知でもう一度お願いします。私達に力を貸してください」

 敵の戦力を見た今、如何に無謀なことを申し込んでいるのかは言葉通り、ミミも分かっているのだろう。しかし同時に、自分達だけでどうにか出来ないことも分かっているからこそ、ミミはそう言ったのだ。

「そこは普通、巻き込めないって言うんじゃないのかい?」

「こういう奴なんだミミは」

 ヒソヒソとレインとナイが言い合う。レイモンドはきょとんとした後フッと笑った。

「もちろんだ。とりあえず、奴らに勝つ方法を考えてみたんだが……」

「彼等に勝てる算段があるんですの?」

 ジョゼットが期待に目を輝かせて尋ねると、レイモンドは両手を肩の上まで上げた。

「無理だな」

 お手上げとばかりに断言するレイモンドに、一同は肩透かしを喰らって項垂れる。

「期待した私が馬鹿でした」

「少し真面目にやっていただきたいですね」

「やる前から諦めるとか男らしくねえ」

「レイモンドさん……」

 少年少女のじと目を受けたレイモンドが慌てて弁解する。

「待て待て。最後まで聞けよ。勝目があるかどうかはミミちゃん次第だ」

「? どういうこと?」

 意味が分からずミミが訊き返すと、レイモンドはこう言い放った。

「ミミちゃん。あんた、母ちゃんに勝てる自信はあるかい?」

 その問いに、ミミは息を詰めた。レイモンドは続ける。

「軍艦の方はどうにかなる。けど、ウンディーネに勝つのは俺達には無理だからな。――どうだ? 出来るか?」

 真剣な口調で問い続けるレイモンドを前に、ミミは唇を引き結んで黙る。

「出来ると……思う」

 やがて彼女が出した答えにレインが目を剥いて言う。

「本気か? 相手は純粋なウンディーネだぞ!?」

「いつものお母さんならそうだね。でも今は前にナイさんが言ってた通り、薬か何かで意識を操られた状態みたいなの。見た限り、潮の流れを読んだり水を操ることは出来ても、海獣さんとの意思疎通は出来てないみたいだった。私が勝てるとしたらそこだと思う」

「なるほど。互いに長所があるのなら何とか五分の状態に持ち込めますわね」

 ジョゼットが納得の呟きを漏らすのに合わせ、レイモンドが大きく頷く。

「よし。なら問題は海戦のための戦力だけだな」

「先程、軍艦相手なら何とでもなると言いましたね? 何か戦力を集めるアテが?」

 ナイが訊くとレイモンドはニヤリと口角を釣り上げる。

「おう。たった一つな。そいつは――」

 レイモンドは海の彼方を指差してこう言い放った。

「俺達海賊の我が家――〝海賊島〟だ」


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